MY ROOM
ああ、だめだ。ずるい。あなたのその苦痛を隠した笑顔を見るだけで私は胸が張り裂けそうだ。
あなたに辛そうな笑顔は似合わない。いつものように心からの笑顔を見ていたい。
苦しいなら泣けばいい。辛いなら我慢しなくていい。
どうして独りで抱え込んでしまうのか。
私にとっては唯一の友達で。初めて仲良くなれた人で。
彼女にとっては数いる中の一人なのかもしれないけれど。
それでもあなたには私がいると。そう言えたらどれだけ楽になれるだろう。
けれどそれを口にすることはできない。私だけが楽になるなんてだめだ。それを言うことで彼女が救われるのなら喜んで口にしよう。
だけど、言えばきっと彼女は今以上に辛くなる。わかりきっていたことだ。
彼女は私に笑顔で話しかけてくる。その顔に辛さは見えない。
なるほど確かにこれならほかの人は騙せるだろう。
だけど。その程度で私まで騙せると思っているなら、少し悲しい。
どれだけあなたを見てきたか。
どれほどあなたに恋い焦がれたか。
どんなにあなたを求めたか。
あなたのことは何でもわかるとはさすがに言えないけど。それでもほかの誰よりあなたを知っている自信がある。
対してあなたは私を見ていない。正確に言うと、表面しか見ていない。
普段私が何を考え、何を思い、何をしたいと望んでいるか。あなたには見えていない。
きっとこの胸をあふれんばかりに満たす感情にも気づいていないのだろう。
だから、これは私の意志だ。私を見てくれないあなたに対する宣戦布告。
一歩前を歩く彼女は振り向きながら私に話しかける。辛さに蓋をして心から私との会話を楽しんでいる風を装って。時折見せる笑顔には、一見何の陰りもないように見える。
「それでさ――」
「何があったのか、私にも話せない……?」
さえぎって私は言う。でも本当は知っている。彼女がどうして辛いのか。でも、問わなければ始まらない。前に進めない。
「……? 何の話?」
「――ううん、何でもない」
やはり答えてはくれないようだ。なら――
「あっ、綾! まぶたにゴミついてるよ」
「えっ? うそ!? 取って取って」
彼女は驚きながらその甘くて艶めかしい声で言った。
「入ると危ないし目閉じてて」
綾華は眼を閉じて無防備に顔を向けてくる。膝を少し折り、背の低い私に配慮して。
長いまつげ。つやのある肌。日本人らしい丸い鼻。
私はそれらを目で追って。最後にふっくらした唇を見つめ、
柔らかい頬に両手を添えて、
無邪気で無防備で無警戒なその唇に、自分のそれをそっと重ねた――。
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真新しい制服に身を包み、満開の桜に満たされた校門をくぐる。合格者登校日はつぼみ一つ見えなかった桜が今はきれいに咲いている。
両手でお椀を作れば、ひらひらと舞い散る花びらが一つ。
周りには私と同じ新入生が。彼らは合格者登校日に仲良くなった人たちと共に校舎へ向かう。残念ながら口下手な私は誰とも仲良くなれていない。
小学生の頃も中学生の頃もそうだった。中には親切にしてくれる人もいた。でも親切にしてもらっても、お礼一つ満足に言えない私と仲良くなろうとするもの好きはいなかった。
だから今度こそと、高校では友達を作ろうと心境新たにしてみたけれど、いざふたを開けてみれば、合格者登校日に私は一度も口を開けなかった。
やっぱりどれだけ気持ちを新たに頑張ろうと思っても、長年のコンプレックスがそう簡単に治るわけがなかった。そもそも簡単に治るなら苦労しないって話だし。
そういうわけで、私は小中に続いて高校でも入学ぼっちだ。
校門から少し歩き桜並木を抜けるとグラウンドが見える。そこでは陸上部とサッカー部が朝練をしていた。青春って感じがして、その光景はひどく印象に残った。私が送るであろう青春とは対極にあるその光景から視線を剥がし、私はひときわ目立つきれいな校舎に入る。
古くなった校舎を取り壊し新設されたのがこの校舎だ。セラミックの廊下を歩き自分の教室へ向かう。
材質のせいもあってか足音はよく響いた。かつかつと、あちこちから軽快な音が聞こえる。陽気な音もあれば、鈍いものもある。
窓からは春の陽射しが入学を祝うように私たち新入生を照らす。その中を、私はただでさえ小さい体を小さくして足早に教室へ向かう。
なんだか気恥ずかしかったのだ。ずっと独りで誰かの陰に隠れて生きてきた私が、あんなにきれいな光の下を堂々と歩けるはずもなかった。
教室に入り黒板に張られた座席表を見て自分の席を確認する。幸運なことに一番後ろだった。ざっと見た感じ席は名簿ではなくランダムだと思う。
まだ数人しかいない教室の中を歩き自分の席に着く。
鞄から本を取り出す。小学生からぼっちな私は、休み時間など特にすることがないときは必ずと言っていいほど本を読んでいる。そのくせ国語の成績は良くならないのだから不思議なものである。
十分ほど経って。横の席の子は登校してきてそうそう私に声をかけてきた。
びっくりして本を落としそうになりながらも私は頑張って反応を返す。
「あ、えっと……」
「わたし、葵綾華。キミの名前は?」
「雛宮裕貴、です」
「呼び方は裕貴でいい?」
「……はい、どうぞ、ご自由に」
「うん。じゃあ裕貴、これからよろしくね」
きれいな人だった。
紫紺色の瞳は透き通っていて、見ているとずんずん奥へ呑まれそうになる。さらさらした黒髪は彼女の動きに合わせてゆらゆらと踊る。
ただただ純粋に美しいと思った。彼女の全身を余さず見る。眼も鼻も口も首も腕もお腹も脚も……どれをとっても美しさに満ちていた。まして、それらすべてを併せ持つ彼女自身が美しくないはずもなかった。
だからだろうか。かつてない胸の高鳴りを感じた。どくんどくんと鼓動が早まっていく。顔が熱くなってきた。冷静になろうと努めるも、彼女から目を離せない。
「……? どうしたの?」
「――っ、何でも、ない」
彼女は私の顔を覗くように顔を近づけてきた。そのおかげで私は彼女から顔をそむけることに成功した。
「裕貴はどこ中から来たの?」
「……京都、から」
「え!? ホントに!? ご両親の仕事の都合とか?」
「うん」
「いいなあ。私も京都行ってみたいなあ」
「……」
なんか、なんかしゃべらなきゃ。
そう思っても言葉が出てこない。いつものことだ。こんなだから友達ができないんだ。
今ほど自分のコミュ障を呪ったこともないだろう。彼女には嫌われたくないと、無意識のうちに私はそう考えていたのだと思う。
誰とも仲良くなったことがないから、必然、雛宮裕貴という少女は恋を知らない。ただこの胸を締め付ける苦痛のような快楽を、決して手放したくなかっただけなのだ。
「裕貴ってさ、結構感情が顔に出るんだね」
一瞬どころか数秒経っても彼女の言っていることが理解できなかった。
「裕貴って会話が得意じゃないんでしょ? なのに一生懸命言葉を探してくれて」
彼女はこの上ない笑顔で言った。
「ありがとう。でもありのままでいいんだよ」
このとき私は悟った。経験したことがないとか、知ってるとか知らないとか、そんなの関係なしに魂が震えたのだ。
運命なんて言葉で片付けたくはないけれど。私は確かにこのとき、葵綾華という少女に堕ちたのだ。
それを認識したら、ますます顔が熱くなった。それでも懸命に言葉を絞り出す。
「葵、さん」
「綾華でいいよ」
「……綾華ちゃん、よろしく……お願いします」
「うんっ! よろしくね」
再び満面の笑みで彼女は言う。
まだ始まったばかりの高校生活だけど、私は今までとは違う青春の匂いを確かに感じた。
灰色でも、薔薇色でもない。私たちだけの青春の一頁――




