十六話
「……そうね。下手な人間に貴方から説明させるのは避けた方がいいでしょう」
俺の態度は相当問題らしい。トリーシアは眉をしかめつつうなずいた。
「分かったわ。けれどそれは国として作戦許可を得るべき案件になるはず。貴方の手を離れることは覚悟しておいて」
「仕方ないだろうな。上手くやってくれることを願う」
別に、自分でやりたいというわけではない。手出しができなくなるのは不安だしもどかしいだろうが、目的を達してくれるなら文句はない。
「では、少し待っていて」
「戻ってきてすぐにで悪いな」
「構わなくてよ。必要なことですもの」
トリーシアは息をするように他人を使うが、自分が使われるのも慣れている。面倒な立ち位置にいそうだ。
「ニアはしばらく、レシピの構想だよね?」
「そうなる」
「じゃあ、わたしが調合してても大丈夫? これからどうなるにしたって、ポーション類はいくらあっても邪魔にならないと思うんだ」
「そうだな」
幸いにも余ったら在庫にしてもよし、町に卸してもよしだ。足りないより余程いい。
ここまで大人しくずっと椅子に座っていたリージェは立ち上がり、扉へ向かおうとする。そっちなのか?
「材料なら、トリーシアのコンテナに大量にあるが」
「いや、そうだと思うけど……。それ、トリーシア様のものだし」
「自由に使えと言っていたから、構わないだろう。お前がこのアトリエから動けないのも俺の都合だ」
階下にはリージェ自身のアトリエがある。調合するならそちらに戻った方が勝手もいい。だが抑制薬の安全性確認も含めて、リージェには留まっていてもらいたい。
かと言って、いつどうなるか分からない中、ぼうっと時間を潰すのが建設的でないことは確か。
「んん……。そうかもだけど、やっぱり気が引けるから持ってくる。すぐに戻るから」
「そうか」
少し考えてはくれたが、リージェは意思を変えなかった。
リージェはトリーシアが苦手だから、余計に抵抗があるのかもしれない。
万が一長く戻って来ないようなら様子を見にいく、というあたりで妥協するべきか。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
リージェも見送って一人になり、改めて毒と紙面と向き合う。と――。
ザワリ、と産毛が逆立つような悪寒が走った。
「!?」
思わず立ち上がって身構える。反射的にそうしてしまうぐらい、圧倒的な魔力を足元に感じた。
正確にはもっと下。地中だろう。
身構えたものの、正体不明の強大な魔力が襲いかかってくるような気配はない。それどころか、今しがた感じたのが気のせいだと言わんばかりに存在感さえ消えている。
どう考えても普通じゃない。
蜂の行動と関係があるか? むしろないと考える方が楽観的過ぎるか。
だが足下の『それ』はすぐに攻撃してこようという気配ではない。というか、相手がそのつもりなら今頃町が無事なわけがなかった。
対処すべき案件が増えたが、まずは蜂だ。
「ただいまー。……どうしたの?」
「……何でもない」
戻ってきたリージェが先程の異変を認識した様子はない。一瞬だったから気付かなかったのか、もしくはこの町で暮らす者たちにとっては、すでに慣れた現象なのか。
「本当に?」
「とりあえず今は」
「答えが怖い……」
タイミングが悪かった。
表情が強張っている自覚はあるし、立ち上がって身構えていて何もないが通じるわけもない。
リージェは俺の答えに頬を引きつらせたが、ふるふる、と首を左右に振って考えを追い出す仕草をした。
「じゃあ今はそれで。わたしはポーション系各種を作ってるから、何かあったら言ってね」
「ああ。お前もな」
異変があったのは分かっている。それでもリージェは俺の判断を優先してくれた。
ポーション系に使われている素材の多くは草なので、一つ一つは重くない。しかしリージェはガラス粉のとき同様、箱を重ねて持ってきた。大量だな。
さすがに水を運ぶのは諦めたのか、下準備だけをこちらでするようだ。
俺も改めて椅子に座り直し、レシピ作成に取りかかる。
少し離れたところから、馴染んだ調合の音がする。不思議な感覚だが、悪くはない。
そうしてしばし作業に没頭していると、扉が開いて空気感が壊れた。トリーシアが戻って来たのだ。
頼んだ通り、イルミナも連れてきている。
「戻ったわ」
「お邪魔します」
トリーシアはちらりとリージェの方へ目を向けてから、特に何も言わずに俺の方へと歩み寄って来た。
「仕事があっただろう。悪いな」
イルミナの王宮騎士という職業上、王都が脅かされている現状で暇なはずがない。
「少し時間を作るぐらいは大丈夫。それに、ニアさんが無意味に仕事中の人間を呼ぶとも思ってないから」
「確かにやらないな」
用もないのに呼んでどうする? 別の何かをしていたら尚更だ。もし俺がやられたら、次からは呼び出しに応じないかもしれない。
「ざっくりとトリーシアさんから概要は聞いたけど、星咲の花の香水ができたんだよね?」
「ああ、これだ」
半透明の容器に入っているので、中に水が入っているのは見れば分かる。ただし香りは完全に封じてあるので、外からだと正体不明だ。
まあ、イルミナはやはり疑わないんだろうが。
「預かってもいい?」
「そのために来てもらった。よろしく頼む」
「うん」
「片方が雄花、片方が雌花から抽出した香水だ。必要があれば使い分けろ」
役割が違うので当然と言えばそうだろうが、成分が多少違うのだ。まあ、誤差レベルだが。
「それと、これはお前の意思次第だが。今ここで蜂の毒を摂取して抗体を作る気はないか」
「抑制薬も一緒に作ってるんだよね? もうできたということ?」
「いや。本物の毒を薄めるだけだ。危険は伴うし、気分もよくないだろう。だからお前の意思次第だ」
「分かった。ニアさんがやってくれるなら、お願いしようかな」
穏やかに微笑したまま、イルミナは平然とそういった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待った。ニア、トリーシア様の前だとその、ちょっとアレだと思う!」
アレ?
調合しつつも話は聞いていたらしいリージェが、こちらを振り向きつつ声を上げる。
「わたくしの前だと? どういう意味?」
「別に邪魔をするわけでもないだろうし、構わないだろう」
「しないわよ。参考にはするかもしれないけど」
参考にもならないとは思うが。トリーシアがそこまで他人のマナ径路を詳しく見られる気はしない。
「あぁ……。もう知らない」
一連の反論を受けて、リージェはこちらに背を向けて調合に戻った。何なんだ。
まあ、いいか。
「じゃあ、イルミナ」
「うん」
「脚を出せ」
「あ、脚!?」
「脚!?」
イルミナとトリーシアは、ほとんど同じタイミングで同様の声を上げた。聞き間違いを疑うようなニュアンスで。
「脚だと言ったが」
「な、な、なんて破廉恥な! 常識知らずにも程があるわ!」
すぐさま激昂したのはトリーシア。イルミナは拒否こそ口にしなかったが、ためらう様子を見せている。
「……?」
リージェの反応から、まあ多少羞恥心を刺激することになるのは想像していたが、過剰すぎやしないか。
俺の戸惑いに、再びそっと顔を向けてきたリージェが答えをくれる。
「えーっとね、ニア。貴族の方々の間だと、脚を触られるのはすっごく恥ずかしいことらしいの。ことによっては、胸を触られるよりも強く」
それは相当だな。
「わたしは胸の方が恥ずかしいけど……」
さっき俺に脚を許したリージェの認識はそうだろう。
リージェの呟きで察したか、こくりとイルミナは喉を上下させて、決死の表情でうなずいた。
「わ、わかった。脱ぐね」
「だ、駄目! 駄目ですわ、イルミナ様! そのようにはしたない真似を、淑女がするべきではありません!」
「……分かった、いい。腕にする。それなら問題ないんだろう」
俺の中の価値観とは大分ずれがあるが、イルミナやトリーシアが本気で抵抗感を持っているのはこれでもかと伝わってくる。こちらが妥協した方が穏便だ。
「う、うん。腕なら……」
ほっとしたような、残念に思っているような。そんな感情が顔にまで出ている。
イルミナを来客用のソファに座らせ、対面で袖を捲って腕を露出させる。手首から遡って、丁度肘との中間ぐらいの位置に目星を付けた。
しかし……。
「抵抗力が高いな」
リージェは抵抗力系の能力というものがまったく伸びていなかったが、イルミナは総じて高い。さすが騎士か。
「うん、一応ね。ある程度は意図的に鍛えてもいるから」
そう言えば、イルミナは盾役でもあるんだったか。
「あまり必要ないかもしれないが、一応打っておくか」
「安全に抵抗力を伸ばせるのはありがたいしね。お願いします」
「ああ、忘れていた。先にこれを飲んでおけ」
リージェに渡したのと同じ粉末と水を渡す。足騒ぎで順序がずれた。
リージェと同じく、トリーシアとイルミナも興味深げに粉末を見つめてから、一気に水で流し込む。
粉は飲みにくいからな……。カプセルに入れることを考えるべきか。
イルミナの嚥下を見届けてから、内側の管に毒を入れた針を一刺し。イルミナの抵抗力がかなり高かったので、ほとんど原液だ。
「あんまり痛くないんだね」
「刺激を少なくするように作ったからな」
元は人体用ではなく、動物や魔物、聖獣を捕獲するための麻酔針として考案した。
「貴方が出す物は、ことごとく恐ろしいわね……」
「そうか?」
腕組みをして言うトリーシアは、言葉の通りに顔をしかめていた。
「暗器としても、大層有用そうよ」
「近いものはある。生物の素材を回収するために作った器具だからな。気付かれないよう打ち込めるのが一番だった。強大な力を持つ奴は勘もいい」
そして話が通じない奴も一定数いる。
「成程……」
生きている状態で採取した方が良い物も多い。錬金術士として当然心当たりがあるだろう、リージェもトリーシアも納得した顔をした。
「お前の抵抗力ならまず心配ないだろうが、もし不調を感じたらすぐに来い。自分で来れなくても必ず連絡しろ」
イルミナはリージェよりもさらに耐えてしまいそうな気配があるので、強めに言っておく。
「わ、分かった」
「あら。思っていたより責任感も強いのね? 見直してよ」
「当たり前だ。イルミナが傷付く可能性を減らすのが、ここに来ている目的だぞ」
「――っ!」
イルミナとトリーシアが、揃って急激に赤面した。リージェは肩を落としてため息をつく。
「そ、そう。そうなの。ええとその……。が、頑張りなさいな。けれどイルミナ様との将来を考えるなら、今の貴方では難しいわ。やはり王宮錬金術士になるべきではなくて?」
なぜか急に、トリーシアの口調から棘が抜けた。ついでに心音が妙にうるさい。やや興奮している気配がある。
「ええとあの、ニアさん。気持ちは嬉しい。嬉しいんだけど……。わたしはどういう意味で受け取ればいい、かな」
「言った通りだが」
裏も表もない。
「それも分かる、けど……。ああっ、うん、分かった。そのままの意味で受け取るね」
イルミナが俺に求めたかったものは分かる。生じた感情が友愛からであるのか、恋愛からであるのか。その答えだろう。
妥協して、イルミナは友愛であることを前提にすることにしたようだが。
答えてもいいが、トリーシアが邪魔だ。俺が魔物であると明かす必要があるし、国を出るつもりの話もしたい。
「俺の用はこれだけだ。後は頼む」
話を切り上げて蜂の件に戻ると、イルミナは数秒、うろたえた熱を冷ます間を空けてからうなずいた。
「うん。ありがとう。必ず見つける」
二つの瓶を胸に抱いて、イルミナは断言した。自分を奮い立たせるためもあるだろう。
トリーシアの見立て通り、事は国として作戦を練る必要があるらしく、イルミナは礼を言うと部屋を出て言った。




