九話
研究するにしても、迂闊に外に出してまた蜂に嗅ぎ付けられたらリージェが嫌がるだろう。
なのでアトリエを密閉し、リージェにも決して扉を開けないよう言い含めた。気合いの入ったうなずきが返ってきたのが印象深い。
まあそんな訳で、時間を忘れる環境が整った。それでももちろん時間は流れるので、リージェがアトリエの扉を叩いて今日あったはずの用件を知らされる。
「――ねえ、ニア。トリーシア様、遅くない?」
「ん……?」
外から掛けられた言葉に、時計を確認。時間を見ると、すでに二時近かった。
午後にしろと言っただけだから、トリーシア都合の可能性はなくはない。しかし要求しなければ朝から突撃してきそうな空気だったことを考えると、やや不自然ではある。
何かあったんだろうか?
星咲の花から意識を外したその瞬間、町の空気に大きな振動が走った。
「きゃっ!?」
振動は収まらない。害敵と認めた何かを排除しようと、圧力をかけ続けている。結界が発動しているのだ。
「ま、魔物の襲撃、なの!?」
「魔物に反応しているのは間違いないが、これはおそらく内側だぞ」
アトリエを出て、扉の前にいたリージェと合流する。それから外に出てみると、町にあることは許されないだろうレベルの魔力を感じ取れた。それも複数。
「内側って、いつの間に」
「そして魔力が固まっているのはどうやら領主館だ」
「ええ!?」
そこにある魔力は、結界が反応するレベルではあるが、達人にとっては脅威ではない程度。
領主館にいるだろうイルミナや、王女の護衛に付いてきた騎士からすれば物の数ではないはず。
事実ゆっくりとではあるが、魔力は減って行っている。――が、事態はそこで悪化した。
固まっていた魔力が散らばり始めたのだ。
騎士はともかく、一般人には脅威だぞ。
同じく魔力を追っていたのだろう、眉根を寄せて領主館の方向を睨んでいたリージェも異変を感じ取ったようだ。
「マズいことになってない!?」
「放置していたら寝覚めの悪いことにはなりそうではある」
「でも、どうすればいい? 数が多いっぽいし、広範囲に散らばって行こうとしてるし、何で町中でこんなことが!」
魔力だけで状況を知るのは限界がある。だが発生が領主館であることや、この魔力の質。空を飛んでいた蜂の一種である気がする。
それなら、どこに散らばって行こうと星咲の花でおびき寄せられるのではないだろうか。
一度アトリエに戻り、コンテナの中から雄花と雌花を一揃え取り出す。
「リージェ、お前は四方が壁に囲まれた個室に入って大人しくしていろ」
「ニアはどうするの」
「町の外でこれを使う」
香りがほとんどない状態でも反応して蜜を取りに来ていた。虫を誘う香りを発した星咲の花になら、きっと向かってくる。
リージェも俺がやろうとしていることを察して顔を強張らせ、はっきり言った。
「わたしも行く!」
「危ないかもしれないから止めておけ。しかもおそらく、あの蜂の仲間だ」
無害な働き蜂にさえ恐れ慄いていたリージェである。数段強力になった兵隊蜂クラスに何かができるとは思い難い。
「分かってるけど、逆にそんなの相手にニア一人に押しつけて後よろしく、はあり得ないでしょ。だ、大丈夫。道具使えば多分、ニアとわたしの身ぐらい護れるよ」
「……」
リージェを説得している時間が惜しい。ついでに、人手が増えるのがありがたいのは間違いない。何よりここで置いて行って、追いかけてこられた方が危ない。
「分かった。行くぞ」
「うん!」
貴族街に近い辺りでは、すでに混乱が起こり始めている。数匹ずつのグループになって移動しているのが、時折目に入った。
「でっか! 嘘でしょー」
それなりに距離があるのに、それと分かる程度に視認できてしまう。色はもう、完璧に銀だ。硬質さも増している。
急いで町の外へと向かい、道のど真ん中に陣取る。視界が開けているので都合がいい。
こういうときは、訪れる人の少ないノーウィットの寂れ具合に感謝だな。グラージェスや、それこそ話に聞く王都ではこうはいくまい。
星咲の花を地面に置き、魔力と神気を強引に隔てて花の周囲を覆う。場の支配は直接魔力や神気を扱えるフォルトルナーにとって難しいものではない。
とは言え、相応に力は使う。このあとのことを考えると、あまり力は使いたくない。
魔力と神気に反応して、花弁が発光し始める。もし夜で、星咲の花が大量に植えられているような場所であれば、見応えがあったかもしれない。
同時に、僅か一輪から発されているとは思えないほどの、強い香気が広がっていく。
カルティエラ王女が姉への贈り物にしようとしただけあって、甘く柔らかな香りは快い。
「嘘。凄……」
ほとんど無臭だった花が本当に強く香ったことに、リージェは改めて驚きを口にした。俺も少し驚いている。
だが今回、本題はそれではなく。
ヴ、ヴヴ、ヴ!
翅の擦れる音さえ強力になり、恐怖心を煽ってくる虫の駆除だ。
狙った通り、町から一斉にこちらに向かって飛んでくる。
狙い通りなのでこちらとしては文句はないんだが……。全員で向かってくることはないだろうに、とは思う。非効率的だ。
その辺りは知性よりも本能が勝っているということか。
まだ少し距離があるが、解析を使って調べておく。遠いと精度がイマイチになるが仕方ない。近くで使ってのんびり調べさせてくれるわけもないからな。
魔力はかなり高く、神力への抵抗力も高い。六属性に適性もある。こいつらが――というかこいつらの女王が星咲の花から集中して蜜を集めていた理由がこれだな。
「虫なら、やっぱり火が苦手かな……?」
言うリージェの手には、手投げ式の爆弾が用意されていた。作製レベル七に分類されるハイフレアボムだ。生半な生き物なら大体死ぬ。あと、環境にもあまり良くない。
幸い俺たちが陣取っているのは道の上で、使っても土が焦げるだけだから構わないだろう。
「苦手属性はなさそうだ。純粋に威力で防御力を突き破るしかなさそうだから、悪くない選択だと思うぞ。――来た、投げろ」
「ま、まだ早くない?」
蜂の群れはまだ少し遠いように見える――が、リージェは己の感覚よりも俺の指示に従った。
ハイフレアボムは急降下してきた蜂の只中に投げ込まれ、運悪く当たった一匹への着弾の衝撃によって起動する。
ゴガウンッ!
巨岩を叩き割ったかのような破壊音と閃光。そして破裂した炎。手を翳して光と熱をやり過ごしつつ、耳を澄ませる。
ヴヴ、ヴヴ、と、まだ微かに羽音が聞こえてくる。弱ってはいそうだが……ハイフレアボムを耐え抜いたか。油断できん。
せっかくリージェが熱を作ってくれたので、俺もそれに便乗することにした。場の魔力と神力を、蜂が蠢くあたりに濃縮させて、命じる。
「焼けろ」
その一瞬だけ一ヶ所に、高温を生み出す。
ジュッ、と焼け溶ける音がして、羽音が消える。ハイフレアボムの煙が収まった後には、少しばかり余波を受けて地面が蒸発してしまい、へこみができてしまった。蜂の姿は跡形もない。
調査のために遺骸は残すべきだったかもしれないが、力量が分からなかったので安全を優先した。
「な、何今の。魔法なの?」
「魔法の一種ではあるが、魔物としての特技に近い」
魔力や神力への直接干渉は、使い手をあまり見ない。神属の奴らは普通に使うが。
「ニアの親って、どんな魔物だったの……」
「さあ。それより、さっさと撤収するぞ。人が来たら面倒に……」
言いかけて途中でやめる。
遅かったか。
「動くな」
「動いたら、斬る」
俺とリージェを前後で挟む位置を取って、頭上からシェルマとリェフマが降って来た。どうやら城壁の上から飛び降りてきたらしい。
二人は持ち手となる一部を除いた輪の外周に金属の刃を付けた特殊武器、円月輪を両手に持って身構えている。
眉と目を吊り上げてこちらを睨んできたが、俺とリージェだと認識すると、不思議そうな表情になって目を瞬く。
「二人とも。何をしてる?」
「火の気配と虫の気配とこの香り……。星咲の花!」
地面に置いたままだった星咲の花を見つけると、二人はせっかくの位置取りを放り出して駆け寄り、地面に這いつくばった。
そして――ふんふん。すんすん。匂いを嗅ぐ。
「香りが分かる!」
「これが姫様が欲しがっていた香り!」
うなずき合い、こちらに顔を向けてくる。とても不満そうだ。
「香らせられてる。どうして嘘をついた?」
「自然のまま香らせるのと、香水にできるかは別問題だ」
「う……うん? それは、そう?」
錬金術に然程詳しくないのだろう双子は、こちらの言い分を否定できない。
とはいえ、嘘というわけではない。香りを抽出するのにも魔力と神力の徹底的な分断は必要だ。それもおそらく、調合中ずっと。
一瞬であれば魔力や神力の支配はどうにかなるが、調合しながらでは難しい。専用の器具が必要だ。
「大体、見た通りこの香りはあの銀の蜂を引き寄せるぞ。たとえ出来上がったとして、本当に姉姫に贈るつもりか?」
「それは……多分、喜ばれない……」
フレデリカ王女は、蜂好きではないようだ。良かった。やれと言われたら面倒だし、止めておけと言いたい。
「ともかく、話は聞きたい。こっちに向かってきた蜂はどうした?」
「ハイフレアボムと、少しの魔法で片付けた」
「……」
俺の答えに、双子は少し考える時間を置いた。それから武器を収めて歩み寄って来る。
「一緒に来てほしい」
「もしかしたら、力を借りるかも」
さすがにこれは、俺も分かる。
断れないやつだ。
若干勿体ない気もしたが、香気を増させた星咲の花はこの場で焼却処分をした。放置して新たな蜂を呼んでも困るし、町の中に持ち込むわけにもいかない。
空間拡張の腕輪に仕舞っても、取り出せないなら意味がない。万が一他の物に匂いが移ったらますます困る。
そんな訳で星咲の花は焼いて、香りの残る周囲には俺がここしばらく大量に作っていた安らぎのアロマを振り撒いて上書きした。かなり濃く。全員が匂いにむせたぐらいには。
これで虫の嗅覚が誤魔化せるかは不明だが、やらないよりはいいだろう。
心底思う。ノーウィットに出入りする者が少なくてよかったと。
そうして一応現場の始末をしてから、俺とリージェは双子に連れられて領主館へと向かう。
町の混乱はどうにか収まりつつあるようだ。ただ、気になる部分もある。
「怪我人が出ているのか」
「大きくなったら、襲って来た」
どうも、それほど大人しい種でもないのかもしれない。
発生源と思われる領主館だが、こちらの被害は町よりも少なそうだ。腕の立つ者が集まっているのが幸いしたな。
「姫様、戻りました」
「失礼します」
行きついた果ては、昨日も訪れた王女の私室。双子の後について俺とリージェも入室する。
部屋の中には王女本人と侍女数人、それからイルミナとトリーシアも揃っていた。皆一様に難しい顔をしている。
「お帰りなさい、シェルマ、リェフマ。無事でよかった」
椅子に座って体を硬くしていた王女は、双子を見てほっとした表情を浮かべた。ただし、晴れやかとは程遠い。全体的に消沈している気配がある。
無理もない。自分が買い集めた花に誘われた魔物によって、無関係な他人に被害が出たのだ。さぞかし心苦しいだろう。
王女はまず自然にシェルマとリェフマを認識して、直後に俺たちに気が付いた。
「あら……?」
「蜂が向かって行った方に向かったら居たから、連れてきた」
事実だが、リェフマの言い方だと俺たちが仕掛けたかのように聞こえなくもない。
「どういうことなの?」
そうと決めつけた様子ではないが、充分に訝しんだ声音でトリーシアが詳細の説明を求めてくる。
「星咲の花を使っておびき寄せただけだ。町で暴れられると酷いことになりそうだったからな」
「一斉に方向を変えて飛んで行ったから、良い方か悪い方かどっちだろうと思ってたけど。ニアさんだったんだね。ありがとう」
「ああ。お前も無事で何よりだ」
役目柄もそうだし、そうでなくても自ら人の盾になりに行く奴だからな、イルミナは。
だからこそ、王宮騎士という職業を選んだのかもしれないが。
「う、うん。おかげで大事にならなかったから……」
イルミナの無事は、俺にとって朗報だ。そう思っているのが察せられたか、イルミナは少し喜びを滲ませて頬を赤らめつつうなずいた。




