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十七話

「イルミナ様も、貴方の気持ちを悪く思っていなさそうね」

「今のところは、そうだな」


 純粋に魔物であると明かした後はどうなるか分からないが。そもそも好意を持ったのは向こうが先だ、多分。


「では、どうするつもりなの。イルミナ様は口にされていないかもしれないけれど、彼女に流れる血は身分以上にとても高貴なものよ。娶るつもりならば相当の地位がいるわ」

「……」


 地位などいらない。面倒なだけだ。


 だがもし。魔物と知った後でもイルミナの感情が変わらずに俺を求めた場合。人間社会のルールなど知ったことかと我を通すのは、彼女に良いようにはならないのではないだろうか。


 あとは俺が諦めるか、彼女が諦めるか。不幸になると承知で我を通すか。


「貴方は平民でしょう。それにその生い立ちからして、家名もないのではなくて?」


 今はフードで隠しているが、トリーシアの視線は正確に俺の翼が生えている位置をなぞった。


「本来ならば不可能よ。けれど幸い、貴方はとても優れた錬金術士だわ。今、世界は錬金術を重要視している。だからまずは、王宮錬金術士として身を立てるべきよ。貴方の実力であれば、爵位を賜ることも夢ではないわ」


 正当と言える道筋は、一応あるらしい。


「貴方にそのつもりがあるのなら、わたくしが推薦してあげましょう」

「……少し考えさせろ」


 どちらにしろ、今は仮定だ。


「そう」

「ところで、なぜお前がそうも協力的なんだ」


 別に俺に対してもイルミナに対しても、労を買って出るほど親しくない。ついでに何の感情も持っていない相手に尽くすほど人が好い性格でもない。謎だ。


「と――、特別に協力的というわけでもなくってよ!?」


 嘘をつけ。盛大に声が裏返っているし。


 だが後ろ暗い企みというわけではなさそうだ。今の声からは暴かれると恥ずかしい、という程度の拒否しか感じなかった。


「と、と、とにかく、今はそんな無駄話をしている時ではないわ!」

「振って来たのはお前だろう」

「お黙りなさいっ」


 語気も荒く、表情も必死だ。

 指摘し続けるのに罪悪感さえ覚えるほどである。もうそっとしておこう。


「えっと、じゃあわたし――」

「同じくポーション系を作るには、同じ部屋では少々効率が悪いわねっ。リージェ、貴女のアトリエを借りるわ。よろしいわね」

「は、はい。もちろん」

「では失礼!」


 半ば一方的に言い切ると、トリーシアは逃げるように部屋を出て行った。いつもの澄ました優雅さを、半分ぐらいかなぐり捨てている。


 半分維持しているだけ、さすがと言うべきだろうか。


「……何なんだ」

「身分違いのラブロマンスって、物語でも歌劇でも大人気の題材だから……」


 は?


「何だそれは。娯楽にされてるのか?」


 あまり面白くはない。


「そこまで悪く取らなくてもいいと思う。トリーシア様がニアのことを助けようって考えてるのは本心だと思うから」


 確かに、嘘は感じなかった。善意であるというリージェの判断にも同意できる。

 しかし快く感謝する気が起きん。


「ニアが貴族、かあ。そうなったらちょっと凄いね」

「凄くなくていいから、平穏の方が大切だ」


 あと研究時間。

 ため息をついた俺に、リージェは明るく笑った。欝々とした気分さえも吹き飛ばすような柔らかさで。


「じゃあ、そのためにもう少し頑張ろうか」

「それしかないだろうな」


 自らで歩まなければ、道は進めないのだから。




 蜂の誘引作戦は、その日のうちに可決されたらしい。

 部屋に戻ってしばらくすると、侍女がイルミナからだという手紙を持って来てそれを知った。体調には特に異変がないことも報告されていて、一安心だ。


 おそらく普段はこうも素早く物事が決められたりはしないんだろうが、王が刺されているからな。王宮内でも危機感が高まっているのと、提案者になっているイルミナへの信頼の証か。


 実行は翌日。町からは少し離れた平原で実行するらしい。


 トリーシアの言っていた通り、国が作戦として実行する以上、すでに俺の手は離れている。だが、それがどうした?


 イルミナが実行日を教えてくれたのはありがたかった。そして知ってなお無視する選択は俺にはない。


 ただ、昼間抜け出すのは目立つだろう。そもそも正規に町を出入りするのは相当面倒だと予想される。

 夜のうちに町を出て、現場で待機していた方が余計な時間を取られなくて済む。


 朝俺がアトリエに姿を見せなければ、リージェかトリーシアが見に来るのは今日のことから考えても確実。外出中であることを知らせる手紙ぐらいは残して行くことにした。


 ――さて。


 服を脱いで、回収。結界に除外されるための腕輪は仕舞うわけにはいかないので、袋に入れて首から下げる。

 そして窓を開け、人化を解いて飛び立った。


 大分慣れたつもりだが、やはり人の形は窮屈だ。久々に羽を伸ばせて、凝っていた筋肉が解されていくような気がする。


 城の敷地内で高度を上げ、空を見上げた人にうっかり目撃されないように注意を払う。充分な高さを得て、町を超えた。


 例外対象になっているので、もちろん結界は無反応。あっさりと抜け出せた。


 遮蔽物の少なさから選ばれた平原には、身を潜められるようなものが少ない。少ないが、まあ皆無ではない。やや離れることにはなるが。

 低木が数本並んでいる場所があったので、その辺りに降り立って身を隠す。


 空にはまだ月が輝いて陣取っている。朝までは長い。

 ……そして、静かだ。


 虫の声と、風が草木を揺らす音しか存在しない。遠くの方では、時々夜行性の動物や魔物の声がするが、その程度だ。


 人の社会の賑やかさを知っているから、少しばかり退屈にも感じる。同時に心安らぐ部分もある。俺は本来、こちら側の存在だ。


 しかし、まあ。多少無理はしているとはいえそれなりに上手くやってもいるのだし、人の社会が完全に不適合というわけではない。暮らして行くのも不可能ではないだろう。


 ……というか、暮らして行くつもりなのか、俺は。


 暮らすということは、町にひっそりと住みつくのとはまた違う。

 面倒は増える。だが、それも悪くはないかもしれない。


 時折こうして羽を伸ばして、どちらも居場所にしてしまえばそれでいいのではないか。

 そんなことを考えているうちにウトウトしだして――


「!」


 太陽の光を感じてはっとする。朝になっていた。


 ついでに、人も集まって来ていた。夜が明けてすぐに実行しに動いたらしい。

 部隊構成は騎士百人弱、魔導士十人強、といったところだ。イルミナは……いた。


 背の高い、赤髪の女の側に控えている。立ち位置と恰好の豪華さからして、彼女が長か。

 ややあって準備が整ったのだろう。星咲の花の香りが風に乗って、ここまで届いてきた。


 果たして、香りだけで誘われてくれるかどうか――

 という心配は、杞憂だった。


 ヴヴ、ヴヴヴヴヴ。


 重なった羽音が、結構な音を上げて集まって来た。しかも王都方面からだ。


 騎士たちに僅かに動揺が現れた。王都に潜んでいた蜂が、考えていたより多かったんだろう。俺の予想より多かった。


 こいつらはほぼ全員、暗殺蜂である。帰巣するかも怪しいので、殲滅あるのみ。

 近付くのを待つまでもない。魔導士たちが火を放って焼き払っていく。


 しかしサイズに比例せず、蜂はかなりの耐久力を持つ。直撃か、それに近い位置にいる奴はさすがに耐えられずに地面に落ちていくが、少し離れている奴は炎の波を抜け出して進む。


 ただ、行き先が妙だ。


 誘き寄せた餌である香水瓶の方ではなく、迷いなく人間たちへと襲いかかろうとしているように見える。

 敵を目の前にしているから、優先順位が変わっているのか?


 ヴヴ、ヴヴヴ。

 フフ、フフフ。


「――!」


 羽音に混ざって、女の笑い声がする。騎士たちが注意を向けている、王都方面から飛んできた暗殺蜂の中からではない。北方向からだ。


 一見何もない平原。その中空で、太陽の光が奇妙な反射を見せる。

 これは――。


 クゥア!


 咄嗟に鳴いて、その場の魔力を変質させる。


 唐突に発生した凍てつく冷気を、さすがの蜂たちもなす術なくくらった。パキパキ、と凍る音を立ててその姿を白日のもと露わにしていく。


「何!?」


 そうなれば人間たちとて存在に気付く。暗殺蜂ばかりに向けられていた注意が二分された。奇襲は避けられたようだ。


 しかし――でかい。一匹一匹が軽く五十センチはあるぞ。

 これまでの奴を兵隊蜂とするなら、こちらは騎士蜂といったところか。


「……ああ、もう」


 その騎士蜂たちの中心に、一際目立つ魔物がいた。


 全体的な体の作りは人に近い。しかしその目は昆虫の複眼。背中には蜂の翅を生やし、腕は四本。臀部の特徴は蜂そのもの。

 半端に人と蜂を合体させた姿をした女だ。


 立ち位置からして――。


「女王か!?」


 王国騎士たちの長らしき、赤毛の女騎士が声を上げる。


「フフ。フフフ。フフフフ」


 自らにもついた氷片を払い落しながら、クイーンビーは笑う。


「さあ、お前たち。餌よ。思う存分、喰らいなさい」


 ヴヴ、ヴヴ!

 ギチギチ、ギチギチ!


 女王の号令に蜂たちは羽を震わせて喜びを表現し、口角を慣らして攻撃性を強調する。

 同時に戦場に変化が起きた。まだ半数以上残っているはずの暗殺蜂が姿を消したのだ。


 より正確に言うならば、おそらく体表を保護色にした。


 奴らの身体の表面は金属質なので、太陽の光が当たると奇妙な反射を見せる。しかし見抜くにはそれに頼るぐらいしかないと言えるぐらいに完璧だ。


 これだけの数が警備を強化されてなお潜んでいたんだ。それぐらいの隠蔽能力はあってしかるべきだな。


「迎え撃て!」


 赤毛の騎士がざっくりとした命令を下す。


 まあ、とっさのときにぐだぐだ言われても困る。訓練が行き届いているなら通じるのだろうか。軍の運用など考えたこともないから分からんが。


 ともあれ、騎士や魔導士にうろたえた者はいなかった。陣を乱さず、己の担当する敵と向かう合う。

 混戦になりつつある己の子どもたちと人間たちとを眺める女王は、姿を現した位置から動いていない。戦いに加わるつもりがない位置だ。


 感じる魔力も神力も、あまり強くはない。直接的な戦闘には強くなさそうだが、ここにいる以上はただの見物と言うわけでもないはずだが……。


「フフ、フフフ」


 歌うように軽やかに笑い、肩から生えた一番上の両手を緩やかに広げた。そして。


「ラー、ラー、ラーラー」


 本当に歌い出す。


 無意味な戯れではない。一部の蜂の女王は、自らのフェロモンで子どもを意のままに従える。このクイーンビーにはそれに近い性質があると見た。


 女王の歌を聞いた蜂たちの魔力と神力が膨れ上がる。歌自体にも強化(バフ)効果があるようだが、一番能力を撥ね上げさせたのは、生命そのものを代価にしているせいだ。


 基本、蜂は種のためには己の死をためらわない。特攻の役割を振られようと、実行してしまうのだ。


 しかしそこはかとなく、歌声が不快だ。

 音の空間を壊すのにも、塗り替えてやるのは効果的だろう。なので。


「――ラー」


 歌う。


「!!」


 瞬間、戦場の時が止まった。蜂も人もすべてが動きを止め、息さえ忘れて立ち尽くす。

 我に返ったのが一番早かったのは、イルミナだった。


「フォルトルナー!?」


 バレたか。そりゃあバレるか。

 答える代わりに羽ばたいて、空へと移動する。


「何だ、あれは。フォニア種なのか?」

「そうだと思うが……」


 ざわつく人間たちをよそに、次に我に返ったのはクイーンビー。


 彼女は拳を作った全ての腕を、肘を曲げたのち地面に向かって突き下ろすという怒りのジェスチャーを数度繰り返した後、再び口を開いた。


「アー!!」

「うぐっ!」


 響き渡るその歌声を耳にした瞬間、人間たちは物理的によろめき、手で耳を抑える。

 蜂は逆に高揚を見せた。他種族には攻撃手段ともなる破壊音波だ。

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