名無しの里
日も昇りきっていない、まだ薄暗い早朝。
工房の玄関前では、厚着をした吸血少女が戸惑った顔をして動きを止めていた。その視線の先にあるのは……。
「これは……人造の魔物か何かですか?」
「そういう研究をしてる人もいるみたいだけど、これは違うよ。魔導バイク。移動用の魔道具だ」
トランは説明しながら車体を軽く撫でる。
エンジンが唸り声のような音を立てると、ミュカは目を丸くして後ずさりした。
魔導バイクは、トランの作った魔道具だ。
前世のバイクと変わらない見た目だが、中身は別物と思っていい。魔道具の最新知識をふんだんに折り込んだ一点物である。
「バイク……? 噛んだりはしないんですよね」
ミュカは恐る恐る近づいてきて、魔導バイクの表面を優しく撫でる。「よ、よろしくお願いしますね」と語りかけるのを、トランは生暖かい目で眺めていた。
二人の前に、小さな人影が躍り出る。
「そろそろ出発だよ。準備はいい?」
ルルゥはヒマワリ色の小さなヘルメットを被り、ゴーグルをサッと装着する。色違いの薄桃色のヘルメットをミュカに投げ渡すと、拳を高々と振り上げた。
「さぁ、風になるよぅ!」
弾けるような元気な声。
どうも彼女はバイクに乗るのが好きらしい。
「ルルゥ師匠っ!? 風になるというのは……ま、まさかこの魔道具は、体を風に変換する魔道具なんですか……っ!」
「そうそう、スリル満点だよぅ。下手に飛ばされて消えないように気をつけてね」
「ひっ……」
ミュカは顔を真っ青にして震え始める。
一方のルルゥは、ハンドルの隙間の特等席にウキウキと飛び乗ると、トランを急かすように大きく手招きをした。
「わ、わたくしは……徒歩で行きます」
「大丈夫、今のはルルゥの冗談だ」
「は……はい……」
これから向かうのは、都市を離れて暮らす者たちのたまり場だ。
魔物が闊歩するこの世界で何の守護もなく生きていくには、人間はあまりにも非力だ。そのため、国は税を徴収する代わりに、都市を外壁で囲い、兵に守らせている。
だがそれでも、国からの守護より都市を離れることを望む者がいる。そういった者たちが自然と寄り集まり、ゆるい協力関係を築いている場所のひとつが「名無しの里」であった。
トランにしても、一人で全てを賄えるわけではない。食料品や日用雑貨を買い込むため、月に二度ほどは名無しの里を訪れているのだ。
「後ろに乗ってくれ」
「は、はい。失礼します……コホン」
ミュカはバイクに跨がり、トランの腰にしがみつくように体を寄せた。
――柔らかいな。
一瞬そう考えてから、トランは首を横に振る。背中に感じる膨らみを意識しないよう自分に言い聞かせて、無表情を取り繕った。
「マスター」
「ん?」
「役得だねぇ」
「……出発するぞ」
イタズラっぽく笑うルルゥの首を強引に前に向けると、トランは咳払いをひとつしてアクセルを握った。
小高い山を下り、平原を走る。
道中はバイクで走りやすいよう整地していることもあり、振動もそこまで酷いものではなかった。
「魔道具製の馬……のようなものでしょうか」
「あぁ。確かにそう表現するのが妥当かもな」
走り始めれば、ミュカも必要以上に怯える必要はないと理解したようだ。トランにしがみつく腕からは適度に力が抜けている。
しばらく進んだところで、ルルゥから警戒の声が飛ぶ。
「マスター、二時の方角に敵影」
「了解。種類と数は?」
「一角バッタが五」
ルルゥの身につけたゴーグルには、魔導バイクの集めた周辺情報がリアルタイムに表示されている。一緒にバイクに乗るときは、索敵は彼女の仕事であった。
「了解。迎え撃つ」
トランはバイクを停め、右手の人差し指に嵌めた指輪型武装に魔力を込める。すると、手の中に一丁の魔導銃が現れた。大きめだが、片手で撃てるサイズだ。
この指輪型武装は珍しい古代遺物であり、現代の技術では再現できないものである。
いくつかの影が、狂ったように飛び跳ねながらこちらに向かってくる。
「距離五十。射程内だよ」
空中に魔術陣が投影され、赤く光る。
トリガーを引く。
タンと高い音が響き、魔物の一体が破裂した。
それをもう四度ほど繰り返すと、動いている影はいなくなった。撃ち漏らしはなし。トランは小さく息を吐いて、バイクを降りる。
「もう敵はいないみたいだよぅ、マスター」
「ん。完了だな。素材を回収してくる」
トランはナイフを取り出すと、仕留めた獲物のもとまで向かった。
虫系の魔物素材は、魔導核以外にも使いやすいものが多い。今回仕留めた一角バッタの足などは、駆動装置の材料としてよく使われていた。
サクサクと素材を剥ぎ取り、再びバイクへと戻る。座席下の荷物スペースには空間拡張の機能がついているため、魔物素材を収納してもまだまだ余裕があるのだ。
魔導銃を指輪に戻し、出発の準備をする。
「跳ね回る魔物を確実に仕留めるなんて、トランさんは戦闘訓練も積んでいたのですか……?」
背中からかけられたミュカの言葉に、トランは笑って振り返ると首を横に振った。
「これは特殊な弾のおかげでな」
「弾、ですか」
「誘導弾。必ず的中する――とまでは言い過ぎだけど、勝手に軌道を修整してくれる弾なんだ。古代のものを俺なりに再現してな」
「なるほど。それは便利そうです」
「まぁ、作るには魔導核も必要だから、使い捨ての魔道具みたいなもんかな」
「……なんだかもったいない話ですね」
言ってみれば、一発撃つごとに魔道具を一つ破棄しているようなものだ。
非常に強力な武器ではあるが、現状で弾を製造できるのはトランのみ。仮に弾の製造方法が漏れたとしても、他者が運用しようとしたところで大赤字だろう。
石で組まれた壁が見えてくる頃には、あたりはすっかり明るくなっていた。
「ミュカ、あれが名無しの里の外壁だ」
「なんだか想像していたよりも広そうです」
「大規模な畑もあるから、それなりにはな」
トランのように自分の家を持っている者も少なくはないが、里の関係者の多くはこの壁の中で暮らしている。
実際に生活してみると分かるが、国を離れて一人だけで暮らすのは困難だ。多かれ少なかれ、誰かと関わらなければ生きていけないのが人間というものなのだろう。
南門の方へ近づくと、何やら剣を振り回している人影が見えてきた。
彼は全身が毛深く、狼のような耳と尻尾を生やしている。狼牙族の武芸者で、こうして訓練をしながら名無しの里の門番をしている男だ。
「おはよう、ボルグ。精が出るな」
「トラン殿にルルゥ殿、おはようである。して、後ろの女子は……?」
ボルグの視線に、ミュカはバイクを降りて優雅にお辞儀をした。
「わたくしはミュカと申します」
「ミュカっちはトランの嫁なんだよぅ」
「よろしくお願いします、ボルグさん」
「お、おう……って嫁であるかっ!?」
ボルグの尻尾がビクッと大きく震え、全身がピンと固まった。
多少は驚かれると思っていたが、ここまでの反応は予想外だ。そう思っていると、再起動したボルグはトランを手招きする。そのまま茂みの裏へトランを連れて行くと、顔を近づけてヒソヒソと話しかけてきた。
「トラン殿。嫁というのは……その、トラン殿とミュカ殿は夫婦になる、ということであるか」
「……いや、それ以外に嫁ってあるのか?」
「例えば……実はトラン殿が作った人間そっくりの魔道具で、空気を入れて膨らませる系の……」
「空気嫁じゃないからな。貴族のお嬢さんだ」
過去には確かに、魔道具で嫁を作ってくれと要望されたこともある。だが、ルルゥのような意思を持った古代遺物は魔道具として再現できていないのが現状だ。
トランの回答に、ボルグは尻尾をペタンと垂らし頭を抱えた。
「……さ、里に嵐が吹き荒れるのである」
「ん? それはどういう……」
「四天王が……これは恐ろしいことに……」
ボルグのよくわからない反応にトランが首を傾げていると、バイクを置いてある方からミュカが走ってきた。ずいぶんと焦っている様子だが――。
「トランさん、大変ですっ! 子どもが、子どもが大きな鳥に攫われています!!」
彼女が指差す先では、強い魔力を纏ったオオワシが、小さな人影を足で掴んで里の外に飛び去ろうとしているところだった。





