十四話
――翌朝、リズミカルなノックで目が覚めた。
自分でも意外だが、熟睡していたらしい。移動し続けで疲労が溜まっていたのと、魔力も神力も相応に使ったので、体は休息したがっていたようだ。
それはともかく、こんな親しげな行いを俺にするのは一人しかいない。
ベッドから起き出し、扉を開く。
「おはよー、ニア。寝てた?」
「寝ていた。どうした、こんな時間に」
「こんな時間って言うけど、実はそんなに早くないよ? どっちかって言うとお昼に近い。大丈夫? 凄く疲れてない?」
リージェの言葉に外を見れば、成程陽はすでに結構高い。よくトリーシアが叩き起こしに来なかったな。
「ニア?」
見上げてくるリージェの瞳には、純粋な心配の色が移っていた。声も同じだ。
「問題ない。考えることが多くて気疲れしたんだろう、多分」
「……そうだよね。結局、ニアに全面的に頼ってるから……」
「そこはいい。お前やイルミナが危険に見舞われる可能性がある以上、防ぐための手立てを講じるのは俺の意思だ」
むしろ目的のために国の力を使えるのはありがたいとさえ言える。
「ねえ、それってわざと? わざとだよね?」
赤くなってこちらを睨みつけてくるリージェの頭を軽く撫で、部屋に戻る。リージェも仏頂面を作りながら入ってきた。
「それで、どうした」
「朝食だけでも作ろうかと思って。下手をしたら、ニアのことだから何も食べてないかもとか」
中々いい読みだ。摂るべき食糧がすぐ近くになかったら諦めていた。
「一応昨夜は摂った。だが作ってくれるなら厚意に甘える」
「うん、任せて」
仏頂面を消して、リージェは笑顔で請け負う。
俺の負担を軽くしようと、リージェなりに考えて、こうして行動に移しに来たわけだ。
……可愛い、と思う。その気持ちそのものが。
朝食の支度をリージェに任せて、俺は一度寝室に引っ込む。服を着替えて、ついでに洗顔も済ませておく。
この部屋にあるのは温めるのがせいぜいという簡易キッチンなので、凝った料理はできない。リージェも本格的に作ろうとは思っていないだろう。
戻った俺に提供されたのは、昨日俺が自作したのより大分見栄えのいいサンドイッチとポタージュスープだった。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
食べているところを延々眺められるのも落ち着かない。
そんな心理に気を遣ってか、リージェは自分の前にもポタージュスープを置いていた。
カップを手に、軽く息を吹きかけつつ啜る。
こういうときにはしみじみするな。温かい食べ物とは、英知の結晶であり特別な品だ。
「そちらの調子はどうだ」
「うん、大体できたよ。すぐにでも持っていける。でも、何に使うの?」
「星咲の花の香りを抽出する。おびき寄せて、暗殺用や兵隊が引っかかれば確保、もしくは駆除。蜜を集める働き蜂なら目印を付けて放つ」
「巣を見つけるのね」
「そうだ」
向こうが動く前にこちらが強襲するのが理想だが、叶うかは分からない。
「ニアの方はどう?」
「抑制薬の方は一応できている。即効薬は今日アトリエに行ってからだな」
「できてるんだ。じゃあ、すぐにも服用した方がいいよね?」
「そうしてもらった方がいいとは思うが……。新薬を試す権力者なんかいるのか?」
使うべきは指揮を執る権力者だが、だからこそ二の足を踏む気もする。
「あー……。それはねー……」
ふと思い浮かんだ疑問に、リージェは曖昧な笑みを浮かべる。否定だ。
「何人かに試すことになるんじゃないかな。多分、犯罪者とか」
「まあ、そうなるか」
王や軍の指揮官が蜂の毒で倒れられては困るが、薬で倒れても同じである。
まして作ったのは国家資格もなければ、どこの誰とも知れない一般人である俺だ。信用できまい。
「ところでさ。トリーシア様あたりが起こしに来そうだけど、来なかったんだね」
「ああ。実は俺も気になってはいたが……」
うなずいたところで、荒々しく扉がノックされた。自宅での癖か、リージェが当り前のように立ち上がって応対に向かう。
「はーい?」
「わたくしよッ」
「ひえっ」
中々の名乗りだ。
怯えた声を上げ、リージェはすぐに開錠。さっと体をどかして道も開ける。
テーブルに着いたままの俺を見たトリーシアは、ただでさえ不機嫌に寄っていた眉をさらに吊り上げた。
「こんな時間に朝食とは、優雅なものね。わたくしが貴方を招いたのは、王宮で寛がせるためではなくてよ」
「目覚めが遅かったものでな。何かあったのか?」
同じ小言から入るにしても、妙に余裕がない。
「……陛下が毒に倒れたわ」
トリーシアの背後でリージェが息を飲み、口を抑えて声を殺す。
それでトリーシアが来なかったのか。王を診に行っていたんだな。
「王の容体は?」
「一命は取り留めてる。でも良くはないわ。貴方が作っている薬はまだ使えない?」
「完全ではないだろうが、切迫しているなら作ってしまった方がよさそうだ」
快癒まではいかなくても、七、八割の毒素は除去できるはずだ。
体力が持って抵抗力が勝てば自己治癒力で何とかなるし、そうでなくても延命は期待できる。その間に完全な即効薬を作れはどうにかなるだろう。
丁度食べ終わってもいたので、立ち上がってトリーシアのアトリエへ向かう。二人も自然についてきた。
瓶に刺さったプラウタは、俺が用意していたクアレの水をほぼ吸い切っていた。
「うわっ、何これっ」
「プラウタ……。こんな風になるのね……」
人工的に神力を凝縮させたのだ。自然界にある物より余程顕著に力を蓄えている。
少しでも感じ取る能力があれば、そこに強大な力が宿っていると一目で分かるぐらいには濃い。
花びらを摘み取り、キュアリーフの代わりにキュアポーションの作成に使う。濾されて落ちてくる水滴を見るトリーシアとリージェの目が心底じれったそうだ。
「見ていても、別に早まったりはしないぞ」
「分かってるけど、つい。そわそわしちゃって。って、ニアは何してるの」
「クアレの水を調整する」
一本のプラウタから出来上がる量はそんなに多くないぞ。俺も管理しきれないから一度にそんな大量には作ろうとは思えないし。
何しろ、一歩間違えればもの凄い毒になる薬だ。
「見ててもいい?」
「構わないが、魔力も神力も一切使うなよ。乱れる」
「分かった」
リージェは素直にうなずき、隣に立つ。特に許可は求めずにトリーシアも反対側の隣に立った。
この場合、リージェは良くてトリーシアは駄目だという理由もない。リージェに許可をしたことで問題ないと判断したんだろう。
昨日やったように、クアレの水を求める属性に選り分ける。こういう時、機材が複数あるのは楽でいい。
しかし散らかすのは調合の邪魔になることもあるので、昨日使っていた瓶はさっさと洗浄しておく。
「成程、これは……。できないわ」
「わたしも無理……」
「自信がないならやらない方が無難ではある」
うっかり有害な性質を濃縮させてしまい、回復用のつもりが毒を作った、などということにもなりかねない。
「でも面白い。プラウタって、何でも吸い上げるの?」
「いや。水属性の一部だけだな。相性が悪いものは花を枯らせてしまうから、濃縮しない」
便利なのは間違いないが、万能と言うわけではない。
「毒にも使えるわね。もっと言えば、毒を作る方が簡単そう。それも強力な」
「そうだな」
何でもいいから害のある毒を、というのであれば、性質を選り分ける必要もない。とにかくプラウタが吸える毒を水に混ぜ込んで濃縮させていけば完成する。
「プラウタの性質に関しては、他言無用にさせてもらうわ。ニア、リージェ。よろしいわね」
「わ、分かりました」
「分かった」
別に伝える相手がいるわけでもない。今まで通りだ。
即効薬の下準備はこれで良し。次は……。
「トリーシア。さっきリージェに聞いたが、ガラス粉は完成しているらしいな?」
「ええ。でもこれを見る限り、使い物になるかは検分してもらうまで何とも言えないわね。――リージェ、悪いけれど、アトリエからガラス粉を持ってきてもらえる?」
「はい」
息をするようにトリーシアは命令し、リージェは即座に承諾。関係性が染みついている。
もっとも、同じ王宮錬金術士とは言え階級には差があるし、貴族と平民という身分差もある。アストライトではそれが自然なのだ。
魔物であっても似たような序列はある。分かっていたことだ。
だが長く群れから離れていたせいだろうか。端から見て、どうにも気持ちのいいものではない。抵抗を感じている。
「……何?」
俺の否定的な雰囲気に気付いて、トリーシアは腕組みをしながら聞いてきた。
これはトリーシアの癖なんだな。特に、自分にとって嬉しくないことから身を護ろうとするときに見せる。
「いや、一応頼む体を取っていたが、リージェが断ったらやはり命令したのだろうなと思っただけだ」
「……普通、平民は貴族の頼みごとを断らないものよ。貴方の方が少数派なの」
「断れないだけだろう。そして断ることも認めていない。傲慢で悪辣だ。リージェがお前に怯えるのも当然だな」
「それは……」
目線を落とし、腕を掴む指の力が強くなる。
思うところはあるようだが、トリーシアは口を噤んで顔を逸らす。分かっていても変えるつもりはないという意思表示だ。
互いに無言のまま、時間が流れる。そのせいで、戻ってきたリージェの足音がはっきり聞き取れた。
「戻りました!」
腕に一抱えはある木の箱を、重ねて二つ持って戻って来た。
「大量だな。こんなにあるなら俺も行けばよかったか」
「大丈夫よ。もっと重いものだって運んだりするし。薬だって心配だっただろうし。でも、ありがと」
作りかけの薬に妙な属性が混入しないかという考えがなかったわけではない。ほぼ心配ないとはいえ、失敗したら再び精製に取りかかれるのは明日以降。間に合わなくなるかもしれないので。
「とにかく、確かめてみて」
「……これは。ミスリルを混ぜてるのか?」
ガラス粉を検分して絶句する。なんと贅沢な……。
ミスリルはやや加工難度が高いものの、多くの物質と融和性が高く、丈夫で柔軟性が高い良質な金属素材。しかも産出量はあまり多くない。
需要に対して供給が少ないため、価格はいつでも高騰している。俺が使おうと思ったら、自分で採掘に行かないと手にできないレベルだ。
「え、だって神力や魔力を遮断しようと思ったらそうなるよね?」
「……一番確実ではあるのか」
他の手段も色々あるが、リージェたちがやるならミスリルの力に頼った方が無難なのはそうか。
だが……ミスリルだぞ? 代用できる素材がある物に使うのはもったいなく感じる……。いや、もう考えまい。
俺はリージェたちに仕事を任せて、彼女たちはそれを不足なくこなした。
ならば俺がすべきことは過程に文句をつけることではない。問題のある手段と言うわけでもないのだから。
「ともかく、助かった。礼を言う」
「わたしたちにとっても仕事だから、むしろ使えるならほっとするんだけど。今の間、絶対含みがあったよね?」
鋭い。付き合いの長さのせいか、さすがにリージェは聞き流さなかった。
「今はいいけど、あとで教えてね。ミスリルを代用品で何とかできれば、色々便利になると思うんだ」
「その時間ができたらな。――さて」
部屋の一角を支配する炉に向かい、火を入れる。ミスリル化合ガラスのなので、かなりの高温が必要だ。
しかしトリーシアのアトリエにある炉は問題なさそうだ。ミスリルどころかオリハルコンの加工にも耐えるだろう。
適度に温まった所に、フラマティアの赤砂を投入。炎の色が深紅へと変わり、準備が整う。リージェが持ってきた一箱を、そのまま炉に突っ込んだ。
中でガラス粉が解け、柔らかく変質していく音に集中する。程よいところで神力で風を作り、形を手早く整えた。――完成。
火を消してしばし。中には成形を終えたフラスコが二つ。
「め、滅茶苦茶な作り方するわね……」
「そうなのか?」
他のやり方は知らん。やろうと思ったときに思いついたのがこれだった。不自由してないから続けているというだけだ。
「普通、道具って職人さんに頼みに行くから……」
「自分で使う物だ。自分で作った方が使い勝手もいい」
あと、作れば材料費以外はタダだ。使い手が限られる錬金道具は、一般的に流通している汎用品でさえ結構高い。




