三話
どうにも不穏だった出発だが、空の旅の最中は拍子抜けするぐらい何も起こらなかった。幸いである。
そして飛空艇に移って人が減り、会話を聴きとったところ――どうやら乗務員の一人が急に姿をくらましたせいだったらしい。
どうも体調を崩して神殿に行っていたとか。
個人の体調不良は機体より余程仕方ないと思うのだが、職員の対応からするに逆らしいな。何とも働き難そうだ。
ともあれ、復帰もしたようなので大したことがなかったのは本当なのだろう。何よりだ。
無事に着陸した飛空艇を降りて、数時間ぶりの地面に立つ。そして唖然とした。
地面を覆うのは石材に似た質感の、錬金術によって合成されたタイル。色違いを数種類作って、模様を描くぐらいの余裕ぶりだ。
適度に生垣、花壇が設置されており、手入れが行き届いた緑には人工的な美しさが強い。代わりに、自然感は薄い。
というか、この町には自然物と呼べるものが一切なさそうだ。
すべてが計画的に、人の手によって造られた都市。そんな印象を受ける。
そして驚いたことに、この町には結界の存在が感じられない。
「イルミナ。帝都に結界の類はないのか?」
俺が感じ取れないだけという可能性も充分あり得る。なので一番詳しそうなイルミナに訊ねてみた。
「うん、ないよ。帝都を護る騎士も、ここを拠点にする冒険者たちも実力者しかいないから。結界を張ると、むしろ色々支障が出る所もあるし。だから来るなら来い、って感じかな」
「大層な自信だが。通用しているんだから事実なんだろうな」
それに、いきなり弾き出されるような問答無用さではないが、監視されているような感覚があるのにも気付く。
背中に薄ら寒さを感じつつ、空港を抜けて町に入った。
「……広いな……」
まず出てきた感想がそれだ。
町の規模が、ではない。空から見た限りでも、帝都はアストライトの王都より少し広い程度の敷地面積だろう。
広いのは、その限られた土地の使い方だ。
家一軒一軒、路地一路一路、施設の一つ一つが、大きい。ゆとりがある。
当然、その分この地に家を持ったり店を持ったりすることが出来る者は減るわけで、おそらく地価は物凄く高い。
帝都を拠点にしている。そのことが成功者の証になっているんだ。
「この分じゃ、帝都にいるのは貴族と大商人だけだろう」
「うん。まさにその通り。帝都の価値を護るために、周辺にも町を造ったり広げたりしちゃいけないの。代わりに、少し離れた場所の東西南北に準帝都、みたいな町があるよ」
「それぞれ農業、工業、学問、芸術に特化した街づくりをしてるって聞いたことあるわ」
「まさに、絵に描いた都市構想だな」
しかしそれをきちんと運用できているから、こうして栄えているんだろうが。
「だがこの分だと、当然宿も高いな?」
「帝都からは一旦出て、周辺の町のどこかで借りた方が良くない?」
そちらもノーウィットと比べるとおそらく高いだろうが、帝都の中よりはマシな気がする。
リージェの提案にうなずこうとしたとき。
「えっと、ごめんなさい、二人共。泊るのは帝都の宿にしてほしい」
イルミナから、半ば確定したこととして否を告げられる。
「なぜだ?」
「来る前に予約してたってことですか?」
宿を予約してから旅に出る、という発想がなかったのでそのまま来てしまったが、イルミナが手配をしていたのだろうか。
それならそれで一言ありそうだが――と考えた通りに、イルミナは首を横に振った。
「ううん。予約はしていないんだけど、皇家の親族が泊る宿は予め決まっているというか……」
少し気まずそうに、しきたりらしい内容を明かす。
しかし聞いてみれば納得できる話だ。王族、貴族という地位にいる人間は狙われやすい。
属国の貴族という身分になろうとも、イルミナは皇女の娘。流れる血が変わるわけではない。
「わたしの同行者ということになるから、ニアさんとリージェちゃんも同じ宿で大丈夫。窮屈かもしれないけど、一緒に来てくれる?」
「だ、大丈夫なら行きます。けど、おいくらほど……?」
やや慄きつつ、無視できない部分を確認する。
「無料、かな。公費で計上されるから」
税金で支払われるのか。
「政治に不満が出た瞬間に、非難されそうな特例だな」
「うん。抵抗があるなら、ニアさんとリージェちゃんは町の宿でも大丈夫。二人とも実績のある錬金術士だから、きっと割引きで泊まれると思う」
ここでも錬金術士への厚遇が窺える。とはいえ、帝都の様相を見れば帝国がどれだけ錬金術を重視しているかは言われずとも分かるが。
少し街を歩いただけでも納得する。
帝都は錬金術が使われていない物を見付けるのが困難なほど、徹底的に加工物しかない都市だ。
場車道と歩道を隔てる街路樹にさえ、手が加えられている。自然物であっても、自然そのままのものではない。
「問題ない。一緒に行く。離れていたら一緒に来た意味がないだろう?」
「そうですよ! 一緒に楽しみましょう!」
「……うん。ありがとう。二人共」
ほっとしたようにイルミナは微笑む。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
イルミナの案内の元、どこまで見渡しても途切れないタイルの道を歩き、一つの建物に辿り着く。
これは……俺の知っている宿とは違う。誰かの宮殿ではと錯覚しそうな佇まいだ。
使うのが皇族筋の者と決まっているからだろう。入り口の門を護るために立っているのは、おそらく正規の騎士。
雰囲気がアストライトとも似ているし、以前出会った錬金術協会の局長が連れていた者たちの制服にも通じる部分が多い。
騎士は素早く周囲に目を走らせて何事かを確認した。
求めた情報を得たのだろう。騎士の目がイルミナへと戻る。その間、一秒と経っていない。
「イルミナ・スティレシア様。ようこそお越しくださいました」
「どうぞ、お連れの方もお進みください」
「ありがとう。しばらく滞在させてもらいます」
「心得ました」
直立不動で敬礼をして、そう応じる。門はイルミナが前に立つと自動で開いた。この辺りも、錬金術の技術が使われている気がする。
しかし人物を判定して自動で開閉する扉とは。帝国の技術力は想像していた以上に高く、一般的に使われているようだ。
イルミナに続いて中へと入ると、やはり自動で閉まった。
「ど、どうなってるの……」
「まあ、今は深く考えるな」
「そ、そうね」
考えてもおそらく正解には辿り着かないと察して、リージェは一旦、考えるのを素直に止めた。
それこそ落ち着いてからゆっくり考察すればいい。
やはり中は宮殿の庭のようだった正面入り口を道に沿って抜け、建物の中へと入る。
広いホールの真正面に、カウンターがある。そこには横並びで三人の男女が待機して座っていた。
案内係、という解釈でいいんだろうか。
彼らの後ろの壁には建物の見取り図が張ってあり、部屋のいくつかが彩度を落として表示されていた。使えない、という意味な気がする。
淡く発光している白いままの部屋が空室、という雰囲気だ。
「部屋を三つお願いできる?」
「かしこまりました。どちらの部屋をお使いになりますか?」
「三部屋近くにある所ならどこでもいいから……。うん、じゃあこの六号室から八号室をお願い」
「承知いたしました」
応じた案内係が机の上で板状の金属――マナシェアの一種だろうそれを操作すると、壁に貼られた見取り図の一部が変化する。
イルミナが指定した三つの部屋が灰色がかった色彩に変化して、明度も落ちる。
視覚的にも分かりやすい。よくできている。
「行こう、二人とも」
「はぅい……」
早くも様々なものに圧倒された気配で、リージェは魂を五分の一程抜け出させながら返事をした。
イルミナが指定したのは入り口から割と近い部屋だったので、迷う心配もなかった。これがもっと奥にある場所だったら地図が欲しいところだ。
イルミナが手前の部屋を選んだのは利便性もあるんだろうが、一番は気を遣った結果だと思われる。
人間社会においては、大体入り口から遠い場所が上座となることが多い。建物括りにしても似たような慣習があるんだ、きっと。
部屋の鍵の仕組みはアストライトと同じだった。真っ新なカードに触れて己のマナを記憶させ、使用者を判別する。
「とりあえず、これで宿は確保できたわけだ。――今日はどうする?」
「わたしは少し休みたいかもー」
旅慣れないリージェには、感じる疲労も大きいようだ。真っ先に手を上げて主張した辺り、かなり本気だろう。
「ニアさんは?」
「俺は少し、町を見て回りたい」
部屋にこもっても、時間を持て余す予感がする。
「じゃあ、わたしは周りの人に挨拶をしておこうかな。今日は個別に過ごそうか」
「賛成です」
「構わない」
うろうろ観光できる時間も、今からじゃそんなに多く取れるわけじゃない。
「うん。皆、また後で。夕食時になったら部屋にいてね。迎えに行くから」
「分かった」
その辺の食事の時間も、ある程度融通が利きそうな予感がする。
帝都、おそるべし。
ともあれイルミナたちと別れて、早速街の散策に繰り出すことにした。
興味があるのも本当だが、一番の理由は地理の把握だ。
何も起こらなければ帝都に少し詳しくなるだけ。しかし何かが起こって逃げるなり戦わなければならなくなったとき。地理に疎いと、それだけで不利になる。
正面入り口のホールまで戻ると、丁度新たな来訪者と出くわした。
「初めまして。シンディ・シュアンテです。シュアンテ男爵家より、ルフロース伯爵のご紹介で参りました」
「ええ、聞いています。お待ちしていました。これからよろしくね、シンディさん」
「はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
……就職、か?
見るともなしに案内係と、シンディと名乗った来訪者に目を向けて。
「――?」
奇妙な既視感を覚えた。
シンディは淡い水色の髪に緑の瞳をした、十六、七ほどの少女だ。癖のない真っ直ぐな髪を背中の中程まで伸ばしている。
顔立ちは整っていて上品だが、緊張感の薄い締まりのなさのせいで、どことなく間が抜けた印象だ。
これまでの人生の中で、己で決めたり踏ん張ったりといった経験がなさそうな気配がある。
もちろん、知り合いではない。どうやら向こうは帝国貴族のようなので、擦れ違うことさえあるわけがない。
だというのに抱いたこの懐かしさは、一体なんだ?
そして向こうも同じように感じたらしい。視線に気付いて振り向いたシンディは、俺を見て戸惑った様子で動きを止めた。
「君は……」
「シンディさん? お知り合いなの?」
「あっ、い、いいえ」
案内係に声を掛けられたシンディは、はっと我に返って相手へと向き直る。
「失礼しました」
「ここは帝国の中でも、最も高貴な血筋に連なる方しかいらっしゃらない場所。気を付けた方がいいわ」
「はい。すみませんでした。以後気を付けます」
素直に謝罪をして頭を下げたシンディに、案内係はうなずく。
「では、事務室へ行きましょう。そこで仕事の説明があります」
「はい」
そうしたやり取りの途中で、俺はホールを後にして入口へと向かう。長々と観察している方が無礼だし、不自然だろう。
顔を見て確信したが、俺は彼女を知らない。
さっきの感覚は何だ? ただの気のせいか?
釈然としない気持ちを抱えつつ、予定通りに外へと出る。
さて。気を取り直して町を回るとしよう。一番気になるのは、やはり錬金術。
町の把握のために多少大きく寄り道をしながら、商業ギルドを探す。
帝都は完全に計算して作り上げられた都市なので、無駄な道がなくて歩きやすい。
建てられた看板を頼りに進んでいけば、まもなく目的地へと辿り着く。
商業ギルドも、他の施設に劣らず立派だ。いや、ここで商業ギルドだけ劣っていたら、なぜだと理由が気になるが。
販売部の扉を開けて、中へと入る。
「ううん……。これは、よろしくない」
そこには見知った姿があった。
腕組みをして陳列棚を眺めている、二十の半ばから後半と思われる理知的な風貌の女性。錬金術協会の権益保護部室長だというユフィノ・アースリィだ。




