36■八犬伝
「どうぞ」
ガラガラガラと扉が開き、入ってきたのは『むっちゃん』と『チカホさん』と『シノ』という子だった。
ちなみにチカホさんのフルネームは一江親帆と言うらしい。その妹の信乃ちゃんは15歳で、学校に通っているなら中学3年生といったところか。
「おっす」
「おじゃまします」
「……」
三人が俺たちの前に座ったので問いかける。
「どうした?」
「昼間の件で聞きたいこともあったからな」
むっちゃんが最初にそう聞いてくる。
「親帆さんに例の件は話したのか?」
俺が異世界帰りだということだ。とはいえ、そんなに簡単に信じてくれるような話じゃないからなぁ。
「ああ」
「よくあんな荒唐無稽な話を信じましたね」
俺はむっちゃんではなく、親帆さんに向けてそう返す。
「奇跡が目の前で起きたのです。信じないわけにはいかないでしょう」
そういや、死んだはずの信乃ちゃんだけじゃなく、ゾンビ化しそうなさらわれてきた人たちも蘇生させたのだ。奇跡という言葉には説得力と重みがあるのだろう。
「それで何を聞きたいんだ?」
再びむっちゃんに話を振るが、親帆さんの方から問いかけてくる。
「この左手の言葉の意味と、このペンダントに宿った力を知りたいのです」
そういや親帆さんに関してはうやむやになっていたっけ。
「その文字の意味は仁義の『仁』です。ペンダントの通常時の魔法は、まだ発動させてませんから確実とは言えないのですが、たぶん回復効果のある魔法が使えます」
回復魔法が3回しか使えないと言われていたが、実のところ使用者の魔力に応じてそれなりに使用できるというのが本来のマジックアイテムの機能だった。
「まあ、『仁』ですか。そちらの子が『悌』で」
親帆さんは小春を差す。そして、隣の道世に指を移動する。
「この子が『忠』。そして、ゲンちゃんが『義』。そして、あなたは『フセ』という苗字でしたよね」
「ええ、そうですが」
「これはまるで『南総里見八犬伝』を彷彿させます」
「そうか、ふせっちは、伏姫か」
そうなんだよなぁ。状況だけ見れば戯作文芸作品をなぞらえている。
「ということは、手の甲に文字を持つ仲間があと4人もいるってことですか?」
俺はわざとらしくそう聞く。
「そういうことになりますね」
親帆さんがポンと手を合わせ、嬉しそうな顔をする。そしてむっちゃんに視線を向けた。むっちゃんもそれに頷き、俺にこう話す。
「チカホと話したんだけど、8人揃ったら何か起きるんじゃないかって」
「そうですわ。八犬伝では、邪悪の根源である『扇谷定正』を討ち取ってハッピーエンドになるのですから」
あー、なんか俺のスローライフが遠ざかっていくような。
「そんな邪悪の根源なんて本当にいるのか? ゾンビたちは邪悪だけど、元人間だし、知能は低いが数は多い。片っ端からやっつけるにしても、どれだけかかるか」
俺が面倒くさそうに言うと、むっちゃんが『落ち着け』と言いたげな顔でこう告げる。
「ゾンビの件はひとまずおいといてだ。グールの件で、新しい情報を仕入れたんだよ」
「新しい情報?」
食いついた俺に、親帆さんがこう説明してくれる。
「グールは、薬によって変異したものなの。もともと、人間がゾンビ化しないようにするために開発されたものらしいけど」
「それはむっちゃんから聞いていますが」
「ただ、それを開発するにはゾンビ化する仕組みをきちんと把握してないとできないの」
「そりゃそうですね。病原体がウイルスなのか菌なのか、それとも毒素みたいなものが身体に悪さをしているかで対処方法は違うでしょう」
親帆さんは俺の理解の早さに満足したのか、そのまま話を続ける。
「わたくしたちは開発者じゃないからゾンビ化についての仕組みは、噂話でしか聞いたことがない。実際に研究施設で検証したわけじゃないからね。けど、その噂話の中には、腑に落ちるような説もあるの」
「素人でもわかりやすい話ってことですか?」
俺は興味を持って身を乗り出す。
「そう。これは1つの説よ。ゾンビは寄生生物によって脳を食い破られ、そこに寄生されるのが原因という説。新薬は身体を作り替えることによって、寄生されにくくなることを目的としていたらしいということ。これは実際に発表された論文よ。世界が本当に崩壊する直前に書かれたものらしいけど」
親帆さんの持ってきたタブレットにはPDFファイルが開かれていた。
そこには千谷定昌という人が書いた『屍を宿主とする寄生体について』の論文が開かれている。
現在、こんな状況なのでネットには繋げないが、端末自体は電源さえ確保すれば使用できるようだ。データのコピーは可能なので、どこかの端末から拾ってきたのだろう。
親帆さんは続ける。
「早い段階から、この人はゾンビが寄生体によるものだということを見抜いていたの。そして、その予防薬の開発に携わっていた」
「俺もその説を推しますね。俺の魔法の『解毒治癒』は毒素を排出できるんですが、寄生虫や寄生体も同じように体外へと排出できるんですよ」
「もしかして、信乃の身体から出たあの血液こそが寄生体だったのかしら?」
親帆さんは興味津々に問い返す。そういえば、一般人がああいう形で寄生体を見ることは普通はないのだ。解毒治癒の魔法なんて使えるのは俺ぐらいなのだから。
「たぶん、そうです。前にゾンビ化した相手に『解毒治癒』の魔法を使ったことがありまして、信乃ちゃんの時のような赤い血液のようなスライムがうねうねと逃げていくのを見ました」
さらに俺は続ける。
「その時はまだ確信がなかったんですが、その千谷定昌という人が書いた論文が本当なら、あれこそが寄生体なのでしょう」
俺のその言葉で親帆さんは、自分の説に確信を持ったのか話を続ける。
「千谷定昌は寄生体と活性酸素との関係にも言及しているわ。余剰な活性酸素は寄生体を呼び込みやすいって。だから、ゾンビ化する人間は年寄りに多いのだと」
「でも、親帆さんたちを捕まえたグールは、若い人間でも強制的にゾンビ化させる方法を確立していましたね」
まだ記憶に新しい出来事だ。
「そうね。それがどういうことなのか専門家じゃないからわからないわ。けれど、何かしらの意図がそこにはあるのじゃないかしら」
「意図ですか?」
「ゾンビ自体も自然発生的な現象ではないし、それをさらに不自然に発生させるってのは誰かしらの意図を感じない?」
本来ならゾンビ化しにくい若年層を強制的にゾンビ化させるってのは、仕組みを知っている専門家にしかできないだろう。
「そうですね。でも、誰が?」
「それはわからないわ。でも千谷定昌がまだ存命で、薬の開発を続けているとしたら?」
ぞくりと背筋が凍える。彼は65歳だそうだ。感染してゾンビ化していてもおかしくない年齢である。
「グールは、彼が作りだした薬が原因だとしたら?」
親帆さんの話は、ありえそうでありえない。
「彼は人間ですよね? 魔術師じゃないですよね? グールの残忍さはある種の病気として説明ができるでしょう。でも、あの常識を越えた回復力は今の科学力でどうこうできるものじゃない」
異世界の魔物で、同様の性質を持つものを見たことがある。でも、あんな超再生能力はこの世界では有り得ないのだ。
「そうね。そこらへんは謎よ。でもね、そもそもゾンビ自体が、人類の叡智でも解き明かせない謎。もしかしたら、人類以外の何者かが関わっているのかもしれないわ」
「人類以外……まさか宇宙人とでも?」
始まりの隕石が宇宙から飛来したのなら、その可能性は高い。
だが、あれは本当に空から落ちてきたのか?
「そこまではわからないわ。でもね。はっきりしていることもあるの」
「はっきりしていること?」
「千谷定昌は鹿島で目撃されたって噂があるの」
生きていた? なるほど、彼が新薬を開発していた可能性は高いのか。
むっちゃんが親帆さんの情報を補足する。
「実際、北へ行くほどグールを見かけたって報告は増えているらしいぜ」
面倒な事になりそうだな。でもまあ、グール自体は雑魚っぽいし、俺たちの邪魔をしてくるなら強制的に排除すればいいか。
異世界の魔物に比べりゃ、まったく怖くない。
「むっちゃん。それで、俺たちに何をさせたいんだ?」
俺は引きつった笑顔で友人に問う。怒りはないんだが、メンドクサイという感情の方が強い。
まさか、千谷定昌の悪巧みを止めろとか言い出すんじゃないよな?
「オレたちも、おまえらの旅に同行させてくれ。そのために、北へ行くことの危険性を伝えたんだ」
「は?」
変異体の退治とかじゃないのか?




