八話
ともあれ一応にでもダンジョンマスターと会って話もできた。目的は充分果たしたと言える。
リーズロットのダンジョンを去り、俺は改めて王宮へと向かった。
当然、ここでも城門を護る衛兵に呼び止められるわけだが、町に入るときよりかは時間がかからなかった。
町に入っている段階で、すでに身を改められている保証があるためだ。それと俺のことを知っている人間が今日の門番を担当していた。
いわく、俺の恰好は大層目立つので、記憶しやすかったのだとか。
否定はしない。人間たちの中で、顔を隠すようにフードを下ろした状態で町を歩いている市民はあまり見ない。まして城に入ろうとなれば増々だろう。
城内に入っても、俺が行ける区画は限られる。用もないので構わんが。
真っ直ぐ職人たちが詰める工業区、その中でもやや奥まった場所にある錬金術棟へと向かう。目的地はトリーシアの部屋だ。
階段を上がって、到着。ノックをする。
「はい。どなた?」
「ニアだ。今着いた」
「!!」
部屋の中で驚いた気配がした。
しかしそこはさすがにトリーシアで、リージェのように勢い余って物を壊したりはしない。
作業を中断して向かって来る最短の間が空いて、扉が開かれた。
「ごきげんよう、ニア。待っていたわ。少し時間がかかっているようだから、何かあったのかと心配していたのよ」
「時間……。かかっているか?」
トリーシアから手紙を受け取って虹の氷樹の試作をしていたのは一日、二日程度。むしろ短いだろう。
「王都に戻ってくるのはほぼ前提だったのだから、支度に時間がかかったわけでもないでしょう?」
「それ以前に。虹の氷樹の作成に目途がついたら、だろう」
求められた品が作れないのに、行っても仕方ない。
しかし俺の答えにトリーシアは眉を寄せた。
「虹の氷樹なんて、貴方が手間取るような作成難度ではないじゃない」
……そうだった。トリーシアは虹の氷樹の完成は疑っていなかったな。
「作るだけなら、そうだな」
「他に問題があって?」
「あったが、一応の解決はした。ただ今回はお前の期待に沿うかどうかの保証はしない」
「ずいぶん弱気なのね」
「自分の力量を知っているだけだ」
もしイルミナたちと知り合う前の俺であれば、もはや不可能でさえあった。神の心を打つような魅力的な輝きなど出せなかったと断言できる。
何より俺自身に興味がなかったと思う。
だがそれは、最も興味を持っている錬金術という分野への理解を浅くすることにも繋がっていた。
今ならば思う。世の中のすべては繋がっている。何かを修めようと思えば、疎かに扱ってよいものなど世界に一つとしてないんだろう。
「貴方にそうも謙虚になられると、困るわね。自分がどのような顔で錬金術士を名乗ればいいか分からなくなるわ」
「別にいつも通りでいいんじゃないのか。お前が錬金術士であることは間違いないのだから」
「……そうね。そうするべきなのでしょう」
ふ、と息を吐いてトリーシアは認めた。
「そうだわ。以前お願いした師事の件だけれど」
「町の下のダンジョンの件をどうにかしてからだろう?」
蜂の件から伸び続けているが、緊急事態が連続して起こっている状況だから仕方ない。そうでなければ俺だって自分の研究に打ち込んでいる。
「いえ。取り止めることにするわ」
「いいのか」
トリーシアの気が変わったのなら、俺としてはもちろんありがたい。
「ええ。己の見栄のために横暴を働くのは本意ではないわ」
嘘ではない。実際トリーシアは俺に強要することにためらいを感じていたからな。
「わたくしは、わたくしが望むほど優秀な人材ではなかった。けれどそれでも仕方ないのでしょう。強権を私事のために使う見苦しい真似をするぐらいなら、笑われようと己の無能を認めなくては……」
そこまでか。
自分の価値を他者と比べることでしか計れないトリーシアだ。危うい奴だとは思っていたが、ここまで簡単に悲観的になるとは。
「お前は別に、無能ではないだろう」
王宮錬金術士の資格はそれを保証している。
「お前は努力をして、技術を得たはずだ。誰と比べて劣っていようが、己が修めた技能を軽んじる必要はない。できることをできるところまでやれば充分なんじゃないのか」
「平民ならばそうね。けれど、わたくしは貴族なの。民の規範となり、特別であることが求められる立場よ。人の上に立つとはそういうこと」
言われてみると、権力者の血筋に生まれたことが必ずしも幸福に繋がるわけではないのは分かる。
特に人間はそうだな。魔物社会は基本実力主義だが、人間は血統で継ぐことが多い。そんなやり方では、向かない者も多く出てくるだろう。
ま、向かなかろうが幸福でなかろうが、『無い』よりははるかにマシだがな。どんなものでも。
「求められる能力がない上に、人品まで劣悪に落とすわけにはいかないわ……。たとえ道化になろうとも」
ふむ。
トリーシアはこれまで常に、俺やリージェに対して上位者として振舞ってきた。当人に優秀である自信があったために、自然な態度として。
しかし能力が劣っていると判断しても、立場上同じように振舞うつもりでいるわけか。
俺が言った『いつも通り』は、今のトリーシアには酷だったのかもしれん。
「ごめんなさい。今のは愚痴よ。気にしないで。――貴方に言いたいのは、師事は諦めるということだけよ」
……ああ、くそ。
いっそ居丈高に命令してくるだけの方が、良心の呵責なく手を抜いて教えられたのに。
本気で落ち込んで、傷付いているのが分かる。分かってしまうんだ。無視していたくとも。
「……そんなに多くの時間は割かない。それでいいなら空いた時間になら付き合ってやる」
「え……」
「リージェより飲み込みも早そうだしな」
先天的な才がリージェよりもトリーシアの方が優れているのは事実だ。
「どうして。命令ではないと言ったでしょう? そうでなければ、わたくしに対価となるものを支払える能力はなくてよ」
「問題を抱えて困っている奴が目の前にいて、自分に解決できる力があったら放置するのは気が咎めるだろう」
俺が抱いたこの感情を、トリーシアは否定しないはずだ。
「以前お前が、俺が読むべき本を選定して教えたように」
「――……」
あれは間違いなく、純粋な厚意だった。
彼女にとっては貴族の義務でもあったのだろうが、理由を付けて見て見ぬ振りはできる。行動は厚意だ。
「でも、あれは……。きっとあなたには必要なかったことでしょう」
不要なものもあったが、有益だったものもあった。そして肝心なのはそこではない。
「今はお前の、善意の話をしている」
「……」
トリーシアは自分の行動が善意から来たものだと否定しなかった。しかし戸惑った瞳のまま、答えもしない。
「どうする」
俺に師事するための対価が用意できないからと断るなら、それもいい。トリーシアの中では『そうするべき』という想いが勝ったと言うだけだから。
だがトリーシアが出した答えは。
「お願い、するわ……」
自らの知らない技術を得ることだった。
ただし気まずさは感じているようで、俯いて、小声で。髪から覗く耳まで赤い。
「……ありがとう、ニア」
「知り合ってしまったからな。仕方ない」
「ふふ」
口元を手で押さえ、小さく上品に笑いを零す。
「イルミナ様やリージェが、貴方を心配する気持ちが分かったわ」
「不本意だ」
特にリージェからは。あいつにはまず自分を振り返れと言いたい。
「結局その厚意に甘えてしまったわたくしが言えることではないのだけれど。あまり無理をして抱え込みすぎないように気を付けなさいな」
無理はしていない……と思うが、少々手に余るようになってきている気は、する。それが無理ということか?
「……まあ、地下の件が落ち着けば少しはマシになるだろう」
「そうね。まずはそこからね」
本題に戻ろう。
意識を切り替えたか、トリーシアも少し乱れた髪を整え直して顔を上げた。
「ディスハラークへの奉納の儀式はいつ執り行うんだ?」
リーズロットに教えるためにも、これは正確に知っておかねばなるまい。
「何でも遠方からも人を呼んでいるらしくて、あと一週間はかかりそうとのことよ。息を合わせるための練習や予行もあるでしょうから、到着が遅れる者がいても予定以上は待たないでしょうね」
「のんびりはしたくないだろうが、余裕もなさそうに感じられるな。急ぐような事態が実際に起こったのか?」
リーズロットのダンジョンからは、何も仕掛けられていないはずだが。
「何を言っているの。すでに蜂が襲撃しに来ているでしょう」
いや、あれは偵察……だが、違うか。人間からしたら同じ『魔物』という括りからの干渉だな。
ダンジョンデュエルを控えているとは言っても、魔王軍が上の町に遠慮をする必要はない。むしろ侵攻の補助となるような何かを画策して、ダンジョン周りを支配下に置こうとする可能性さえある。
確かに、急いだ方がいいかもしれない。
「結界の仕組みが分からないから何とも言えないが。ディスハラークに頼めばそれで結界拡張が成されるものなのか?」
「正直に言うと、分からないのよ。はるか昔の、アーティファクトのようなものだから」
どこからかもたらされたのか、それとも過去に大層な天才がいたのか。現代技術では再現不可能な代物が、世界には時折現れる。
ああ、原初の魔物が作り出したという線はあるな。奴らの創造力は常識の枠を軽く超えるから。
「貴方が見れば分かるのかしらね」
「見れるのか?」
可能であるならぜひ見てみたい。興味と実の両方がある。
「無茶言わないで」
やはり無理か。肩を竦めて、当然のことを言うようにトリーシアは拒否してきた。
「王都を護る重要なものよ。わたくしだって見たことはないわ」
「よく分からないものの効果を、よく分からないまま増大させようと言うのは中々の暴挙だな」
「そうなのだけどね。さすがに王族の方々は理解をして指示をしていると信じたいところだけど」
なるほど。実行役は知らなくても、指示役が全体図を理解しているかもしれないのか。充分あり得る話だ。
「これだけ大掛かりに人を動かしているんだ。お前が信じたい通りかもしれないな」
「だといいわね。――ともかく、わたくしたちはわたくしたちの仕事をしましょう。たとえディスハラーク神の加護が一時的なもので終わったとしても、意味はあるのだから」
時間稼ぎになるからな。その間にまた別の対策が練れる。
成功しておけば失敗を押し付けられることもないし。
場当たり的だが、突発的に降りかかった事態への対応となれば仕方ない部分もある。
「そうしよう。それで、俺は今回はどこで調合すればいい」
「安心して頂戴。前回の功績を踏まえ、部屋の申請が通ったわ。付いてきて」
言って案内に立ったトリーシアの後に付いていくと、意外と近く、トリーシアのアトリエの隣に招き入れられた。
隣、とは言ってもトリーシアのアトリエはかなり広いので、距離的には二部屋分跨いだ位置、と言った感覚だ。
中は――一通りの機材が揃っている。これだけを整えるとなれば、相応に時間も金もかかっただろう。
「王都にいる間はこの部屋を使って。鍵はこれよ」
トリーシアが渡してきたのは、ギルドカードに似た真っ白なカード。記録媒体に似た気配がある。
「このカードで一番初めに鍵をかけた人の魔力質を記憶して、鍵として機能するの。貴方以外が使っても扉は開かなくなるけれど、紛失には注意して」
「分かった」
無くしたら開かなくなるやつだ。記憶された魔力質を初期化して――という面倒な処理が待っていることが容易に想像できる。
「心配なら、今試してみるといいわ」
「いや。問題ない」
正直、鍵は掛かっても掛からなくても構わん。見られて本当に困るものは、身から離すつもりがない。
「そう。ならいいわ。ではわたくしは失礼するわね」
「ああ。助かった」
おかげで部屋の心配をする必要なく、問題に取り組める。
「それを貴方が言うの? 協力してもらっているのはわたくしたちの方なのに?」
「俺にも関わりがあることだ」
一方的に『してやっている』とは言えまい。
「だとしてもよ。有事の際に一般の市民を護れるからこそ、貴族とは敬われるものなの。王宮資格も同じよ。普段特別に優遇されているのは、こういう時に役立つためだもの。なのに……」
「無益な思考はそこで止めておけ」
またトリーシアがどんよりし始めたので、深みに嵌らないうちに遮った。
指摘されて、はたとトリーシアは口を噤む。それから緩く首を左右に振った。
「まったくね」
そして唇に柔らかい笑みを浮かべて、部屋を出て行く。




