十話
「わたくしのせいで……。皆に大変な迷惑をかけてしまいました。申し訳なく思います」
「仕方ありませんわ、殿下。星咲の花にあのような魔物が集まるなど、誰も知らなかったのですから」
アンリエットは王女を慰めるが、あまり効果はなさそうだ。
もっとも、それで気持ちを一瞬で切り替えられても微妙だが。
「あれはやはり、蜜を集めに来ていた灰色の蜂が進化したのか?」
「そうみたい。でも、魔物の集団が一斉に進化するのは初めて見た。あんな進化の仕方もあるんだね」
普通、経験は個体ごとに積むものだからな。ほぼ同じ行動をとっていたにせよ、奇妙ではある。
「ともかく、早急に花は処分します。ニア、それとリージェ。二度までも町を救ってくださった二人には、後日――……」
不意に王女が言葉を途切れさせる。原因は自分の横でイルミナがギルドカードを手にしたからだ。続いて、トリーシアも。
「イルミナ? 何かあったのですか?」
「……はい、殿下。おそらく殿下にも同様の連絡が来ているかと思いますが、件の蜂の、更に進化したものと思わしき魔物が王都近郊に出没したようです」
「え……っ!?」
カードを一読したイルミナは顔を上げ、そう報告をする。聞いた王女の顔色は最早蒼白だ。
「そんな、それは、わたくしのせいで……?」
「いや、王都の件は関係ないだろう」
王女の集めた星咲の花は、ノーウィットにあるのだし。
「そう、でしょうか? けれどこのような偶然があるものでしょうか」
「この場合は然程奇跡的な偶然とも言えない。お前が姉に星咲の花の香水を贈ろうとしたのが偶然。魔物の王都出没は、おそらく予定通りだ」
「王都出没が予定通りというのは、どういうこと?」
トリーシアの口調は、先程より詰問の色合いが強くなった。
「別に俺が画策しているわけじゃないんだが」
「そうは思っていないわ。けれど分かっていて黙っていたのなら、そちらも充分問題よ」
「あの蜂は、徹底して蜜を集める花を限定していた。そして進化した途端に人を襲った。ならば始めから敵対的な種であったと考えるべきだ」
そういう明確な敵対者が、人間には存在している。
「魔王軍、ですか……?」
野良の魔物なら、余程知能が低くない限り王都なんて危ない場所には近付かない。あえて近付くのは、本気で戦おうという奴だけだ。
「どうして魔王軍が我が国などに……?」
しかしこの場に揃った人間たちは不思議そうだ。というか王女、『など』とか、自分で言うか?
「その、ニア。皆が口にするのは憚られるでしょうからあえてわたくしが言いますが、我がアストライトは決して大きな国ではありません。大陸として見れば中堅と言えます」
「そうなのか」
人間の社会が複数人の集まりで村、町を作り、更に国という枠組みで分けられて運営されているのは分かっている。
しかしアストライトがその中で真ん中程度だとは知らなかった。俺からすれば、グラージェスでもかなり巨大だ。
「そうなのです。ですから、あえて我が国が狙われるとは思い難いのですが……」
「だが、蜂は出没しているんだろう」
相手の思考が読めないのは不利しか生まないので、引き続き理由は考えるべきではある。
しかし一番問題なのは、すでにそこに脅威が存在しているという事実だ。
「ただの通り道かもしれないし、目的があるのかもしれない。だが今まさに襲われようというときに、理由の究明が必要か?」
対策を立てて、対処するのが先だろう。理由はそのあと、安全を確保してから探ればいい。
逆に安全を確保してからは必須だ。二度、三度と襲撃があるかもしれないので。
被害を最小に防ぐために。もしくは原因を取り除くために。
「た、確かに貴方の言う通りです。では、ええと……。な、何をすればいいでしょう」
まだ子どもである王女が、難事を乗り越えるための指揮など執ったことがあるわけもない。俺の言は認めつつも、具体的な行動は示せなかった。代わりに、答えを求めて周囲へ顔を巡らせる。
始めに応じたのはリージェだ。
「王都には結界があるから、いきなり町が襲われる心配はしなくていいよね?」
「いや。結界に期待し過ぎるのは危ういと思う」
人間にとって一番の安心材料だろう結界への信頼を口にしたリージェへ、俺は疑問を呈する。
「なぜ? 言っておくけれど、王都の結界は万全よ」
「基本設計はノーウィットと同じだろう?」
「ええ。魔物を排除するという点においては、そうね」
……?
トリーシアの言い方は微妙に的を外している。
だがまあ、今は追及する必要はないか。
「ならやはり、危なさそうだぞ」
出力の問題ではない。属性が問題なのだ。
「この結界は魔力には反応するが、神力は素通りだ」
「え、ええ。そうね」
世界を巡るマナは聖神が司る神力か、魔神が司る魔力に染まっている。そして人間はどちらも拘りなく崇めている。
いや、勿論それはおかしいことではない。人間は中庸の種なので、どちらの属性とも親和性を持つ。俺もだが。
ただ、聖神も崇める人間は、純粋に魔神に依る魔物にとっては邪魔な存在である。そんなわけで一部の積極的な過激派が人間をよく襲う。主に魔王軍を名乗る魔人とか。
ここに神の御使いである神人が降りてくると、神の権能を使うことを許された巨大な力の持ち主が現れ、大きな争いになったりする。
大抵両陣営が神人を派遣して、まあ、どちらが勝つかはそれぞれの采配と揃った人員の才覚による。
俺が聞き及んでいる限り、今神人は派遣されていないはずだ。神人の降臨は神の奇跡に類するので、際限なく送り込んできたりはしない。人数もそう多いわけではないし。
勝ち目があるとき、もしくは負けられないときに送り込むバランスブレイカーなのだ、神人と言うやつは。
……話が逸れた。
要は自らを積極的に襲ってくる魔物しか想定していない結界なので、神力に対しては無防備だ。
聖獣が襲ってきたらどうするんだ? と思わなくはないが、向こうも向こうで優先順位が魔物だからか、人間は後回しらしい。
性質の違いだな。弱い所を叩きたがるか、強い所から先に排除したがるか。
俺がした確認にトリーシアが不思議そうな顔をしたのは、それぐらい聖獣が自分たちを襲いに来るという意識がないせいだ。そこが危うい。
「あの蜂は神力を使うぞ」
「魔物が神力を?」
「驚くことじゃないはずだ。上位種に進化した魔物にはまま現れる特性と言える」
特にダンジョン産が多い。マスターである原初の魔物に至っては、おそらくほぼ己が望む通りの形に進化していくだろうし。
魔王軍には歓迎されないだろうが、生じ方がまったく違う原初の魔物は、個々で性質、思想が異なる。
魔物として生じても、全力で聖神側に変化するのを求める奴もいるし。
「それはそうだね。ただ、それでも魔物だから弾かれるけど……。もっと完全に、ということ?」
「ああ」
焼き殺した蜂の群れの中に数匹、神力しか感じない奴がいた。
「この蜂たちの女王は、それなりに物を考えて行動している。気を付けた方がいい」
「じゃあ結界に頼れないとして……。狙いはやっぱり、王都なのかな」
「そう思う。姿を見せた連中は斥候だろう。あまり時間がない気がするな」
何ならすでに入れるかどうかを試したかもしれないし、もっと悪ければ潜入されているかもしれない。
と、ここまで考えて結論が一つ出た。俺たちは蜂の動向に関して、何一つ把握していない。まずやるべきは事態の把握だ。
後は蜂の確保。安全に捕らえておけるか自信がなかったから殲滅してしまったが、生態を知るにも調べたいところだ。
「……うん」
しばし黙考した後イルミナはうなずいて、王女を振り返った。
「殿下、護衛任務の半ばで申し訳ありませんが、王都帰還の許可を戴きたく思います」
やはり、戻るのか。イルミナならそうだろうな。
「わ、分かりました。ではわたくしも――」
「姫様は駄目」
「姫様は止めた方がいい。意味がないから」
自分だけ逃げているようで気が咎めたのか、イルミナに付いて行こうとした王女を双子が止めた。妥当だと思う。
「う……っ。そ、そうですね……」
双子の言い様は中々辛辣だが、正しい。自覚もあるのか王女は項垂れて認めた。
このまま放置は若干哀れだ。
「別に、現場にいなくても出来ることはあるだろう。できないことを見つめて項垂れるより、できることを探して実行する方が建設的だ」
「……」
俺の言葉に顔を上げ、王女はびっくりしたように見つめてくる。それから瞳に活力を取り戻して、両手で拳を作って気合いを入れた。
「はい。わたくし、できることを探して頑張ります」
「姫様」
「あっ」
アンリエットから咎めるように呼びかけられ、王女は慌てて拳を開いて手を膝に戻す。
「ニア、貴方は不思議な人ですね。まるで心が見透かされているかのよう」
「……」
実際分かる……が、迂闊だったかもしれない。人間には声に宿る感情を正確に読み解く力がないのだから。
「突拍子もないことを言ってごめんなさい。けれどわたくしが一番嬉しいのは――きっと、貴方がわたくしを励まそうとしてくれたところなのだと思います」
「力が足りないことを、俺は悪とは思わない」
今求める力量に届かないなら、未来、思い描いた己で在れるように能力を伸ばす努力をすればいい。ただそれだけだ。
力が足りない誰かが成長するまでは、出来る先達が負担を分け合えばいい。
「ただ、口惜しく思うなら努力しろ。自分のためにだ」
掴んでおきたいものが、いつでも側に転がっているとは限らない。その一瞬、届く手を持っていなかったことを後悔しないために。
力をつけるのは自分のため。それ以外にはない。
「はい、努力します」
「大丈夫、姫様」
「姫様もう頑張ってる。でも応援する。頑張って、姫様」
「ふふ。ありがとう、シェルマ、リェフマ」
双子の慰めと応援に、王女も嬉しそうに笑って応じた。
そのやり取りが一段落着いたのを見計らい、トリーシアがイルミナを振り向いた。
「イルミナ様、わたくしも王都へ戻ります。お手数ですが、ご一緒させてくださいませ」
「うん。トリーシアさんに来てもらえたら心強いな。わたしも、きっと皆も」
「努めます」
トリーシアの答えは大分控えめだ。それだけ起こっている事態に対応できる自信がないということか。
「ニア、貴方もおいでなさい。貴方の力が必要よ」
「……王都にか」
「そうよ。この話の流れで、他にどこがあるというの」
イルミナやトリーシアの保証があれば、俺もおそらく結界内に入る許可が下りるだろう。グラージェスでやったように、結界の対象外となる魔道具の支給を受ける。それで可能だ。
ただ、王都は……大丈夫か?
相応の実力者が疑いを持って調べてきたら、俺が純粋な魔物だということぐらい簡単にバレるぞ。
行ってみたい気持ちもある。同時に、行かない方が無難だとも思う。
だがここで拒否すれば、イルミナやリージェに何かが起こったとき手出しできない。権力者の許可がなければ、俺は王都に入ることさえ叶わない。
「……行こう」
しばらく迷ってから、決めた。
何かがあったら、それこそなりふり構わず神の助けを借りて逃げ出せばいい。
あまり神々に頼ると後が怖いが、背に腹は代えられん。
「決まりね。では、急いで支度をしましょう」
あまり時間がなさそうだという見解を述べた手前、急かされても否は唱えられない。唱える気もないが。
「そうだ、王女。お前が買い集めた星咲の花、処分するのならこちらで持って行っても構わないか?」
せっかく大量にあるのなら、試したいことがある。蜂対策にも役立つかもしれない。
「もちろんです。役立てていただけるのなら、むしろありがたく思います。けれどどのようにお渡しするべきか、ご指導いただけますか?」
素のまま持ち歩いて、また蜂に寄って来られても困る。木箱程度では隠せないのは町の外から嗅ぎ付けてくることから想像に難くない。
防臭処理が必要だ。
「悪いが、手元に丁度いい物がない。作ってから後日貰い受けに来る」
「分かりました。ええと、では……他に必要なものなどはありませんか?」
「あるにはあるが。作るための素材とか」
商業ギルドで揃うだろう。余計な出費だが仕方ない。
「では、必要な素材のリストを作りましょう。少し残って頂けますか?」
「構わないが」
どうやら王女が材料費を持ってくれるらしい。出費が減るのはありがたい。
しかし、随分積極的に食いついてきたな。ここまで明らか様だと、声で感情を悟る能力がなくても分かりそうだ。
王女は俺と話したがっている。
あまりに露骨だったせいで、周囲からは困ったような空気が流れていた。




