第26話 独裁者は魔王と対話する
頭を下げる女には角が生えていた。
形状は山羊のものに近く、色は内臓のように赤黒い。
人間とは異なる種族なのは明白だった。
その目に嘘をついている様子はない。
正真正銘、彼女は魔王らしい。
私がこれから戦おうとしていた勢力のトップなのだ。
まさかこうした形で対面するとは思わなかった。
それも王国への亡命を望んでくるなど予想外だった。
訊きたいことは山ほどあるが、見苦しく狼狽えれば魔王のペースに乗せられてしまう。
故に私は毅然とした態度で応じる。
「亡命は拒否する。こちらが受け入れるメリットがない」
「なぜだ! 無用な争いは避けるべきではないか」
「その発想から間違っている。私にとってすべての戦争が意義を持つのだ。避けるべき戦いなど皆無に等しい」
私は椅子に座った姿勢で言い放つ。
魔王は悔しげに歯噛みした。
こちらが即答で拒むとは思わなかったようだ。
立ち上がった彼女は、再び大臣にナイフを突き付ける。
刃を強調しながらこちらに視線を送ってきた。
露骨な脅迫だった。
私は顔色一つ変えずに伝える。
「先に言っておくが、私に人質は通用しない。脅せるとは思わないことだ」
「配下の命が惜しくないのか」
「代わりはいくらでもいる。試しに殺してみるかね。私は一向に構わないよ」
「…………」
私が動じない様を見て、魔王はますます苦い顔になる。
間もなく大臣を解放した。
大臣は私に一礼してから慌てて部屋の外へ飛び出す。
遠のく足音を聞きながら、私と魔王は睨み合う。
微かな殺気が空気に混ざってきた。
向こうは戦闘を想定しているようだ。
穏やかな話し合いでは終わらないと確信したらしい。
私は気にせず自論を語る。
「私は平穏が嫌いだ。死と狂気の蔓延る戦場に身を晒さなければ満足できない。この世界に終わらない戦争を実現するのが唯一無二の夢なのだよ」
「……本気で言っているのか」
「当然だ。私は真剣に話している」
脚を組み直しながら答える。
魔王の表情に驚きと嫌悪が浮かんでいた。
私の主張を信じ難く感じているらしい。
魔王は一歩前に出て意見を表明する。
「我は戦いを望まぬ。戦争のための戦争など間違っている。考え直してはくれぬか」
「断る。君の主義主張には興味ない。倫理について話し合いたいのなら、他をあたるといい。これでも多忙の身なのだよ」
懇願を重ねる魔王に対し、私は手を振って冷たくあしらう。
考慮に値しない話だった。
なぜ戦争を止めねばならないのか。
たとえ瀕死の重傷を負っていようと私は強行するというのに。
魔王の要求は論ずるまでもない代物であった。
私は椅子から立って魔王に告げる。
「早く軍に戻って戦争の準備をしろ。此度の侵入については黙認しよう。魔族の王として私を楽しませてくれ」
「我にはもう帰る場所がない。魔術で力を封じられた挙句、配下に軍を奪われた」
「ほう、クーデターか。支配力が足りないから噛み付かれる。実に情けないな。君は本当に魔王かね」
「くっ……」
魔王が顔を歪ませて呻く。
私の指摘が図星だったのだ。
内部争いがあるとは耳にしていたが、まさか魔王が没落するとは。
よほど混沌しているのだろう。
統率が取れているなら起こり得ない出来事であった。
すべては魔王の責任と言える。
満足な支配ができていないから足元をすくわれたのである。
「詳しい事情は分からないが知ったことではない。さっさと立ち去るといい。それとも私に殺されたいのかね。ご希望とあれば応じよう。大した労力ではないからね」
「我を……魔王を、殺せると思っているのか」
「反乱一つで立場を失う支配者など私の敵ではない。簡単に捻り潰すことができる。君は既に私の術中にいるのだよ」
微笑を湛える私はゆっくりと瞬きをした。
眉を寄せた魔王は、こちらに踏み出そうとして止まる。
足は小刻みに震えて固まっていた。
ただの一歩も進むことができなくなっている。
魔王は己の異変に驚愕する。
「う、動けぬッ!?」
「目を合わせた時点で敵対行動を取れないようにしておいた。特別に発言は許可しているよ。会話ができないと寂しいだろう」
「貴様ァ……!」
魔王は激昂した。
牙を見せながら攻撃を試みるが、やはり何もできない。
彼女の行動はマインドコントロールで管理している。
ここまでのやり取りの中で入念にすり込んでおいたのだ。
本人は一切気付かなかったようだが、もはや私の手のひらの上である。
命令一つで自殺させることも可能だった。
魔王はなんとか動こうとしている。
しかし叶わない。
私の前で震えることしか許されなかった。
マインドコントロールは反則じみた強制力を持つ。
以前、研究者に聞いたのだが、ここまで凄まじい効力だと多大な代償や制約が存在するはずらしい。
ところが私の場合はノーリスクで連発できる。
本来は洗脳とも言えない微弱な暗示能力を、私の精神力がマインドコントロールにまで昇華させているのだ。
だからデメリットがない。
使い手の人格が特殊能力に影響する好例だった。
かなり極端な強化だが、基本的な原則には従っている。
私の精神力で成長した洗脳は、魔王にも問題なく通用してくれた。
おかげで崩れない優劣を築き上げることができた。
一方で万能すぎて戦いの魅力を落としかねないので、使い所を選ばねばならない。
私はしばらく魔王を観察する。
特に何も起きそうにないので、早々に飽きてしまった。
だから手を打って宣言する。
「気が変わった。このまま逃がすのは勿体ない。かと言って殺すのも違う。君には魔王軍の情報を提供してもらおう。今後のために有効活用するのが一番だ」
私は魔王の前まで歩み寄ると、見下ろす形で顔を注視した。
魔王はひどく悔しそうだ。
首から上は自由だが、洗脳が利いているので魔術の詠唱もできない。
無力な己を痛感していることだろう。
私は魔王の肩に手を置く。
「安心したまえ。従順になれば自我は消えずに済む。身の振り方を今のうちに考えておくことだ」
その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。
散弾銃を構えて突入してきたのはシェイラだった。
絶対零度の殺意を帯びる彼女は、魔王を一瞥する。
それから銃口を下ろさず私に問いかけた。
「大臣から報告を受けました。侵入者とはこの者のことでしょうか」
「そうだが既に無力化している。わざわざ来てもらったのにすまないね」
「とんでもありません。さすがは閣下です」
シェイラは真顔で私を称賛する。
会話をしながらも意識は魔王に釘付けだった。
不審な行動を察知した瞬間に撃てるようにしている。
相変わらず欠片の油断もない側近である。
私はシェイラに指示を送った。
「今から尋問を行う。君にも手伝ってほしい」
「了解しました。道具を取ってきます」
「ああ、頼む」
我々のやり取りを眺める魔王から敵意が霧散していた。
諦めの境地に達したらしい。
彼女は覇気のない口調でぼやく。
「これが、貴殿のやり方か……亡命を考えたのは浅はかだった」
「まったくその通りだ。切迫した状況で判断を誤ったのだろう。同情はしないがね。まあ、君のミスは今回だけではない。何度も判断を誤ったからこそ、配下に裏切られて亡命を選ぶ羽目になったのだ。愚かで無力な己を恨むといい」
私はそう指摘しつつ、椅子に座ってグラスの中身を煽る。
憐れな魔王を見物しながら飲むワインの味はなかなか格別だった。




