六話
――そんなこんなで準備を終え、俺は王都に戻ってきた。
町に入る許可は前回もらった腕輪の件が活きているので問題ない。リージェと通った前回より時間はかかったけどな。
人間の大都市にも少し離れてきた。気兼ねする相手もいないので、王宮に行く前に少し見て回るか。
王宮に行ったら、それこそあまり外出はできなくなるだろうし。
アストライトは年々人口が増え、外周を拡張して町を広げ続けている。そのため現在は外周区、市街区、中央区と三層に呼び分けられているらしい。
人の往来が多い門から市街区までの大通りは整備が行き届いているが、少し外れた外周区は間に合わせ感が強い。建っている家屋や道も簡素だ。
こうした条件の悪い外側に経済力の低い者たちが追いやられるのは、どこの町でも同じらしい。リージェの言う通り、魔物の血を引いていると思しき住人もちらほら見かけた。
そしてこの新興外周区には、結界は届いていない。
これを拡張するために、ディスハラークの力を借りようという訳だな。
だが、地下か。
王都が建ってからそれなりに時も経っただろうに、土地に問題が発生するとは今更だ。
今更だが、いつでもその『問題』が発生する可能性を、この世界は秘めている。
結界の神力が強いせいで、前回、ほぼ町の中央にいただけのときは気付かなかった。
――地下にダンジョンができている。しかもおそらく、相当成長した奴が。
強力な結界も良し悪しだな。魔力が遮断されすぎたせいで、ここまでの成長を許したとも言える。
同時に、国が手当たり次第に可能性のある人材をかき集めて、結界の拡張に焦っている理由も分かった。この外周区の下は、すでにダンジョンの支配領域だ。
下手をすれば、王都丸ごと支配領域に飲み込まれているんじゃないか。
そんなことを考えながら、町を歩く。何事も起こっていないのだからまだそのつもりはないはずだが、町中に出入り口が出現して魔物が大量に出てきたら大変な事態になる。
危険がある場所に黙って人を住まわせ続けているのもどうかと思うが、正直に発表しても混乱を招くのは想像に難くない。
一応、上層部も急いではいるんだろう。
ある可能性は低いはず、と思っていたものが――あった。
「……」
樹齢数十年は軽く超えるだろう大木。立派すぎて切るのをためらったか、労力を考えて見送ったかされた木の根元に、ひっそりと小さく、ダンジョンの出入り口となる転移魔法陣がある。
その大きさもさることながら、隠蔽の魔法も掛けられている。見付かりたくない意思をひしひしと感じるな。
俺のような戦闘向きではない弱小種が生き延びるためには、危険にできる限り近付かないのが鉄則だ。
それでもやる必要があるときは仕方ない。覚悟を決めて挑むのみ。
魔法陣に触れて、転移する。
核が生じた土地の属性にもよるが、一程度成長すればマスターが好きに構築できるのがダンジョンというもの。ダンジョンの姿かたちそのものが、主である原初の魔物の情報の一つと言える。
転移した先のダンジョンは、水晶の神殿だった。
俺が立っているのは正面入り口を目の前にした庭。緑の草が生える地面から、色とりどりの水晶柱が突き出している。
神殿入り口の大扉は開け放たれていて、訪れる者への自信が感じられる。扉に彫られたドラゴンの細工も見事なものだ。
大きい。そして完成度も高い。見込み通り強力だぞ、このダンジョン。装飾にまで手を抜かずに作り込めるというのはそれだけの余裕があるってことだ。
とりあえず一歩、中へと入ってみる。直後、声をかけられた。
「あらあら。見知らぬお客さんが来ちゃったわね」
入り口のホールに設置された巨大な石板を囲うように建つ、六本の水晶。その中には魔物の影が見える。
明らかに仕掛けのありそうなそれらの水晶柱の一つの頂に、ハーピィが一羽留まっていた。
とはいえ、ただのハーピィじゃないな。毛色が違いすぎる。
緩やかに波打つ金髪を、片胸を覆うように前に垂らしている。腕の先にある翼を器用に、そして優雅に使って頬杖を突くような仕草を見せた。
「ねえ? 知らない香りのお客さん? 貴方は何をしにここに来たのかしら」
随分悠長な対応だな。警戒心はあるが、敵対心は感じない。
これも実力への自信の表れか。
「どんなダンジョンか見に来ただけだ」
しかし相手が会話に応じてくれるなら、こちらもありがたい。戦いに来たわけじゃないからな。
「ダンジョン観光? 危険な趣味ね。嫌いじゃないわ」
「趣味じゃない。上の人間がお前たちを恐れている。その関係での偵察だ」
「アラ、正直者。にしても……そう、バレちゃったの。まあ仕方ないわね」
少し困った様子でハーピィは言うが、緊迫感はない。人間による討伐を恐れていない雰囲気だ。
「言っておくけれど、向かって来るなら容赦はしないわよ」
「その言い様だと、お前たちからは手出しをしないように聞こえるが」
「そうねえ。あまり興味がないご様子ね、マスターは。わたしたちもだけど」
「……」
意外と平和的か?
「興味がないと言うわりには、大分力は蓄えているようだが?」
「ここは土地がいいからね。黙ってたって入ってくるの。ついでに、自衛のためもあるわ。責められても困るわね。マスターの望みのためにも必要だったし」
「望みとはなんだ」
そこが物騒だと困るぞ。
「外へのお出掛け」
「は?」
肩を竦めて言ったハーピィの答えは、予想外のものだった。
「外にぐらい、いつでも出ればいいだろう」
「そうもいかないのよ。何しろこのダンジョンができたのは人間の町の下――しかも王都の真下だったんだから」
「……」
魔力や神力は世界中を巡るが、力が集まりやすいパワースポットとでも言うべき場所はある。
自然に変化していったり、人工的に作り上げたりと様々だが、基本、力が多く流れる土地は豊かだ。
人間はそういう場所を狙って町を作るし、魔物も住処として選ぶ。力が豊かであるゆえに、ダンジョンも生じやすい。
とはいえ、通常は住んでいる者が土地の力を使うので、住民がいる場所は逆にダンジョンはできにくくなる。王都やノーウィットは、流れる量に対して使う量が少なかったのだと思われる。
「真上にぽっと出入り口を作るわけにはいかないでしょ」
「即、討伐だろうな」
人間と魔物の関係上。
「だから秘密裏にダンジョンを成長させて、町の外にまで支配領域を広げてから、そっちに出入り口を作ろうとしたわけ」
「それは……相当だな」
ダンジョンは自前で異空間を作り出し、領域を広げることが可能だ。しかしどうやら、無制限という訳ではないらしい。
異空間を拡張するときは、現世での支配領域の強化も必要となる。そのため強力になればなるほど見付かりやすくなる。
そしてダンジョンの出入り口に設定できるのは支配領域の内側のみ。王都の結界外に出入り口を作ろうと思ったら、確かにかなり力を付けたダンジョンまで成長させねばなるまい。
「最善はずっと見付からないでいることだったんだけど。バレちゃったのねえ……」
ハーピィは人間側から仕掛けられることだけを想定している。それならいっそ、儀式は失敗しても問題ないのでは?
「確認するが。お前たち自身は人間を害するつもりはないのか?」
「興味はないわねえ」
魔物にしたら珍しいタイプだ。マスターである原初の魔物が余程変わり者か?
……いや、だが待て。
「お前たちは興味なくても、接触を計ってきた奴がいなかったか」
蜂が探していたのはこのダンジョンだ。これだけの規模、間違いなくマスターは強大な力を持っている。
自身の勢力に取り込みたいと考える奴がいるのはおかしくない。むしろ自然だ。
「アラ。よく分かったわね」
ハーピィは素直に驚いて見せた。こちらを舐めているのか、あるいは人間たち同様、結界に遮断されているがゆえに地上の情報を得られないのか。
「つい先日、上の町は襲撃を受けた。魔神の神人から要請されたと言ってな。そしてその蜂は、町で何かを探していた。目的はこのダンジョンだったんだろう。接触をするために」
「んふ。察しがいいのね。賢い人は好きよ」
否定しない。
「認めるんだな」
「別に隠すことじゃないもの」
「蜂は人間に対して敵対的だった。お前たちはどうするつもりだ」
「目的も反りも合わない相手と、一緒に歩く理由はないわよねえ」
手を組むのは断ったか。
人間からすれば朗報。しかし。
「相手は諦めたのか?」
「まさか。魔王軍から正式に、ダンジョンデュエルを申し込まれたわよ」
ダンジョンデュエル……。
俺が生じたダンジョンはダンジョンデュエルを経験する前に人間に討伐されたので、知識は伝聞でしかない。
「支配権をかけて、ダンジョン同士で争うものだったな?」
「そうよ」
すべてが奪われるわけではないが、敗者は勝者に一程度服従させられるようになる。
ただ発生の条件は割と厳しくて、実力差がありすぎるダンジョン同士だと適用されない。
このダンジョンは確かに強力だが、魔王城ほどじゃないだろう。となると、配下の誰かのダンジョンと個別に行うのかもしれない。
「まあそういう訳で、今は少しピリピリしていて準備に忙しいの。貴方の疑問は解消したでしょうから、帰ってくれる?」
「疑問は解消したが、問題は解決していない。勝てるのか?」
「分からないわよ。勝つこともできるし、負けることもある。そういう実力差でしか許されないのがダンジョンデュエルだもの」
絶対はない、か。戦いを上手く運んだ方が勝つ。
「……」
魔王軍は問答無用で敵対的だが、こいつらは進んで人間と争うつもりはない。
どちらが勝ってもダンジョンが消えるわけではないし、正直、アストライトの手には余る相手になるんだろう。
ならば隣人としてどちらが望ましいかなど明白。
さらに言うなら、魔王軍に取り込まれればこの地が拠点とされる可能性もある。同じ国に所属する町だ。ノーウィットも無関係ではいられまい。
腰を据えて錬金術の研究を、とはいかなくなるだろう。
まったくもって、なんて迷惑な奴らだ。
「外部からの助力は可能だったな?」
「コスト制限があるけどね。なあに? 協力してくれるの? でも悪いけど、あんまり強そうには見えないんだけど」
「俺自身はな。だが俺が作る道具の力は、お前たちの役に立つだろう」
「道具……って、人間が使っているような?」
俺の実力と同じく、ハーピィは道具の力にもあまり期待を持たなかった。
「ゴブリン種とかが人間から奪って武具を使っていたりするけど……。あんなのは自分の肉体強化さえ満足にできない弱小種や半端者がやることでしょう」
肉体が元々優れている魔物だと、そういう認識になるな。
実際、ドラゴンなんかは生半可な剣や鎧より、己の爪や鱗の方が鋭くて硬い。だから素材として重宝されているのだし。
目の前のハーピィも同じだ。装備品の類は一切身に着けていない。上半身は人間の女に類した体を裸のままで、下半身は羽毛で覆われているのみ。まあ、毛皮も裸の分類に入れていいと思うが。
だがそれでも、断言できる。
「道具は有用だ。半端者だろうが弱小種だろうが、道具を扱うその技能で、ゴブリン種は厄介な相手だと認識されているだろう」
少なくともゴブリン種と相対したとき、道具を持っていない奴より持っている奴の方が厄介だと思ったことがあるはずだ。
力が加算されるのだから、それだけでも価値がある。
「まあ、そうだけど……」
認めたが、乗り気ではないな。当然かもしれないが。
魔物の社会がそんなに簡単に道具の有用性を認めるのなら、俺も人の町に紛れて研究していたりはしなくて済んでいる。
「とは言っても、お前に話しても仕方のない内容だな」
ダンジョンの命運を決める戦術を、マスター以外が決められるはずがない。
「マスターと話はできないか」
「図々しいわね。そんな簡単に会える相手だと思っているの?」
「怖いのか。よその魔物一匹を懐に入れるのが」
「大層な侮辱ね。死にたいのかしら」
これまで、どちらかと言えば友好的だったハーピィの態度が変化する。組んでいた手足を解き、力が入った。いつでも飛び掛かれる容易だ。
「怒ったのか」
「そう見えない?」
「見える。だから訊いた」
意外だったので。
ダンジョンで生じた魔物は、余程でない限りそのダンジョンから離れない。これはダンジョンが討伐されたときに気付いたんだが、ダンジョンから『出る』という発想が俺にはなかった。
稀に明確な意思を持って出ていく奴もいるらしいが、多くは考えることもなく、生まれた場所に所属し続ける。
多分、ダンジョンの持つ特性だろう。生み出した魔物がほいほい出て行ったら、ダンジョンの防衛など成り立たない。




