十五話
熱が冷めるのを少し待ってから、炉からフラスコを取り出す。その中に純粋な神力と魔力を凝固させて作った結晶を入れ、数分待つ。フラスコの中が完全に各属性に染まったあと、星咲の花を入れた。
花が幻想的な光を灯す……が、フラスコの中では風情も何もあったものじゃないな。
「あら、本当に良い香りなのね。カルティエラ殿下が贈り物にしようとしたのもうなずけるわ」
トリーシアの趣味にも合ったらしい。……イルミナはどうだろうか。
そのものは危険だとしても、蜂が反応しない成分で似たものを作れば楽しめるかもしれない。
……いや、印象が悪すぎるか。やめておこう。
余計な思考は追いやって、星咲の花の上にさらに粉末を撒く。白と青と緑の中和剤を掛け合わせたものだ。水と土によく馴染む。
放つ香りを吸着する時間が経つまで、こちらも放置。
よし。いい具合に即効薬の方は溜まってきたな。
「これだけあれば充分だろう」
ポーション系の通常規格の半分といったところだ。目の高さまで持ち上げて軽く振り、異物が混入していないかを確認。問題ない。
「だが他の誰かに試せるような量はないぞ。王が服用するか?」
「してもらわねば困るわね。ともかく、わたくしは薬を持っていくわ。行ってもおそらく不愉快な思いをすると思うけれど……。貴方はどうする?」
「遠慮しておく」
不快になると分かっていて、わざわざ顔を出すような趣味はない。
蓋をした即効薬を渡しつつ即答した俺に、トリーシアはうなずく。
どうせそんな怪しい薬は信用できないとか、万が一が起こったらどう責任を取るのかとか、そういったやり取りで時間が取られるんだろう? 俺にとっては無駄だし、面倒だ。
「そうしてもらった方がわたくしも気が楽ね。では、貴方とリージェは引き続き作業をしていてちょうだい」
「それはいいが、トリーシア」
「何?」
「お前は疑わないのか」
王たちは勿論だが、トリーシアにとっても未知の薬には違いないのだ。彼女とて、効能を正確に読み取れてはいない。
「ノーウィットの町を護って、今度は国のためにここに来てくれている貴方のことは、これでも信用しているつもりよ。わたくしの目が節穴で、貴方がわたくしに分からないよう毒を作って渡したのなら、招いたわたくしが咎を追うのは当然でもあるわ」
国のためというのは、完全に誤解だ。
だがトリーシアが覚悟を持って俺を誘ったのは理解した。
「安心しろ。それは薬だ」
「ええ、分かっていてよ。だから持っていくのだし」
俺の言葉に柳眉を和ませて応じてから、トリーシアは颯爽とした足取りで部屋を後にした。
「さて、リージェ」
「うん、何?」
「強固に護られていただろう王が刺されたんだ。この王宮内も安全じゃない」
基本的に建物内で、閉め切って過ごしたとしても人の行き来は遮断できない。したら不便極まりないだろう。絶対の密室など端から不可能だ。
「だから、お前にも抑制薬を使っておいてほしい。断っておくが、お前が初の検体になる。不安なら止めておくが、どうだ?」
「大丈夫、お願い。トリーシア様じゃないけど、わたしもニアのこと信じてるから」
リージェは一瞬たりとも迷わなかった。
「……ああ、安心しろ。お前の身体の性能は大方把握している」
「そ、それはちょっと恥ずかしいかも。他意はないんだろうけどさ」
己の身体のスペックが知られるのが恥ずかしいのか? 弱味になりかねないから、抵抗があるというなら分かるが。
首を傾げつつ、昨日作った抑制剤の方をリージェに渡す。こちらは飲みやすいよう、粉末にしてみた。
渡した二種類の粉末を、リージェはじっと見つめる。効能を確認しているのだ。
「身体機能の活性と、浄化と結合された密閉、かな?」
言ってから正解を求めて俺を見上げてきたので、うなずいて返す。
「完璧だ」
「やった」
握り拳を作って喜びを表現してから、リージェは粉末を水で流し込んで飲んだ。
「蜂の毒はどうやら脳からの信号を阻害するようだから、念のために心臓から離れた場所から入れる」
いきなり心臓が止まるよりはマシなはずだ。いや、もちろん毒が毒として機能するほどの毒素は残さないつもりだが。
「うん」
リージェの抵抗力が勝てる範囲で、しかし抗体を作ろうとするぐらいには濃く。毒の量と濃度を調整して、足に触れる。
……服が邪魔だ。
「足だけ脱がすぞ」
「う、うん」
防護のためだろう。スカートの下、腿の辺りまでを覆う薄めの布地を下ろして、素肌を露出させる。魔力や神力の経路、神経など、重要な場所を傷付けないよう無難な個所を探す。
「う……っ」
途中、リージェが何かを堪えるような声を出した。
「どうした?」
「だ、大丈夫。大丈夫なんだけど……っ。ニアに触られるのは、やっぱり……っ」
椅子の座席部分を掴んで、全身にはこれでもかと力が入っている。声も震えていた。
嫌がっているわけではないのは響きで分かる。声に宿る感情は羞恥がほとんど。そして、その中に混ざって欲情。
「……我慢しろ」
あらゆる意味で。
「大丈夫だってばっ。でもなるべく早くお願い……」
その方が良さそうだ。
影響の薄そうな脹脛の辺りに針を刺す。そしてすぐに引き抜いた。
「あれ、終わり?」
痛みにも備えていたらしい。拍子抜けした様子で目を瞬かせる。
「言っただろう。お前の身体の性能は大体把握していると」
「前言撤回する! やっぱりすごく恥ずかしいッ」
頬を軽く膨らませて主張してから、リージェは俺が脱がした布を引き上げた。
「一つ疑問なんだが、いいか?」
「わたしに答えられるなら? どうぞ」
「なぜ腿の途中で布が終わってる。足に隙間ができるだろう。防御性能としてどうなんだ」
どうせ覆うなら、全面を覆ってしまった方が良くないか。
「えっと……」
スカートと布の間にある自分の素肌を見て、リージェは困ったような声を出す。
「訊くと困ることだったか?」
「そうじゃないけど、あの。……可愛くない?」
……。
ファッションの問題だったか。
「確かに、そういう意図であればそそられはする」
「そそそ、そそるとか、そーゆーのじゃなくて! 純粋に! 可愛いと思ってだからっ。ニアだって服飾に拘りぐらいあるでしょ」
「特にない。用途が果たせれば充分だ」
だから用途の面で不都合がありそうなリージェの選択が不思議だったのだし。
まあ、カルティエラのドレス程じゃないが。あちらは機能性など欠片もない。
「そうかもー……」
リージェは俺の全身を見て、納得した様子でうなずいた。
「ニアって元は結構いいのに、勿体ないことしてるよね」
「お前が好きなのは俺の羽毛だろう」
「だけじゃなくてっ」
否定はしないんだな、羽毛。話が及ぶと目が吸い寄せられてウズウズしているし。
「触らせないからな」
「……はい」
しゅんとして諦めた。よし。
「それで? 体調に変化はないか」
「うん。何ともない」
「ならいい。一応、お前は休んでいろ。いつもと体調が違うと感じたら、軽視せずに必ず声を掛けろよ」
「分かった」
プラウタから生成している即効薬は、今も少しずつ量を増やしている。それでも足りなければ、直接シャーレクアレに願う。
俺がやったことでリージェを失うのは、何と引き換えにしても耐えがたい。
星咲の花の香りを吸着させた混合中和剤の粉を回収し、無属性、無特性の真水で溶かす。そして劣化防止の特性と、バズゼナの神呪が付与された容器に移して封をする。これで完成だ。
容器の形は香水瓶。安らぎのアロマを大量に作っていた関係で予備があったので流用した。もちろん、納品した方にはこちらの容器は使っていない。
普通なら劣化防止の特性が付いていれば、神呪までは必要としない。だが蜂の探索能力が未知なので念のためだ。
品の劣化を防ぐと言うより、匂いそのものを漏らさないためだな。
「それを町の外で使って、蜂をおびき寄せるわけね」
「ああ」
上手く引っかかってくれるといいんだが。
「とはいえ、これは勝手にやるわけにはいかない。イルミナと話したいところだ」
「トリーシア様に頼めば、連絡とってくれると思う」
「なら、後はトリーシア待ちか」
時間が空いたな。抑制薬の方の改良を進めておくか。今のままだと毒の分量を相手に合わせて図る必要がある。
それができる人間が多ければ今のままでも問題ないのだが、おそらく抵抗力を見極められる者は少ないだろう。
抑制薬を摂取する必要のある人間を俺が全員見るのは不可能だし、できたとしてもやりたくない。
毒を原液に近いまま摂取すれば抗体ができるのは確実だが、それだと抵抗力の低い者は死にかねん。
実際には無毒で、構成だけ似た薬を作りを作るのが一番だが……。
改めて蜂の毒のサンプルを取り出し、構成を調べることにする。
「――まったく、調子の良いこと!」
俺の集中を切ったのは、戻ってきたトリーシアの荒々しい呟きだった。
手を止めて振り返れば、大股でトリーシアが近付いてくる。
「どうだった? その様子なら問題はなかったんだろうが」
「ええ、毒は大丈夫そう。ただ体力も落ちていらっしゃったから、もうお休みになられたわ」
「そうか」
無事に効いたのなら何より。
トリーシアに渡したのは、浄化作用のみの薬だ。疲労から眠りに落ちるのは道理。寝られるようになっただけ上々だろう。
「散々文句をつけてきたくせに、効果を知るや自分にも寄越せと大合唱よ」
「量産はできないし、しないぞ。今は非常時だから協力しているが、同じものを延々作っても仕方がない」
どうしても欲しければ自分たちで作ればいい。それこそ、作り方は分かっているはずなのだから。
「何て説明したんですか?」
作ったと言えば、製法の開示を求められるだろう。しかしトリーシアはプラウタの特性を秘匿することを選んだ。プラウタの特性なしには説明し難い。
「ダンジョンから出土した神薬を買い取ったのを思い出したと言っておいたわ」
「無難だな」
ダンジョンからは様々なものが出土する。不自然ではない。
その多くはダンジョン討伐に来た者の遺留品や、その際に討伐された魔物の一部など。
そしてもう一つは、ダンジョンマスターが作り出した未知の物体。力のあるダンジョンマスターは、本当に突飛な物まで創造を可能とする。
錬金術とも少し似ているが、向こうはもっと制約が緩く感じる。なにせ、命まで創り出すのだから。
どういうシステムで可能なのかは知らん。
「でもそれだと、今後毒で倒れる人がいたら困りませんか?」
「もしかしたらもう少しあったかもと言って、今屋敷を探しているところよ」
必要になったら出てきましたという顔で差し出すわけか。それもあまり多く使える手ではないが、一、二回なら通じそうだ。
その間に量を作っておけば多少は安心が増す。
「そんな苦しい言い訳をしなくて済むことを願うけれどね。――これは、何のレシピなの」
「毒の構成を、限りなく無害にして再現しようとしている。可能であれば毒への抗体を安全に獲得できるだろう」
「ワクチンということね。そんなにすぐにできるものなの?」
「構成次第だ」
単純で、かつ代替品が大量にあるものなら苦労しない。強力だからといって複雑だとは限らないからな。
「だがそれより、時間が惜しい。トリーシア、イルミナを呼べないか」
「声を掛けることはできるし、来てくださるとは思うわ。用件はなに?」
「これが、さっき作った星咲の花の香水だ」
香水瓶二つを示して言うと、トリーシアの目が窓を向いた。
蜂の関心を強く引く香りである。無理のない反応だろう。
「この部屋は大丈夫だ」
「なぜ言い切れるの。見落としているかもしれないでしょう」
「俺はもの凄く耳が良い。異物が部屋に入ってきたら絶対に分かる」
蜂の羽音は結構うるさい。
「……貴方が絶対だというのなら、そうなのでしょうね。分かったわ、信じましょう。――それで?」
「これで蜂を誘き寄せて、巣の場所を見付ける」
「こちらから打って出るということね。確かに必要でしょう。でも、なぜイルミナ様なの」
「他に軍部に話ができそうな知り合いがいないからだが」
あと、イルミナにも抗体は作らせておきたい。今後いつ会えるか分からないので、強引にでも理由を作りたいという意図はある。




