第14話 独裁者は呪い姫を扇動する
数日後、前方に塔が見えてきた。
石造りの苔むした塔だ。
あの場所に呪いの姫が幽閉されているらしい。
「警備が手薄だな。王族がいるとは思えない」
「この扱いの差が姫さんの立場を示しているのさ。一歩も外に出ることを許されていない。窓から覗く景色がすべてなんだ」
呟きが聞こえたようで、後ろの荷台からダリルが話しかけてきた。
事前に彼から話を聞いていたが、呪いの姫の冷遇ぶりは徹底されている。
これだけ無防備だと敵対勢力に拉致されかねないと思うが、その価値すらもないのだろう。
塔から少し離れた場所で軍用トラックから降りる。
見張りとしてシェイラと兵士達を残らせて、呪いの姫と顔見知りだというダリルだけで塔へと向かった。
ダリルは特に気負った様子もなく忠告する。
「道中でも説明したが、姫さんは特殊な呪いを持っている。下手に刺激すると危ねぇから気を付けてくれよ」
「大丈夫だ。交渉術は心得ている。最悪の場合は洗脳すればいい」
「あんたの能力は反則だよな……呪いより悪質だろ」
ため息を吐いたダリルは私から目を背ける。
部下になってからも、彼は一向に視線を合わせようとしない。
未だにマインドコントロールを警戒しているのだ。
いつの間にか洗脳されているという状態を恐れているのだろう。
私達は入口にいた兵士に話を付けて塔の内部に入った。
最上階に入る呪いの姫の部屋まで螺旋状の階段を上がっていく。
その途中でダリルが私に注意をしてきた。
「頼むから姫さんを殺さないでくれよ。ここまで来たのが無駄足になっちまう」
「殺すわけがない。私を快楽殺人者だと思っているのか」
「違うのかい」
「ただ戦争が好きなだけだ。手当たり次第に命を奪いたいわけではない」
無抵抗の弱者を嬲り殺すほど悪趣味ではない。
戦争という異常空間ではそのような行為も横行しているが、少なくとも私の望みではなかった。
私の欲望は戦争そのものだけに集約されている。
最上階の手前で老齢の女性と出会った。
彼女は怪訝そうな顔でこちらを見る。
「ダリル団長、この方は……?」
「王都の使者だ。特務を預かっていてな。通してくれ」
「お願いです、どうかあの子に手荒な真似はしないでください」
「勘違いするなよ。別に俺達は姫さんを殺しに来たわけじゃない。むしろ逆さ。たぶん栄転できるぜ」
ダリルは軽い口調で応じながら進む。
私も黙って付いていく。
「あの人は姫さんの乳母だ。姫さんから気に入られているせいか、呪いの影響を受けないらしい。だから世話係に任命されている」
「実質的な左遷か。難儀だな」
「まあ生活できるだけの金は貰っているらしいがね。こんな辺境じゃ使い道もねぇが」
雑談もそこそこに塔の最上階に到着した。
頑丈そうな鉄扉には細い覗き窓が付いている。
私はそこから中の様子を確かめる。
質素な部屋の奥には一人の少女がいた。
薄紫色の髪を揺らして、不安げにこちらを見つめている。
右目の周りには茨模様の痣がうっすらと浮かんでいた。
彼女が呪いの姫だった。
姫は壁を背にしてじっとしている。
足音と気配には気付いているのだろう。
ダリルが鉄扉をノックすると、彼女はすぐに反応する。
「……誰?」
「俺だ、ダリルだ。ちょいと遊びに来たぜ」
「定期連絡の時期じゃないけど」
「今回は特別なんだ。とりあえず入らせてもらうよ」
ダリルは鉄扉を開いて入室した。
彼は片手を上げて友人のように挨拶をする。
「よう、久しぶり。また背が伸びたんじゃないか」
「そっちの人は誰なの」
「王国の新しい権力者だ。姫さんの父親をぶっ殺したんだ、すごいだろ」
「えっ」
姫が口を開けて呆然とする。
突然の話に頭が追い付いていないのだ。
彼女は混乱気味に疑問を呈する。
「どうして父上を?」
「私にとって邪魔な存在だったからだ」
ダリルを追いやって端的に答える。
ここは下手に誤魔化さず、正直に伝えるべきだろう。
「私を憎んでいるか」
「ううん、別に。父上のことは嫌いだったから。少し驚いただけ」
姫は首を横に振る。
嘘は言っていないようだった。
これだけの扱いを受けているのだから当然だろう。
むしろ国王を殺したかったのではないか。
わざわざ訊きはしないが、姫の目からはその兆しが感じ取れた。
私は姫の前に進み出て本題に入る。
「単刀直入に言う。君には次代の王になってほしい」
「どうして。あたし以外に後継者はいるでしょ」
「彼らでは些か都合が悪い。だからこうして君に頼んでいる」
私がそう述べると、姫が顔を曇らせた。
彼女は伏し目がちに言う。
「もしあたしが王様になったら、きっと母上やお兄様達が黙っていないわ」
「問題ない。反対意見はすべて私が封じ込める」
「殺すってこと?」
「それ以外にも方法はある」
私は一度だけ瞬きをした。
そして姫に片手を差し出す。
「できるだけ君自身の意志を尊重したい。新たな王になるつもりはないか」
「あたし、は……でも……」
姫は苦しそうに思い悩む。
その直後、彼女の茨の痣が仄かに光った。
蠢く痣が実体化して、黒い茨となって私に絡み付こうとしてくる。
私は瞬時に躱して飛び退いた。
頭を抱える姫の目元から膨大な量の茨が伸びている。
彼女を中心に部屋の半分ほどを覆いつつあった。
それを見たダリルが舌打ちをする。
「不味いぞ。呪いが発動しやがった」
姫の呪いとはこの茨のことだった。
本人の意思とは無関係に、周囲の魔力を無差別に襲う性質があるのだ。
生まれつき持っている固有の魔術で、近くにいるだけで被害を受ける厄介さから呪いと揶揄されているのであった。
この世界では魔術も呪いも似たようなオカルトだ。
ネガティブなニュアンスを込めて呪いの姫と呼ばれているのだろう。
茨はどんどん広がって迫ってくる。
ダリルが私の腕を引いて部屋を出ようとした。
「交渉中断だ。一旦出直すぞ」
「時間が惜しい。このまま強行する」
私はダリルの手を振り払うと、床を蹴って駆け出した。
襲いかかる茨を避けて、或いは抜き放ったナイフで切断する。
そうして呪いの姫の前に来ると、彼女の顎を掴んで顔を持ち上げた。
鼻が接しそうな至近距離で目を凝視する。
蠢いていた茨が止まって縮小を始めた。
やがてただの痣へと戻る。
困惑する姫は自分の目元を触った。
「何を、したの……?」
「マインドコントロールで呪いを制御した。暴走する力を抑えるだけなので簡単だった」
私はナイフを仕舞いながら説明する。
本人の意志に逆らう茨の呪いだろうと、洗脳の強制力には決して逆らえない。
細かな仕組みはどうでもよかった。
通用すると私が確信したからそれが反映された。
ただそれだけのことである。
「私には力がある。強制的に君を王にすることも可能だが、あえて確認をしている」
私は姫の顔を見ながら告げる。
座り込んだ彼女は目に涙を浮かべていた。
「誰かに運命を握られるだけの人生を脱したくはないか。迫害と嫌悪に抵抗したくないか。君には戦う権利がある。これが唯一のチャンスだ。乗るかどうかは自由に決めるといい」
私は答えを待つ。
それから暫しの沈黙があった。
姫は私の顔を自分の手を往復するように見つめる。
きっと迷いや葛藤があるのだろう。
満足な説明もないまま、いきなり選択を迫られているのだ。
しかし彼女は気が付いているはずだ。
人生を変えるならば今しかない。
やがて姫は立ち上がった。
彼女は静かに私を見ると、差し出した手を握ってくる。
細く弱々しい手は、それでも強固な覚悟を感じさせるのだった。




