六話
「ただ、マリーエルザ自身がどうなのかは微妙な所だ」
測りかねている部分もある。
「『どう』っていうのは?」
「聞き取った感情がちぐはぐで、どう解釈するべきか迷う」
リージェならば分かるだろうか?
「あいつが民のことなど意識に欠片も上らせていないのは間違いない。錬金術への熱意もない。だが油断させるための手段でしかない仕事での評価で純粋に喜んだ」
「……わたしが直接感じ取れたわけじゃないから、ただの推測だけど」
少し考える間をおいてから、リージェはそう切り出す。
「分かる気はする。マリーエルザ様は、無関心にならざるを得なかったんじゃないかな。だって考えても採用されなくて実行できなければ、考えた時間が無駄になるし心は辛いから」
俺が提案を評価したときに喜びの感情を生じさせたのが、リージェの言う通りの経験からであれば納得はできる。
だがそのささやかな喜びは、己の進退をかけてまで貫くものではあるまい。
すっきりはしたが、警戒を解く材料にはならないと言えるだろう。
そもそも、身分が下の者が自分にできないことをしたのが気に食わない、などという幼稚な発想に迎合している奴だ。まともに付き合うだけの価値を感じない。
「マリーエルザの心境はともかく、状況はそういう感じだ。どうもあいつは俺を篭絡したいようだから、しばらくはそれなりに付き合うつもりでいる。……だが、お前が見ていて不快ならやめる」
マリーエルザが手段を変えて、対応を変えなくてはならなくなったとしても。リージェの感情の方が大事だ。
「勿論嫌だけど。でもニアにもマリーエルザ様にも本気の気持ちはないんだよね?」
「ああ、全くない」
断言すると、リージェは若干不安そうにしながらもうなずいた。
「じゃあ、気にしないようにする。でもあんまり見える所では……いやいや、見えないところだとむしろ気になるかも!?」
「まあ、そこまで心配するな。向こうも言葉遊びと、関係をちらつかせる程度のことしかしないだろう」
自分に傷を付けるような真似はするまい。
してきたら驚くし、さすがに同情する。撥ね付ける一択ではあるが。
「では、俺もそろそろ戻る。また明日」
「うん、また明日。気を付けて帰ってね」
「ああ」
リージェに見送られ、アトリエを後にする。
自分のアトリエに帰る前に、カルティエラとの約束を果たしに会いに行くとしよう。
今後の相談も含めて。
――フォルトルナーである俺の耳が拾える音の精度は人間の比ではないし、そこらの魔物にも負けはしない。
その気になればノーウィットの町の面積ぐらいで起こる音ならば、全てを詳細に拾い上げることが可能だ。
なので家に帰った後、屋根に上って雑音を遠ざけつつ、意図的に探してみる。
「――何してるんだ?」
その俺の隣に、頭上からルーが降り立った。然程興味のなさそうな問いかけと共に。
「邪魔をしてきそうな人間の動向を探っている」
「邪魔なら消そうか」
さらりと物騒なことを言ってきた。
「止めておけ。人としての立場上俺の邪魔をしているだけで、別に神の敵というわけじゃない。神人たるお前が手を下すには理由のない相手だ」
神が容易にその威を振るえば、地上種は神々を脅威と見做す。それは嬉しくないことだ。どちらにとっても。
信心に応じて手助けをする。その程度の距離感で良い。
「今、ニアは俺の協力者だ。そのニアの妨害をするなら、そいつは聖神の敵ってことになる。排除したって怒られないさ」
「暴論だ」
通るとは思うが、やりたくはない。
「そもそも、マリーエルザ一人を殺したところで然程の意味はないんだ。俺を気に食わないと言う奴全員を殺して回るつもりか? 無意味に積み上げられた死体の上で笑う趣味は俺にはない」
そんなことを続けていても俺を気に食わないと感じる者は減らないし、恨みだけが大量にかさんでいく。
「解決方法はただ一つ。理解を求めるべきで、話をするべきだ」
今でも俺にはうなずけないが、体面を傷付けられたと憤り、恨みを覚えた理由は理解している。当時、俺は確かに配慮が足りなかった。
なぜか。知らなかったからだ。
貴族というものの考え方、常識にあまりに無知で無関心だったために恨みを買った。
彼らの主張が正しいと思っているわけではない。やるべきことを出来る者が成して、成果を得た。それでいいだろうというのが俺の考えだ。
だがそれは俺の意見であって、他人に強要できるものではない。現状、彼らを取り巻く環境が許してもいない。
トリーシアも、マリーエルザも口にする。失敗はみっともないからできないと。立場を得た者として、成果を出さなければならないと。
「まずは彼らがどこまで何をするつもりなのかを知る。そして企みをかわしつつ理解を得るか、向こうが諦める材料を手にして手打ちにする」
「ああ、退屈なやつだね」
「見ているだけのお前にはな」
やってるこっちは大変だぞ、多分。いや、俺も初の試みになるから断言はできないが。
ルーと雑談を交わしつつ、マリーエルザの音を探す。彼女はどうやら貴族街に新たに建てた屋敷で暮らしているらしい。
同居人はそう多くない。男が三人、女が五人。計九人か。
報告は、簡単にならカードを使って済ませるだろう。だが内容に触れるならば手紙か、直接だ。
これはカルティエラへの妨害にまでつながりかねない案件。何をするにしても密やかに進めるはず。
マリーエルザはどうやら、自室から出て歩いている。向かう先には人間が二人。
『――お兄様、マリーエルザ、参りました』
『ご苦労、掛けなさい。王女のお守りで疲れているところ、悪いな』
『いえ、そのような……』
堂々とした王女への侮辱に、マリーエルザは曖昧な返事をした。
兄の労いへ恐縮したようにも取れるし、王女への批判をかわしたようにも聞こえる。
マリーエルザはどうも、己の親族にさえ気を許してはいないらしい。
そして分かったことがもう一つ。彼女の兄は王族に不満を持っている。
『それで、どうだ様子は。例の身の程知らずに恥をかかせることはできそうか』
『努力します。ですがお兄様、とりあえず信用をさせて機を見ることとして、今回はしばらく様子を見ませんか』
『なぜだ?』
『今の仕事には、民の命がかかっています。それに、王女殿下の名前で行われていることですし……』
マリーエルザ自身も民の命などどうとも思っていないが、自分がかかわった事業の失敗は恐れている。実行を避けようという時間稼ぎだな。
言い分としては真っ当なマリーエルザの言葉を、兄は笑い声と共に一蹴した。
『民だなどと! 他国民ではないか! 無駄な食い扶持などいっそ減ってくれた方が国のためだ!』
どうも、避難民の受け入れに積極的ではないようだ。
『そもそも、民衆など放っておいても勝手に増える。命など気にかける必要もない。人命というのはな、人材として育てるべき貴族のことだけを指すのだよ』
労働者を、労働力としてのみ使いたい派か。
一見楽だが、発展を放棄する悪手だ。生き物は己への感情へ敏感なもの。己を軽んじる相手に尽くしたりはしない。
それどころか、出来る限り最低限の労力で誤魔化すことに全力を傾けることになる。結果どうなるかなど自明だ。
『マリー、もっと賢くなりなさい。そんなことより、我が家の進退の方が重大だ。ハンウェル侯爵が酷く怒っているんだよ。分かるだろう?』
ハンウェル侯爵。名前に聞き覚えがある。
ああ、そうだ。ノーウィットの再開発に手を上げたと言っていた中に入っていた。
土地としての旨味より、俺への報復を優先しかねない気配がある。カルティエラが勝ち取ってくれて本当に良かった。
『ええ……。分かっています』
『だったら。下らない言い訳など考えていないで、もっと真剣にやりなさい。お前にはその才能があるだろう。母親譲りのな』
『……はい。お兄様』
今の兄の言葉の中には明確に、マリーエルザへの侮蔑と悪意があった。どうも彼女の立場は弱そうだ。
『では、どうしましょう?』
『うーん。その魔物除けの柵とやらが完成してすぐに魔物が襲ってきて、ついでに町や人にも大きく被害を出せば無能のいい証明になるだろうが、そう都合よくはいかないだろうなあ』
魔物を引き込むことは可能だろうが、やったと露見すれば自身も非難されることは目に見えている。
俺の無能の証明のために危ない橋を渡るつもりはないようだ。これは安心材料だな。
まあこいつの望みはどうあれ、実は魔物には襲わせる予定なんだが。
『だがすぐにではなくても、いずれ機会はありそうだ。魔物が活発化しているという話だし。マリー、その柵とやらの一部を無効化させておきなさい』
消極的だが、『いずれ』糾弾の時が訪れそうな方法だ。悪くないと思う。
『……分かりました』
一呼吸置いて、マリーエルザは承諾した。ただし、嘘だ。彼女は実行するつもりでいない。
『うん、上手くやりなさい。家に迷惑はかけないようにな』
『もちろんですわ』
実行しないのだから、マリーエルザが失敗して被害が出た――などという話になるはずもない。
だがマリーエルザはその本心を押し殺した、言葉だけは相手が望むものを返している。ただしその心の内側はかなり猛々しく憤っているのが感じ取れた。
『では私は明日にも帰るとしよう。まったく、派閥に無能がいると苦労するよ』
マリーエルザは黙って頭を下げた音がする。そして立ち上がり、出ていく男の足音が二人分。
屋敷にいた男三人のうち、二人は住人ではなさそうだ。
会話という情報を盗み聞けるのはここまでだな。
集中を解いて目を開けると、敏感に気付いたルーが振り返ってきた。
「真剣だったね。有用な情報でも聞けたかい」
「ああ。当面は気にしなくてよさそうだ。朗報だな」
今すぐ、直接攻撃しようというわけではなく、細工を任されたマリーエルザには従う意思がない。
警戒は必要だし、今後俺を疎ましく思う者たちの懐柔は考えなくてはいけないが、それは後でも間に合う。
町も人も気にかけない悪辣さを知ってしまった以上、急ぎではあるが。
「ユーリの調子はどうだ」
「中級種程度だったら大体対応できるだろう。上級種の相手をさせるならお膳立てが必要だね」
主戦力としては少々心許ないところだ。
さすがに、いきなりエイディ級の手練れが来るとは思い難いが、そこそこの戦力を揃えては来るだろうし。
「お前はどうだ?」
「世界的な普通通りだね。要は五割ってところだ。ニアよりは強いけど、竜種の上級種になるともう辛いかな」
ルーも然程当てにはできないか。
呪境の香炉を使えばもう少しマシになるか? 増幅させる属性値がそもそも低いから大きな効果は望めないが、無いよりはあった方がいい。
……時間があれば用意をしておこう。
「じゃあ、もう外で動いていいね?」
「ああ、頼む」
ユーリの痕跡を探す奴らを敢えて誘い出すために、ノーウィットから少し離れた辺りで存在を誇示してもらう。
そうして時間を稼ぎつつ、ノーウィットに呼び込むのだ。
方向性は決まった。後は人事を尽くすのみ。
翌日の朝早く、ノーウィットには不釣り合いな豪華な馬車が門を抜けていくのを見かけた。おそらく今日帰ると言っていたマリーエルザの兄だろう。
そしてルーとユーリももう町の外に出て行動し始めている。キャンプ地から敵の目を逸らすための誘因作戦だから、特にユーリが乗り気だ。
俺の行動が一番遅いのはサボっているわけではなく、領主館を訪ねるのに許されるだろう時刻を待っていたためだ。
空いた時間は調合に使っていたので、無駄にはしていない。
昨日と同じく領主館のアトリエに集合して、三人で黙々と作業を進める。
自分の失点にするつもりのないマリーエルザは、昨日話していた通りに余計なことをする様子はない。
倫理的には問題しかない盗み聞きという手段だが、おかげでマリーエルザの行動に然程の注意を払わなくて済む。
リージェとマリーエルザには引き続き魔法陣を彫ってもらいつつ、俺は神力を蓄積する部分と、命令を受け取る各部分の結合に移った。
彫られた溝に合成樹脂を流し込みつつ、キッフェルのマナ経路と同期させていく。同時に核を埋め込み、これも同様に繋げた。
同じ林にあった同じ種類の木なので、抵抗はほぼない。――よし。
「結合」
繋ぎ終えたすべてを、魔法を使って定着させる。
「ニアのマナ操作って、本当に早くて綺麗よねー」
「何て歪みのない仕上がり。これが別々の素材を結合させて出来ているなんて」
いつの間にか観客と化していた二人が、感嘆の息を付きつつそんなことを言う。
「……まあ、出来るようになるよう努力はしたからな」
「努力……」




