一話
四日後、俺はノーウィットに戻ってきた。
これまでと比べて家を空けた期間はそう長くはないが、疲労はそれなりにある。
予定よりも短く済んでいるのは、避難民と別れて俺とルー、ユーリだけで急いで帰ってきたからだ。
そして俺が留守にしている間に、町の拡張工事が始まっていた。これから町の敷地に入る予定の土地が整備され始めている。
地図上だとそれほど感じなかったが、実際に印を打たれた地点を見ると、広げる土地は結構広い。
「あの、印があった場所まで町を広げるのか?」
「予定ではそうなっている」
「いいな、公共事業。仕事に困らなさそうだ」
職種的に、ユーリには馴染みがあるか?
自分で生活を安定させようという意気は買うが、日銭を稼ぐのに注力されるのは困る。まずは力を付けてもらわなくては。
「選ばなければ仕事はあるな。だが土木工事は力仕事だ。適正は見るべきだと思う」
「俺は何でもやるぞ。単純な力仕事ならなお良しだ!」
「時間と体力が余ったらにしておけ」
あのあたりの仕事は、むしろ難民――というか、新住人と言うべきか。彼らにこそ活用してもらいたい。多少なりと基盤が整えば、次を考えやすくなるだろう。
ルーとユーリを連れて、我が家に帰る。閉め切っていたせいで空気が淀んでいた。
まずは換気をして人心地着いてから、皆でテーブルに着く。
「ルー、ユーリ。お前たちはしばらくここに住め。空き部屋があるから貸してやる」
「分かった、ありがとな。家賃は?」
ここは借家で、月額七万。共用部分と一部屋分と考えて。
「一万払ってもらえれば充分だ。……ん? ラズィーフとは通貨が違うか?」
「違ったはず。俺町からあんまり出なかったから、他国の通貨は持ってないんだよな……。つっても、自国通貨だってそんな持ってないんだけどさ。ここで両替できるかな?」
「商業ギルドならできる」
アストライトの通貨をラズィーフ通貨の実物に替えるのはノーウィットでは難しいだろうが、逆は可能なはずだ。商業ギルドは国営なので、交換した他国の通貨も使い道がある。
それこそ、国境付近の町に回せば求める人もいるはずなので。
「町は明日案内してやる。身分証も作らないと不便だろう」
「それ、俺も作れるものなのか? ないと支障が出そうだなとは思ってたけど」
「犯罪歴がなければ作れる……と聞いた覚えがある」
作った当時、俺は追及されたくなかったので、何も聞かずに出来そうだった登録だけ済ませた。
後から噂レベルで耳にした情報によると、諸事情により出生時に身分証を得られない者がそれなりにいるので、登録だけなら然程厳しくなくさせてくれるとのことだ。
ルーにはもちろんこちらでの犯罪歴などないだろうから、おそらく可能だ。
「とりあえず今日は風呂にでも入って休め。その間に食料の買い出しに行ってくるから」
「分かった。そうさせてもらう」
ユーリを風呂場へ送り出し、気合を入れて立ち上がる。
ずっと移動していたから、俺自身にも疲労は濃い。雑用をさっさと済ませて、休みたいのは同じだ。
外に出ようと扉に目を向けた、まさにそのとき。戸が軽くノックされた。
こちらがいると確信した叩き方だな。来訪者が誰であるかはすぐに分かったので、問うことなくそのまま扉を開けた。
「わっ」
再度扉を叩こうとしていたか、腕を半端に持ち上げた格好でリージェが間の抜けた声を上げる。それから嬉しそうに笑顔になり。
「お帰り、ニア。無事でよかった」
まずは帰宅を喜んでくれた。
「ああ、大体予定通りだ。お前はどうしたんだ? 随分間が良かったが」
「シェルマちゃんたちに、ニアが帰ってきたって教えてもらったの。だったらきっとご飯がいるよね? って思って持ってきた。じゃんっ」
逆の手に持っていた買い物かごを見せてくる。結構な量だ。
「ルーハーラ様も一緒かなって思って、とりあえず三人分で二食想定」
「三人?」
「もし嫌じゃなければわたしが作るよって言おうと思って。ニアたちは疲れてるだろうし。で、作るんだったらわたしも食べたい! ということで、三人分」
なるほど。
「惜しい。残念だがもう一人増えた」
「そうなの? じゃあ……」
労働力だけ提供して帰りそうな雰囲気だったので、かごを取って適当な棚に置く。そこに冷気を生む維持型の魔法を展開。少しの時間なら、これで冷蔵処理として持つだろう。
「だから、悪いがもう一回買い出しに付き合ってくれ」
「う――、うん!」
一拍、聞いた内容を理解する間を空けてから、リージェは大きくうなずいた。
リージェという道連れを増やして、町へと出る。
「ニアとこうして並んで、ゆっくり歩くのって久し振りだね」
「ずっと慌ただしかったからな。グラージェス以来か」
「そうかも。そこまででもないのに、凄く昔の事みたいに感じる」
「色々ありすぎたせいだな」
印象的な出来事が多すぎて、思い出が大量にある。
繰り返しの日常を過ごすのに比べて、記憶を遡るのにも時間がかかる。そのせいではないだろうか。
「ニアは平坦な日常の方が好きそうだよね。研究の記録だけで埋め尽くされていそうな」
「否定はしないが」
リージェの認識は正しい。最終的に望んでいるのはそういった日々であるのに間違いはない。
「今はそれよりも、大切な相手が無事で、快く在れる方が重要だ。お前たちを護るために必要なら忙しなくてもそちらを取る」
「う」
喉に詰まった声を出し、リージェは動きを固くして赤面する。
そろそろ見慣れてきた。
「慣れてもいいだろうに」
別に特別なことを言っているわけでもないのだから。
「慣れるわけないっ」
悔しがっているのが二割、喜んでいるのが八割でリージェは抗議してきた。感情の忙しい娘だな、とは思う。
可愛いし、面白いからいいんだが。
「もう! そこで楽しそうにされるから余計に悔しいんだってば!」
「お前は俺に『楽しい』という感情を与えてくれると言ってただろう。叶ってるぞ」
「楽しいのと面白がられるのは別件のときあるの!」
「なんとなく違いは分かるが」
そういう意味でも、別に外れていない。
「……もう。それで? ニアは何か食べたい物とかある?」
「特に考えていない。お前が持ってきてくれた材料にもう一人分足すだけでいいと思っている」
「じゃあ、そういう感じで」
市場への道を歩きつつ、頼んでおいたゴーレム素材の進捗を聞いてみることにした。
「そっちの仕事はどうだ?」
「誤差程度に遅れてるかな。そこかしこで魔物が頻繁に姿を見せるから、作業が捗らなくて。でも襲われたりはあんまりしないから、皆ちょっとずつ慣れてきた感じ」
「そうか」
むやみに襲ってこないのは、人探しに集中しているからだな。だが戦う術を持たない人間にとっては恐怖だっただろう。
まして作業中に襲われればどうしたって対処は遅れる。
「急がないとね。町の人も怖がってる」
「町にいれば大丈夫だ。理由がない限り、面倒な場所は後回しにする」
だが、リージェの言葉ですぐに表面化するだろう次の問題にも気付いてしまった。
魔物大氾濫の時と同じだ。町と町の交通が危うくなる。
――が、そちらも後だ。まずはノーウィットを拡張し、ラズィーフからの人々を迎え入れ、町の安全を確保する。
「地面はね、大体均し終わったの。だから後は結界代わりの柵を建てれば着工できるよ」
「つまり俺たちの仕事待ちか」
「そうなるかな。どんなゴーレムにするか、形は決まってるの? 稼働するんだよね?」
「木像っぽく見せてはどうかと思っている。装飾的に」
実質ゴーレムとして稼働するのは三分の一程になると思う。
全部が機能を持っていた方が便利……ではあるかもしれないんだが、動かす以上、形は限られる。木造りの人形がずらっと街を取り囲んでいるのは光景として異様ではないだろうか。
定型の長方形を積み重ねてゴーレムを作るという手もあるが、大きさによっては形成に時間がかかるし、何より稼働に融通が利かない。
専用に作るのが一番だ、と思い直した。
「神話をモチーフにして作るつもりだ」
「芸術的な技術も求められそうね……」
「確かに。今はそこまで拘っていられないから俺が作るが、余裕ができたら彫刻家に依頼してもいいかもな」
その辺りはカルティエラが判断するだろう。
そんな話をしながら市場に着いた頃には、営業を終えようとしている店も少なくなかった。選べる品は減るが、値が下がる。懐が心許ない者にとっては悪くない時間帯だ。
幸い、今の俺の懐はそこまで乏しくない。国の報酬から始まり、トリーシアからの依頼、スティレシア侯爵の特別依頼と、悪くない報酬の仕事を立て続けにしている。
だからと言って湯水のように使おうとも思わんが。研究のために引きこもる資金にするつもりだ。
「あ、ニアさん久し振りー。もう閉店だから、安くするよ。買ってかない?」
馴染みの店の一つから、そんな言葉を掛けられる。
「残っている品による。どうだ、リージェ」
「お肉以外は大体揃いそう」
「そりゃ、うちは八百屋だからね」
肉は肉屋で、だな。
見ているうちに不意に食べたくなった胡桃を追加して、八百屋を後にする。通りを進んで肉屋に寄り、鶏を購入。
「これでいいか?」
「うん、大丈夫」
「ところで、何を作るつもりだ」
買った種類が多くて、可能となる料理が多く推測は不可能だ。
「普通に野菜スープを作るよー。野菜ときのこの出汁たっぷりの美味しいやつ!」
「そうか」
たまにならいいだろうが、ずっと俺の味覚に合わせるのはイルミナやリージェには物足りないんじゃないだろうか。
基本的に、食事は分けた方がいいかもしれない。
食べられないわけじゃないが……刺激の強い物は舌に痛いし、味が強い物は濃すぎて気持ちが悪くなる。
それでも、移り住んだ直後よりは慣れてきたと思うが。
「美味しいやつだからね、言っとくけど」
「……そうか」
今後、一緒に暮らすようになったとき。
二人から食の楽しみを一部奪うことになるのでは――という思考を見透かした様子で、リージェは笑って繰り返した。
そう深刻に考えることはないのかもしれない。
一緒に食べたくなったらそうすればいい。それだけのことだ。多分。
「――戻った」
「お邪魔しまーす」
一応声を掛けつつ入った俺と、その後にリージェが続いて家へと帰り、扉を閉める。
「お、お帰りー。あれ、初めましての人だな。ニアの知り合い?」
「リージェ・シェートっていうの。よろしく」
「おう、よろしく。ユーリだ。聞いてるかもしれないけど、ラズィーフから避難してきた」
「大丈夫。大体分かってると思う。ルーハーラ様のこと含めて」
ユーリが神によって選ばれた勇者であることを知っているし、信じてもいる。
直接は言わなかったが、リージェが言おうとした内容をユーリもしっかり理解した。
「そっか。とは言っても、俺自身にはあんまり実感ないけど……」
選ばれたのなんだのと言われたところで、実は伴っていないからな。当然だ。
自分でなくてはならない、とユーリが感じられるのは、実際のところ魔王やステラと邂逅してからだろう。
いつになるか知れたものじゃない。ついでに、今だとまずい。絶対死ぬ。
「そう深く考えなくても問題ない。お前は選ばれるべくして選ばれたのだから、心に従って進めばそれが神々の望む道と重なっている」
神々はそれぐらい、容易に見通す。
「意外だ。ニアは信心深いんだな」
「違う。事実だから言っている」
「それが信心深いって言わないか?」
駄目だ。やはり人間たちにとって神の存在は遠い。事実だと言っているのに、想像に置き換えられてしまうぐらいには。
面倒だ。もう信心深いということにしておこう。
「信心もなくはないから、もう否定はしない。リージェ、頼む」
「うん、分かった。ユーリは苦手な食べ物とかある?」
「今のところはない」
「了解。じゃ、適当に作っちゃうね」
言って買い出しに行く前、棚に置いていった分も合わせて持ち、台所へと向かった。
「おおお……。ご飯を作ってくれる人がいるとか、ニア、凄いな」
「そうだな。俺は幸せ者だと思う」
この点に関しては、一切否はない。
「俺が帰ってきているのを知って、疲れているだろうと気を遣って来てくれたんだ」
純粋に俺を想ってくれての事。嬉しくないはずがない。
「へー。いい人なんだな」
「ああ」
間違いない。俺の価値観を変えるほどに。
ふんふんふん、とハミングしながら調理を始めるリージェの背を眺めつつ、俺は椅子に座って一息つく。ユーリも正面に座った。
「ルーは?」
「風呂」
入れ替わりで入ったか。俺も後で入ろう。旅の汚れは落としてから寝たい。




