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九話

 トリーシアを見送りがてら俺も一度部屋を出て、もらった鍵で施錠する。俺の魔力質を記憶したのだというカードは、色鮮やかに六色を使った幾何学模様を描き上げた。


 正確には十二色か。神力と魔力で微妙に色合いが違うな。

 カードの記憶情報を読み取る、扉に埋め込まれた板状の魔道具にカードを近付け、すぐに開錠。


 なるほど。こうなるのか。


 中に入って扉を閉め、王都に来てからようやく一息ついた。

 一休みしてから、リージェに会いに行くか。イルミナには会い方が分からん。


 旅装束を解き、普段町で過ごしているの軽装に着替え直す。それから飲み物を求めて調理台を探した。

 部屋が広く感じたのも道理。アトリエに併設して隣に生活のための部屋があった。


 使っていたアトリエ以外の場所に用などなかったから気にしなかったが、トリーシアのアトリエも同じ造りか?


 ともあれ、至れり尽くせりでありがたい。水を入れたポットを調理台の上に置き、加熱開始。

 魔力や神力を使って実際の火を点けるタイプではなく、平らな板に熱を発する最新式だ。さすが王宮。


 適量の茶葉を蒸らして注ぎ、完成。

 人間とは味覚が違うから仕方ないが、現状、飲食は自分が作ったものが一番美味い。そこまで拘りはないから、食えれば充分ではあるが。


 ただ、美味い物を食べるのはもちろん嫌いではない。焙煎もブレンドも自分の好みで決められるのが手作りのいい所だ。


 味と香りを堪能しつつ、ゆったりと時間を過ごす。

 一杯分飲む時間をたっぷりとかけ、休んでから――立ち上がる。


 リージェのアトリエは、確か二階だ。廊下に出て、今度は必要のための施錠を行う。

 記憶を頼りに部屋を探すと、あった。


 扉を叩いて来訪を知らせると、すぐに反応が返ってくる。


「はーい。どなたー?」

「ニアだ。戻ったから挨拶に来た」

「えっ、ニアっきゃわあぁぁ!」


 勢いよく振り返った際に、何かを引っ掛けたか。がしゃん、ぱりん、と物が落ちて壊れる音がする。

 ……おい。中身、危険物が入っていたりはしなかっただろうな。


 そして数十秒後――少しよろけつつ、リージェ本人が扉を開く。


「お、お帰りー。無事に着いてよかった。心配してたんだよ」


 俺の到着が遅いと感じるのは、トリーシアと同じ理由だろう。それはまあ、いいとして。


「今はお前が無事じゃなさそうだけどな。大丈夫か」

「えっと、うん。大丈夫……」


 見たところ、確かに怪我はしていなさそうだ。幸いと言えるだろう。


 物は所詮物だ。どれほど高価だろうと希少だろうと、価値は唯一無二の命である生き物には遠く及ばない。


 優先順位は付くけどな。俺も敵対している生物よりも、希少な素材を優先するし。だが価値に関していうなら揺らがない。中々の矛盾とも言えるかもしれないが。


 とはいえ資源を無駄にするのも好ましくないので、無意味な消耗は避けるべきだとも思う。


「ともかく、中に入れろ。片付けるから」

「だ、大丈夫だよ。自分でできるし」

「二次被害を起こしそうだ」

「ふ、普段は大丈夫だもん……。ちょっとびっくりしただけで」


 どうだか。


 一緒に暮らしていたこともあるんだ。リージェのそそっかしさはよく知っている。

 当人の言う通り、普段から特別にそそっかしい訳ではないが、突発的な事態にはとにかく弱い。


「……はぁ」

「呆れ切った溜息! 酷い!」

「いいから、やらせろ。お前に怪我をされたくない」

「うっ……」


 なおも抵抗の気配を滲ませていたリージェだが、俺の言葉に呻いて大人しくなった。同時に顔に血を上らせ、悔しさと嬉しさを混ぜた瞳で見上げてくる。


「久し振りでニアの直球な言い方は、本当に心臓に悪い……」


 確かにリージェの心音は乱れているようだ。的確な自己判断だな。


「それで、通してくれるのか。断るのか」

「……どうぞ」


 すっきり納得と言う感じではないが、承諾はした。リージェは一歩引いて脇に動き、道を開ける。


 中に入ってすぐ目に入る作業台の、真下の床。そこに落下したと思しきガラス器具が破損して散乱している。

 音の正体はこれに相違ない。


「広くて厚めの紙はあるか」

「うん。待ってて」


 棚の引き出しの一つを開けて、危険物を包むのに丁度いい大きさと厚さの紙がすぐに出てきた。使う頻度を窺わせる。


 しかしまあ、これ以上は言うまい。


 リージェから渡された紙を床に置き、壊れた本体と大きい破片を拾い集めていく。

 リージェも隣でしゃがんでいるが、手を出そうとはしない。俺が止めるのを分かっているからだろう。


「ごめんね? 来て早々片付けなんて」

「別に構わん。俺が来たから起こったことでもあるし」


 多少驚いたとしても、普通は物を壊すまではいかないとは思うが。二十回に一回ぐらいの割合でリージェはやらかす。


「ところで、今更なんだが王宮錬金術士は皆ここにいるのか?」


 手はともかく、口は暇だ。せっかくなので先ほど気になった疑問を訊ねてみた。


 俺からすれば充分広い建物ではあるし、集まっている人数も多い。しかし一国が資格を与えた錬金術士の数と考えると少ない。


 たとえ資格試験が高難度であったとしてもだ。


「ううん。ここにいるのは二等以上の希望者だけ。多くの人は故郷だったり、城下町だったりにいるかな。あと、偏りすぎないように国から地方への出向指示が来たりもするよ」

「個人に任せていたら、利便性の良い所に固まってしまうからか。合理的だな」


 日常使いする薬なんかは、人口の多い少ないに関わらず需要がある。国の施策として正しいだろう。

 大まかに拾い集めて、残りは箒と塵取りで回収。これでいい。


「ありがとう」

「どういたしまして」

「ね、お礼ってわけじゃないけど、時間があるなら少しゆっくりしていく? 美味しい焼き菓子もあるよ。ナッツ系のシンプルな味わいだから、ニアでも大丈夫だと思う」

「いただいていく。しかし、用意がいいな」


 とはいえリージェは自分で菓子作りをするのも趣味だし、甘味好きだ。常備されていても然程奇妙でもない――と思ったのだが、リージェは露骨にうろたえた表情をした。


「そ、そんなことないよ!?」

「……」


 用意、してたのか。実際。俺が来たときにこうして誘うために。

 なら、まあ。その気持ちを無下にしなくて済んでよかったんだろう。


「たまたま! たまたまだから!」

「分かったから、落ち着け」


 赤面して強い語調で繰り返すリージェの姿は、声から感情を読み取る能力がなくとも察せられてしまうと思う。


 というか、なぜリージェは俺のためである事実を隠そうとするのか?


 リージェは間違いなく、俺が好きだ。今誘ったのも恋愛感情に起因する『一緒にいたい』という欲求から。


 俺には伝わるが、普通は口にしなくては相手に伝わらない。リージェが俺の能力を正しく知っているわけもなし。


 知っていたらまたうるさそうな気がする。


 己の気持ちが伝わらないでもいいと考えているのであれば、むしろここで誘って来るのが矛盾しているし。


 人間の思考は、本当に難解だ。


「うー。とにかく、用意してくる。適当な椅子に座ってて」

「分かった」


 上階にあるトリーシアや俺がに宛がわれたアトリエと違って、リージェが使っているこの部屋は工房部分しか存在していない。

 調理台もあるにはあるが、かなり簡易だ。


 比較的スペースが残っている作業台の前にまで椅子を移動させ、言われた通りに大人しく待つ。


 リージェは戸棚を開けて缶を取り出し、別の皿に盛りつけて運んでくる。一緒に持ってきた飲料は、リージェ自身が作業中に口にするために用意していた物だろう。ほのかに柑橘系の香りがする。


「夜はこのアトリエで寝ているのか?」


 生活スペースに乏しいから、不便そうだ。


「ううん。別に寮があるの。職種の区切りがないから、いろんな話が聞けて結構楽しいよ」


 そうなってるのか。


 そして錬金術と一見無関係な話を『楽しい』と認識して興味を持ち、知識として蓄積できるリージェには、発想において俺より才があるかもしれない。


「ニアは? 今日はどうするの? トリーシア様は部屋を用意できそうって言ってたけど」

「上の階で一室借りている」

「あ、上なんだ。まあニアが作るものを考えたら、その方がいいよね」

「機密にしなくてはならないようなものを作っているつもりはないんだがな」

「ニアにとってはね!」


 自身の感覚と周囲がかけ離れていると、それだけで問題にまで発展する可能性がある。厄介なことだ。


「俺は虹の氷樹制作を依頼されているわけだが、お前も同じか?」

「ううん。わたしは会場設備の手伝い程度かな。祭具制作の下準備とかね。出来栄えがそれで決定するってわけじゃないやつ。目立つ重要な備品は、やっぱり一等錬金術士の人たちがやってるから」


 難度の高い物は、より高度な技術の持ち主に。道理だな。


「上手くいくといいんだけど。というか、失敗したら怒りを買ったりとかしないかな……」

「余程的外れでなければ、好意を向けられてそのものに怒りは覚えないだろう」


 そして神々はそこまで問題のある性格はしていない。ディスハラークも同じだ。

 好みが煩いだけで、そこから外れていても文句はつけまい。興味も示さないだろうが。


「そ、そうだよね。神様、そんなに心狭くないよね」

「俺の知る限りでは」


 むしろ、基本は寛容だと思う。


「ニアの方は大丈夫? と言っても、虹の氷樹はそんなに希少な素材とか優れた技術とかが要求される品じゃないけど」

「素材と技術は問題ない」

「そっか。でも、もし何か必要があってわたしにできそうなことがあったら言ってね。なんたってニアは、わたしの師匠だもの! 弟子としてお手伝いぐらいはしますよ、ふふん」

「必要があれば頼みにさせてもらう」


 予定はないが、厚意を突っぱねる理由もないのでありがたく気持ちを受け取っておく。


「うん。ニアが作る虹の氷樹、楽しみにしてるから」


 お前もか。

 完成度の高さを疑わない信頼感が重い。


「……まあ、楽しみにしていろ」


 期待に沿うかは分からないが、俺なりの答えは出した。何なら伝えるべきは、ディスハラークよりイルミナやリージェだろう。目的とは外れるが。


 リージェには何かしらを感じて貰える出来にしたい。

 気持ちを与えてくれた当人へと、穏やかな気分でそう告げる。


「えっと。あの、うん。楽しみにしてる。けど……」

「?」


 しかしなぜか、リージェの方は落ち着かなげにそわそわと指を組み替え出した。


「ニアってときどき、どきどきする笑い方するよね」

「さすがにそれは、お前の欲目が過ぎるだけだと思うぞ」


 声ならともかく、表情? 初めて言われた。


「無自覚、辛い……」


 ただ、天を仰いで呟くリージェは本気だ。


 リージェに欲目からでも意識されるのは、別に不快じゃない。

 そろそろ、俺も覚悟を決めるべきか。




 着いたその日は休息に当てて、寝て起きた翌日。早速虹の氷樹の作成に取り掛かることにした。

 寿命の短い品だから儀式に使う奉納品は直前に合わせて作る必要があるが、その前に。


 俺が作るもので問題ないかどうか、責任者――まあ王族主導だと言うからその中の誰かなんだろう、そいつに確認してもらう必要がある。


 まずは光の神気を蓄えた水づくりからだ。


 どうせ加工してしまうので、水については新鮮であれば充分。持ってきた素材の中から町の井戸で汲んだ水を取り出し、火をかけて殺菌。次いで不純物をろ過する。


 浄水が終わるまでの間に、リーズロットに渡す道具の作成に取り掛かっておく。


『呪境の香炉』という、場の属性値を高める作用を持つ品だ。


 リーズロットのダンジョンの魔物が信を置いて道具を使うとは思えない。あらかじめ設置しておけば効果が出るものにしておいた方が無難だろう。


 武器や防具があればもっと道具の利が分かりやすいんだろうが、その辺りは専門外だ。俺が作れるのはちょっとした装飾品の類のみ。


 聖神六柱の属性を宿した葉をそれぞれ乾燥、粉末状にして、属性値が均一になるように混ぜ合わせる。

 これを燻して出される煙の通り道に、属性値を増幅させる魔法陣を刻んだ薄紙を設置。


 場の属性値とは、大概が『そこに何が多くあるか』で決定する。魔物が集まっている土地は自然と魔力が強くなっていくし、聖神を崇める神殿周囲は聖域になっていく。


 呪境の香炉は、それを一時的に塗り替えるものだ。使った素材によっても、効果は大きく変わる。


 今回使ったのは中の下、と言ったところか。自然のままで生えている素材では、望む性能を持つ物はそうそう集められない。


 しかし中には奇跡的な生育を遂げた物も稀にあるし、自然界でしか育ちにくいものもある。難しい所だ。


 いっそすべてを人工的に栽培・育成できるようになれば思いのままになるのかもしれないが……。さすがに俺一人でどうこうできる問題じゃない。時間も手間も大量に掛かる。

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