鍛冶の天童
少女エリィナが生まれたのは、王都の職人街にある鉤鼻族の鍛冶工房だった。
鉤鼻族は、火の精霊に愛されている種族である。それ故、魔法金属を溶かすことのできる「精霊の火」を自在に生み出すことができるのだ。
現在は魔道具でも同様の火を扱えるものの、古来から彼らが鍛冶を生業にしてきたのはある意味で必然と言えた。
『ボクは生まれつき特に精霊に愛されていてね。幼い頃から鍛冶の技術を叩き込まれて……こう言ってはなんだけど、天才だった。初めて魔剣を打ったのは、まだ十歳の時だったんだ』
そう話す彼女は、月の色をした髪をショートカットにして、種族特有の高い鼻に眼鏡をかけていた。パッチリとした紅茶色の瞳。口元のホクロや細身の体からは、妙な色気が滲み出ている。
鍛冶の天童。その上、彼女の容姿は鉤鼻族の中でも際立って美しい。王都でも評判の美少女として、幼い頃から貴族との縁談も舞い込んでいたのだという。
『今思えば、あの頃のボクは調子にのっていたんだ……物事を深く考えもせずにね』
彼女を取り巻く環境が大きく変わったのは、十三歳の時だった。
当時世界を手中に収めようとしていた帝国を、王国が戦争で追い返したのだ。その戦いでは、彼女の打った魔剣が大きく貢献した。皆は寄ってたかって彼女を褒め称えた。
『ボクの打った魔剣は、帝国との戦争でとても役に立ったらしい。たくさんの兵士の首を狩り、ハラワタをえぐり、脚を引きちぎった……。馬鹿だよな、ボクは。自分の作っているモノは、人の命を奪うためのものだと知っていたはずなのに』
彼女はその時になって初めて、自分の手が血塗られていることを自覚した。
一方の父親は、彼女の功績を利用して貴族になり、王国軍に対して大きな発言権を得た。軍の標準装備の発注をいくつか独占し、多くの工房を飲み込んで鍛冶ギルドの理事にまで上り詰めていく。
『そこから先は、トランくんと似たようなもんだよ。ボクは自分の罪に耐えきれなくなって、成人と同時に家を出た。この里に身を寄せて、鍋やフライパンなんかを作って暮らしている……あとはゆっくり死んでいくだけだって、そう思ってるんだ』
――エリィナがこの里に来て一年後、同様に天才と持て囃されていたトランが目の前に現れたときには、心底驚いたらしい。
里の隅にある鍛冶工房。
魔導炉から漏れる熱気。
魔法金属を探しているのだと言うトランに、彼女は微笑んで答えた。
『いいよ。魔銀や魔銅なんかは、今後もボクが都合してあげる。その代わり……条件があるんだ』
国から離れたこの場所では、金銭は絶対の価値観ではない。それ以外の対価を要求されることは珍しくもなかった。
彼女の要求は、一つだけだ。
『なぁに、難しいことじゃない。ボクの酒飲み友達になっておくれよ。取引の時だけ、夜通し酒に付き合ってくれればいいからさ。ねぇ、天才魔道具職人のトランくん』
目を丸くするトランに、彼女はイタズラの成功したようなやんちゃな笑みを向ける。
魔法金属を提供する代わりに、酒に付き合うこと。それはある意味、酒好きな鉤鼻族らしい願いとも言えた。
『君のことは前から知ってたんだよ。個人的には、ものすごく親近感を抱いているからね。色々と話を聞いてみたいし、ボクの話も聞いてほしい』
それから三年。
当時十六歳だった彼女は、美しさにさらに磨きをかけながら成長していった。
その間、どれほどの酒を酌み交わしただろう。
トランは自分の身の上話をエリィナに打ち明け、逆に彼女の心の傷に一晩中寄り添った。似たような罪悪感を分かち合い、記憶が怪しくなるほど深酒することもしばしばだった。
二人とも家庭を持つことなど考えておらず、体の関係に発展することもなかったが……。少なくとも、普通の友人よりは互いを深く知る仲だったと思っている。
「マズいな……。自惚れじゃなきゃ、エリィナに起きてる問題って、俺の結婚話がきっかけか……?」
そう考えると、しっくり来てしまうのだ。少なくとも、酒場でリュイーダたちが言っていた「四天王」とやらが実在するのならば、トランに好意を向ける女性の中に彼女が入っていてもおかしくはない。
鍛冶工房に向かいながら、トランの背中を冷や汗が伝う。嫌な予感が止まらない。
「どうしようか……。いや、どうしようもないし……もうどうしようもないんだが……どうしようかな……」
よくわからない呟きを漏らしながら、トランは重い足取りで里の中を進んでいった。
鍛治工房のそばまで来たときだった。
トランは倒れている小さな人影を見つけ、慌てて駆け寄る。乱れた空のツインテールに、ぐったりとした槍尾。
それは、この頃よく見かける夢魔族の少女だった。
「おい、カチュア! 大丈夫か?」
肩を揺すると、彼女は薄っすらと目を開けてトランを見上げた。死にかけの虫のように手足をプルプルと動かし、トランの右手を弱々しく握る。
「トラン……兄……」
「カチュア……。どうしてこんなことに」
「あ……はは……幻覚じゃない……よね……」
「カチュア……?」
今にも息絶えそうな、血の気の引いた顔。
トランは彼女を揺さぶりながら、その肩を抱き寄せる。
「嬉しい……。トラン兄の腕の中で、逝ける」
「おいバカ、変なこと言うな! 何があった?」
「ふふ……確かに……あたしがバカだったよ……」
ギュッと閉じた目に、涙の粒が浮かんだ。
彼女の頭をそっと撫でると、少しだけ表情が和らいだようだが……。
カチュアは少しだけ口角を上げ、それでもうまく笑えずに、こみ上げる何かを抑えこむように話し始める。
「エリィナ、の……」
「あぁ」
「エリィナの……酒に付き合った……三日三晩」
「な、なんて無茶なことを……」
「逃げられなかった……。気をつけて……エリィナはもう、私達の知っている彼女じゃ……な……ガクッ」
「カチュアっ!?」
カチュアは「ガクッ」という台詞までしっかりと口に出してから、白目を向いて完全に脱力した。その吐息により、あたりには強烈な酒の臭いが撒き散らされている。
エリィナの酒に付き合うのは、一晩だって相当グロッキーにさせられるのだ。それを三日三晩など正気の沙汰ではない。
見慣れた鍛治工房が、急に重々しく見えてくる。
トランはその場に静かにカチュアを寝かせると、音を立てないよう細心の注意を払って、恐る恐る扉に近づいた。
カン、カン、カン。
規則正しく金属を叩く音が、扉の外まで響く。
カン、カン、カン。
その音の隙間に、なにやらボソボソと呟く小さな声が混じっているようだ。
トランは扉を少しだけ、ゆっくりと開いた。
カン、カン、カン。
そこには、刃物に鎚を振り下ろしているエリィナの姿。そして、床に乱雑に転がるたくさんの酒瓶があった。
彼女は姿勢を正し、一心不乱に鎚を打つ。
「トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)、トランくん(カン)……」
……トランはそっと扉を閉じた。
「カチュア、大丈夫か?」
「ダメ……トラン兄……吐きそう……」
「診療所に連れてってやる。頑張れるか?」
カチュアは気だるそうにコクリと頷いた。
ぐったりしたままの彼女をどうにか持ち上げ、背中に抱える。診療所まで距離はあるが、彼女は小柄で軽いので運ぶこと自体は問題ないだろう。
「……ねぇトラン兄、エリィナは?」
「あ、あまりの迫力に声をかけられなかった」
「むー、ヘタレ兄……まーでも、今はそっとしておいた方がいいかもね……うぇっぷ」
なるべく振動のないように歩いてはいるものの、背中のカチュアは今にも吐きそうだ。このまま背中にぶちまけられても厄介だが……。
「一度そこらで吐いておくか?」
「……お、乙女にはプライドがあるのよ」
「プライド……? カチュアが?」
「どういう意味よ。だいたい、元凶はトラン兄なんだからね……うぅ」
「あー、やっぱりそうなのか……?」
「バカ。女ったらし。ムッツリすけべ」
ぐったりしているが、精神的にはいつもとあまり変わらないらしい。そんなカチュアを連れ、トランは里の診療所へと向かっていった。





