二十一話
ごく小さく声を抑えて鳴き、呪境の香炉の周囲から魔力を退けて神力を呼び込む。反応を起こすべき属性に触れて、呪境の香炉は正しく発動した。
そして一気に、場の属性が神力へと塗り替わる。
「っラァッ!」
光の神力を爪に宿し、半人半竜がモスナ像へと殴り掛かった。彼の爪の輝きは増し、一方のモスナ像は表面の輝きさえ曇りが生じた感がある。
事実、モスナ像の強度は落ちたのだろう。先ほど耳障りな音を立てて表面を削るにとどまった男の爪は、然程の抵抗も受けずにモスナ像の肩に突き刺さる。
「おおおおおお!」
その体に爪を埋めたまま、半人半竜は腕を袈裟懸けに振り抜いた。
「――」
左肩から右の腰のあたりまでを両断され、半身と別れ別れになりつつもモスナ像は無表情だ。物質からできているだけに、感情があるのかどうかすら分からん。
再生はしない。破損が大きいと自己修復しきれないのか。
「モスナ……!?」
最大にして唯一の手駒の戦線離脱に、原初の魔物は動揺の声を上げた。
「馬鹿な。これは――何だ?」
原初の魔物の目は、正しく呪境の香炉の発動範囲と、そうではない部分の境目を見ていた。
「そこに何かいるな。だがなぜわしを飲み込まなんだ……?」
俺は呪境の香炉を原初の魔物の手前までにしか影響させていない。正しく見抜いたからこそ、原初の魔物は戸惑った。
明らかに意図がないとやらないことだからな。警戒するのは無理もない。
だが相手が答えを出すのを待っていてやる理由はない。半人半竜は唇に笑みを刻みながら魔方陣を構築していく。
外側の円は三重線。三倍強化型だ。
「おらよ吹っ飛べ! 聖火光!」
原初の魔物の頭上に生じた、煌めく無数の星々。それらが思い思いに輝くと、膨大な熱をはらんだ光の線を打ち落とし始める。
聖火光そのものも強力な魔法だが、当たってもまだ致命傷には届かないだろう。ただ、確実に怪我は負う。避けざるを得ない。
そして高コストを証明するパフォーマンスを充分に発揮した半人半竜へと、原初の魔物の意識の割合が傾いた瞬間。
「え~い、ですわ~」
初めて、女の方がしゃべった。実に聞き覚えのある声で。
フリルの化け物みたいな黒のスカートを翻して、畳んだパラソルを棍棒代わりに原初の魔物の首を強打する。
……鳴ったら危険な音がした。生命的に。
「ぅ、ぐっ」
床に強かに叩きつけられて呻きつつ、それでも起き上がろうとした原初の魔物の近くにかがみこんだリーズロットは、告げる。
「動かない方がよろしいですわ~。マナの経路を骨ごとずらしましたので、少しでも動くと死にますわよ~?」
事実だった。本当に、薄皮一枚にも満たない接合である。少しでも動けば切れて循環が断たれ、死ぬ。
原初の魔物も己の状態が分かったのか、動くのを止めた。
その隣にぽてん、とメタモルスライムが落ちる。今の今までリーズロットの姿と魔力を偽装していたのを止めたのだ。
やっぱり、参戦はしていたんだな。
「では、お伺いしますわね~? 死にたいかしら、それとも降参されますかしら~」
「降参しよう」
己の命を救うことを、原初の魔物は迷わなかった。
「まあ、それはよかったです~」
原初の魔物の宣言と共に、彼の体の下で魔法陣が輝く。強制転移されようとしているようだ。
決着がついて尚、留まることは許されないんだな。よくできている。
「よかった? 何がだ。まさかわしの命を惜しむとでも?」
「いいえ~。全然~」
肯定したらしたで驚くが、こうも曇りのない笑顔でいつもの調子と変わらず言われると、微妙な気持ちにはなるな。
ああ見ろ。原初の魔物も苦い表情だ。
「では、よかったこととは?」
「貴方の命にリズは価値を感じていませんけれど~。でも、貴方のことが大切な人はいるでしょう~?」
こうして魔王軍としてデュエルを挑んできているぐらいだ。他者との繋がりは確実にある。
その中には悪くない仲を築いている者もきっといるだろう。
「恨みを買うの嫌ですし~。何より、恨むということは悲しいということですもの~。己の手で不必要な悲しみを作り出したがるほど、リズは物好きではありませんの~」
「……」
リーズロットの言葉に原初の魔物は目を見開き、うなだれる。
「……そうか」
「ですので、この度の戦利品についての交渉、楽しみにしておりますわ~」
そういえば魔法陣の展開は原初の魔物だけか。モスナ像は両断されてから沈黙したままだ。リーズロットに所有権が移っている気配がある。
まあ、それぐらいの利益はあってもいいんだろう。侵攻側のリスクとしても。
もっとも、リーズロットは条件次第で返すつもりのようだが。
「仕方あるまいな。では、それまでモスナを素材にしてくれるなよ」
「分かりましたわ~」
リーズロットが応じた言葉が届いたかどうか、というところで原初の魔物の姿は消えた。
そして始まったときと同じく、厳かに鐘が鳴る。
「よし、終わったな?」
隠れていた木の上から降りて、リーズロットの側に着地してそう訊ねる。
「終わりましたわね~」
リーズロットの口調はいつも通りだったが、ほっとした心情も現れていた。これで三年はデュエルで脅かされないと言っていたからな。
「しっかし、不思議なもんだな。ダンジョン内は異空間だぜ? 外部の神力をこうも的確に呼び込めるもんか」
「ダンジョンそのものだって、外部の力に影響されなくはないだろう。異空間ではあるが繋がっていないわけじゃないからな」
言葉の通り不思議そうだった半人半竜へとそう答える。
ましてここは表層だ。入り口に近ければ近いだけ外にも触れやすい。
「ご苦労様でした、アシュレイ」
「なんのなんの。マスター以外の奴に仕えるのなんて御免だしな」
どうやらこいつは名前付きか。普段は階層の境界を護ったりしていそうだ。
「終わってすぐですまないが、リーズロット。お前の配下で見目のいい奴を見繕って、地上に送ってくれないか」
「地上? ですの~? 人間たちから攻撃されてしまうのでは~?」
「そんな余裕はないから大丈夫だ。お前のダンジョンを制圧しに来た魔王軍と戦っているはずなんだ。覚えているだろう。神人とダークエルフがいたあの一団だ」
「ああ、そういえば。王都の近くに布陣しているようですわね~」
自分のダンジョンに関わることだ。動きの監視は続けていたらしいな。
メタモルスライムは残してきていたし、そいつが伝えてきていると思われる。
「けれどこの神力の強さからするに、加護を得る儀式は成功していますわよね~?」
「そうだ。有利な条件が整ったところで、人間たちは打って出ているはずだ。その討伐軍に協力しろ。このダンジョンの有益さと、敵意のなさを示すんだ」
「んな上手くいくかぁ? どうします、マスター」
アシュレイは懐疑的だ。
無理もない。言っている俺だって、上手くいく確信があるわけじゃない。
それでも確かなこともある。
やらなければ成し得ない、ということだ。
「よろしいのではないかしら~。駄目でも今まで通りですし、上手くいけばこしたことはありませんし~」
いきなりの劇的な変化は望めなくても、一つ断言できる。一人二人と、積極的にリーズロットと敵対しない人間が出てくるはずだ。
そして民意とは、一人一人の意思の積み重ね。だから一人でも二人でも、こちらに敵意以外の感情を持つ人間を作ることには価値がある。
マスターたるリーズロットが受け入れれば、否はないらしい。アシュレイは右手の平に左手で作った拳を軽く打ち当て、気合の表現をした。
「よっしゃ。だったら俺が行ってやるよ」
「できれば、もう少し弱い奴がいいんだが」
アシュレイの容姿は程よく異形で、しかし恐怖心や嫌悪感を必要以上に抱くものではない。
目的には実に適う。しかし力量が問題だ。見抜かれたらそれだけで怖がられるレベルだし、悪ければ脅威とみなされかねん。
「手加減ぐらいするって。人間たちよりちょっとばかし強く、ちょっかい出すと面倒だなと思われつつ、本気で戦えなくはないと思われるぐらいだろ?」
「……どうなんだ」
アシュレイが主旨を理解しているのは分かった。しかし少し前に初めて顔を合わせた俺では、言葉の信憑性を判断できない。
なのでリーズロットに訊く。
「大丈夫だと思いますわ~。周囲の状況に合わせて動ける子ですもの~」
それは確かに。
俺がリーズロットに合わせて呪境の香炉の発動範囲を設定したとき、アシュレイは境界を見極めて魔法を使った。
打ち合わせなどなくても、起こっている事態に合わせて動ける才覚があるのは間違いない。
「分かった。ならこいつに来てもらおう。ついでにあと数体、やはり見目があまり不気味ではない奴を頼む」
小隊程度の数はいないと目立たないからな。そしてそれ以下の数で悪目立ちするのはよくない。
程度は大事だ。
「では、この子たちでいかがかしら~」
言ってリーズロットはシステムを呼び出し、候補となる者たちの姿を宙に画像で映し出した。
ダンジョンの機能なのだろうが、これは一体どうなっているのか。ついでに名前や種族まで一括して見られるようになっている。それぐらいでなければ、ダンジョンの管理もやり難いか。
その下にある数字は……。力量を数値化しているのか?
「この数値は、どういう基準でつけられているんだ」
「さあ……? 考えたこともありませんわ~」
あまりにのんびりしすぎじゃないのか、それは。
……いや、無理はないのか? ダンジョン内で統一されていれば不都合は生じない。不便さを感じない物事に対し、生き物はさほど思考を向けないものだ。生存に必要ないからな。
しかし、能力の可視化か。自身の研鑽のためにも便利ではある。少し考えてみるか。
「それより、どうなんだよ。こいつらは大丈夫なのか、駄目なのか」
「人間の感性に沿っているかは自信がないので、ニアだけが頼りですわ~」
そうだった。有用だからと気を取られている場合じゃない。
「問題ない。頼む」
俺も人間ではないので絶対とは言わないが、リーズロットが提案してきた配下は動物の特徴を持つ獣型や人型だった。普段見ているものとかけ離れてないから大丈夫だろう。
「では水晶の広間に向かうよう通達しますので、よろしくお願いいたしますわね~」
「ああ」
「じゃ、一足先に俺たちも向かうか。えっと……ニアでいいのか?」
「そう名乗っている」
改めて聞かれると、複雑な気持ちがなくはない。
結局のところ、俺には個体名などというものはない。アシュレイの名付け親はリーズロットだろうから、そちらの方が余程『名前』だ。
必要だったから付けた便宜上の名前に文句はないが……。もしかしたら、羨ましくはあるのかもしれない。
「妙な言い方をするなあ。行こうぜ」
「そうだな」
システム操作中のリーズロットを置いて、俺とアシュレイは水晶の広間へと向かう。ここからなら歩きで充分だ。
そして俺たちが広間に着くと、そこにはもう呼び出されたと思しき魔物たちが整列していた。
ダンジョン機能おそるべしだ。本当に、一体どうなっているのか。
「アシュレイー。外に出て魔物と戦うって聞いたけど、それだけでいいのー?」
「おー。でも間違っても人間襲うなよ。流れ弾とかも駄目だ。注意しろー」
「分かったー」
ぴっ、と片手を真っ直ぐ天へと伸ばして、緩い返事。……本当に大丈夫か?
いや、信じるしかない。人選を精査しているような時間はないし。
「よしでは――行くぞ」
「おー」
鬨の声はやっぱり緩かった。
……いっそこの緩さが目的に相応しい気さえしてきたぞ。現実逃避ではないのを祈るばかりだ。
ダンジョンから外に出てみると、当然のことながら人はまったくいない。町の奥の頑丈な建物に避難しているんだろう。
予想通りだが、予想通りでほっともした。
「わー。ディスハラーク神の力が強いねー」
「本当にな。俺たちには特段嫌な力場じゃねーけど、マスターは辛いかもなあ」
「そして攻めてきている魔王軍の連中もだ」
「そうだった」
初めて目にしたダンジョンの外をひとしきり物珍しそうに眺めたあと、アシュレイを始め全員が同じ方向を向く。
町の北側。今まさに、戦っている音が響いてくる方角だ。
「もう突っ込んでいって蹴散らしていいのか?」
「人間のペースに合わせるぐらいにな」
「了解了解。じゃあ皆、行くぞ。気合入れてけ。――マスターの悲願だ」
すいとアシュレイが目を細めて宣言すると、全員が即座に体に巡る神力を研ぎ澄ました。俺も羽ばたき彼らの上空に昇ると、北に向かって移動する。
ほどなくして辿り着いた北の外壁の戦況は――よくはない。すでに壁に乗り込んでいる妖精種がいるぞ。




