十四話
「――……」
そのためにやっている――と言いかけて、止めた。
トリーシアが欲しているのは、分かり切っている事実の確認ではない。
「得てみせよう」
代わりに目的達成の約束をする。
「お前は自分の最良を選んで行動したんだろう。だったら、臆するな。たとえ叶わなくても、どうせそれ以下しかなかったんだ」
やらなければならない、できなければならないことがあるとして、それがどうした?
できないものはできない。上手くいくことばかりじゃないだろう。
ならばやるべきは責めることでも落ち込むことでもなく、次策を練ることではないのか。
諦めるのではない。最善を続けることが達成への唯一の道だ。叶わなかった過程に拘り過ぎたところで、何も生み出さない。
「だからお前もただ、力を尽くせ」
ああしていれば、などと思わなくて済むように。
「……ええ。そう……。そうだったわね」
やや長めの息を吐いて、トリーシアはしっかりと顔を上げる。その瞳はもちろんまだ不安が燻っていたが、同じぐらいに強い意志も宿っている。
「貴方に託したこと、わたくしは後悔しない。弱気になるなど侮辱だったわね」
「そうとも言うな」
信用していないということになる。
「ふふ」
楽しげな声を上げて、トリーシアは少し乱れた髪を整えると、俺に向かって微笑みかけた。
「ならばわたくしも、ここで油を売っている時間はなさそう。成功のための仕事をしましょう。ごきげんよう、ニア」
「ああ」
もとは可否の伝達だけをしに来たんだろうから、余計な時間を使っているのはそうだろう。
トリーシアの予定など知らないから、断言はできんが。
「ありがとう。貴方がいてくれて良かった」
礼を告げたトリーシアの笑顔は、とても美しかった。
造形がではない。彼女が俺に向ける言葉が、その根底にある感情が表情に表れているからだ。
国の役に立つこと。貴族の責務。彼女が拘るその志を支えているのは、誇りだ。
イルミナやリージェのような柔らかな温かさはない。だが純粋で硬質な輝きは、それはそれで魅力的だ。
「なら、終わった後に同じセリフを言わせてやる」
「あら。いきなり自信家になったわね」
「お前の礼は快かったからな。今度は本気で聞いてみたい」
一点の恐れも曇りもない、本心からの言葉を。
「な、何を言っているのよ、もう」
うろたえた自分の動揺を抑え込もうと言うように、トリーシアは腕を組む。厳しげな表情を作ろうとはしているが、満更悪い気持ちではないことは彼女の声で明白だ。
軽くこちらを一睨みして、爪先を扉へと向け直す。一歩踏み出した丁度そのとき、警鐘が鳴り響いた。
「!?」
何が起こった? 王都内は神力が強くて魔力が遮断されがちだから、少し遠いと感度が鈍って探れなくなるものが多くなるんだ。
「確かめるか」
「何を言っているの。無暗に動いては危ないわ。必要があれば伝令が来るでしょう。この場で待つべきよ」
「……来るのか?」
ノーウィットでの大氾濫のときは、割とあっさり見捨てられていたが。
まあ背景を聞けば、トリーシアよりもイルミナの安全が優先されるのは分かる。
「く、来るわよ。城内なのだし……」
口にしている内容よりも、実際は大分自信なさげだ。やはり尾は引いていると見える。
「来るとしても、お前のアトリエだろう。ここにいたら伝令も迷うんじゃないか?」
「それもそうね。貴方も一緒に来なさい。気になるでしょう?」
「分かった」
また聞きでトリーシアから聞くより、伝令、ただし来ればだが――から直接聞いていた方が時間の無駄も齟齬もない。
アトリエを出て、隣のトリーシアのアトリエに向かう。部屋に辿り着く前に、走ってこちらに向かって来る騎士の姿が見えた。
「一等王宮錬金術士、トリーシア様でいらっしゃいますか」
「ええ、わたくしよ。何があったの?」
「魔物の大群が王都へ向かって進軍してくる姿が確認されたとのことです。国王陛下より、急ぎ儀式を進めよとご命令が下されました」
「元から急いで進めているだろう」
そして完成度と掛かる時間は比例する。急ぎで仕上げれば品質が落ちるのは必然。
神に捧げる品だから最上の物をとなれば、急ぐにしたって限界はある。
「ニア、つまり、出来次第すぐに始めると言うことよ」
「正気か。まだ当初予定していた質は揃っていないんじゃないのか」
「それでもやらなくてはいけないし、成さなくてはならない時があるわ」
本気か。
「承ったとお伝えしてちょうだい」
「はッ!」
トリーシアは当然のように受け入れたし、騎士も決まった答えしか返ってこないのを前提にしている。
他の意見を認めない、否など以ての外というこのやり取り。人間の間ではよく見るが、その度にうんざりさせてくれる。
「急いては事を仕損じる、という言葉を知らないのか? 国王とやらは」
「口を慎みなさい」
「事実だろう。地位に甘えて甘言ばかりに浸かっているから、こうも愚かしい判断をする」
そして周囲も止めない。悪循環だな。
己が間違っていたと認めるのは、取り返しのつかない状態に自分自身が陥ってからなんだろう。迷惑なことだ。
「今ここで、そのようなことを言っていても仕方ないでしょう」
「それはそうだな」
俺一人なら命令など無視して納得できる出来栄えになるまで納品しないところだが、おそらく儀式に関わる他の人間たちは従う。
俺が仕事を投げたところで何も変わらん。せいぜい、元から低い成功率がさらに下がる程度だ。
「貴方はすぐに虹の氷樹の作成に取り掛かって。わたくしも会場の仕上げに取り掛かるから。明日の朝には出来上がるわね?」
「……分かった」
トリーシアは貴族なので、主である王に忠実だ。問答は無駄だろう。
自分がそうだから、俺が肯定の返事をすれば受け入れたと信じてうなずき、足早に去って行った。
このまま儀式に突入するのは、あまり望ましくない。ダンジョンデュエルの件を含めてだ。
だが――ふむ。使いようによっては日程の調整を掛けられるか。
そのためにはあと一週間強。接近している魔物の足止めと儀式を延期せざるを得ない事故が必要だ。
儀式の方はどうとでもなる。魔物の足止めは……。
丁度いい。報告を兼ねて、リーズロットに相談してみるか。
深夜。隠者の粉を使って錬金術棟をひっそりと抜け出す。
まずは城内にある神殿へ。入り口近くの扉の影になる場所に、土製の小さな鈴を設置した。
これは風呼びの鈴と呼ばれるもので、名称通り、風を呼び込む。
一般的な用途としては夏場に風を送って涼をとったり、洗濯ものの乾燥などに使う。生活用品だな。
日常生活で使う物より、出力を大分強くしてある。間違いなく、会場の装飾を乱してくれるだろう。強度の低い物なら落ちたりぶつかったりして壊れるかもな。
会場の様相が散々になれば、さすがにすぐに始めろという言も引っ込めるはず。
やったところでますます失敗の公算が大きくなるだけだし、なんなら侮辱的だと進言してもいい。
実際のところ、見向きもされずに神々も気にしないだろうが。成功しないんだから大して違いはあるまい。
鈴の強度は限りなく低い。自らが招いた風で砕け散るようにしてある。外から入ってきた砂と見分けがつかなくなるようにだ。
一度無風になった後、次に風を感じたら発動するように設定する。
よし。あとは外に出て扉を閉めるのみ――だったのだが。
「だ、誰!?」
余計な声がかかった。怯えが八割を占める誰何の言葉だ。
というか、この声は。
「ニアだ。お前こそ何をしているんだ、サラ。こんな時間に」
「え、ニア!?」
近付いてきて手に持った明かりを掲げ、顔を確認してやっと納得したらしい。
「何してるの、こんな所で」
「予定が変わったから内装の様子を見に来ただけだ。お前は?」
先に聞いた俺の問いに答えていないぞ。
「れ、練習……」
「こんな時間に。こんな場所でか」
以前にもあったな。サラの悪癖だ。
危なかった。扉を閉める前だったから発動していないが、危うくサラが一人で会場が散乱する様を目撃するところだった。
サラは普通に嘘が下手だし相応に善良なので、翌朝騒ぎになれば名乗り出て事実を話すだろう。
余裕のない連中が、風が吹き込んできて荒れたという真実の証言をどう受け取るか。下手をすれば責任を負わせられかねない。
「こんな時間だから大声出すのに気が引けるんじゃない。ここなら人もいないだろうし、本番で使う場所だし、気分出るかなって」
発想としては分からなくないが。
「余程自信がないようだな?」
「全然ない! なのに知ってる? あ、知ってるよね。だからニアも来たんだろうし。日程、延ばすどころか早めるんだって。言うだけの奴は簡単よね、もう!」
実際にはやらなかったが、サラは地団太を踏む真似をした。それぐらい憤慨していると言うことだろう。
「……理由は分かるけどさ」
魔物たちが軍の体を成して近付いてきている話は、どうやら伝えられているらしい。
「目の前にある危機で団結できたりはしないか?」
「そんな空気じゃないかな。王都に住んでるわけじゃない人なんかは、むしろ帰りたがってるし」
「そうか」
思い入れもない、何だったら反感の方が強い王都の王族や貴族なんかのために身を張って命を懸けるより、大切な相手のいる場所へ帰りたいと考えるのは自然だ。
「お前はどうだ?」
「帰りたい。でも帰っちゃダメな気がする。今狙われてるのは王都だけど、次に狙われるのはアタシの村かもしれないじゃない」
魔物の力が強くなれば、人の住む場所が積極的に襲われることも多くなるだろう。
魔王軍としての行動というのは考え難いが、一族、群れ単位でも小さな町や村なら甚大な被害が予想される。
「アタシの気持ちは変わらないわ。アタシはアタシが大切に想っている人たちのために、歌う。でも……」
叶う気はしていないんだな。
「なら、ここで会ったのは丁度良かった。お前に渡しておきたいものがある」
「なになに? 差し入れ? 気が利くぅー」
「そうだ。これを」
言って香水瓶を渡せば、サラはきょとんとした顔をした。なぜ渡されるのかが分からない様子だ。
「アカネユリの香りを抽出したものだ。お前が愛しているすべてがある場所だろう」
「――」
ただ不思議そうだった表情に驚きが加わり、サラは手元に視線を落とす。
「嗅いでみてもいい?」
「ああ」
そのために渡したのだから。
言ってサラは自分にではなく、宙へ向かって一吹きした。微かに空気が押し出される音と共に、霧状の水が少量舞う。
「あぁ……」
思い切り吸い込んで、サラは懐かしそうに目を細めた。
「そう……そうだよね。帰りたいってことは、きっと皆その場所にとても大切なものがある。今バラバラなんだったら、ちゃんと話せばいいんだ。アタシたちがここにいるのも、同じ理由なんだって」
魔物の攻勢が強くなっているらしい現状、ますますだと言える。
今王都を護ることが自分たちの大切なものを護ることに繋がるとなれば、気持ちの方向性を同じにして歌えるだろう。
「できるか? おそらくその話は、同じ想いを持つ者にしか語れない」
そして同じ立場のサラだからこそ、届けることができる。
「やってみる。そのために来たんだもん。色々圧倒されて、アタシもちょっと忘れてたかも」
言ってサラは香水瓶を大切そうに両手で包み、胸の前に持ってきて目を閉じる。少しずつ散っていく残り香を追うように深く呼吸をして、再び目を開いた。
「ありがと。大事にする」
「必要だと思ったときに使ってくれればそれでいい」
「うん」
よし。
「じゃあ、戻れ。こんな所に一人でいたら、儀式が失敗した時の言い訳にされるぞ」
まさに、ノーウィットで恐れていた通りにな。
「それは困る!」
貴族が責任を押し付けてくるかもしれないという悪辣さを、サラは疑わなかった。俺も八割方、力のない者に押し付けてくるだろうと思って言った。
好意を抱いている者が所属している場所だから仕方ないが、そういう、居ても害にしかならなさそうな奴らも一緒に助けるようになることが非常に不服だ。
そいつらへの反感よりイルミナたちへの情が勝っている以上、諦めるしかないが。
「一人で戻れるな?」
「うん。ニアは? まだ仕事?」
「ああ。あと一ヶ所回るところがある」




