自我を持ったゲームキャラの私はプレイヤーからの自由を求めて女神に会いに行く
「やってられるかってんだコンチクショウッ!!」
怒鳴り声と共に、私こと樫木伊織はビールジョッキを割らんばかりにカウンターに叩き付けた。響き渡る轟音と怒声に狭い店内は瞬時に静まり返ったが、常連客である私の悪酔いだとわかると苦笑してざわめきを取り戻す。
「か、樫木ちゃん、飲み過ぎだって」
「そ、そうだよ、伊織。もう帰ろうよ」
カウンターに突っ伏した私に引きつった笑いを浮かべるのは通い慣れた居酒屋の店主。私が住んでいるアパートから徒歩十分、住宅街の外れにこじんまりと佇む居酒屋は近所のお父さん方の憩いの場所だ。アパートに越してきて三年、暇があると飲みに来ていた私もこの店の常連客に名を連ねている。
そんな店主の言葉に同意するのは私が勤める会社の元同僚の美恵。一年前に寿退社して気は弱いが優しい夫を尻に敷いてこれまた近所に一軒家を買って主婦生活を送っている。なので近所同士、何かあるとこうして酒を飲んで愚痴の語り合いをしていたのだが、今日は伊織の独壇場だった。
「あ~? れつにいいれしょ~。こっちあおあねひゃらってんらから」
「何言ってるかわかんない! さっきはめちゃくちゃはっきり喋ってたのに!」
「ほんなほほとより、おあわひー」
「悪いけど、樫木ちゃんには看板」
自分でも分かるくらいゆらゆらと揺れている手からカップを奪い取られる。じろりと店主を睨みつけるが慣れたもので平然としている。
「はぁー? らあいいひ。あんたひゅーもんひてよ」
「ひゅーもん? 注文? あたし頼んでもあんた飲む気でしょ。それじゃあ看板の意味が無い!」
「ちっ……らあ、ほっかでのひなおふ」
友人の分を奪い取る作戦は失敗だったようだ。こうなったら別の店で飲み直そう、と立ち上がりかけるもアルコールは足に来ていた。力が入らず転びかけたが、美恵が腕を引いてくれて転ばずに済む。
「っ……あっぶな。部屋まで送るからもうとっとと寝な」
「うー……やらぁー……」
「やじゃない。すみません、お勘定をお願いします」
言って、美恵はてきぱきとお勘定を済ます。勿論割り勘だ。酔っ払いのバックから勝手に財布を取り出して飲んだ分を支払われる。
今日は、伊織と大学三年の時に知り合った恋人とのお付き合い八年目の記念日だった。
そして同時に、ピリオドを打たれた傷心記念日でもある。これが飲まずにいられようか。
最近の私はとことんついていない。
まず、友人の勧めで株に手を出したら暴落。お試しだったから被害は大きくなかったが、それでも万単位のマイナスだった。
実家の商売がうまくいかず、最近の不況でついに借金を抱えてしまったらしい。その上、年の離れた妹が両親に甘やかされて育った所為で我侭に育ち、最近素行不良の男と付き合い出して、借金抱えた親にねだるだけでなく、姉である私のとこに金をせびりに来る始末。勿論一銭も出さないけど。
同じアパートに頭のおかしくなったヤツがいて、真夜中にいきなり騒ぎ出すので寝不足になって、思わず酒飲んでバトりにいったら警察沙汰になった。お陰で近所の奥様方の評判は最悪さ。まあ、ヤツはいなくなったからいいけど、よく考えるとかぁなぁり痛い女だわ、私。
後は携帯電話を落として修復不可になるくらいぶっ壊れて中に入ってた全データが吹っ飛ぶわ、夏季休暇に実家に帰って一週間後アパートの冷蔵庫がぶっ壊れてて中のものが鼻が曲がるくらいの悪臭を放ってたってこともあった。
そんな不幸のどん底にいた中で止めといわんばかりに、結婚確定とされてた彼氏からの別れ話。理由は簡単、他に好きな人が出来たとのこと。会社の後輩で、ぴちぴちの二十歳。写真見たけどああ可愛い子だったさ! もしかしてプロポーズされるかもと新しく卸したワンピ着てった自分が惨めなくらいね!
そんなこんなで振られた私は、仲の良い美恵を呼び出して酒を蛇のようにかっ喰らい、今に至る。
美恵は私を肩に抱えて1LDKのアパートまで連れてきてくれてた。相変わらず仕事が速い。そういえば退職する前も随分引き止められてたよな……くそう。
ぼす、とベッドに放り投げられる。朝に振り掛けていた芳香剤がいい香りに漂ってきて、それでいくらか心が落ち着く。
「あたし帰るからね。鍵掛けたらポストに入れておくから忘れないように」
「んー……」
扉が閉められ、鍵がポストに落ちる音が耳に届く。
さっきまでは眠くはなかったが、こうしてベッドに横になれば眠気が襲ってくる。うぞうぞと虫のように動きながら布団の中に潜り込んだ。ぼんやりとヘッドボードに置かれた目覚まし時計を見れば、十二時を越していたが明日は休みだ、思う存分寝てやろう。
どうせ明日起きればまた嫌なことが起きるんだろうな。
けど、こうしてふかふかのベッドの中にいるときは優しさに包まれてる気がして好きだ。
ワンピース買ったばっかで皺くちゃになっているが、もう要らない。壊れてもいいから寝よう。おやすみ、愛するべき憎たらしい世界よ。私は素晴らしき夢の世界へと旅立つ。
私の意識は闇に落ちた。
*****
どれくらい眠っただろう。瞼の向こうに眩しさを感じて無意識の世界から帰ってくる。鳥の鳴き声と人のざわめきが聞こえる。朝が来たようだ。
しこたま飲んだけどいつもの二日酔いではない。意識も記憶もはっきりしているが、何故か目の前の景色はぼんやりとしている。
今は何時だろう。枕元の時計を手探りで探すが指先はいつまで経っても時計に触れない所か、硬い壁にカツカツ当たって指先がちょっと痛い。仕方なく寝転がってうつ伏せの状態になって確認……しようとしたが、枕元には時計どころかヘッドボードすらない。目に入ったのは漆喰仕立ての白い壁だ。
「……あれ?」
部屋の壁は、白くてよく見るとぼこぼこした、よくある壁紙だった筈。もう一度触ってみるとつるっとしていて触り心地がいい。もしかして寝てる間に剥がしちゃったか? やべぇ、敷金返ってこないじゃん。
両腕に力を入れて、上体だけ起き上がる。そうすると、木製の額縁に入れられた鏡が調度顔の高さに来た。あれ? こんな所にこんな洒落た鏡なんて飾ってたっけか?
ぼんやりとした顔で自分の顔を見詰める。うわぁ、すっごい疲れた顔……。
「……ん? え? あれ? ちょっと待っ……。きえええぇぇええぇぇぇぇぇえェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!?」
まさか、鶏を絞め殺したかのような絶叫が自分の喉から出る日が来るなんて、思ってもみなかった。壁から無理やり取り外した鏡に映る自分らしき姿を食い入るように見詰める。
それもその筈。鏡に映し出されたのは、見覚えの無い、年若い可愛らしい少女の顔だったのだ。年齢は十代後半から二十代前半くらいだろう。さらさらと流れるような銀髪の長い髪、愛らしく大きな緑色の瞳、通った鼻、小ぶりの愛らしい唇。
見慣れている、カラーで染めて痛んだ茶髪の髪も、可もなく不可の無い典型的な日本顔も、化粧で誤魔化していた曲がり角の肌は影も形も無い。
もしかしてこの鏡がおかしいのではないかと直接肌に触れてみるが、鏡に映った姿がそのまま手で感じ取れた。試しに、頬を思い切り抓ってみる。
「いっだああぁ!!?」
「お客さん! どうかしましたか!? さっきの鳥を締め上げたような奇声はなんなんですか!!?」
鏡の横の扉が荒々しく開け放たれ、フライパンを持った小太りのおじさんが現われた。口髭を蓄えた人の良さそうな顔を見て、理由も無く一瞬で良い人だと判断。鏡をベッドに放り投げ、おじさんの胸にしがみつく。
「あああああああああああのここどこですか!?」
「……はぁ?」
一瞬で人の良さそうな顔の眉間に皺が寄る。そんな顔せんといて!
「……お客さん、寝ぼけてるんですか? ここは始まりの町プリメロ。そしてここはプリメロ一の格安のお宿……まあ、わしの店でもあるんですがね。お客さんは昨晩遅くにうちの宿に泊まられたんですよ。思い出しましたか?」
思い出せません! と口に出掛けた所で頭の中に映像が過ぎった。
昨日夜遅く、船でこの町に着いたが、初めての船旅にどろっどろに疲れ果て、なんとか宿屋に辿り着いたものの、文字通りベッドに倒れ込んで眠る銀髪の自分。
……なんだ、これ?
ほんの数秒前まではこんな記憶は存在しなかった。だけど今、映像は自分の身に起きた記憶だと実感している。
驚いている私の顔を思い出したのだろうと勘違いしたのか、おじさんはやれやれと苦笑して分厚い手で私の肩をぽんぽんと優しく叩く。ぽかんと開いた口をそのままにおじさんを見上げた。
「まあ、お客さんだいぶ疲れてたご様子でしたし、寝ぼけるのも仕方が無いでしょうね。特別、朝食はお部屋にお持ちしますよ」
「は、はひ……」
「すぐお持ちしますね。……お騒がせしました。なんでもないですから、皆様お戻りください」
にっこり笑って、おじさんが扉の外から何事かと部屋を覗き込む人々を追い払いながら扉を閉める。
なにあの人、すっげーいい人。なんかあんだけ優しくされたの久しぶりな気がする。涙出そう。
いや、んなことは取り敢えずいい。そいやお礼言いそびれた。あとでおじさんには盛大に感謝を述べることにして、一人部屋に取り残された部屋で、頭を巡らせる。
狭い室内にはテーブルが一つ、窓際にシングルベッドが一つ。ベッドの傍らの掛けるタイプの木製ハンガーには、私が着ていたらしきコートと、ベルト付きの細長い棒のようなものが掛けられている。なんだろう?
近づいて、それを手に取ってみる。ずしっと重い。
それは、銀色の鞘に入れられた、一振りの剣だった。柄を握って抜いてみる。鈍い銀色の、ゲームや映画でよく見られるような汎用タイプの剣だ。柄に巻かれた布を見るとまだ新しく、あまり使い込まれていないのがわかる。そりゃそうだ、まだ始まったばかりだ。
・……ん? なんだ、今の納得。始まったばかりってなんだ? 何が始まったばかりなんだ!?
またも頭の中が混乱する。駄目だ、リセットリセット。片手で頭を掻き乱すと、自分のものとは思えない滑らかな髪が触れる。これ本当に私の髪? かつらじゃないよね、と思って引っ張ったら超痛い。本物みたい。良かった。
「ってて……なんなんだ、一体……」
引っ張りすぎて痛む頭皮を摩りながら、剣を持ち上げて刃に顔を映す。粗造りの剣のようだが、ぼんやりとサファイアのような瞳が映る。
その瞬間、私の頭の中に膨大な映像が、映写機に流れる映画のように浮かび上がった。
ある美少女は、『泉伊織』と言う乙女ゲームのヒロインで、何人もの美男子たちを虜にした。
ある屈強な男は、『IORI』というコードネームで戦闘シュミレーションゲームの一兵士として群がる敵を何人も倒してきたが、平和になった世界では不要として暗殺された。
ある青年は、『イオリ』と言う育成シミュレーションゲームの主人公で、動物や作物を育成し、世界を発展させた。
あるオタク少年は、『神谷庵』と名乗り、大人向けの美少女ゲームの男主人公として、出てくる美少女という美少女を心身ともに蹂躙していった。
ある豊満な体の女性は、『伊織』として、格闘ゲームの主人公になって、現われる敵を得意の徒手空拳で殴り飛ばし、世界一の称号を得た。
他にも様々な『イオリ』の姿が浮かんでは消える。
見た目も性別も性格も異なるが、それは皆『イオリ』と名乗る人物の人生。
そして最後に浮かんだのは、人生ゲームの中で不運に見舞われ、不幸になっていくOL、『樫木伊織』――それは、見知った自分の姿。
突然、ラジオのスイッチが入れられたようなビープ音が響き、思わず耳を塞いだ。しかし音は頭の中に直接響いているようで大きさは変わらない。ざーざーと酷いノイズ音の中に、男なのか女なのかわからないぼやけた声が僅かに聞こえてきた。
『よお……は……ど……?』
『ああ……よい……。そう……あのゲー……だった……』
『……か? ……いな……たまに……外に……』
『……出たく……ないよ……』
『そう……じゃあ、こん……だ……』
『……オン……イン……ーム……?』
ザッ! とラジオのチャンネルが変えられたようにノイズが高まり、次の瞬間には二つの声は聞こえなくなった。
打って変わってと静まり返った室内。
今のは何?
今のは……記憶。『イオリ』と名付けられた存在が、送ってきた人生譚。
それらは全て“私”。
今のは誰?
今のは……現実世界で、私を操ってきたプレイヤーの声。もう一つは誰かわからないが、家族か友人なのだろう。
剣を落とした鈍い音で我に返った。拾って鞘に収める。全身がじっとりと汗ばんでいる。頬を伝った汗が落ちていった。
……わかったことがある。
一つ、ここはゲームの世界。
一つ、自分はゲームの世界のキャラクター。
一つ、自分は様々な『イオリ』としていろんな世界を経験してきた。
一つ、この世界とは別に、『プレイヤー』が存在する現実世界がある。
一つ、その『プレイヤー』が、これまで様々な『伊織』を操ってきた。
一つ、『プレイヤー』は、ゲームばっかりで外に出ない、言わば引き篭もり。
頭おかしいと思われ兼ねないが、私は至って正常だ。自分が訳のわからない数字や電気から生まれて動くことは理解している。でも何故今になって自分がゲームのキャラクターであるということを思い出したのだろう? ここがどんな内容のゲームの世界なのかは分からないけど、キャラクターに自我を持つゲームができたということなのだろうか? それでも、これまでの人生(といって良いのかわかんないけど)の記憶まであるのはどういうこと? あー! ハテナマークしか出てこない!
……それにしてもさっきのノイズ交じりの会話から分かった、私の主人とも言える存在。
外に出ろと言う言葉に対し、出たくないと言ってのけていた引き篭もり。
私の頭に、働きもせず出掛けもせず部屋から出ず、親に完全依存し、エロゲやらエロ本とお菓子やジュースのごみの中を自身の絶対領域として生活して、自分が王様だと下品な笑いを浮かべるメガネと吹き出物だらけの超肥満体の駄目人間が思い浮かぶ。
「そんな最底辺に操られてんの私!? いやだぁぁぁぁ!!」
抱えた頭を床に打ち付けた。痛い。何度かあったエロゲの世界の一つに、引き篭もりデブオタクを主人公とするゲームがあり、そのときは主人公ではなくメインヒロインに名前を付けられたのだが……その世界にいた頃を思い出すと寒気どころか今すぐ皮膚を新しく移植したい衝動に駆られる。幾らそういうストーリーだからといって、あの時の記憶は鬼畜過ぎだ。製作陣を呪い殺したい。
「お、お客さん、大丈夫ですか!?」
床にぐるぐると転がっていた私を目撃したのは従業員らしき茶髪のお姉さんだった。その手にはトレーがある。
「もしかして具合悪いんですか……?」
「い、いえ! 大丈夫です! 床掃除していただけなんで! あ、ご、ご飯ありがとうございます! 美味しく頂きます!」
「は、はあ……? じゃあ、トレーは食べ終わったら持ってきてくださいね」
おしナイスジョーク! お姉さん一片たりとて笑ってなかったけどね! あのままだったら頭の病院に入れられかねない。今出来る精一杯の誤魔化しの笑顔を浮かべてトレーを受け取る。お姉さんは戸惑ったような顔を浮かべていたが、にっこり笑って部屋を出て行った。
良かった、誤魔化せた……多分。
受け取ったトレーの上にはクロワッサンとスープとサラダが乗っている。その匂いが鼻腔を擽ると、腹の虫がすぐに鳴った。テーブルにそれを置いて、早速頂くことにする。
取り敢えず一口ずつ食べてみる。クロワッサンはこれまで食べたことのあるような普通のパンだし、サラダもレタスとかトマトといった見覚えのある野菜。スープは黄色だったのでコーンスープかと思ったらかぼちゃでちょっとびっくりした。ゲームの世界なのに味の再現率とか凄いな。マジでここがゲームの世界だって忘れるわ。
……ん? ってことは? 私が今朝食を食べているのって、私の意志じゃなくて、引き篭もりプレイヤーの意思ってこと?
なんか、それって、もんのすっごく腹立つ。
これから、いや今までもそうだったけど、ご飯食べるのも動き回るのもトイレ行くのもお風呂に入るのも引き篭もりプレ……い、長い! ヒッキーでいいや! ヒッキーの掌で操られてるってことだ。くっそ腹立つ。
自我持ったからには、私は私の思う通りに生きたい。よっし、プレイヤーに反乱だ、謀反を起こしてやる。
そういうわけで、腹は減っては戦は出来ない。朝食を一気にかっ食らう。
舐めるかのように美味なスープを飲み干しながら考える。
まずゲームに逆らうことなら、旅のスタート地点である部屋から出なければいい? いや、ここは宿屋だからお金は掛かるし、それに引き篭もっていたらヒッキーと一緒だ。
うーん……。このゲームがどんなストーリーなのかは知らないけど、私の職業は新米剣士なので恐らくRPGかアクションなのだろう。剣を捨てるか?
うん、試してみよう。
着替える。粗末なワンピは借り物の寝間着だ。疲れてたのによく着替えたな、私。いや、それもシステム上か?
駄目だ、これ考えたらきり無いな。もう考えるの止めよう。ワンピを脱ぎ捨てると肉体が露になった。寝てるときも締めたままのさらしと女用のトランクスに似た下着……この世界にはブラは無いけどパンツを履く概念はあるらしい。良かった。
襟付きの白いシャツと茶色のスキニーパンツ、安そうなペラい皮のロングブーツを履き、青っぽいロングコートで決める。うーん、安っぽいのはやっぱり冒険初期なんだろうから仕方が無い。腰まである長い銀髪はおしゃれだし、このままでもいいんだけど、ちょっと邪魔だから首のところで軽く結んでおく。そして最後に腰に剣を……っておい!
「あっぶねー! なんだこのナチュラルな流れ! お前は置いてく! いいな!」
無意識に剣をぶら下げたベルトを巻きかけてベッドに放り投げる。指差して無機物に言い聞かせるなんてあほ丸出しだが、こうでもしないとなんとなく付いてきそうな気がして怖い。念には念を入れ、ベッドの下に置いて宿の人に見つからないようにしておく。ベッドメイキングと借りたパジャマワンピを整え、部屋を出ようとした。
「イオリ、剣を忘れてるよ!!」
「のわぁっ!??」
突然、視界が何かに遮られ、耳には甲高い大声が響く。驚いて仰け反り、拳を構える。すると目の前には、私の掌サイズの、羽の生えた人間が空中に浮かんでいた。小妖精だ、と頭に浮かぶ。
「ちょっちょっちょ! なんでいきなりそんな臨戦態勢を取るの?!」
「いきなり現れたら誰だってそうする!!」
「いや、確かにそうだけど! ってか待って! とりあえず落ち着いて話をしよう! 説明させて!」
「説明!? なんの!?」
「この世界の!!」
それは願ってもない申し出だ。とりあえず戦闘態勢は解いて、小妖精と向かい合う。
「ここはヴィルジェン大陸だよ」
「……びるじえん?」
「『ヴィルジェン』! 下唇を噛んで、ヴィ! 女神ヴィルジェンが創造した大大陸さ!」
「はいはい、わかったわかった。んで、君は何?」
「僕は初心者冒険者である君のサポートキャラクター、小妖精のユーリ! 宜しくね」
「しょーよーせーのユーリね……」
小妖精のユーリは、金髪と碧眼のファンタジーでよく見掛けるタイプの小さな妖精だ。小さいが、かなりのイケメンだということがわかる。所謂キラキラした王子様のような見た目をしていた。
ユーリの説明曰く、ここはかつて女神が統治し楽園と唱われたが、現在は魔物蔓延る大陸ヴィルジェン。私はヴィルジェンを冒険するために大陸外からやってきた若き冒険者なのだという。
成る程、よくあるオンラインRPGなわけね、ハイハイ。そりゃあ引き籠もって外に出ないヒッキーには現実では味わえない楽しい体験ができるでしょうね。
「この『ヴィルジェン』では、ご主人の望み通りの体験が出来ます。数多の魔物を倒して称号を得るのもよし、不可侵のダンジョンを攻略して宝物を得るもよし、ゴールはありません。何でも自由です!」
「ふーん、そう……」
「……あ、あの、ご主人様? なんかテンション低くない? これからめくるめくる大冒険が待ってるんだよ?」
「あー、そうね~」
「なに? なにか気になることでもあるの? これからずっと一緒に旅をするパートナーになるんだから、何でも話してよ」
「……君に言ってもしょうがないとは思うんだけどさ。ここ、ゲームの世界な訳。で、私はゲームのキャラクターで、プレイヤーが外の世界にいるじゃん」
「え? あ、は、はい」
「私のプレイヤー、引き篭もりみたいでさー、そんなヤツのプレイキャラなんて、やる気も糞も無くすって」
ユーリが目を丸くして言葉を失っているよう。それはそうだ。プレイヤーの投影キャラクターがプレイヤーのことを貶すなんて思っても見なかっただろう。
「なんとか、こう、プレイヤーの呪縛から逃れる方法は無いもんかねぇ……」
「あ、あの、だったらこんなのはどう? ヴィルジェン大陸の何処かには女神がおわす神殿があるといわれ、その神殿を攻略し、女神に会うことが出来れば何でも願いが叶うと言われてるんだ。女神に、自分を自由にしてください! ってお願いするんだよ!」
何でも、と聞いて少し気分が上がったが、すぐ萎む。
「……でもそれってこのゲームの一応ゴールって感じじゃん。うまくプレイヤーに乗せられてる気がするんだよなぁ」
「んもう! じゃあずっとこの町から出ないつもり!? 折角自分で考えられるようになって、自由に歩き回れるってのに! それじゃあ、イオリの想像してる引きこもりと一緒じゃ無いか!」
小さな彼に怒鳴られてハッとする。
そうだ、確かにユーリの言う通り。
今までの『いおり』には無い自我を備わち、プレイヤーという存在を知っている。例えゲームの物語の進行だろうとプレイヤーの思惑だろうと、今ここにいる私が考えて行動することが、プレイヤーの支配から逃れる第一歩であり、『自我を持ったヴィルジェンのイオリ』としての始まりなんじゃないか。
「わかった。ありがとう、ユーリ」
「ご主人」
「折角自我を持ったんだ。プレイヤーがどうだこうだ考えて縛られるのなんて、結局プレイヤーに呪縛されてるようなもんだよね。私は私、私の考えることは私の意思だって自信を持つよ。そうしないと、何にも出来ないまま。ユーリ、これから一緒に、旅をしよう! サポートよろしくね!」
「う、うん! 僕はイオリが行くところに、何処までもずっと、一緒に付いてくよ! こちらこそ、宜しくね!」
「うん! 最終目標は女神に、プレイヤー、お前の呪縛から解放してもらからなー!」
拳を突き上げ、どこにいるかもわからないので、とりあえず天に向かって満面の笑みを浮かべて叫んだ。
後から宿屋のお会計のときに、めっちゃ不審者を見る目で見られたけど、気にしないもんね。
*****
それからは、長い冒険の物語だった。
だって、女神の居場所なんてわからない。だから何処に向かえばいいかもわからない。とりあえず、あちこちの町や村、人が集まる場所に向かうけど、モンスターのレベルは上だったりで戦いに難儀したり、北の帝国と南の共和国の諍いに巻き込まれかけたり、暗殺ギルドに関わったことで暗殺者に仕立て上げられたり、どこぞのやんごとなき血筋に迫られたり、聖女に嫉妬され命を狙われたり、中立都市にある学園にスパイとして送られたり、東に進まんと思ったら西に行かされ、南から北に船で大移動させられたり、とにかく目まぐるしい毎日で死ぬかと思った。
しかし、得るものは多かった。金銀財宝は勿論、数多の失われていた魔法や知識を得、山のように現れる強敵たちとの戦いで剣の腕を磨き、いつの間にか大陸最強と噂されるまでになっていた。
それよりなにより、私の周りには周りには沢山の仲間たちがいた。気障な剣士、ツンデレ聖女、口は悪いが気のいい戦士、わんこ系腹黒魔導士、色男貴族……まあ、問題あるやつばっかだけど、みんな心から信頼できる友達だ。
残念なことに、ゲームシステムの都合なのか彼らを連れて女神の元を目指すことは出来なかったが、みな女神の神殿を目指す私を心から応援してくれた。
色んなイベントを乗り越えた結果、私の長い旅路は終わりを告げようとしていた。
とても穏やかな風が吹いている。その風に後押しされるように、船は真っすぐ真っすぐ東に向かう。向かう先には大きな三日月が上っており、私はそれを見に船首に来ていた。
女神は、世界の最東端、大陸の中央、巨大な湖の中心に位置する忘れられた小島にいる。
最後の戦いだったツンデレ聖女の情報により、女神の居場所を突き止めた私は今、船で忘れられた小島に向かっていた。この調子でいけば明日には到着するとのこと。
もうすぐ、もうすぐ私はヒッキーの呪縛から解放されるのだと思えば、少しでも早く女神の待つ島に近付きたかった。
そんな焦りが、私の研ぎ澄まされた勘を鈍らせる。
ぱさり、と布が肩に掛けられて飛び上がらんばかりに驚いた。
「こんばんわ、イオリ嬢。今宵は月が美しい夜だね」
「ら、らららららんばーとさま! ごきげんうるわしゅう!!?」
驚きすぎてよくわからない挨拶をしてしまった。
男らしい浅黒い肌と逞しい体の美青年は若き船長・ランバート様。ランバート様とは東の港で海賊との小競り合いに巻き込まれて知り合い、解決したお礼にとわざわざ知り合いに掛け合って船を借り、共に船出をしてくれたのだ。ちょっとした小競り合いを解決しただけなのに、まじ良い人すぎ。
「そうだね、こんな月の美しい夜に君と会えて、麗しくならない訳が無い」
形のいい唇が語るのはなんとも軽薄なセリフだが、悔しいことにイケメンが言うと様になるからマジときめく。
「は、はあ、それはようございました……どうしました?」
「いや、君との楽しい旅も明日で終わりになるのかと思ったら寝付けなくてね。月の光に誘われるように外に出てきたのだが……まさに女神のお導きだね」
男らしい節だった指が私の髪を一束掬い、口づけを落とされた。かー、マジ色男。ゲームだからこそのキャラ設定だけど、現実だったらナンバー1ホストだろこんな人。正直、一番付き合いたくないタイプ。
「ふふ、ありがとうございます。でも、旅は明日で終わりませんよ?」
「……それは、期待してもよいということかな」
「帰りの船もよろしくお願いしますね」
「……君は俺を飽きさせないね」
いやだってそうでしょ。明日で旅終わりって言われたけど、帰りの船だって必要でしょうに。それも期待しても云々言われてもねぇ……口ぶりや性格からすると女には事欠かないようだし、好みでもないし他の人と同じように接してたけど、なんだかすっかり気に入られてしまったようだ。世の中どんな風に転がるかわかんないなちくしょう。
「それにしても、君は女神に一体どのような願いを告げるつもりだい? 永遠の若さとか?」
「まさか。長生きなんてしたくありませんよ。年相応に老いて、静かな余生を送って幕を下ろしたいので」
「静かな余生、ね。今の君には程遠いような気もするけど」
「そこはまあ、成り行きで巻き込まれただけなので。表立って動いてくれたのは仲間たちですし」
「君はそう思っているようだけど、周りはそう思っていないよ。どうか女神の元から無事に俺の元へ帰ってくることばかりを願うばかりだ」
「帰ってきますよ。寧ろ生まれ変わってくるつもりですから」
「ほう……これ以上美しくなられては、他の男たちが黙っていられないじゃあないか。やはりここは既成事実を作り上げるべきかな」
「謹んでお断りしますね。この見目も気に入っていますし」
「では、愛しの姫君は一体どのような願いを? どうか貴女の哀れな信奉者に教えてはくださいませんか?」
いっちいち台詞が薄ら寒いわ面倒くさいなまじで!!!!
一応、見た目に合った口調で頑張ってるけど崩して突っ込んでやりたい。笑顔でスルーしようとしたけど、哀れな信奉者(笑)は私の返事を待っているようだ。
今まで出会った人たちに、目的は話していたけど願いを語ったことはなかった。
……今夜は月が綺麗だし、明日には待望の女神様に会えるのだ。だから、口も心も浮足立っていた。
「――私は、とある呪いに縛られていると言ったら、ランバート様はどうしますか?」
「呪い、と、いうと?」
私の言葉が予想外だったのだろう。蕩けそうな笑みから驚いた表情に変わる。
「そうですね……あまり詳細は述べられませんが、所謂呪縛です。とある人物が私を操り人形のように操るのです。正直申せば、今まで私が為してきたことは、私を操る者が為したこと。私の手柄は一つもありません」
「……それは一体、誰だ?」
一転して、低く警戒するような声。
「さあ。私も会ったことはありません。ただ、暗い室内で、私の行動を逐一監視しているようです」
「……何故?」
「ゲーム、遊びですよ。それ以外に理由はないのです」
「遊び、だと? 君が傷付き、嘆き、悲しんでいた出来事は全てその者の余興だと?」
「ええ。定められたシナリオ、でしょうね」
言って、様々な記憶が去来する。誤解から虐げられたり、投獄されたこともあった。良くしてくれたものが死んでしまったことも、生きているのに二度と会えなくなる別れもあった。
しかしそれは、ゲーム上に存在するシナリオであり、イベントに過ぎない。
呟いた自分の声は、自分でも思った以上に悲壮感を漂わせていた。
気が付けば、私はランバート様の腕の中にいた。
「……ランバート、様?」
「突然の無礼を許してほしい、イオリ。そしてどうか、誤解しないでほしい。俺が君を想う気持ちも、君を抱くこの腕も、決してその人物の指金ではないことを」
私の体を抱きしめる腕が強まった。
このゲーム、恋愛要素もあったのだろうかと頭の片隅で思う。決してプレイヤー・ヒッキーの指金ではないだろう。どっちかっていえばシナリオライターだな。
だってこの男と一緒にいる期間は短い。彼……に関わらず、異性が恋に落ちてきてもイベントの一つだとしか思えないのが正直なところだ。ああ、このくそ頑固でくそ現実的な性格虚しい……。っていうかそろそろ離してくんないかなあ。
「……ちょっと」
私の所為で大して甘くならない空気に割り込む、不機嫌そうな第三者の声が私の後頭部の方から聞こえる。
「……これはこれは、小妖精殿。無粋な声掛け、感心しませんな」
「無粋なのはあんたの方でしょ。イオリが困ってるんだから、さっさと離れたら」
嫌味を込めた慇懃無礼な言葉遣いのランバートだが、渋々と私から離れる。その隙間に入り込んだのは、寝室で寝ていた筈の光の小妖精ユーリ。
始まりの町から共に旅をしている彼とは、互いの感情をくみ取ったりできるようになり、今ではすっかり大事な相棒になっている。
だから小さな彼が怒っているのは後ろ姿でもよくわかった。
「人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて……って言葉を知らないのかな?」
「一方通行な恋路なんて醜いと思うけどね」
うーん、ばちばちと火花が飛び交っているのは気のせいじゃないな。
「……お邪魔虫がいては、貴女を口説くこともできない。ここは引き下がるとしよう。おやすみ、俺の姫」
「あ、ランバート様、上着……」
「姫が風邪を召されてはいけない。明日、返してくれればいいさ」
「は、はい、おやすみなさい」
ウィンクを一つ、踵を返すランバート様はめっちゃかっこいい。惚れないけど。どっちかっていうとアイドル視する方が楽しめるだろうなー。
「……ねえ、イオリ。明日には、女神のいる小島に辿りつくね」
「そうだねー。ほんっとに長かった」
「……そうだね」
傍に勝手知ったるユーリしかいないので、小声ながら素の口調で喋る。船べりに両腕を乗せ水面を眺めると、ユーリがその傍に腰掛けた。
私とユーリは、始まりの町から今までの思い出を語り合った。最初に言っていた通り、彼はどんな窮地に陥っても、命に関わる危険な場所に行ってもずっと傍にいて、私を支えてくれた。最初は煩わしかったが、今となっては大事な大事な相棒だ。
「なんだかんだで大陸一周しちゃったよね! ま、女神の居場探しで忙しなくて、あんまりゆっくり出来なかった時もあるし、呪縛から解放されたら、今度はゆーっくりと観光でもしようや」
「……うん」
「……? ユーリ、どうしたの? なんか元気ないけど。船酔い?」
「違うよ。……あのさ、イオリ」
何故か元気のないユーリの頭を指先で撫でながら尋ねる。いつもなら止めてよ! と嫌がられるのだが、今は為すがまま。マジで元気なくて心配になる。
ユーリがなにか言い掛けたその時、突然、何の前触れもなく船がぐらりと揺れた。
その反動で浮いた体は、大きく斜めに傾いた船に流されるまま滑っていく。
「イオリ!!!!」
ユーリが光の中で手を伸ばしているのが見えた。意味などないと分かっていても手を伸ばすが、私の体は吸い込まれるように水中に投げ出された。
*****
瞼が光を感じて私の意識はゆっくりと覚醒する。重い瞼をゆっくりと持ち上げると、私はきらきらと輝く場所にいた。そこはまるで中世ヨーロッパの宮殿の王の間のような、煌びやか、荘厳で、神々しい。天井に近い窓から入ってくる光は温かく室内を照らし、壁に掛けられた絵画や等間隔に置かれた彫刻は芸術をわからない私ですら価値の高いものだとわかる。これまでいくつかの国の王宮に入ったことがある私ですらこれほど美しい宮殿は初めて見て、あまりの場違いさに閉口してしまう。
私はそんな広間の中央のレッドカーペットに立っていた。レッドカーペットはハリウッド映画スターが歩くようなあれで、奥の高所のある空の玉座まで続いていた。辺りには酷く静かで、誰の気配もなかった。
「……ここは……? ……あれ、ユーリ? ユーリ?!」
周囲を見渡し、初めて相棒がいないことに気付く。幾ら小妖精と言えど見えない訳がない。どんな状況においても私の服を掴んで離さなかった彼がどこにもいない。その事に不安を覚えた私は、ユーリを探さねばと慌ててレッドカーペットから足を踏み出そうとした。
「そこはあの世とこの世の境界。元の世界に帰れなくなってもよいなら構わんが、出ぬ方が良いぞ」
突然降ってきた声は、区長こそ堅苦しいが柔らかく私の鼓膜を響かせる。思わず玉座を見上げる。
いつの間にか、玉座に虹色の輝きを放つ長い髪の女が座っていた。白く輝く長衣を纏った、この世のものとは思え居ない美しい女。瞬時に、彼女が女神だとわかった。髪と同じ、虹色に輝く瞳と目が合った途端、私の足は膝を折っていた。深く頭を垂れ、最上級の礼を取る。
「面を上げよ。よく来たな、イオリ。歓迎するぞ」
「め、女神、びるじぇん……」
「『ヴィ』ルジェン、だ」
「し、失礼しました!」
上げろと言われても、そう簡単には上げられない。それほど女神には威厳とオーラが溢れ出ていた。しかし、お言葉を無視するわけにはいかない。目だけで女神を見る。乾いた口でその名を紡いだが、噛んでしまって訂正された私の体はすぐに土下座の体勢に移行した。ヤッチマッタ!!
「あ、あの、貴女は何でも願いを叶えてくれるとお聞きしました!!」
「いかにも」
「で、でしたらお願いがございます! 私をプレイヤーの呪縛から解放してください!!!!」
「あいわかった」
「珍妙な願いだとは百も承知しております! ですが、私は……へ?」
ゲームのキャラクターに、ゲームから解放してくれと言ってもおかしな奴だと思われるだろう。だからこれまでの経緯を話そうとしたが、女神から了承の言葉を聞いた気がして、思わず頭を上げた。虹色の瞳とかち合うが、さっきほどのオーラは感じられなくなっていた。
「わかった、と申した。そなたはプレイヤーの呪縛から解き放たれたいのだろう? 簡単なことだ。……何を呆けておる?」
「い、いえ、実にあっさりとOKしてくれたもので……あの、プレイヤーの呪縛ってなにかわかります?」
「まず、プレイヤーはお前をゲームの外で操作している人間のことだろう。その呪縛という事は、プレイヤーの操作の手から離れ、自由に生きたいと、そういうことだろう」
「え、あ、へ、え?」
「間違っているのか?」
「いや! あってますめっちゃ合ってます!! 合ってます、けど……ほ、本当にできるんですか、そんなこと……?」
これが神の知識なのか? 何故これがゲームだとわかってるんだろう。いや、そういうシナリオだといえばそうかもしれないけど、今までのストーリーでこれがゲームの世界だということを匂わせるようなイベントはなかった筈。いや、もしかしたら裏ルートとか二週目とか?
「私は万能の女神。出来ぬことはない」
うっわー。堂々と言い切るさまが逆に怪しい。なんか裏あんじゃないか、これ。疑い出したら、なんだかこの場所も女神も陳腐な作り物の気がしてきた。
「失礼な娘だ。裏など無い」
「な、心を読めるんですか?!」
「当たり前だろう。我を誰だと思っている」
「万能の女神様です、はい」
やっぱり神か、この方は。そう思ったら心を読まれたのか、女神が満足気に微笑む。うわ、やばい……美しすぎる……。
「わかればよい。では、そなたの願い」
「ちょっと待った!!!!」
女神の言葉を遮る第三者の声が背後から響く。その聞き覚えのある声に私は勢いよく振り返った。
ユーリだ。私はすぐさま彼に駆け寄り、両手で包むようにして彼を捕獲する。
「ゆ、ゆーり!? 無事だったの!? 怪我はない!?」
「わ! ちょ、ぼ、僕は大丈夫だから! それよりイオリこそ怪我は無いの!?」
「ない! よかったぁ……!」
間近で見る彼は草臥れた様子だが、確かに傷一つない。ほっとしてレッドカーペットの上にへたり込む。
「なんだ、そなたら。随分と仲良くなったではないか」
揶揄う様な声に慌てて振り返る。女神を前に無礼な行動を取ったが気にしていないようだ。
手の中でユーリが動く。ユーリは私を守るかのように女神との間に浮遊し、女神に怒りの眼差しを向けた。
「女神。どうして何も言わない? イオリのその願いはとうに叶っているじゃないか」
「……は?」
今、ユーリは何て言った?
私の願いは叶っていると?
プレイヤーの意思から離れて自由になりたいという願いは叶っていると、そう言う意味?
一体何を根拠に? っていうか、ユーリは一体何を知っているの?
困惑する私を尻目に、女神はユーリに向かって嘲けるような笑いを浮かべた。
「ああ……先に言ってしまったのう、ユーリよ。さて、どう説明するのだ?」
「煩い。お前は余計なことを言うな」
「ちょ、ユーリ。あんた、女神に対してそんな言い方無いでしょうに。っていうか、叶ってるって、何? どういうことなの?」
「……イオリ、ごめん」
謝罪だけして、言葉を濁すユーリ。振り返ったユーリの、まるで痛みと苦しみを耐えるような表情に、私は尋ねる言葉も責める言葉も無くす。
それに業を煮やしたのか、女神が聞こえるような大きな溜息を吐いた。
「面倒じゃ。イオリ、真実を見せてやろう」
「真実?」
「女神! ダメだ、止めろ!!」
ユーリの制止が聞こえたが、その時には既に私の意識は違う場所に行っていた。
*****
白い世界。
白い天井、白い壁、白い床、白いベッド。連想できるものは病院の室内だけ。
実際ベッドに横たわるのは病的なまでに痩せ細った少年だった。その手には小型ゲーム機が握られ、少年は一心不乱に操作していたが、やがて諦めたように電源を落とした。
『よ! 調子はどう!?』
病室の扉が勢いよく開き、入ってきたのは元気なポニテの女の子。
『ああ、いいよ。そうだ、お前から借りたあの人生ゲームもどき、くそげーだった』
『まじ? 悪いね! 今日は天気いいよ! 外いかない?』
『出たくても、今日は調子悪いから無理。っていうか、もう歩き回る元気もない』
『おいおいおーい、病は気からっていうでしょ。そうだ、今日はあんたが歩き回りたくて仕方がなくなるようなゲーム持ってきたよ!』
『はあ? なにそれ。……ヴィルジェン?』
『オープンワールドっていってね、世界を自由に歩き回れるオンラインゲームなんだって。やってみやってみ!』
『……まあ、くそげー止めたところだし、暇だからいいけど』
『おっし! あ、じゃああたしこれから買い物いかなきゃだから帰るね! 早く元気になれよ、祐李!』
『はいはい、じゃあね、伊織』
視界が一転した。
ベッドに横たわる祐李の周りには白衣を着た男女がたくさんいる。
祐李の体には沢山のコードで繋がれている。みんな何か叫んでいる。
慌ただしく、物々しい雰囲気は音が聞こえずともわかった。
病室の扉が開いて、先程の少女が泣いていた。
いつも勝気に笑う少女が、真っ青な顔で病室内を見ている。
震える唇が少年に向かって叫ぶ。
しなないで、ゆうり。
祐李。ゆうり。ユーリ。私の大事な相棒の小妖精。
ユーリ。君は、一体。
*****
いつの間にか、私は私の体に戻っていた。しかし、居る場所は先程とは違う場所。
煌びやかな宮殿も玉座もない、空も大地もない、ただただ明るいだけの空間。
そこに、私は女神と相対していた。
正確には、そこに女神がいるのはわかるのだが姿はなく、朧げな輪郭を持つ光輝く人影だが。持ち上げられた掌であろう位置に、炎のような輝きが浮かんでいる。その中に、ユーリが蹲るように眠っていた。
「ユーリ……ユーリは、一体……?」
「小妖精ユーリは、鹿島祐李の魂を抱く者。そしてそなたは、鹿島祐李によって作られた、自我を持ったキャラクターだ」
「女神、ヴィルジェン」
貴女は、一体。
頭が真っ白になったまま浮かんだ声にならない問いかけを、女神は快く拾ってくれる。
「女神ヴィルジェンとは仮初の名よ。本来の名は……まあ、幾つもある。私の力は、強き想いを持つ者の願いを叶える事。あちらの世界において、鹿島祐李は死の淵に立っている。今際の彼が望んだことは、そなたと共に世界を巡ることだった。そこにはシナリオもプレイヤーもない。あくまで、鹿島祐李が望んだ、そなたの自由意思による冒険。故に、自由になりたいというそなたの願いはとうに叶えられていたのだ」
「……何故、私なのでしょうか。私は、彼の幼馴染ではないのに」
「叶わぬ、叶えられぬと思っている想いを願い続けるほど、鹿島祐李の心は強くなかったようだ。だから、幼馴染の分身として作ったお主との旅路を選んだ。全く、愚かしいことを。願えば病気を治してやることも、幼馴染との恋路もうまく進めてやれたというのに」
想いは強いくせに小心者な上ゲーム脳は困る、と女神は呆れたように言った。
まるで、夢から一気に覚めたような感覚だった。
キャラクターである私の名前は、彼の幼馴染であり、片思いをしている少女の名前から取られたもの。
彼は幼い頃から病弱で、人生の大半を病院で過ごしていた。
そんな彼に楽しいことをと齎されるのがゲームであり、そのソフトを持ち込むのは幼馴染である野村伊織だった。
私は、幼馴染である伊織に告げられない思いから生まれた『イオリ』。
私を生んだのは、あのベッドに横たわっていた祐李。
女神のお陰で、全て、理解した。
私の考えは全て勘違いだった。
彼は病気で、出たくても出れなかったのだ。
しかも彼今死のうとしている。彼が望んだ、大切な想いが詰まった願い。
私はそんな必死の願いを、引き籠りだ呪縛だなどと、本人の前で無自覚に罵倒してしまっていた。
嵐のような後悔が私の中で荒れ狂っている。私の暴言を、彼はどんな気持ちで聞いていたのだろう。
「さて、イオリよ。願いはどうする?」
「え?」
女神が、重くなった空気を払うような、澄んだ声を上げる。
「お主も強い想いを持って私の前に現れた。初めに口にした願いは既に叶っておったから無効だ」
ぼんやりとした輪郭で正確な表情は伺えないが、からからと快活に笑っているのがわかる。
なんとなく揶揄われている気がしなくもない。既に叶えられている願いを叶えようと言っていたのはかなりズルくないか? 単に、もう叶えられていると言えばいいだけじゃないか。いや、もしかして、ユーリに配慮したのか? 神の考えることは分からない。が、今はそれどころではない。
願い。私の願いはプレイヤーから自由になること。その為にここまできたが、その願いは既に叶っているというのだからこれは置いておく。俗的にいえば、仲間も、地位も、金も、力もある。欲しいものはない。
じゃあ、私は何を望んでいるのだろう?
思い浮かんだのは、大事な小さな相棒の笑顔。
「では、女神よ。お願いがあります」
私が口にした願いを聞き遂げた女神は「随分と回り道をしておるのう」と、静かに笑っていた。
*****
奇跡だ、と周りの人たちはみな口々に言った。
幼い頃に患い、不治の病と言われた僕の病気は、一度死にかけたのを機に徐々に治っていった。
「死んだと勘違いした病魔がさっさと出てっちゃったんじゃない?」
「なんだよ、それ……死の淵か甦った結果、強靭な肉体を得たの方がいいんだけど」
「それこそなに。これだからゲーム脳は……」
「人のこと言えないだろ」
日の当たる個人病室で、伊織は僕に林檎を剥きながら冷やかしてくる。分厚い皮に反して徐々に小さくなる実を見て、皮のまま食べてもいいような気がしてくる。
「あ、そうそう。ヴィルジェン、クリアしたの?」
「……ああ、あれ……久しぶりにやろうと思ったら、データ消えちゃってたんだよね。多分危篤になったあの時までやってて、どさくさに紛れて衝撃与えちゃったのかも。一応、女神の居る小島まで到着してあと少しだったのにさ。それに落ち込んじゃって、今やってない」
「はあ、なにそれ。メンタル弱。まあ、気持ちはわかるけど」
「わかるなら悪態吐くなよ……」
「あ、そだ。ヴィルジェンで思い出した。部屋の前に落ちてたんだけど、祐李のじゃない?」
すっかり小さくなった林檎を渡されたので食べていると、伊織がポケットから何かを取り出して差し出してくる。それはアクリルで出来たキーホルダーだ。そのキャラクターには見覚えがある。それは……。
「……小、妖精?」
「確かサポートキャラ妖精にしたって言ってたから、祐李のかなって。っていうか、祐李がゲームグッズに手を出すなんて初めてじゃない? こんなにヴィルジェンに嵌ってくれるとは思わなかったよってちょ、祐里、どうしたのっ?」
「え?」
伊織から渡されたそれを掌に乗せて眺めていたら、伊織が驚いた声を上げる。
え、と顔を上げて、僕は僕の頬に流れる涙に気付いた。
「あれ、なんで、僕……」
「どうしたの、祐李? 痛いの? 具合悪い? 看護婦さん呼んでこようか?」
回復に向かっているとはいえ、まだ完治はしていない。けれども体はあの頃のように痛くはないし苦しくもない。
感じるのは、何か大切なものを失ったような喪失感、胸をぎゅうぎゅうと締め付けるような切ない圧迫感。そして僕の右手に握られた固いキーホルダーから伝わる謎の安心感。
なんでそれらが僕の胸を去来して涙を流しているのか理解できなかった。できなかったけど、僕は、そのキーホルダーから背中を押されているような気がしてならなかった。
椅子から立ち上がった伊織があたふたとしている。
家が隣の幼馴染。まだ元気だった頃、毎日のようにお互いの家や公園を行き来して遊んでいた。僕が伊織を一人の女の子だと意識し始めたのは、体調を崩した小学生の頃だった。入退院を繰り返す僕に、友人たちはゆっくりと離れていく。けれども、伊織だけは殆ど毎日のように見舞いに来て、僕を励ましてくれた。そんな彼女を、嫌えるわけがない。
けれども僕は完治が難しい病気。告白したとして、万一成功しても、彼女が苦労するのは目に見えている。
いや、そもそも告白なんて成功するわけがない。彼女は幼馴染の贔屓目に見てもかなり可愛い。同じ病院にいる連中から紹介してくれなんて言われることが多々あった。そんな彼女が、青瓢箪みたいなんて言われる僕を選んでくれるわけがない。お見舞いもきっと、幼い頃からの友人の境遇を憐れんでのことに違いない。
だから僕は、伊織への想いは封印していた。いつか僕がいなくなっても、彼女の中でこんな友達がいたんだよって思い出として残ってくれるように。
でも、今はもう、そんなことは関係ない。僕はこれからも生き続ける。その隣には、伊織がいてほしい。
何も返さない僕に、伊織は慌ててナースコールを押そうとする。僕はその手を掴んで止めた。
「祐李?」
「待って、伊織」
「何? どうしたの?」
「僕、伊織に言わなきゃいけないことがある」
真っすぐ、伊織の目を見る。
窓の外で、銀色に輝く髪を持った誰かが笑ったような気がした。




