八話
「おや、君たちか。偶然で出会えるとは、縁があるのかな」
昨夜面識を持つことになったヴァレリウスその人だった。
「ニアの知り合いなのか?」
ヴァレリウスが明らかに知った相手に対する調子で声を掛けてきたので、ルーも意外そうにこちらを見る。それでヴァレリウスにも俺とルーが知人であることが伝わった。
こうなると、俺が仲介するのが自然なんだろうな。
「ルー、こちらの方はヴァレリウス皇子殿下。――殿下、彼らは私の知人で、ルーハーラとユーリと言います」
順に二人を示しつつ、名前を教える。
「ん……?」
ルーとユーリを見て、それぞれにヴァレリウスは眉を寄せる。
ルーは人間に擬態しているが、この時点でその違和感に気付いたか?
「貴方は……人ではないですね。秘めたるマナが巨大すぎるし、練度も恐ろしく澄んでいる。僕が知る中で一番近いのは高位の神獣ですが、それさえ比べるべくもない」
「分かってもらえるなら話は早いかな。君を迎えに来たよ、ヴァレリウス。ユーリと共に魔王と戦い、世界を魔から救ってほしい」
「魔王を……。僕を迎えに、ですか」
ルーの誘いに、ヴァレリウスは困った顔をした。
それはそうだろう。皇子という身分で、身軽に魔王討伐になど出られるはずもない。
ヴァレリウスの口調からして、彼は断ろうとは思っていない。ルーが選んだ以上、そちらを優先するべきという覚悟を一瞬で決めた。
それでも困っているのは、立場が軽くないからだ。
「ルー、すぐには無理だ。お前たちに同行するにしても、殿下にはいろいろ準備が必要だろう」
仕事の引継ぎとか。
「ニアがそう言うってことは、聞き入れてもらえると思っていいのかな」
俺が一言で心理を正確に読み取った事、ルーが俺の言葉を信じた事。
この二つにヴァレリウスはもの問いたげな顔をしたが、すぐに切り替えた。
「はい。僕の力が必要とされるのであれば、運命に従いましょう」
「ありがとう、助かるよ」
「いえ。世界に生きる者として、当然の務めと言えましょう。――ユーリだったか。これから、よろしく頼む」
「えーっと、はい。よろしくお願いします?」
普段使い慣れていないのが丸分かりの、ぎこちないユーリの丁寧語にヴァレリウスは笑う。
「いつもならばまず許さないんだが、お前に限っては同等の振る舞いを許そう。戦っている最中に掛ける言葉に迷って討たれては笑えないからな」
「咄嗟のときだけ許してくれれば、普段は努力しますけど」
世の貴族たちの反応を想像したか、ユーリはヴァレリウス自らがした提案にためらいを見せた。
「咄嗟のときに平時と同様の振る舞いを貫く自信がないなら、普段からやっておいてくれ。僕が戸惑うかもしれないだろう?」
ヴァレリウスもヴァレリウスで譲らない。
個人的には、ヴァレリウスが正しいと思う。
少し考えてユーリも同じ結論に達したか、諦めた様子でうなずいた。
「分かった。自信がないからそうさせてもらう」
「ああ、それでいい」
互いに挨拶を交わし、友好的に出会いを果たした。関係構築の第一歩として順調だと言える。
「ときに、ニア。僕は君に無礼を詫びるべきなのかな」
「必要ありません。俺は間違いなく、この世界の理の中にいる生き物ですから」
ヴァレリウスからしたら複雑だろうな。
地上の者にとって降りてきた神人は神の代行者だから、扱いは神に準じるべき相手。
俺にとってもそうなんだが、下手に面識があるせいか。神の代理ではあっても神と見做すことができない。
神人たちも神々が俺を寵愛しているのを知っているから、『神のもの』という扱いをする。つまりは事によっては自分たちより上位に扱う。ゆえに俺の振る舞いを咎めない。
そして俺自身は地上種であり、人間社会のルールに従って出世を目指している。現状地位を持たない俺が地上のほぼ最高権力者に近い皇子殿下の言動を、無礼だと咎める立場になどない。
「複雑そうだが、それが君の答えであるのなら従っておこう」
俺の立ち位置が分からないせいで、ヴァレリウスの返答は慎重なものになった。
「ところで、殿下はなぜこちらに? ふらりと芝居を見に来た、ということでいいのでしょうか」
カルティエラやフレデリカを見ていると、そう簡単に城外に出られる気がしないんだが。帝国では事情が違うんだろうか。
「半分ぐらいは正解だ。時間が空いたので視察を兼ねて回ってきたところさ」
本当の偶然だから、一番良い抜き打ちの視察になるな。多分、通常は皇子の仕事ではないと思うが。
ヴァレリウスの言い方も視察部分が完全についでだったから、目的は息抜きで間違いないだろう。
そんなことを話していると、ふと頭上に影がかかった。
雲にしては大きいし、濃い。奇妙に感じたのは俺だけはないようで、道行く人々の多くが足を止めて空を見上げた。
「あれ……どうしたんだ……?」
その中の一人が不審そうに呟く。
陽を遮った巨大な物の正体は、飛空艇だ。
帝都の空には飛んでいてもおかしくなさそうだが、人々の反応からするにイーストシティの上空に浮かんでいるのはおかしいらしい。
「何をしている。航路を外れているぞ」
「確認中です」
ヴァレリウスに問われるまでもなく、マナシェアを通じて情報を得ようとしていた侍従だが、どうやら先方もまだ把握できていないようだ。
「ねえ……もしかして、墜ちて来てない?」
同じく上空を見上げていたリージェが、信じたくはないという様子で、しかし確信しているがゆえに言わずにいられずに口にする。
「地上からの操作は受け付けないのか?」
「駄目です。管制塔からの上位者権限でも干渉不能とのこと。マナシェア部分が破壊されている可能性が高いです」
事故の場合の安全装置は利かなかった。というように聞き取れた。
「現在、警備隊と騎士たちによって船体が支えられている状態です。長くはもたないとのこと」
そして俺が抱いた感触は間違っていないようだ。ヴァレリウスは数秒瞑目して、覚悟を決めた目をして瞼を上げる。
「やむを得ないな。迎撃用意を進めろ」
「……はッ!」
一瞬ためらいを見せたが、侍従はすぐに了承の返事をした。
「迎撃って、まさか飛空艇をか!?」
「それしかない。まずは衝撃による航路の変更を行ってから、町のない場所で墜とす」
ぎょっとして半歩踏み出して詰め寄ったユーリに、ヴァレリウスは平坦な口調で応じる。
ただ、ヴァレリウスにしては珍しいほど――というか、初めて素の感情が聞こえた気がした。宿った思いは耐え難いほどに苦い。
それでも、表情にも声にも一切出さないのだ。当然のことだというように、自らが言い切る。
「人が乗っているんだぞ!? それも大勢!」
「下の町にいる人々は、乗っている人数よりはるかに多い。見過ごしたところで飛空艇の乗員乗客が助かるわけでもない」
飛空艇は緩やかに、しかし確実にこのイーストシティに向かって落下してきている。
このまま何もせずに手をこまねいていれば、飛空艇は墜落し、墜ちた場所には大惨事が待っているだけ。
被害が一番軽いのは、確かに飛空艇の迎撃だ。間違いない。……正しくもないけどな。
「けど――、けど! 他に手はないのか!?」
「あるならば選ぶ。案があるなら言ってみろ」
「乗員、乗客の命だけなら何とかなるかもしれん」
上空を見上げつつ言った俺を、ユーリとヴァレリウスが勢いよく振り返る。
つい昨日飛空艇に乗っていたときに、もし墜落したときにどうすればいいかを考えていた。それがほぼそのままで使える気がする。
「どうするの?」
「墜落前に乗客を飛び降りさせて、落下地点にマナで網を張って拾う。気流を操作すれば的確な位置に落とすことは可能だろう」
船体は諦めるしかないが。
「それは錬金術の道具か? それとも君の能力か」
「……俺の能力だ」
誤魔化しようがないので、正直に答える。
色々問いたいことはあるだろうが、時間はない。ヴァレリウスは諸々の質問をすべて追いやってうなずいた。
「ではそれで行こう。人手が必要な場所はあるか?」
「まず、ルー。ユーリを連れて飛空艇に上がってくれ。そして乗員乗客を落とせ」
当然だと思うが、躊躇する者がほとんどだろう。だが時間を掛けられると困るのだ。そんなに巨大な範囲は俺の魔力量の都合上、カバーできん。
「了解。全員を叩き落とせばいいんだな」
「……なるべく穏便にな」
今後の勇者評がえらいことになるぞ。
「殿下も人手扱いをして悪いが、気流を作って客を誘導してくれ」
ここでそれができる力量の持ち主はヴァレリウスだけだ。
「分かった。僕とイザークで請け負おう」
侍従の名前がイザークであることが判明した。意図的に紹介を兼ねたのかもしれない。
「すぐに始めるぞ」
すでに向こうから断言されている通り、巨大な船体は下降の一途を辿っている。確かに時間はあまりなさそうだ。
「翼、使っていいよな?」
「構わん。皇子には通じるだろうしな」
「ん」
短く肯定の返事をして、ルーは擬態を解くと背中に翼を生やす。
「――!!」
抑えていたときでさえルーの神力の正体を薄々感じていたらしいヴァレリウスは、明らかになったことでより正確に受け取ってしまったらしい。畏れと共に息を飲む。
「行くよ、ユーリ」
「おう!」
伸ばしたルーの手にユーリが掴まると、軽く羽ばたいて浮き上がる。
――ああ、そうだ。一つ言いそびれていた。
「ルー、ユーリ。上にはおそらく敵がいる。油断するなよ」
飛空艇の制御を壊した何者かがいるはずなのだ。
「了解。楽しみだね」
楽しむなよ。
呆れた突っ込みを入れる時間はなく、ルーはユーリを連れて空高く行ってしまった。
「ニアさん。わたしたちにできることはある?」
「今はない。だが地上に敵がいないとも限らないから、警戒していてくれ」
俺たちの注意は上空を中心に向くから、見ていてくれる味方がいると安心だ。
「うん、分かった。わたしが護るよ」
「えっと、わたしは……」
「大人しくしていろ」
直接的な戦闘能力のないリージェには、この場でできることは何もない。
本来なら避難する立場の人間だ。だが今目の届かない所にいられるのは不安で、この場には留まっていてほしい。
「分かった。大人しくしてるー……」
少ししょんぼりしつつ、リージェはうなずく。
さあ。始めるぞ。
天へと手を伸ばし、マナの割合と濃度を測る。
さすが、帝都という大都市を建設された地。マナは相応に豊富だ。集めてもいる気配がある。割合は魔力四、神力六と言ったところか。
ヴァレリウスには多分これでバレるが、他に方法が思い付かない以上仕方がない。ルーとの関係性を含めて、見逃してもらえることを祈る。
「集え」
人間に擬態していた魔力を、フォルトルナー本来のままで行使する。
魔力と神力に干渉して、マナの網を作り上げた。粘性と弾力性、柔軟性があり、落下してきた人間を受け止められる強靭さも持つ巨大な網だ。
目印にと、色を付けて分かりやすくしてみる。とりあえず無難そうに緑で。
「ああ、それは良いな」
意図を理解したヴァレリウスは、唇に笑みを浮かべつつ魔法を発動させた。
「風操」
まずは風を呼びつつ、イザークに指示をして傍らで咲いている植物の花をむしる。その花びらを風に乗せて舞い上がらせた。
「君のように器用ではないからね。物理だ」
「分かれば用は成せるかと」
そしていちいち演出が上品だ。下品な皇族というのも嫌なので、花を背負っているぐらいで丁度いいんだろう。多分。
花が円を描いて風の入り口を示すと、すぐに上でユーリとルーが動いた。人を抱え上げ、問答無用で落とす。
「あぁ……」
その様を見て、ヴァレリウスが暗澹たる声を出した。こうなるだろうなとは思っていたが、実際に見ると声に出してしまう気持ちは分からなくない。
見ず知らずの人間に、飛んでいる飛空艇から飛び降りろ、などと言われて実行できる者は稀だ。
しかし落とす位置は間違っていないし、そうすれば気流を正確に操っているヴァレリウスの魔法によって無事に網の上に着地できる。
それを見た船の上の人々が、そこが正しく脱出口だと理解した。
今度は逆に、我先にと飛び込もうとする人々を抑えつつ誘導して――爆発が生じた。
「何!? 何、何、何!?」
「敵だろう」
落下する飛空艇に今も残っているんだ。余程忠誠心の高い奴か、でなければ空を飛べる奴だな。
迎撃に向かうユーリとルーがその場を離れ、乗客を誘導する係は乗務員へと変わった。
彼らは技能を持つプロなので、いっそユーリたちよりも上手く客を誘導していく。流れが整い、一定の間隔で人々が下りてくる。
「どうにか、無事に下ろせそうですね」
ほっとした口調で言ってから、イザークは乗客たちから飛空艇へと視線を移す。
「上の戦況が分からないのが歯がゆいですが……」




