一話
ディスハラークによる結界拡張は成功して、迫ってきていた魔王軍も撃退した。目の前の危機は片付いたと言える。
しかし人間側が結界拡張を計った元々の目的には適わなかった。
なにせリーズロットのダンジョンには、神力属性の魔物が多数いることが判明した。それを人間側も知った。
ディスハラークの結界では、彼らの妨げにはならないのだ。神獣を敵対視していないせいで考えてもいなかったのだろう。
まあ、間違いとまでは言えない。ダンジョンマスターは間違いなく魔属性だし。
多少は脅威の軽減にはなったし、リーズロットに敵対の意思はない。とはいえ首脳陣にとっては頭の痛い問題だろうな。
ダンジョンとの関係をどうするかは、話し合いが紛糾していてまだ正式な答えは出ていないらしい。
リーズロットも待つつもりはあるようだし、急ぎではないから好きに話し合えばいい。俺にはもうどうにもできんし。
ただできれば、互いに停戦をしてほしいと思っている。叶わなかったら……また考えなくてはならないからな。
ともかくそのような感じでどうにか状況が落ち着いたので、改めて個人的な問題に取り組むことにする。
そのために、だ。
「リージェ。王宮錬金術士になるにはどうしたらいい」
すでにその資格を得ているリージェに訊ねてみる。
「えっとね、まずは推薦状をもらって、予備試験に通らないといけないの」
「トリーシアが書いてもいいと言っていたやつだな」
ではすでに道は開かれていると考えていいのか?
「トリーシア様が書いてくださる推薦状なら問題ない……けど、ニアは止めておいた方がいいと思う」
「理由は?」
「わたしもそんなに詳しい訳じゃないけど、王宮って貴族間でも勢力争いしてるんだって」
「ふむ」
それそのものが悪い訳ではない、というのが俺の見解だ。力を伸ばしてきた何者かが相応しい椅子を得るのは、集団の利益にもつながる。
凝り固まるよりも組織の健全化にも役立つだろう。
ただ、やり方を間違えると自分たちの力を失わせていくだけの行いにもなるが。
「トリーシア様も貴族でしょ。そのトリーシア様の推薦ってなったら、ニアは必然的に同陣営ってことにされちゃうと思うんだ」
「それは分かる」
俺でも同陣営だと見なす。少なくとも推薦する、されるの友好関係があることだけは明白であるし。
「普通の錬金術士だったら、そこまで気にしなくていいと思うの。王宮錬金術士になったって、庶民は庶民だからね。歯牙にもかけられない」
改めて言葉にされると納得いかないものを感じるが、リージェの言う通りだろう。
「でもホラ、ニアは普通じゃないから……。トリーシア様も分かってて言ったんだと思う」
「俺を引き込むのが有益だと考えた、ということか」
「そう」
ただの親切心でもなければ、身分差の恋とやらに萌えての応援というだけでもないと。まあ、その方が得心はいく。
「それにニアの出世の目的ってイルミナさんでしょ? だったら他の家に口出しされる要因を生むのは余計に止めた方がいいと思うの」
現在イルミナとトリーシアの間に背景で争っているような緊張感はないが、だから今後利用されないとも限らない、か。
「だからわたしは、ニアはニア自身の力で、国の誰にとっても重要な人になった方がいいと思うんだ!」
「そこまで必要なのか……」
「だってわたしたち、庶民だから……」
俺に至っては人間でさえない。
貴族を迎えるのに、それくらいの箔は必要か。……必要か? 本当に。
などと俺が個人で疑問を感じていたところで仕方がない。それが人の世のルールだ。
イルミナを人間社会から断絶させないことを決めた以上、相手のルールにのっとってやるしかない。
「ではトリーシアの推薦状は諦めるとして、他の方法は?」
「商業ギルドから推薦してもらう! 実績を積んだ錬金術士なら、ギルドが推薦状を発行してくれるの。貴族の推薦状よりあらゆる意味で審査は厳しいけど、ニアなら通るはず!」
「待て」
商業ギルドから推薦が取れるかは微妙だぞ……。
「どうしたの?」
「俺が商業ギルドに収めているのは、ランク一の品だけだ」
出来の良さは少しばかり評判になっているようだが、国家資格である王宮錬金術士への推薦をもらえるような物ではあるまい。
「そういえばそうだったかもー……」
俺が目立たず、騒がれないよう一般に埋没しようと努力していたことをリージェは知っている。声からも元気がなくなった。
これは無理なやつだな。
「仕方ない。今から積み重ねていくか」
「何をするにしたって、今が一番早いって言うもんね。きっと大丈夫だよ。ニアならすぐに認めてもらえるって」
「努力する」
あまり待たせすぎるのは悪い。
「では俺は明日にでもノーウィットに帰るが、お前はどうする?」
「訊いてくれるんだ?」
「お前が俺と住みたいのなら、否はない関係になったからな」
「う……っ」
改めて意識したのか、リージェは言葉に詰まって顔を赤くした。
「それで、どうする?」
「い、一緒にいたい……。けど、今すぐは難しいかも。ノーウィットに拠点を移す申請もしたいし、それに、イルミナさんはまだニアがわたしのことも受け入れてくれるつもりだって知らないわけだから、きっと嫌な気持ちになると思う」
「……そうか」
王宮錬金術士になれば、国に縛られる面もある。それでも自由は利く方か。許可を取ればいいようだから。
そしてイルミナの件に関してはリージェの言う通りだ。
本当は、帰る前にイルミナと話したい。彼女の意思を確認しなければ先に進みにくい関係でもあるからだ。
しかし会うための名目がない。
……今回は諦めるか。資格を取ってからでも間に合うことであるし。
イルミナが拒んで資格が必要なくなったら、そんなものは捨てて国外に逃げればいい話だ。
そうして『手続きをしてくる』と部屋を後にしたリージェを見送って、俺は俺で部屋の片付けを始めることにした。
事が片付いたら初めから去る場所だから、そう物は増やしていないはずなんだが……。少し長く暮らしていると、それなりに生活感は出るな。
むしろノーウィットの自宅の方が久し振りで、帰った直後は戸惑うかもしれない。
それでも俺自身の『家』だ。考えたら、帰るのが少し楽しみになってきた。
一ヶ所に根を下ろすことに安心を覚えるとは。俺も大分人間の生活に感化されてきたものだ。
前回の反省を踏まえ、今回は王都でカルティエラへの土産も買った。問題も一応片付いたと言えば片付いたので、カルティエラが王都に帰る日も遠くないだろう。
懐かしさを覚えるノーウィットの道を歩いて、自宅に到着。
「――?」
その時点で、すでに違和感があった。
王宮と違って物理的な鍵を用いた施錠を開けるため、鍵穴に鍵を差し込む。が、引っかかった。
やはりか。強引に抉じ開けようとした何者かがいたな。
中で変形してしまっているため、正規の鍵なのに開けにくくなってしまっているのだ。鍵を作り直してもらう必要がある。
やや強引に鍵を回して、家の中へと入った。
入り口、リビングは目立って荒らされた様子はない――が、そこかしこで物の位置がずれていて、侵入、捜索の痕跡は明らかだ。
はっきり言って、不愉快である。
だがこの触れ方。目的があって侵入したようだ。
俺の自宅は外壁に近い、要は安全面での条件が悪い、安い物件だ。大概の賊は入った所で盗むものなどないと近付かない。
実際、純粋に金になるようなものは何もなく、実入りは悪いだろう。
ただ、見る奴が見れば金に繋がりそうなものはある……のを、最近はさすがに自覚した。リビングを抜け、俺の家の中で一番価値が高い場所――アトリエに向かう。
「やはり、か」
こちらはかなり堂々と荒らされていた。
特に本棚やコンテナに空きが目立つ。秘しておきたいと思った多くは空間拡張した倉庫に入れて持ち歩いているから無事だが、それ以外、通常空間に残していたものは全部盗られている。
レシピノートもしかり。最新版はやはり手元にあって無事だったが、過程として、資料として残しておいた差し替え前のレシピがごっそりなくなっている。
とはいえ、リージェやトリーシアの言から察するに、取っていったところで何ができるわけでも……。
いや、待て。まずい。
ほとんどのレシピは魔力操作が雑な人間には再現できないだけだが、まずいものがいくつかある。筆頭はプラウタの利用法だ。
誰がやっても、毒ならば強力なやつが作り出せてしまう。トリーシアからも他言無用と念押しされている代物だ。
迂闊だった。貴族らしい奴が俺に興味を持った時点で、もっと厳重に管理するべきだったのだ。
俺の住所はエミリアから――商業ギルドから漏れたわけではないだろう。この町に錬金術士は二人だけ。そして俺が錬金術士であることは、ノーウィットの町の人間ならば知っている者は知っている。
調べようと思えば不可能ではない。
――追わなくては。
戻ってきたばかりの家を、そのまま後にする羽目になった。
そうして外に出た瞬間。
「わ」
「!」
羊の角を持つ赤毛と緑毛の姉妹、シェルマとリェフマと遭遇した。
「またお前らか……」
こいつらが来たと言うことはカルティエラへの挨拶を要求しに来たんだろうが、今はそれどころじゃない。
「帰ってきたのが分かったから、会いに来た」
「けど、もしかして忙しい?」
「ああ、凄く急いでいる。アトリエに賊が入ってレシピと作品在庫を持っていかれた。追わなくてはならない」
「それは大変」
口調はいつも通りで平坦ではあるが、やや大きく目を見開いてシェルマはうなずく。
「追うの手伝う。シェルマとリェフマは鼻がいい」
「リェフマは姫様の所に戻る。国の中にいたら誰でも捕まえられるよう、許可をもらって来る」
……そうだな。
相手が権力者だった場合、俺がレシピの所有権を口にしても相手にされない可能性が高い。しかしカルティエラからの口添えがあれば、強引に黙殺されると言うことはないだろう。
俺より双子の方が人間社会に精通しているからか、判断が早い。
あれは俺が時間と労力をかけて作り出してきた、努力の結晶そのもの。横から掠め取られるのは業腹だ。許さん。
「頼む。お前は後から追ってこられるか?」
「余裕」
自信に満ちた返事だ。頼もしい。
その間にもシェルマは家の周囲の匂いを嗅ぎ、一つ大きくうなずいた。
「ニアの匂いと一緒に、町になかった匂いが外に出て行った。多分、一週間ぐらい前」
「結構経っているな」
「でも普通の人間の移動なら、行けてもせいぜいグラージェスぐらいまでの時間。今すぐ追えば、国内で追いつけるのは確実」
重要なところだな。
「匂いはどこに向かっている? 馬車乗り場か?」
「ううん。真っ直ぐ外壁に向かってる」
他人とも乗り合う、定期運行の馬車は避けたか。
シェルマの鼻に頼って追おうという今、第三者の匂いが混ざらない状況は歓迎だ。
「よし、追うぞ。案内を頼む」
「了解」
「二人とも、気を付けて」
リェフマと別れ、シェルマと共に町の門へと向かう。
「あれっ、ニアさん、またお出かけですか?」
今回は本当に入ってきてすぐだからな。門に立っている衛兵が不思議がるのも無理はない。
「事情ができた」
と言う俺の答えにつなげるように、シェルマが問いを口にする。
「そうだ。一週間ぐらい前。この門から出て馬で去っていった、町の住人じゃない奴を見ていない?」
かなり限定されるだろうシェルマの訊ね方に、衛兵はすぐにああ、とうなずく。思い当たる人物がいるようだ。
「覚えてますよ、横柄な人だったから。どこかの貴族の使用人っぽかったですね。結構な大荷物で馬が大変そうだった。街道に沿って走っていきましたよ」
「商人でもないのに、そんな大荷物? 怪しい。どうして止めない?」
引き留めて持ち物を改めていたら。もしかしたら盗難を防げていたかもしれない。
そう考えると、みすみす見逃されたことにも憤りは湧く。もちろん犯人に対するものほどではないが。
シェルマがやや強い口調で問うと、門衛は情けなさそうに眉を下げた。
「貴族の使いだって言われたら、理由もなしに荷物なんて改められませんよ。町に入ろうと言うならまだしも、出ていくなら余計に」
厄介ごとを招き入れないために、検問は町に入るときの方が厳しい。逆に言うと、出るときは結構緩い。
それも相手に有利に働いたか。




