第91話 新しい出会い
黒い箱の持ち主であるテオ──。
そのテオはある絵に感銘を受け、それを買った。それは兄フィンセントの絵ではない。ポール・ゴーギャンという男の絵だ。その絵を店に飾り、他の人にも見てもらおうという算段だ。
兄フィンセントはそれほど感動する絵ならば見てみようと、普段は出ないパリも街へ赴いてグーピル商会の中へと進んだ。
「……おお、これは」
「やぁ兄さん。言った通りだろ?」
兄弟二人で一つの絵の下に並んでしばらく時の経つのを忘れる。
それほどに感動したのだ。
「……なぁテオ」
「なんだい兄さん」
「前にお前のことを絵のことなど分かっていないと言ったが撤回するよ」
「ふふ。ありがとう」
絵を眺める肉親同士。その後ろに人影があった。
「やぁテオ。今回はこんな良い場所に絵を飾って頂き感謝をするよ」
テオはその声に振り向く。そして嬉しそうに声を上げた。
「ポール・ゴーギャン!」
そこには、今二人が感動していた絵を描いた人物が立っていたのだ。
兄であるフィンセントも驚いて礼をした。
「兄さん紹介するよ。この絵の作者のポール・ゴーギャンさんだ」
「おお。今、あなたの絵に感動させられていたところです。私はこのテオドロスの兄のフィンセントといいます」
フィンセントが握手を求めると、ゴーギャンの方でもそれを受けた。
「ええ。存じております。テオさんに何度かあなたの絵を見せてもらった。魂に訴えるすばらしい絵だと思います」
「いやぁ、お恥ずかしい」
兄のフィンセントは本当に恥ずかしかった。
ゴーギャンに比べれば自分などという思いだったのだ。だが、ここから二人の親交は始まった。しかし性格はあまり合わないようで、手紙で芸術論を争うなどしょっちゅうだった。
フィンセントは──。
ゴーギャンが絵で生計を立てているのを尊敬した。本来の彼の性格ならば卑屈になっていたかもしれない。
だが同時に彼を軽蔑していた。
絵を描くために妻子と別居した男。
愛のある場所から飛び出して自分の好き勝手をする男だと。自分は誰からも愛されない。それでも人を愛している。
その気持ちを持ったまま絵を描き続けるほうが崇高だと思っていた。
ゴーギャンのしていることはめちゃくちゃだ。妻子を捨てて、絵を描く。自分はその逆。家族が欲しい。そして絵は生涯の仕事。
ゴーギャンの絵を見ながらフィンセントはつぶやく。
「芸術とはゴーギャンのようにしなければ評価されないものなのだろうか──?」
か細い声。誰にも聞こえない。グーピル商会に飾られるゴーギャンの絵を見つめながら。
深く考え込み、しばらくそのまま。やがてフィンセントは首を横に振った。
「そんなはずはない。ゴーギャン、与えられた愛を捨てるなんて、なんて浅はかな。そして人に認められる才能。なんとうらやましい」
フィンセントの声は最後のほうは少し悲しげであった。




