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十一話

「臣下が自分より位の高い妻を娶っているのに、陛下もやり難さを感じるだろうし。だからって帝国に行っても、周囲からは軽んじられるだけだし」


 成程、面倒くさい。


「だから――だからね、ニアさん。たとえ家を出て縁を切っても、血筋が変わるわけじゃない。折々干渉されるのは避けられないかも。でも民間人が貴族と関わることって、そんなにないから。きっと大丈夫」

「……」

「ニアさんに、わたしのことで嫌な思いはしてほしくない。望んでいない王宮資格を取って縛られてほしい訳でもないの。ニアさんが受け入れてくれるなら、わたしが家を出ます」


 イルミナにはすでに覚悟があるようだった。貴族ではなくなる――今の己の周囲との断絶の。


「身勝手に過ぎる」

「っ……」

「もう少し考えろ。お前が俺に対してそうであるように、俺もお前に負担を強いることを望んでいない。親しい者、大切に想う者を二者択一で選ばせて、心から良かったと言えるのか」


 今の環境がイルミナにとって好ましくない状態であれば、断絶もいいだろう。

 だが心を寄せている相手を失わせた先で、後悔しない人生などあるのか?


 俺はごめんだ。『どれか一つ』など選びたくない。


「何も諦めるな。それが叶うよう、俺が上る」

「でも!」

「妥協は好きじゃない。どんなものでもだ」


 最善があるかもしれないのに、手を止めることなどできるものか。

 まして今回は見えている。ますます目を逸らすなどしたくない。


 〇・一グラム差の配分であろうと、俺はやる。


「……」


 断言した俺に、イルミナはしばし言葉を探して唇を震わせて。


「ふふっ」


 小さく笑った。


「そうだね。ニアさんならそうかも」

「理解を得られて何よりだ」


 イルミナにいつまでも迷われていたら、やり難い。


「だが実質的に動く前に、俺もお前に問わなくてはならないことがある」

「うん」


 うなずいたイルミナへ、薄々彼女も感じているだろうことを、告げる。


「俺は魔物だ」


 これを正確に知ってからでないと、イルミナとて判断し難いだろう。


「それは、血を引いているっていう意味じゃないよね?」

「ああ。ダンジョンで生成された純粋な魔物だ。この姿は魔法で変えているだけで、人としての要素は欠片もない」

「ニアさんの本性は……。やっぱり、鳥?」


 イルミナの視線が俺の側頭部をなぞる。


「分かって聞いているだろう」

「確信があるわけじゃないから。……フォルトルナー?」

「そうだ」


 ここまで重なってくれば、想像も容易いだろうさ。


「やっぱり、そうなんだね」


 俺が認めたことで改めて感じるものもあったのか、イルミナは少しばかり恥ずかしそうに頬を赤くした。


「散々なことを言ってくれたからな。俺は子どものように心配されなくてはならない程無力ではないし、無垢だなどと甘い環境で生きてきたわけでもない」


 せっかくなので不満に思った部分を直接苦情にして言ってやる。


 ついでに、俺が件のフォルトルナーである証明にもなるだろう。イルミナとその会話をしたのはフォルトルナーの俺だから。


「ニアさんが引っかかるのはそこなんだね」


 イルミナが一番に気にしたのは、自分の感情を直接俺に伝えていた、という部分らしかった。

 しかしそちらは俺からすれば今更だ。


「お前が俺に好意を持っていたのは、声を聴けば分かった。俺たちフォニア種は音から拾える情報が人間より多い。言葉を聞けば、宿る感情まで伝わる」

「じゃあ、言うまでもなく筒抜けだったんだ」


 羞恥は抜け切れていないようであるが、それ以上ではない。イルミナはすでに言葉にしても好意を伝えてきているから、彼女にしたところで隠すようなものではないんだろう。


「ただ、一つ誤解があるかな。わたしが言ったニアさんの純粋さや無垢さって言うのは、何て言うか……事象に対する悪意のなさ、って言えばいいかな。以上でも以下でもない、あるがままを受け止める。ニアさんの生き方をそう感じたの」

「人間は煩雑だ。そういう意味なら間違っていない」


 俺が居た階層の社会構造はより単純だった。強者と弱者、支配する者とされる者しかいない。


「だが、今の俺は少し変わったと思う」


 人と関われば関わるほど、社会と己を擦り合わせなくてはならなくなる。現在進行形で思い知っているところだ。


 面倒だ不愉快だと感じることもあるが、理解できる部分に関しての文句はない。


「ニアさんには、きっと凄く迷惑だったんだね。人のルールで生きていない貴方を、人の社会に巻き込んでしまった」

「それは違う。俺が自ら進んで踏み越えただけだ」


 引き返す道も、立ち止まる場所もあった。だが俺が選んだのは進む道のみ。


「俺は、お前やリージェ――俺に優しくしてくれた皆を失いたくなかった。彼らが傷付く姿を見たくなかった。これは俺の意思だ」


 義務ではない。命令でもない。

 ただ心が望んだこと。


「……うん。そういう貴方だから、わたしは惹かれたの」


 俺がイルミナに惹かれたのも、『それ』を教えたこいつだからだ。きっと。


「確認するが、俺が魔物でも構わないか」

「構わない。だってわたしは『貴方が』好きなんだもの」

「……そうか」


 イルミナの答えに迷いはない。立場も種族も在り方も、当人の存在以上に意味などないということか。

 ならば俺も迷うのはやめる。


「ええと、でも、もう一つ、いい?」

「何だ」

「ニアさんから見て、人間って恋愛の対象になるの?」

「正直に言うと、よく分からない」


 イルミナやリージェを可愛く思う気持ちは間違いないが、そもそも人間の恋愛感情というものが分からん。


 そしてそれは一生、俺には分かりようもないことだ。違う種である事実は変えられないし、生じる違いも埋められない。


 どれだけ姿を変えようが、俺の本質がフォルトルナーであることは変わらないんだ。


「フォニア種同士で恋はしない? その感情に覚えがあれば比べられそうだけど」

「フォニアはそう多く生まれる種じゃない。少なくとも近くにはいなかった。ダンジョン内でも弱小種の俺には友すらいなかったし、外に出てからも同じだ。ノーウィットで暮らし始めるまで、他者との関わり合いは希薄だった」

「そ、そうなんだ」


 だから今抱いているこの気持ちが恋心か? と問われても、俺には判断がつかない。


「だが俺は、お前と共にいたいと思っている。会いたいときに会えて、話したいときに話せるように」

「じゃあきっと、違っていても同じ気持ちだと思う。わたしも、ニアさんと一緒にいたい」

「なら問題ないだろう」


 そもそも、己の心は己にしか分からないもの。他者と共有などできない。


 ならば同種族だろうが異種族だろうが、さして変わりはしないのでは。

 大切なのは互いに抱く気持ち。価値観が一致していることではないだろうか。


「俺は王宮錬金術士を目指す。お前と共にいるために」

「わたしのことでもあるのに、できることが少ないのが悔しい。だから、わたしにできることがあったら手伝わせてね?」

「ああ」


 イルミナの言う通り、これは共通の目的を達成するための行動だ。当事者であるイルミナの協力を拒む理由はない。


「しかしまずは、目の前の問題からだな」


 ダンジョンの件で安心しなければ、国も資格試験どころではないだろう。




 イルミナを見送って一人になってから、再度呪境の香炉の制作に取り掛かった。

 ほぼ丸一日かかったが、基盤は完成だ。後はこれを香炉にセットして、使うときに火を点ければいい。

 容れ物は市販されているごく普通の物で構わない。


 水の精製も終わったし、明日からは虹の氷樹の作成だ。


 今回作るのはディスハラークに捧げるに足る技能があるかどうかを審査するための品ではあるが、本番に使うのと遜色のない出来は求められる。そうでなければ意味もないし。


 すり減った集中力を回復させるため、今日は早めに休むことにする。

 気分替えも兼ねてひと風呂浴びて上がってくると――入る前にはなかった異変に気付かされた。


 外が妙に騒がしい。何か動きがあったか?


 動揺のざわめきが波になって感じられるが、正体は判然としない。

 これは誰かを捕まえて、直接聞いた方が早いだろう。


 扉を開けて廊下に出て、人の気配がある程度固まっている辺りへ向かう。この建物なら一階の大広間。談話室とでも言うべき部屋がいいだろう。


 階下に降りて談話室に入る――と、リージェもいた。


「リージェ」

「あ、ニア!」


 近付きつつ名前を呼ぶと、振り向いたリージェが手招きをした。


 リージェは丁度数人と集まって話していたようだ。俺の名前を聞いて、反応を見せた者もいた。まったく知らない相手を見る目を変えなかった者も多いが。


 そちら側の人間とは話が合いそうな気がする。


「空気が妙だが、何かあったか?」

「うん。アストライトの隣国の話なんだけど、ダンジョンから魔物が出てきて近隣の町がいくつか滅ぼされたって……」


 アストライトのことではないので危機感はそう高くなさそうだが、大事には違いない。集まった者たちも沈痛な表情をしている。


 しかし今のリージェの言い方は奇妙だった。


「大氾濫じゃないのか?」


 ダンジョン内で大量に発生した魔物が地上に溢れ出る、人間にとってダンジョンが脅威となる最大の現象。


 そう頻繁に起こるものではないが、周知されるぐらいには定期的に被害が出るものでもある。

 だが今リージェは『溢れて』とは言わなかった。


「違うみたい。出現地点らしきダンジョンの周りに、大量の魔物が通ったような跡がなかったって話だから」

「ならそのダンジョンの主が人に敵対的、かつ行動的だということか」


 生まれた魔物はよほど変わり者か意思が強くない限りは、おそらく『外に出る』という意識が生まれない。


 だがダンジョンマスターの命令であれば別である。


 力を付けるまでは隠れて引きこもっていた方が安全だからそうする原初の魔物が多いだけで、魔物たちは外に出られないわけじゃないからな。


 だから、適度に大きくなれば地上に干渉し始める。


 少し前に現れた蜂がそうだったように、魔物は本能的に魔力を高める行動を取る。それが自身の安寧に繋がるという部分も大きいだろう。


 世界の魔力を高めるとは、要は反属性の聖神属性の諸々を消していくということ。だから人や聖獣を攻撃する。


「魔物だもんね。基本的にはやっぱり、人を襲ってくる敵だから。不思議はないんだけど」


 リージェの言い方は歯切れが悪い。俺が魔物の血を引いていると思っているせいだ。


「大きいダンジョンの周りが危険なのは分かってるけど、今回は規模もおかしいみたい。あんまり大きくないダンジョンだったみたいだから」

「上手く隠ぺいしていて実は相応に力を付けていたか、稀だが急激に成長したか」


 無難な線ならこの辺りだ。

 あとは人間にとって、一番嬉しくない可能性だな。


「もしくは魔王軍の傘下に組み込まれて、中継地点にされたか」


 リーズロットのダンジョンがそうされようとしているように。


「え? 魔物って、元々魔王の配下じゃないの? いや、今は魔王はいないって言うけど」

「生じた可能性はある」


 神人が降りたという話が本当なら、十中八、九魔王が選ばれている。神界で目星をつけてから降りてくるのがほとんどだろうから。


「!」


 リージェが口にした安心材料を覆す可能性を口にすると、グループ全体がざわついた。否定したいがしきれない。そんな恐れを感じる。


 昨今、魔物が活発な動きを見せているのは事実だ。ここにきて町という大きな規模での被害。嫌な予想を駆り立てるのに充分だ。


「しかしだからといって、俺たちにできることは多くないだろう」


 アストライトの国力は、大陸の中で中堅程度らしいし。


 たとえ神人が干渉を始めて魔王が誕生したのだとしても、対抗策を練って実行に移すのは、宗主国だというハルトラウム帝国の首脳陣になるんだろう。


 その決定によって何らかの役目を負うかもしれないが、それも後の話だ。


 魔物が活性化して、人間にとっては物騒な世になる。他人ごとではないが、まずは自分の身を守るのが精々だ。


 諸々、上が意思決定をして動き出す前に錬金術士が求められることといえば。


「より効果の高い道具を作成できるよう、研究に注力する。それが一番世の情勢に貢献できる方法だと思うが?」


 つまりいつも通りだ。


「そ、そうかもだけどさあ」


 リージェは不満そうだ。


「まあ俺たちにできることはともかく、大変な事態ではあるな。国から特別な指示でも来たのか?」

「ううん。ただあらかじめ、薬品とかは多く作っててもいいかもね。きっと支援で送ることになるから。そんなに手が空いてるわけじゃないけど……」


 こっちもこっちで、急ぎの準備をしているからな。


 しかし、町一つを滅ぼしたか。

 これは旅人一人二人を襲うのとは、人間に与える危機感が段違いだ。


 ……面倒なことになってきたな。

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