「これは慣性の法則というのがあって――」
「キキィー!」
突然一匹の猿が悪鬼スライムの正面にひざまずいた。その猿を悪鬼スライムは大きな手で鷲掴みにすると、そのまま頭を食いちぎった!
「ひっ!?」
クナが悲鳴をあげる。
またああやってスライムに情報を取り込ませているんだ。きっと今のでドラゴロンとの戦いやその情報をスライムが吸収した……
「一度使った戦術が通じないのも厄介だけど、悪鬼って防御力も結構高いのよねぇ……」
渋い顔をしながらアリシアがそう言った。確かに奇面樹も強度が上がっていたので、それを考えたら悪鬼も通常より硬くなっている可能性は高い……
「じゃあ、またあたしが一撃を入れるの? もう魔力も残り少ないよ? まぁギリギリあとワンセットいけるけど……」
ルミルもドラゴロンスライムの時に節約してくれたおかげで、魔力がギリギリ残っているらしい。本当にここが正念場だ!
しかしこっちが手をこまねいている間に悪鬼スライムが動き出す。近くの大木にしがみ付くと、まるで発泡スチロールを砕くような感覚でへし折った!
「やばっ! 一旦退避しますよ!」
「え? 何!? どうしたの!?」
ルミルは理解していない。あの悪鬼は攻撃が災害級なんだ……
僕達が逃げ出すと同時に、悪鬼は抱える大木を振り回し始めた!
それは正に竜巻のようだ。周囲の木々を薙ぎ払い、地面の土や石を巻き上げる。持っている大木と周りの木がぶつかってもどちらかがへし折れるまでジャイアントスイングは止まらない。巻き起こる風と砕けた破片が飛び散るという大災害のを自らが体現していた。
「クナさんシールドを!!」
「は、はいぃ~! 『フォースシールド!!』」
大木をぶん回しても当たらない距離まで避難した僕達は、盾の後ろに隠れて飛んでくる破片を凌ぐ事に専念する。
何も無理に突撃していく事はない。とにかく相手の勢いが弱まるまで待つのも戦略だ。
そう思っていたのだが……
「グルルル……」
悪鬼スライムが短くなった元大木を振りかぶる。そしてそのままこっちに向かって投げつけてきた!
「うわっ!?」
車が突っ込んでくるかのような勢いに、僕は咄嗟に盾の取ってを持って手前に引く。地面と45度の角度に傾けた盾に大木の残骸がぶつかると、傾けた分だけ盾を擦り、後方へ飛んでいった。
これはドラゴロンスライムと戦っていた時に思いついた方法だ。正面からまともに受け止めると衝撃が凄まじいが、こうして角度を付けると受け流す事ができる。
「クナさん、盾の角度はこのままでお願いします!」
「は、はい~!」
さらに悪鬼スライムは周りから物を拾い上げてはこちらに向かって投げつけてくる。
もしかして、最初に周囲を巻き込んで荒らしたのは投げる物を増やすため!? 近距離戦を警戒して、徹底的に遠距離攻撃をしてくるつもりか!?
周りに散らばった木の破片や砕けた岩石を何不利構わず投げつけてくる。その勢いたるや、盾の角度を斜めにしても衝撃が凄まじかった。
「これどうすんの!? いつまで隠れてる気!?」
ルミルが両手で僕の後頭部を押さえつけながら身を乗り出してくる。
「そう言われましても……今出てっても狙い撃ちされますよ……」
「じゃあさ、盾をもう一つ出してよ。あたしがそれに隠れながら接近するから!」
そうルミルが提案するが、それはすでに使った戦術だ……
「それはドラゴロンの時に見せたじゃないですか。距離を取りながら物を投げられるだけですよ……」
「む~……じゃあどうしたらいいのさ~!!」
「う~ん……こっちも遠距離攻撃ができればいいんですが……」
しかしこっちの飛び道具といえばクナの盾を飛ばすくらいだ。だがそれも悪鬼に大きなダメージは望めない気がする……
「遠距離攻撃かぁ……」
喚いていたルミルが考え込んで静かになった。
「仕方ないわね。ここは私が斬り込んでみるわ。私のスピードなら接近できるし」
そう言ってアリシアが盾から飛び出していく。そんなアリシアに悪鬼スライムも物を投げつけようとするが、一気に距離を詰めたアリシアが一閃を光らせる。
しかし悪鬼スライムの体には細い跡が残るだけで全く傷がつかない。
「やっぱ私の攻撃力じゃ通らない……なら、断斬で!!」
アリシアが大ジャンプから刀を振り下ろす。断つと斬るを同時に行うアリシアの火力技だが……
「ウガアアーーー!!」
悪鬼スライムが裏拳を放つ。その拳と刀がぶつかり合うと、なんとアリシアが吹き飛ばされてしまった!
悪鬼の腕は大して傷はついていない。正に鋼の肉体だ……
「くぅ……やばっ!?」
空中に放り出されたアリシアに向かって悪鬼スライムが腕を振りかぶる。
マズい! ここで物を投げつけられたらアリシアは避けようがない!
「クナさん、盾でアリシアさんをガードしてください!」
「わ、分かりました~」
僕の目の前の盾がアリシアに飛んでいく。それと同時に悪鬼が木の残骸を弾丸のように投げ飛ばした!
――ガイン!
間一髪アリシアの前に盾が滑り込み直撃は魔逃れる。しかしその勢いでアリシアは盾と一緒に弾き飛ばされてしまっていた。
「グルルルルル……」
悪鬼スライムがおもむろに地面に腕を突っ込む。その腕を引き抜くと、それは岩盤か、はたまた地中に埋まった岩石か。巨大な岩が持ち上げられていた。
まるでボーリングの球のように、岩に指をめり込ませて頭上まで持ち上げている。そんな状態で僕達に向き直った。
「え……? もしかしてあの岩をこっちに投げようとしてます!? クナさん盾を!」
「は、はい~。今戻しますね!」
アリシアと一緒に吹っ飛んでいった盾を操作しようと両手を掲げる。
だけど違う! そんな時間はもうないんだ! 新しい盾を展開してほしいんだ!
「クナ、別に盾はいらないよ。ここはあたしがなんとかするから」
なんとルミルがそう言って僕達の前に歩み出る。そしてバッターボックスに入った野球選手のようにハンマーを構えた。
そこに悪鬼スライムが岩を振りかぶる。今まさに、僕達は野球のポジションを再現していた。
悪鬼がピッチャーで、ルミルがバッター。そして僕がキャッチャーだ。
当然、投げ込まれた岩石が僕に到達すると人生のゲームセットとなる……
「クナさ~ん! 新しい盾を出現させてくださ~い!」
「大丈夫、大丈夫。あたしがなんとかするからさ」
「え? え? 盾を戻すんじゃなくて新らしくするのは大丈夫???」
クナが混乱している。
いやいやこれヤバいって! ルミルには分からないと思うけど、こういうのって慣性の法則が働くんだ!
慣性というのは、動いている物体はそのまま動き続けるという法則だ。例えば、悪鬼が巨大な岩石を投げ込んできて、それをルミルが打ったとする。すると岩石はその衝撃に耐えきれず砕けてバラバラになるだろう。すると細かくなった破片は慣性の法則に従って、僕の方へと飛んでくることになる。
つまり、ルミルがあの岩石をぶっ壊しても結局僕がハチの巣になってしまうのだ!
「ダメですルミルさん! これは慣性の法則というのがあって――」
「わかってるわかってる。大丈夫だいじょーぶ♪」
いや絶対分かってないでしょ!? それ生返事だよね!? 僕の話まともに聞いてないでしょ!?
「ウガーーーーーーー!!」
ついに悪鬼スライムが自動車サイズの岩石を投げ込んできた!
ボールは巨大なのに、大リーグの先発投手のような剛速球だ!
「うわ~~~クナさん目の前に盾の法則を慣性してください~~!!」
「法則を……完成???」
クナが全く分かってくれない。あ、これ僕死んだ。
「震魂! 爆懐!!」
なんだか走馬灯が見え始める。意外と短い異世界冒険だったなぁ……
「魔攻術めいっぱいで……ジャストミートォ!!」
ルミルがハンマーを振るう。タイミングはバッチリで、見事岩石にハンマーを打ち付けていた。
だけどそれだけじゃダメなんだ。破片は僕の方へと飛んでくることになる……
――ガガン!
打音が二回聞こえた気がした。すると目の前に迫った岩石は爆発し、その全ての破片は僕に一切降り注いではこなかった。
……あれ? なんで? 慣性は?
「ご主人忘れたの? あたしは魔攻術を使ってるんだって!」
キョトンとしているであろう僕に、ルミルはそう教えてくれた。
そ、そうか! 魔攻術は相手の衝撃を緩和する効果がある。つまりハンマーにぶつかる瞬間、まずは魔力に触れて勢いが吸収され、運動エネルギーがゼロに近くなる。その後、直にハンマーで打ち付ける事で押し出す方向へ全ての破片が飛んだんだ!
打音が二回聞こえたのがそれだったって事か。
「グ……グウゥゥ……」
悪鬼スライムに目を戻すと、なんと全身がズタズタの状態になっていた。
あの鋼の肉体が傷付き、岩の破片が突き刺さり、相当なダメージを負っている事がわかる。
「これがあたしの遠距離攻撃よ!」
ルミルがドヤ顔をしている。
いや確かに、冷静に考えたら当然の威力だ。なんせルミルの攻撃力で岩の破片を飛ばしたんだ。その威力はショットガン程度じゃ計れないだろう。
一発一発が小隕石の直撃に近いスピードなんじゃないだろうか。それが直撃したら生物の肉体なんて耐えられる訳が無い。
「ルミルないす~! あとは私に任せなさい!」
そう言って僕達の前にブレーキをかけて滑り込んで来たのはアリシアだ。遠くに吹っ飛ばされた後にダッシュで戻ってきたらしい。
「ここが最後の正念場! 気力を振り絞っての『無限刃!!』」
フッとアリシアの姿が多重に分かれた。そして悪鬼スライムのボロボロの体を滅多切りにする。
いくら鋼の肉体とはいえ、傷付いた肉体はもう頑丈でもなんでもない。悪鬼の体は次第に崩壊して、全身が切り刻まれていった。
「はぁ……はぁ……これで終わりね」
アリシアが止まった時、悪鬼の姿も水になり、それが集まって小さなスライムの姿になっていた。
そんなスライムにアリシアはにじり寄る。スライムはさっきまでのように変身しようとはしなかった。
終わったんだ。僕達はスライムの手札をすべて潰して、この戦いに勝ったんだ!
そう確信した時だった。
――ヒュン!
上の方から何かが投げ込まれる。
僕にはそれが何なのか、誰が投げたのかはすぐに判断できなかった。だがソレが近付いてくると、その物体が何なのかが見えてくる。
腕だ。何者かの片腕が投げ込まれたんだ。だけどその腕には見覚えがある。アレはなんだっけか……
人間の腕に似ているけど、金色の毛並みが特徴的だ。そう、アレは……猿の腕……!?
それがスライムの方へ飛んでいき――
「アレをスライムに喰わせちゃダメです! アレは――」
そう言った時にはもう遅く、スライムは飛びつくようにしてその腕を取り込んでいた!
金色の腕がその体内で溶かされると……
「ピギーーーーー!!」
再びスライムの体が逆立った。
そしてグネグネと形を変化させ、そこで生まれたのは金色の猿だった……
そう、ここの猿たちのボスにして、ルミルに潰されたはずの金色のボス猿……
きっと他の猿たちがボス猿の残骸をずっと探していたんだ。そして片腕を見つけてスライムに届けた。その結果、アリシアの無限刃でもダメージを与える事が出来なかった圧倒的な戦闘力を誇ったボス猿がここに復活した……
「グルルルル……ギシャーーーーーーーー!!」
僕達に向かってボス猿スライムが咆哮する。そんな今の状況に、少なからず僕は愕然としてしまうのだった……




