十三話
「っ……?」
周囲の気配が唐突に剣呑になったのには、騎士のみならず全員が気付いた。
魔物に襲われて命を脅かされた恐怖の記憶は、まだ新しい。より鋭敏になるのも当然と言えた。
「全員固まれ! 防衛陣を組んで、周囲を警戒せよ!」
「はッ」
戦う術を持たない避難民たちを急かして集め、その外側に騎士、兵士たちが等間隔で立つ。全員が盾と剣を構え、己の正面へと警戒を集中させる。
一人一人が受け持つ範囲が決まっているのだ。十分な練度と信頼を窺わせる。
人工的に設置されている街道でも、すぐ近くに手付かずの森や草むらがある場所は珍しくない。この辺りもそうだった。
こちらを威嚇するように、木々の葉や草花が不自然に揺れる。
その動きは円を描き、徐々に迫ってきていた。勿論そちらも攻勢の準備ではあるんだろうが、あえて警戒を誘発させる大胆な動きだ。
ならば、と頭上振り仰ぎ、魔法陣を描く。やはりいた。鳥型の魔物に己を運ばせていた、緑の毛並みの魔獣だ。
「!?」
奇襲を見破られたことに驚愕の表情を浮かべる魔物へと、完成した魔法を放つ。
「炎の矢」
神力によって作り出した、矢の形をした炎が空を走る。魔獣は魔鳥を蹴って、その勢いで身をかわす。
ついでに蹴られた魔鳥も弾き飛ばされて難を逃れたが、やり方が乱暴だったせいか批難の鳴き声を上げた。
ここまで運んでやったのに、といったところだろうか。仲はあまり良くなさそうだ。実際、務めを果たした魔鳥はそのまま飛び去って行った。
「臭い」
目論見を外されて防衛陣の外に着地することになった翠の魔獣は、不快そうに唸る。
全体的な立ち姿は獅子に近いか。ただし顔に当たる部分は硬質の仮面のようなもので覆われている。
実際に仮面を着けているわけではない。それが生身なのだ。証拠に胴体との継ぎ目がない。
たなびく鬣は毛先を黒く染め、一部分だけ長く本体の体長を超えてたなびいている。黒炎を毛先に灯した尻尾がびしりと地面を叩き、軽く土を抉った。
「聖神臭い。実に、実に。おるな。神人がおるな。どこぞ。勇者はどこぞ?」
発声はそこそこ滑らかだが、人語には慣れていないようだ。たどたどしく言葉を紡ぎながら、顔を左右に振る。
種族が分からん。ダンジョン産か? もしくは、原初の魔物か。
「勇者だと? 何の話だ」
「愚昧なり」
カカ、と金属の歯を打ち鳴らして仮面魔獣は嗤う。
「なれば殺す。早々に、早々に。半端なる蝙蝠どもも、尽くに殺す。さすれば我が神も喜ばれよう」
前片足を上げて一行を指す仕草をした、次の瞬間。仮面魔獣の姿が掻き消える。
「ぎゃっ!」
「ぐっ!」
上がった悲鳴は円陣の外と、内側から。声につられて振り向けば、ちょうど反対側に仮面魔獣は佇んでいた。
直前まで魔獣がいた位置には、地面を強く蹴った跡が残っている。
――速い。
「臭いの、どれだ? 聖神臭いのは、どれだ。邪魔なり。邪魔なり」
首を左右に振って、しかし再度擬態をしたルーを見破れなかったらしい魔獣は苛立ちの声を上げて地面を掻く。
現状、まだ加護を持たないユーリも普通の人間だ。探し出そうにも差なんかないから不可能である。
「すべて殺せば、よいな?」
「怯むな、連携して討ち――」
数の有利で対抗しようと声を上げた騎士の指示は、仮面魔獣の雄叫びによって遮断された。
途端、四方八方から群れの配下と思しき魔獣たちが現れる。先程俺たちの注意を引いた木々の間から、あるいは身を潜めていた草むらから。
同時に仮面魔獣も動いた。完成した魔法陣を宿した前足を振り上げ、地面に叩きつけようとしている。大地を揺らして行動を妨げるつもりだ。
問題ない。相手の機動力を削ぐつもりで用意していた魔法で阻止が可能だ。
「泥深」
仮面魔獣の足元を、水を含んだ泥へと変える。地中に沈み込んだ足が放った魔力はぬかるみに衝撃波を伝えたが、そこで威力は殺せた。
「ニア、そっちを頼むよ」
「普通、逆じゃないか?」
厄介そうな方を受け持て。神人。
俺の隣を抜け、配下の魔獣たちから民を護る防衛線に加わりに行ったルーの背中に文句を付ける。
まあ、分かるんだが。ユーリがそっちに行ったからな。
俺が仮面魔獣を足止めした瞬間に、ユーリは動いていた。初めの一撃で倒れた騎士の手から剣を拾うと、民に迫ってきていた配下の魔獣へと切りかかる。
「――手出しはさせない、護って見せる!」
叫んだユーリの体が、淡く銀の光に包まれた。そこに顕現した、地上に現れる中で最も神に近しい力の具現に、魔獣たちが怯んで勢いを失う。
当然、ユーリは容赦しない。動揺に動きを止めてしまった魔獣を、銀の聖光を軌跡に残しつつ振り抜いた剣で両断する。
「『それ』だ!」
誰が見ても明らかな特別を指し、仮面魔獣が叫ぶ。
「それを殺せ!!」
そして自らもユーリを狩ろうと泥から足を引き抜いた仮面魔獣の前に、俺が立つ。
「選ばれた勇者を殺させるわけにはいかないからな。お前の相手は俺がする」
「貴様が神人か」
「そう見えるのなら大層な節穴だ。自力で神人を見つけ出すのは諦めた方がいい」
魔力や神力を感知する精度は低そうだ。
特に怒らせる意図はなかったのだが、自分でも気にしていたか、仮面魔獣は鬣を逆立てて尻尾の炎を大きくした。
「許さじ。許すまじ。侮辱、許すまじ!」
身を撓ませて、仮面魔獣は俺へと飛び掛かってくる。真っ直ぐに。
己の速さに自信があるのもそうだろうが、逆に速過ぎるためにどうしても動きが直線的になりがちだ。
結果、後ろに下がった俺と入れ替わりに前に出てきた騎士二人が付きだした盾に、まともにぶつかる。
金属と金属がぶつかったときの硬い音を立てて、両者とも後ろにたたらを踏んだ。
――とにかく、少しでも動きを鈍らせたい。
「刺錠の荊冠」
仮面魔獣は地に足を付けた瞬間に、すぐさま魔法の効果範囲から逃れようとする。
人間のように魔法を使うと、どうしてもこうした一瞬のせめぎあいで後れを取ってしまう。この差を埋められる人間の達人の洞察は驚嘆に値する。
あいにく俺は達人でもなければ人間でもないので、持ち得た力で補うのみ。
神力を直接操作して、仮面魔獣の足を掴み、留める。
「!?」
仮面魔獣は不自然につんのめったが、そうと気付いた者は少ないだろう。次の瞬間には魔法が発動し、大地から伸びた茨が仮面魔獣の体を絡め取ったので。
「ぎゃうっ」
茨に着いた細かくも鋭い棘が、仮面魔獣の皮と肉を削ぎ落とす。血を飛び散らせながらも、仮面魔獣は大きく身を捩り、力任せに茨の檻から脱出した。
見た目通り頑丈だ。なまじの金属なら軽く引き裂く棘が、少し削っただけで鋭さを失っていた。全体的に傷は浅い。
だが、間違いなく傷は付いた。流れる血もすぐには止まらない。
出血を強いれば、いずれその動きは鈍る。必ずだ。
「――……」
仮面魔獣は無言で身を低くした。こちらを侮るのを止めた気配がある。だが、衝撃に備えてしっかりと盾を構える騎士の護りを突破するのは容易くないぞ。
仮面魔獣が地を蹴る。向かった先は正面ではない。左に飛んだ。そうして、横合いから突撃してくる。
悪くない選択だ。盾を構えて足腰に力を入れて身構えるには、僅かながら時が必要になる。人間の反射は仮面魔獣の速さに追いつかなかった。俺の魔法構築も。
だが神力そのものを操って迎撃するのには充分な間合い。仮面魔獣が飛び込む進路に不可視の刃を作り出す。
丁度自らの力で、縦に真っ二つになるように。
「!」
しかし突撃してきた仮面魔獣は、自身が纏っていた魔力の刃が別の何かに当たったのに気付き、大きく飛びのいて仕切り直してしまった。
充分に速さの乗った突撃からでも止まれるのか。大した制動能力だ。
「妙。奇妙なり。先程から、神力が奇怪な姿になる。貴様か」
「さて?」
それを今、敵に教えてやる奴はいないだろう。
「……」
離れてこちらを窺う仮面魔獣は、攻めあぐね始めたように見えた。こちらから仕掛けるのも危険は大きいものの、それは時間が解決する。
ルーがただの魔獣ごときに手を焼くはずがないからだ。じきに配下の魔獣を片付けて合流してくる。
人手が確保できれば護りを厚くできる。攻勢に出るのも難しくあるまい。
それらの光景は、背中にしている俺たちよりも対面の仮面魔獣の方が余程分かっているはずだ。
少し焦りを滲ませたのち、仮面魔獣は再び駆けた。
どこから来る? どこからであろうと大した差はない。闇雲な突撃なら防ぎきれる。
仮面魔獣はまず、右手へと移動した。その爪先が向かっているのは――俺たちではない!
寄り集まっている民だ。
「ちィッ!」
刃を作って迎撃しようとして、留まる。人の動きが煩雑過ぎた。下手をすれば俺が作る刃の方で傷付けかねない。
仮面魔獣と人々との直線状に割り込み、ごく短く、手刀に添わせる形で形成した刃を振るう。
手に響くのは固い手応え。直接触れてはいないのに、勢いで押し切られて弾き飛ばされた。人々の悲鳴が遅れてこだまする。
振るった方の右手は大分傷んだ。上手く力が入れられん。なので左手を地面に付き、吹っ飛ばされた勢いは土を削りつつ殺して、顔を上げる。
どうやら神力の刃は仮面魔獣の腹に当たったらしく、向こうも横倒しになって倒れていた。
俺が割り込むのに間に合わなかった人々と、仮面魔獣が倒れる際に巻き添えになった人々が苦痛の声と悲鳴を上げている。
「グッ、ウゥッ!」
唸り声を上げながら、仮面魔獣は跳ね起きた。腹から滴る血の量はそれなりに多い。だが、仮面魔獣の瞳に戦意の衰えはない。
「討つ。討たねば、ならぬ。貴様は脅威だ!」
「買い被りだな」
即座に否定したが、仮面魔獣は俺の答えになど用はないだろう。
地に落ちた血が煙を上げ、青い炎となって燃え上がる。じきに本体も炎に包まれた。
炎にあぶられた周囲の熱が上がり、陽炎が揺らめく。かなりの高温。
これは仮面魔獣にとっても決死の手段だろう。体が悲鳴を上げているのが分かる。
炎そのものとなって、それでも瞳だけが浮かび上がって光を失わない中、仮面魔獣は地を蹴った。
これは避けられん。避ければ仮面魔獣は軌道を変えて、民衆を囮に使う。
「下がれ!」
「ここは我らが!」
仮面魔獣の突撃を前に、騎士たちが護りを請け負って盾を構える。
通り過ぎた後さえ、余熱で大気を燃やし続ける温度だ。さすがに技術だけでは防げない。
騎士たちは魔法によって自身と装備品の効能を高めたが、それでもまだ足りないだろう。彼ら自身の命が代償となる。多分、分かっているだろうが。
まあそれは、相手が炎をまとい続けていたらの話だ。
彼らのおかげで俺は防御を考えずに済む。仮面魔獣が操る魔法に干渉して、その術式を崩しにかかった。駆けるごとに炎は散り、熱も失せてゆく。
「――!?」
完全に間に合わせることはできなかった。しかし自損覚悟の突撃が止められない位置だったのは仮面魔獣も同じ。
盾と正面衝突し、万全の備えで受けた騎士は、見事に仮面魔獣の動きを縫い留めた。
その頭上に影がかかる。
「おおぁっ!!」
気合の声と共に、銀光を宿した剣をユーリが一閃する。傷を付けるのさえ難儀した仮面魔獣の体が、あっさりと両断された。
やや不格好に手と膝を突いて着地したユーリは、すぐさま仮面魔獣を振り返った。
だが心配は無用だ。仮面魔獣はやや質量を変えながらも右と左とに断たれ、横たわって命を止めている。
「……やったか!」
「そうだな」
周囲も、いつの間にか静かになっていた。配下の魔獣たちの掃討も終わったようだ。
危機が去ったことを皆が理解して、歓声が上がる。
だが喜んでばかりもいられない。
「ポーション類をいくつか持ってきている。怪我をした人間に使ってやれ」
不自然にならないよう、ローブの内側から取り出したように見せつつ、実際には空間拡張の腕輪から取り出したポーションを渡す。
「ありがとう、助かる!」
騎士たちの方はまず自力で自分たちの傷を塞ぎ、重傷者から順に見て回っていた。そこにユーリが各種ポーションを持っていくと、ほっとした顔をして喜んだ。
体内の保有マナは有限だ。体の重要な構成物の一つでもあるから、使いすぎると心身に不調をきたす。
誰にでも使える道具というものは、こういうときに有用だ。
わざわざユーリが俺を指し示して、出所を示す。義理堅い奴。騎士はこちらにも軽く頭を下げてから、怪我人の治療へと取りかかった。
そしてユーリが去った代わりのように、ルーが来る。




