五話
一日休んで、精油に取り掛かる。
俺が林から摘んできたのは、フラの実という名の木の実だ。軽く刻んでから圧力をかけて押し潰すと、大量の油が採れる。
発火性が高いので扱いには注意が必要だが、香りもいいので生活の近い場所ではよく使われている。
フラの実は一センチから二センチの大きさで、殻は茶色。まず中の実を傷付けないように取り出し、より分ける。
それから縦に真っ直ぐ二、三本の線を刻む。そうして準備を終えた実を耐圧性の器の中へ。上から重しを乗せて潰されていくのをただ待つのみ。
何分下手な衝撃や熱が生じると燃えかねないので、ゆっくりとやる必要がある。
じんわりと染み出る油は僅かに付いた傾斜を伝って、さらに下に置いた受け皿へと溜まっていく。
あとは相応の時間が必要となるので、この間にカルティエラに会いに行くとしよう。
昨日と同じく魔法で結界を張ってから、カルティエラが滞在している領主館へと向かった。
貴族街との境目に立つ衛兵は、俺を見てもついに何も言わなくなった。代わりに怯えたような愛想笑いがついてくる。
安心しろ。確かに俺はお前に好意を持っていないが、それでどうこうしようとは思わん。
もし自身の行いを悔いているのなら、今後に役立ててほしいものだ。
相手の立場によって居丈高に振舞うその精神性がすでに卑しく、擁護のしようもない。だがせめて相手に気付かれないよう振舞う程度の社交性は持て。
それが相手のためで、自分のためだということは学んだんだろうからな。
しかしこの貴族街……。少し前よりも大分人が多いような。何なら建てかけの館まであるぞ?
あまり人が多くなるのは歓迎したくない。が、そうは言っても俺には止められん。止める権利もないし。
ただ人が増えるなら、生活のための施設拡張は必要だ。
ノーウィットの領主はカルティエラになっているわけだが、考えているんだろうか。聞いておこう。
領主館に着いてカルティエラに会いに来たことを告げれば、すぐに中へと通された。ややあって侍女とリェフマと合流し、館内へと案内される。
だが向かっている場所はカルティエラの私室ではなさそうだ。
「着いた。ここで待ってて」
案内されたのは少人数で使うと思しき応接室の一つだった。
「カルティエラは忙しいのか?」
あれで王女だ。もしかしたら公務などの最中だったのかもしれない。
知りようもないことだから責められても困るが、予定が空いていないならば俺は出直すべきだろう。
「姫様、勉強中。錬金術始めた」
「ああ、やるといっていたな」
カルティエラ個人の用事なので公務よりは重要性が低いが、邪魔をするべきではないのは同じだ。
「出直した方がいいか?」
「もうすぐ終わるから大丈夫」
だったら待つか。俺が時間を取れるのは、今日を逃すと大分先になる。
侍女に淹れられた茶を飲んで過ごすこと、数十分。
……あ。茶で思い出した。時間凍結の魔道具、作り忘れたな。それどころではなかったというのもある。
そちらはまたの機会だ。多分、いずれは来る。
そうして時間を潰しながら待っていると、不意にやや早足で向かって来る軽い足音が聞こえてきた。止まると同時に扉が開かれる。
「ごきげんよう、ニアお兄様!」
喜びにきらきらと瞳を輝かせて、カルティエラが室内に入ってくる。例のお付きの侍女も一緒だ。
「勉強中に悪かったな。どうだ、錬金術は」
「正直に申し上げて、難しいです。でも頑張ります!」
カルティエラはこれまで、自分の持つ魔力・神力を精密に扱う機会などなかったのだろう。始めたばかりで苦労をするのは当然。
だが今の発言に悲観的なものはなかった。言葉通り、前向きに取り組んで技術を身に付けるつもりでいる。
カルティエラが座ると、侍女たちが彼女の前にも茶を運んできた。
丁度良さそうだ。土産に持ってきた箱を差し出す。
「カルティエラ。王都土産だ」
「まあ、ありがとうございます。これは、焼き菓子ですか?」
「ああ」
おそらくカルティエラが普段口にしているような、値の張るものではないけどな。
いっそ珍しくて楽しいかもしれん。王都感もあるだろうし、ノーウィット暮らしの長いカルティエラにとって、そろそろ懐かしくなってきたのではないだろうか。
「せっかくです。一緒にいただいてもよろしいですか?」
「お前に贈ったものだ。好きにしろ」
「はい。ではアンリエット。こちらを取り分けてちょうだい」
「かしこまりました」
意外だが、それは姫が口にするものではない――というような言葉が侍女から出てこなかった。
庶民の暮らしを知ってこそということか。
「あと先日、一筆書いてくれて助かった。おかげで道中楽に追いかけられた」
「お兄様のお力になれたのであれば何よりですわ」
礼を口にした途端、カルティエラの喜色が一段階強くなる。
これは『相手に良くしてもらった』のではなく『自分が相手の力になった』ことへの喜びだ。質が違う。
そういえば民に貢献できる王女になりたいとも言っていた。カルティエラの中では俺も国民の一人に違いないのだろうから、志を掠めてもいるのか。
というか、俺はアストライト国民なのか? どうでもいいが。
「そうですわ、お兄様。じつはわたくし、近く王都に行かなくてはならないのです。一時的ですけれども」
「一時的なのか」
帰るのではなく?
「はい。何でもノーウィットを他の貴族に与えるという話が持ち上がっているそうなのです。わたくし、抗議しに参ります」
どう反応するべきか、迷う内容だ。
ノーウィットが、王族が直接管理するほど重要な土地だとは思えない。事実結界さえ壊れて放置されていたぐらいの町だぞ。カルティエラが預かっていたのも仮に過ぎないだろう。
住人の多くからすれば、『ああ、正式な領主が決まるのか』といった感じではないだろうか。
「次の候補は聞いているか?」
「はい。ハンウェル侯爵、ラエ伯爵、エナード伯爵などが候補に挙がっているそうですわ」
もちろん、その誰も聞き覚えはない。が、別の部分で驚いた。
「待て、どういう状態だ。領地の下賜というのはそんなに候補が挙がるものなのか?」
ましてや土地としても町としても然程有益な点などないノーウィットだぞ。
「今ノーウィットの価値は上がっているのですわ、お兄様。ノーウィットで作られた薬などの効果が、他より高いと噂になっています」
カルティエラの言い方は幅が広かった。その噂は俺が作った薬だけの話ではなさそうだ。
「それで王宮錬金術士が派遣されて調査した結果、どうもギルド管理区採集場の質がとても良いのだとか」
気を遣って、皆で定期的に手入れしているからな。
最近は成果も出て満足していたところだ。俺だけではなく、他にもあの採集場を頼みに仕事をしている者たちの益にもなっている。
「先にダンジョンが生じた事件がありましたでしょう? 討伐されたのと質が向上した時期が一致していることから、ダンジョンに流れていた分の力が土壌に還って、豊かな土地になったのだと判断されたのです」
間違ってるぞ。
土地の力が豊かなのは否定しない。しかし採集場の質がいいのは、手入れをしている全員による努力の成果だ。
自然にそうだったわけでも、たまたまそうなったわけでもない。
「それで改めて、ノーウィットの開発計画が持ち上がったのです」
なんと迷惑な……!
さらにはこちらの地道な努力など、最初から考慮にも入れていない傲慢さ。はっきり言って腹が立つし、面白くない。
貴族街に人が増えたのもそのせいか。ノーウィットの将来性を見越してか開発に関する特需でもうけに来たのかは知らんが、どちらかなんだろう。
新任領主がこちらの功績を認めて下手な手出しをしなければいいが、天然の土地由来だとして聞く耳を持たないと……せっかく整えた採集場が壊される恐れがある。
ならばこのまま、カルティエラに領主でいてもらった方が助かるぞ。税も安いし。
「お前の言い分が通る可能性はどれぐらいなんだ」
「お父様はきっと、わたくしのお願いを聞いてくれますっ」
……駄目かもしれん。
両手で拳を作って力強く言ったカルティエラだが、姫君よりも道理を理解しているアンリエットの顔は渋い。
「姫様。まずはそのはしたない行動をおやめくださいませ」
「あっ」
感情でそのまま行動していたカルティエラは、恥じた声を上げて手を膝に戻す。
「それと、姫様がノーウィットの領主であり続けるのは難しいでしょう。町の開発とは、国の発展。国策にございます。実績をお持ちでない姫様に、有望かつ重要な地が任されることはありますまい」
「そんな……」
親子の情より余程しっかりした理屈に、カルティエラは眉を下げた。
「実績があればいいのか?」
「何と?」
カルティエラが領主を続けるのが難しい理由は、そこだけなのかと確認してみる。
アンリエットは意外そうに、片眉をほんの少しだけ動かした。そして常の澄ました表情に戻る。
「ニア。貴方は姫様に領主を続けてもらいたいのですか?」
「次に来る奴の人となりが分からない。カルティエラの方が安心だ」
「ふむ……」
俺の言い分に、アンリエットは考える素振りを見せた。
「貴方の心配は、全くの的外れとは言えません。ノーウィットの開発に名乗り上げた諸侯は、庶民が己のできない優れた結果を出したことを認めはしないでしょう」
「なぜ、そんな奴らしか候補にいないんだ」
うんざりする。してもいい件のはずだ、これは。
「国としては、そこまで重視はしていないからですね。そして候補に挙がった方々は、土地の豊かさを上手く使う才覚は認められている、ということです」
中途半端に注目を浴びたせいで、中途半端な人材が送られてくることになったわけか。
「わたくしとしても、姫様がより良き条件で嫁ぐことができるよう、名声を高めるのには協力を惜しみません。ですが功績とは、今日明日で得られるものではないでしょう」
功績を立てるための場を与えてもらえるだけの信頼、実績がいるからな。カルティエラにはまだそれさえない。
だから、誰も目を向けていないが重要な何かをする必要がある。
「例えば、難民の受け入れなどはどうだ」
「難民。隣国から流れ込んで来ている者たちの問題ですね」
「そうだ」
魔除けの熾火が発注されている理由でもある。
「なぜ自国の安全な地に向かわず、わざわざアストライトに流れ込んでくるのかは謎だが。結構持て余しているんじゃないのか」
町に受け入れたりするのではなく、キャンプを作って簡易の寝床に留めているのがその証拠。
「隣国では魔物の被害が活発化していると聞きます。大都市へ移動する途中に、難所ができてしまったのかもしれませんね」
そういう可能性はあるか。
「そして遺憾ながら、我がアストライトに大量の避難民を受け入れ続ける余裕はありません。人道には悖りましょうが、いずれ追い返すことになるでしょう」
「そんな。救いを求めてきた人々を追い返して、戻って死ねと言うの」
「でなくば、国民の生活が圧迫され治安が悪化し、死者さえ出るでしょう。国主としてどちらを選ぶべきなのかは明白かと」
アンリエットの言葉は容赦がない。
将来、カルティエラがその決断の近くに存在する可能性を考えているから、理想だけで包むことをしないのだ。
ただ、最善はカルティエラの望みの方であるはずだ。皆が助かるのが一番いい。
それができないから、アンリエットは選べと言う。国という枠で計った、正しさに基づいて。
「わたくし――……、わたくし、そんな悲しい決断は嫌です」
「姫様」
感情論を捨てないカルティエラに、アンリエットは諫めるように彼女の地位を呼んで戒める。
「合理的な判断もいいだろう。だが俺は諦めるのは早いと思うぞ。そうして難事として頭を悩ませているからこそ、解決すれば大きな功績にもなるだろう」
大概の人間は、自分が誰かを不幸にすることに罪悪感を覚える。そういう感性の持ち主は、難民を切り捨てるという嫌な仕事から救ってもらったとカルティエラに感謝するだろう。
そして発展、改善が見込める労働にはやり甲斐が生じる。ないと逆に徒労で辛いだけだ。まず続かん。
「解決が難しいからこそ、難事なのです。どうするのですか」
「難しいのはアストライトの生産力の問題だろう」
俺が上空から見たところ、土地自体の限界値はまだ遠い。
むしろ人間が少なくて土地の力を消費しきれていないからノーウィットなんかは町の近くだというのにダンジョンが生じたんだぞ。
「避難民として面倒を見てやるのではなく、国を豊かにする人材として扱えばいい。――カルティエラ、丁度いい機会だ。ノーウィットの町を拡張しろ」
「えっ……!?」
難民が一時的に留まっている場所からノーウィットがどれだけ離れているか分からないが、地続きなら来れないことはないだろう。
仮住まいのまま延々先の見えない状況にいるよりは、一時辛くとも定住できるならばと移動する気概の持ち主はいるはずだ。




