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六話

「冗談で流してくれるのが優しさだと思う! まともに突っ込み入れられると、痛々しさで痛いと思い知ったわ、今」

「そうではなくて」


 分かりやすいよう距離を詰めて、少し身を屈めて唇の位置を合わせる。触れ合わない、ただし熱は僅かに感じる距離。


「喰われたいのか」

「ひぁうっ」


 何とも形容しがたい声を上げ、リージェはびくりと体を震わせたあと――逃げない。


 目を見開き、ただ見つめ返してきた。頬を上気させ、期待しているような怖れているような、どちらが強いとも言えない色を瞳に浮かべたまま、次の一手を俺に委ねている。


 つまり、先程の問いへの答えは肯定だろう。


 なら、俺は?

 リージェを己の伴侶として、共に歩む覚悟があるのか。


 そもそもそれ以前に、魔物であると明かさずに成り立……たなくはないが、リージェ相手に騙すような真似はしたくない。


 だが明かせば、リージェが今俺に抱いている恋心は覚めるかもしれない。半分でも同族の要素があるかどうかは大きいだろう。

 町にいられなくなるのももちろんだが、拒絶を突きつけられるのもためらっている、気がする。


 とはいえ、リージェはすでに答えを返してきた。ここで彼女を拒めば、それが俺の答えということになる。

 事実ではない認識をされるのも嬉しくない。なので。


 かり。


 顔をずらして、耳朶を噛む。


「みゃっ」

「警告だと思って聞いておけ」


 言って離れる――と、予想通り、リージェはその場で崩れ落ちた。俺が甘噛みした耳を両手で押さえ、ぷるぷると震えている。


「ニ、ニア……ッ」

「ちゃんと、立ち上がれるようになってから動き始めろ。アトリエの中の物を無闇に壊すな?」


 故意でなく、リージェはやりかねない。


『警告』を他人からと解釈するか俺からと解釈するかは、当面リージェに任せる。正解は両方だ。

 イルミナの件もあるので、おそらくリージェも追及はしてこないだろう。


 ……あとは、俺の問題か。


 まさか異種族に対してこんなことを考えるようになるとは。人との関わり合いというのは、つくづく面倒を生む。


 面倒は当然嫌いだが、不思議とそれだけとも言い難い。

 だから、迷っているんだろうな。俺も。




 予想通り、リージェは答えを先延ばしにすることにしたらしい。

 元々、関係を進めようとは思っていなかったわけだから当然だ。

 だが起こった事は消せない。やはり多少なりと気まずさはある。互いに。


 そんな中、ついに歓迎式典の日が来た。一時だけでも別のことに集中できるというのは、今の俺たちには救いである。


 荷物は無事、手元に届いた。着慣れない正装を身に付け、上にはいつも通りのフード付きコートを着て、領主館へと向かう。


 リージェも王宮錬金術士の制服で、いつもよりしっかりしているように見え……見えないな。むしろ服に着られている。俺も多分、人のことを言えないが。


 その慣れていない雰囲気は庇護欲をそそる愛らしさがあるが、残念ながら現在の表情は可愛くない。不満気に眉を寄せてこちらを見ている。


「期待した分、残念だと落胆が大きいわよね」

「何がだ」

「下の服がほぼ見えないから、いつもと印象が変わらない!」

「着いたら脱ぐ。わざわざ必要のない場所で好奇に晒される趣味はない」


 国の上の方の意思がどうだろうと、それは先方がひっそり画策していること。浸透している常識としては、やはり魔物の血を引く者はそれだけで忌避される。


 というか、実際のところ俺は純粋に魔物だからな。余計に注目されたくない。


「道理だと思うけど」


 不満なのは、残念な気持ちからか。

 グラージェスに買いに行く前から期待はされていたようだし。だからといってここでコートを脱いでリージェに見せる気にもならないが。時間の無駄だ。


 例によって貴族街の手前で呼び止められるが、今回も王女からの正式な招待状がある。俺に対して大層不満がありそうだが、問題なく通れた。


 そして領主館の門が見えてきたところで、コートを脱ぐ。脱いだ服は腕輪の中へと収納だ。


 この辺りはとにかく人通りが少ない。ノーウィットに在住している貴族なんか皆無だから無理もないと言える。

 おそらく町の名士とかはいるんだろうが、それでも両手を使えば数え切れる人数だろう。


 門に近付く――と、衛兵に声を掛けるより早く、中から出てきた人物が足早に歩み寄ってきた。トリーシアだ。

 彼女もリージェと同じく、王宮錬金術士の恰好をしている。


「貴族として参加するのだと思っていたが」

「両方よ。肩書がどうだろうと、わたくしの身分は変わらないもの。けれどこちらの方が都合が良いの。……それよりも」


 トリーシアの目が、俺の翼に向かう。そして大きくため息をつかれた。


「先に言って頂戴」

「機会を逸してきただけだ」


 トリーシアが話を持ってきたのは唐突でそれどころではなかったし、それ以前に話す理由もなかった。

 その後はイルミナからの情報で、おそらく大丈夫だろうという結論が出ていたし。


「……まあ、良かったのかもしれないわね。陛下の政策が一つ、有用だとする事例を得られたのだから」


 言葉と裏腹に、トリーシアの口調は複雑そうだ。本人もあまり隠す気がないのだろう。顔にも出ている。


「不服か?」

「まさか。……ただ、貴方に対して面白くない気持ちはあるわ」


 人と魔物は存在そのものが違う。なのに同じ場所に立たれるのは、思う所もできるかもしれない。


「式典までまだ時間があるわね。こちらへ来て」


 身を翻してトリーシアが向かったのは、かつて俺たちが元領主に集められたホール。

 あのときはがらんとした部屋で突っ立っていただけだったが、今日は随分と飾り付けられている。


 奥の一段高い場所に豪華な席が一つ飾り付けられており、そこに王女が座るのであろうことは想像に難くない。


 右の端の方に長テーブル。中央付近に適度な間隔を空けて配置された丸テーブル。両方とも、レースで飾られた白いテーブルクロス付きだ。


 反対側の壁には、椅子やソファが並んでいる。そのうちの幾つかに町の名士らしき人間たちが座り、そわそわと話し合っている様子が見て取れた。


 ノーウィットの町では名士だが、彼らは貴族ではない。王女と話す機会など人生の中で一度もなかったはず。考えてもいなかっただろう。


 抱いた緊張と落ち着きのなさが、手に取るように伝わってくる。

 しかし、だ。まだこの先も集まってくる者がいるのだとしてもである。


「少ないな」

「当然よ。本来、殿下のお姿を見ることなど一生ないだろう身分の者しか町にいなかったのだから」


 妥協に妥協を重ねても、この人数しか呼べなかったということか。


 とはいえ、歓迎式典に人がいないのも微妙だ。苦渋の選択だと窺える。トリーシアが俺たちを招いたのも、人数を増やす意図があったのかもしれない。


 王女本人がどう思っているかはともかく、身分に相応しくない者が直接王族の顔を見て声を聞く、という状況を、喜んでいない者がいそうだな。そいつらが今ノーウィットにいるかどうかは分からないが。


「……ところで」

「何だ?」

「……あ、いえ。何でも……。いえ、でも……」


 切り出しておきながら、内容に入ろうとすると歯切れが悪くなる。逡巡しているのは察せられた。眉間のシワも深い。


 ただ、トリーシアの態度と先日出会った双子の話からして、想像はできる。


「王女から難しい依頼でもされたか」

「!」


 目を見開き、びくんと体を一度大きく震わせて、硬直した。それから見る間に顔を赤くして、眉を吊り上げる。


「な――、何でもないわッ」


 己が他人に頼ろうとした、要は力不足であるという事実。そしてそれを見透かされたこと。両方ともがトリーシアにとって恥ずかしいことであるらしい。


 後悔と憤りで荒い声を上げ、トリーシアは勢いよく踵を返した。未練が残るのを恐れ、断ち切るように。


「わあ……」

「難儀な奴だな。生き辛そうだ」


 助けてもらいたいときに訴えることができないとは。


「色々あるんだと思う。体面とか、プライドとか」

「まあ、それは分かる」


 導く立場にある者は、ときに無理をしてでも態度を繕わなくてはならない。


 トリーシアが離れてからしばし、身形の良いやや年配の女が会場に現れた。騎士に指示を出しているところを見るに、王女の言葉を伝えに来た侍女だろうか。


 騎士はうなずき、壁に設置された鈴を鳴らす。シャラン、シャランシャラン、と涼やかな高音が場に響いた。


 それが聞こえない者はいない、が。


「?」


 一体何を意味するのか。俺を含め、会場に集った大半の人間が理解しなかった。きょとんとした顔を侍女と騎士に向ける。


 こほん、と侍女は一つ咳払いをして。


「姫様の入場です。静粛にお願いします」


 説明をした。


 しきたりが通じないと大変だな、お互い。

 言葉通り王女の登場を無言で待っていると、もう一度咳払いをされた。


「男性は腰を折って頭を下げ、女性は跪礼をお願いします」


 ここに、跪礼ができる女性しかいなかったことは、お互いにとって幸いだっただろう。


 見ればトリーシアはとっくにその姿勢を優雅に取っていた。リージェは大分ぎこちなく、片足を下げてスカートを摘まみ、腰を沈めて形だけ整える。


 女性の作法は面倒だな。いや、本当は男にも求められるんだろうが。物凄く妥協して諦められているだけで。


 もう一度鈴が慣らされ、厳かに告げられる。


「第三王女殿下カルティエラ様、ご入場」


 直前のぐだぐだを一切感じさせない厳粛さ。さすがだ。広間の様子はともかく。


 案内に応じて一段高い位置に設置された、身分の高い者のための扉から現れたのは十三、四ほどの少女。


 淡い湖水の髪色に、緑の瞳。子どもであることを差し引いても、小柄な方に入る気がする。その愛らしい顔には今、緊張が浮かんでいた。


 王女のすぐ側に控えて立っているのはイルミナだ。双子ではなかった。

 話し振りの親しさからして、側近に近い立場かと思っていたんだが、そうでもないのか?


 ……あるいは、その容姿によって公的な場から遠ざけられているのか。


「皆様、本日はよくお集まりくださいました。この度陛下より領主としての任を預かりました……」


 以降、堅苦しい言い回しで王女の挨拶が続く。


 七割方聞き流したが、要はこれからよろしく、魔物大氾濫から町を守ったことに感謝と敬意を、といった内容だったと思う。


 彼女の挨拶が終わった後、拍手をして、終了。


「それでは、ささやかではありますが、歓談の席を設けさせていただきました。どうぞごゆるりとお寛ぎください」


 そう喋り終わった後、王女は表情に安堵をのぞかせた。大きな失敗なく終えられて一安心、といったところか。


 空だったテーブル上に、瞬く間に料理が並べられていく。まるで魔法のような速さだが、純粋に職人技である。見事。


「あれは、食べていいものなのか?」

「そう思うけど……」


 言われたことと実際が違うのも、人間社会ではままある。


 俺たちと同じように感じたのか、香しい香りを前に動き出す者はいない。席に着いた王女をそっと伺ってみると、彼女は焦った顔をしていた。


 こちらが戸惑って動き出さないので、王女の方はそれに困っているらしい。

 ということは、大丈夫だな。


 それほど空腹なわけではないし、料理に興味があるわけでもない。しかしはっきり言って、今のこの時間そのものが俺にとっては無駄。せめて少しでもプラスを得たい。


 聴衆の席から離れ、長テーブルへと歩み寄る。積まれた空の皿と、大皿に盛られた料理。自分で好きに選べというスタイルだな。


 肉やスープは香りからして苦手な気配が漂っているので、とりあえずサラダとシンプルそうなパンを。


 いつの間にか隣に来ていたリージェは、せっせと皿に料理を盛り付けていく。全種制覇するつもりなのか、一つ一つは少なめだ。バランスがいいと言えばそうかもしれない。


 そして一人が動けば後は早いもので、戸惑っていた参加者も動き出す。待機していたメイドたちも、ホッとした様子で飲料を配り始めた。


 後から来る者の邪魔になっても悪いので、一度丸テーブル付近へと戻る。名札とかもないから、どこでもいいのだろう。


 取ってきたサラダを口に運んでいると、リージェも戻って来た。


「どう? 美味しい?」

「味覚は個々人で違う。他人の感想なんか当てにならないぞ」


 特に、今のリージェの訊き方では答え方に迷う。

『どうか』であれば、味の説明をすればいい。『美味いか』ならば俺の感想を言う。


 しかしそれが合体していると、リージェがどう思って美味しく感じられるかという質問のようだ。答えられん。


「正しい! 正しいんだけど、本気で参考にしようと思って聞いたわけじゃないから、さらっとニアの感想で答えてほしかった!」


 コミュニケーションの一端としての雑談か。

 ……人間関係の機微は、本当に難しい。

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