十一話
「そのために、力を鍛えてほしい。だからまずこの地から離れよう。ここに君がいたら、魔物が際限なく襲ってくるよ」
「強力なやつが来たら確実に死ぬぞ」
ルーと俺が言うのに首を左右に巡らせてそれぞれを見てから、正面のイルミナに向き直る。
「この人たちは? 騎士っぽくないですけど」
「こいつは神官モドキだと思えばいい。俺はただの付き合いだ」
俺の言い方で、ユーリは察したような表情になった。
「正式な神官じゃないのに神託を受けたなんて、誰も信じないよな。まして俺みたいな下級市民が神様から選ばれるなんて。なのに、王宮騎士の貴女は信じてる。ってことは……」
ユーリの目が、もの言いたげに俺を見る。
「そうだな。ルーが俺の知人で、俺がイルミナの信頼を得ていたから伝えられた話と言えるだろう」
「でも同時に、そこまでってことですね」
国からの支援を、貴族であるイルミナが口にしなかった。それで充分な答えだろう。
「……申し訳ないですけど、信じ難いです」
今のユーリに実感を持てという方が無理だった。自覚を持つような出来事もないし、こちらも演出を用意していない。
「ただ、いずれにしても俺は冒険者になろうとは思ってました。そして魔物や――届くのなら魔王に一矢報いてやる。けどまずは、皆が落ち着いて生活を立て直すのを見届けたい。だから、お断りします」
やはりそうか。
しかし他国とはいえ、貴族であるイルミナに否を突き付けるとは大したものだ。
それぐらいユーリの生活の中で貴族との関りが薄かったということかもしれないが。
「……そう。分かったわ。けれど話だけは、心の内に留めておいて」
「はい」
無理強いをしても意味はない。イルミナが話を締めくくると、ユーリは深く頭を下げて退出した。
気配が完全に去ってから、ルーが俺を振り向く。
「あれでいいのか? 結局何も変わってないけど」
「いや、変わったぞ。警告をした」
手間といえばそうだが、突飛すぎて納得してもらえないならもう仕方ない。
「あとはこのキャンプが襲われるか、移動する人々が襲われるかをすれば考えも変わるだろう」
「アレ? それはトラウマ生成になってよくないって言ってただろ?」
「被害が出ればな」
人間は意外と調子がいいので、取り返しのつかない悲劇でなければ反省だけで済ませられることが多い。
「ふむふむ」
納得をしたか、理解を放棄したか。微妙な軽さの相槌だ。
「だったらいっそ、誘き寄せてしまった方がいいかもしれないね」
あまり好ましくは思っていない様子で、しかしそれ以上は思いつかず妥協して飲み込むつもりのある口調でイルミナが提言する。
「ここの人たちを移動させるときは、どうしたって両方が手薄になる。だったらせめてこちらで誘導して、護りを厚くして迎え撃った方がいいと思うの」
「道理だな」
どちらにも被害を出したくない。こちらで決めてしまうというのは良い案だ。
「そしてその場合は、移動する側に誘導するべきだとも思う。危険は増すけど、だからこそ護りを厚くしたい。ユーリさんに付いてきてもらえば、そのままノーウィットにも入れるし。……着くまでに納得してもらえれば、だけど」
「させるさ」
移動する人々にユーリをついていかせることも、そう難しくはないだろう。
「あとはどうやって魔物を誘き寄せるか、だね」
「簡単だ。地上種にはありえない神力を発すれば、自然と向かってくる」
つまりルーに擬態を解かせればそれで済む。
目的はここだと喧伝すれば、移動側の防衛力を上げてより手薄になるキャンプ地、なんならこの地域一体の村や町に被害を出さないためにも有効だ。
魔王軍にしたって、ユーリの居場所を正確に掴んででなお無駄に荒らし回ることに益はないからな。
当然ユーリを匿う地の負担は増すが、戦いの最前線だと思えばやむをえまい。
「じゃ、最中に適当な頃合いで引き寄せよう。移動はいつからになるんだ?」
「日数的に、カルティエラ殿下がそろそろノーウィットに着いたと思うから、明日には発つわ」
主が帰り着いて周知させておけば、着いたときに混乱しなくて済む。
急いでこちらに来て良かった。間に合わなくなるところだったわけだ。
「ただ、その、予定ではわたしは同行しないことになってるの。危険が増すのが分かってるなら行きたいところだけど……」
「止めておけ」
イルミナが残る予定だったのは当然だ。王宮騎士の彼女はおそらくこの場の総指揮官。報告を受け取って判断するのにも、居場所は固定されていた方が効率的。
「それに、こちらが襲われないとも限らない。戦力を移動の方に厚く振り分けるなら、手練れは残しておくべきだ」
魔物がユーリを探すために活発に活動しているのは、俺たちの移動とは無関係だ。離れた後でキャンプが襲われる可能性は充分ある。
もしこちらに被害が出たら、それはそれで困る。
ユーリもそうだろうが、イルミナも必ず傷付く。絶対に避けたい。
「……うん」
考えとしてはもう答えは出ていたか、イルミナは言葉少なにうなずいた。
――ほっとする。
その辺りの理屈も嘘ではない。しかし間違いなく危険になる方に、わざわざイルミナを置きたくないというのも俺の本音だ。
こちらに気付かれるとむしろなんとしてでも同行しようとするだろうから、絶対に口にはしないが。
「ニアさん、気を付けてね。それと、皆をお願い」
「了解した」
ユーリの同行はできれば向こうから言い出してほしいので、明日細工をするとして。
「ときにイルミナ。この件とは関係なく、話がしたい。時間は取れるか?」
せっかく二人で話せそうな機会だ。俺の考えを話し、イルミナの意思を確認したい。
俺の言い方で安全な私事だと分かったか、イルミナは期待を滲ませて嬉しそうに、少し頬に血を登らせてうなずいた。
「大丈夫」
即答だ。
本当かどうかは判断できなかったが、甘えることにする。こっちもあまり引き延ばせない件だ。
「できれば外がいい。ここだと騎士に聞かれる可能性がなくはない」
「うん。わたしもそれは少し恥ずかしい、かな」
「キャンプ地から南に行ったところに、疎らながら樹木が並んでいる場所があるだろう。その辺りで待つ。都合がついたら来てくれ」
「分かった」
揃って出ていっては勘繰りを受けかねない。それは何かを始める前から厄介ごとを招くだけだ。
……だが、こうして隠れて合わなくてはならない状態は、やはりどうにかしたい。
痛感しつつ立ち上がり、ルーと共に天幕の外へと出る。
「なあ? 明日までは何もしない方がいいんだよな?」
「ああ。今お前がどうしても何かしたいなら、ユーリとの関係構築だろうな」
ユーリ側にも理由があるから、余程下手を打たない限りは魔王との戦いに関してだけは協力できるはずだが。
「じゃ、少し話してこようかな。ニアは用があるみたいだし」
「そうしろ」
目的のための同行は、一旦休憩だ。
ルーとも別れて、イルミナに伝えた地点に向かう。
常駐している兵士や騎士は、あくまで中の人々を護るためにいる。監視しているわけではないから、目を盗んで出入りするのは比較的容易い。
正面から入ったのは、俺とルーの存在を認識した上で受け入れてもらっておいた方が、後々楽だと思ったからだ。
適当な木に背中を預けてしばし。周囲の空気が変わった気がしてふと顔を上げる。
見れば太陽は沈みつつあり、まもなく夜の闇が支配する時間になる。
夜目の利かない人間たちにとって、魔物と相対するのは不利な時間帯。
しかし魔物である俺はもちろん、相応の実力者であるイルミナにとっても然程怖れるものではない。
十数分ほど待っただろうか。人の気配が近づいてくる。
「――ニアさん」
「来たか」
イルミナだった。
「ごめんなさい、待たせて」
「方法的に、俺が待つ側なのは当然だ」
想定していたよりも早かったぐらいだ。
ほんの僅かな隙間だけ残して、イルミナは俺と同じ木に体を預けた。木の形に沿うことになるので体が向いている方向は違うが、顔を傾ければ目線は合う。
……何だか、無粋な話をするのがもったいない。
しばし無言で見つめあった後、イルミナは笑った。
「ねえ。もう少し近くにいてもいい?」
「ああ」
別に立っている必要もないので、地面にそのまま腰を下ろす。その俺に覆い被さるようにしてイルミナも膝を突いたので、腰を抱き寄せて安定を図った。
足を崩して横座りになったイルミナの腕は、俺の首に回って後ろで組まれた。体の半分が重なった状態は、間違いなくさっきよりも近い。
「イルミナ。お前と話さなくてはならないことがある」
「何かあった?」
「いや。俺の性質についての話だな」
「性質、かあ。やっぱり人間とはいろいろ違う?」
やってみてからでなければ分からないことも、世の中にはいろいろある。これからもこうして、違いに気付いて互いに話し合うことも少なくないかもしれない。
だが、それでいいんだろう。
俺たちは少しばかり差が大きくて量が増えるかもしれないが、理解を深めるのに話し合いが必須なのは、きっと誰もが同じだ。
「大差はあるような、ないようなだ」
人間の中でも、複数の相手を決まった伴侶として関係を構築している者はいるし。主に王侯貴族とかが。
組織内の安定を図るためとか、確実に血を残すのが主な目的であったはず。やはり魔物の群れの考えともあまり離れていない。
もっとも今の俺には両方当てはまらないので、名分はない。常識からは逸脱していると言えるだろう。
血を繋ぐことにまったく興味がないわけではないから、一部分、目的としては挙げられるが。正当性はない。
「フォニア種は基本、弱い。だから雌雄両方とも、伴侶と定めた相手以外とも関係を持って確実性を図ろうとする。今の俺はそこまで弱くはないし、お前のことも、そんなに容易く死ぬとは思っていない」
「う、うん。死が前提って……。でも、フォニア種ならそうかも……」
そうしないと種が存続しない。
ダンジョンからも生じるので本当に絶滅するかは分からないが、いつまでも危機に晒されていたい種もないものだ。繁栄を目指して数を増やそうとすると、自然と行き着く答えだと言えよう。
「必要を感じていないから、誰彼構わず保険を掛けようとは思わない。だが複数の相手と関係を持つことに、俺は罪悪感を覚えない。これはきっと、人間とは違う感性だろう」
「……そうだね。わたしは、やっぱり嫌かな」
やはりか。
「その話は、わたしへの覚悟を促すための話? それとももう相手がいる?」
「いる。取り出して正確に測れるものでもないから感覚だけだが、俺は今、お前とリージェに同程度の好意を持っている」
「あ、リージェちゃんか」
硬くなっていたイルミナの声が、ほっとしたものになった。
「受け入れてもいい、といった気配だな?」
嫌だと断言したはずだが。
「ニアさんには分かっちゃうんだもんね。――うん。誰彼構わずは嫌だけど、リージェちゃんのことは考えてた」
この手のことに関しては、いっそ当人である俺よりもイルミナの方が敏い可能性さえある。これも俺の自覚より前に察していたかもしれない。
「わたしは貴族の娘だから。それに、ハルトラウム皇家の血も入ってるから……。きっと王族やそれに近い人に嫁ぐと思ってた。そしてその立場に在る人には、きっと複数の妃がいたとも思うから……ね?」
そういう事態が突き付けられたときの衝撃を和らげるために、覚悟はしていたというわけか。
まさかその覚悟を、魔物と一緒になるために使うことになるとは思っていなかっただろうな。
「でもやっぱり、誰彼構わずは嫌。自分が駄目だなって思ったら、ニアさんのことは諦めると思う。それでもいい?」
「ああ」
後はイルミナとリージェを苦しめると分かった上で俺が本能に忠実になるか、それとも理性を取るかという話になる。
「お前に見限られたくはないし、必要性もない。むやみに関係を作るつもりも今のところはない。……俺自身がそうなのだから、お前が誰か他の相手を求めても飲み込むつもりではいるが……考えると面白くはないからな」
身勝手だとは思うが。
他のフォニアたちはどうなのだろう。やはり若干面白くないと感じながらも、利のために妥協しているのか。
それとも進化や暮らしの影響かで、俺の感性が変わっただけなのか。
他者の心は見られない。永久に分からない問題だろうな。
「そっか。わたしが面白くない気持ちも同じだから、大丈夫だね」
くすりと笑って言ってから、イルミナは意識して眉を上げ、厳しめに作った表情で見上げてきた。
「でもね、言っておくけどわたしは他の人の保険なんかいらないし、もしほしくなったらそのときはまずニアさんとの関係に決着を付けます。今ニアさんに許されるのは、ちょっと悔しい気分まであるわ」
「……そういうものか?」
公平な条件として提示したつもりだが。
「だってわたしが触れたいのは、ニアさんだけだもの」




