今代の聖女はとっても素敵な〇〇です
「聖女とは、神の恩寵を体現する者です」
白絹の裾の長い祭服をまとった女性の司祭様は、おごそかにそう言った。
漆喰の白壁が窓からの光を反射する部屋の中、司祭様は託宣を告げる巫女のように見える。
ただしその言葉を聞くのは、町娘にしか見えない生成りのワンピースに淡い草色の胴衣とスカートを身に着けた私だ。
金の豊かな髪と厳格な美貌をもつ司祭様の前に座っているにしては、私はかなり見劣りするだろう。背もそれほど高くない、黒髪のちまっとした雰囲気の小娘なのだ。
大聖堂のこの部屋に入る時も、通りすがりの修道士に振り返って二度見された。
どうして司祭様と私が二人きりで会うのか、と思ったに違いない。
「彼の女性はそこにいるだけで世界の空気をやわらげ、さらには神の恩寵から見放された魔の者達をも浄化すると言われております」
私も聖女については、一通りおとぎ話という形で聞いていた。
この世界にいる女性の中に、ふいに体のどこかにバラ色の印が現れる。それが聖女の印。そして聖女になると、修道騎士や司祭達のように、世界にあふれる神の力を使い、様々な秘跡を起こせる。
「ところで、聖女様のお噂は……本当なのですか?」
私がそんなことを尋ねると、司祭様はため息をつく。
「リリコ、あなたもあの噂を耳にしたのですね? というか、耳にしないわけがありませんでしたか……」
「はい。もう王都中の噂になっています。大聖堂の修道女棟でも話さない方はいませんし、市民も誰もがその話で盛り上がっています」
素直に状況を報告すると、司祭様が肩を落とした。
「市民にもそこまで……。これはお披露目がどうなるのか不安で仕方ないわ」
「だ、大丈夫ですよ司祭様。どの人も歓迎こそすれ、悪いようには感じていませんでしたから」
「そうかしら……。でもこんな形で広まるなんて、前代未聞なのですよリリコ」
通常、聖女の出現に関しては、厳密に日取りを決めた上で大聖堂のミサの際に教皇から告知される。
それがどうして、噂話のように広まってしまったのか?
――実は聖女の印が意外な存在に現れてしまったからだ。
聖女を見つけたのは、たまたま遊説先として小さな町へ赴いた司教だ。
その司教は聖女だと気づいたものの、たいそう困惑したらしい。
密かに大聖堂へ移送し、大聖堂で教皇ならびに枢機卿以下司祭達を集めての会議が行われた。その末に聖女として認定されたものの、あまりにも『意外』な存在なので、それを見ていた司祭達も、その場にいた待祭や修道士や修道女もみな、誰かに言わずにいられなかったようだ。
「――今代の聖女様は犬だって!」と。
おかげでその日の夜には、王都の半分にその話が広まってしまった。
……そう、今代の聖女はとっても素敵な『お犬様』だったのだ。
白いふわふわとした毛は雲のよう。つぶらな瞳は犬には珍しい美しい紫。ピンと立った耳もかわいらしく、尻尾はふさふさと最も長い毛におおわれて風に優雅になびく。
元々は、街中で野良犬として生活していたらしいが、洗うとそんなことは信じられないほどに、可愛らしくも美しい犬だった。
と私も噂で聞いた。まだ見た事はない。ぜひ見たいしふわふわの毛に触って癒されたい。
「とにかく聖女様が犬であるのは本当です。ただ認定したものの、教皇猊下が疑問に思われたそうです。綺麗な姿かたちに珍しい瞳の犬が、どうして野良犬になったのか? と」
「野良犬から生まれたのでは?」
「その可能性も考えました。が、他の野良犬を調べても、兄弟犬も親族にあたるだろう犬は見つからなかったそうです」
小さい町だったので、すぐに犬を全て捕えて調べることができたらしい。
「ではどこからか、その犬はその町に流れ着いたと?」
私の言葉に、司祭様はうなずいた。
「そこで教皇猊下が、その犬の恵力を調べました。結果……あなたを呼ぶことになったのですリリコ」
びしっと司祭様が私を指さす。
「その犬は、あなたと同じように異世界から来た存在だからです」
「異世界の、犬!?」
思わず声を上げて、私は立ち上がる。
「え、うそ同郷ですか!? 日本犬……じゃないですよね先ほどの表現からすると。でも洋犬でも同じ世界の犬なら……」
「落ち着きなさいリリコ。同郷の存在が現れたかもしれないことに、あなたが驚くのも理解できますよ」
司祭様はたしなめるように言った後、気の毒そうな表情になった。
「あなたは天涯孤独の身。いかに神の家で保護されているとはいえ、本当のご家族にも会えず、故郷に戻ることすらままならないのは、とても寂しいでしょう」
「……はい」
しんみりとした空気に押されるように、私はうなずいた。
そう、私の出身はここではない。
日本に住んでいた私は、ある日の会社からの帰り道、ふっと意識がとぎれたと思ったら、この近世ヨーロッパ風の世界にやってきていたのだ。
どうも何かの秘跡――魔法のようなもの――をこの大聖堂で使おうとして、失敗した衝撃で私が出現したのでは、と言われている。
術が立ち消えになった上、急に見知らぬ人間が現れ、大聖堂内は局所的に大騒ぎになった。
まぁ結果的に、私が異世界からやってきたことは伏せられ、修道女として衣食住の責任を取ってくれることにはなった。
ただ私に修道女生活ができるものでもない。耐えかねた上で、聖堂の外で仕事をしながら生活する術はないかと相談し、最近はこの大聖堂に併設される修道院に住みつつ、街の商店へ通って働いている。
そうして二年も過ごすうちに、帰れない元の世界への諦めは降り積もり、いつしか思い出さないことも多くなったのだけど。
異世界の存在のことを聞けば、思い出してしまう。
一人暮らしの家に置いてきた漫画や小説達のこと。その続きが読みたい。視聴を始めたばかりのアニメも第三話から後が見られないままだ。
普通は家族のことを思い出すのだろう。だけど私、家族とは折り合いが悪かったし、職場の同僚とは穏やかな関係は保っていたけれど友人というわけでもなかった。恋人なんてもっての他。なんていうか、人との関わりを諦めてしまったのだ。
だって、ものすごく仲良くなった相手が、急に引っ越しや結婚、転勤で目の前からいなくなるのを十回も繰り返せば、どうあっても対人運が微妙なんだなと察して、諦めてしまうものでしょう?
そのようなわけで、私は『誰か』というよりも、異世界の物や風景や生活様式とか、あと食べ物とか食べ物とかが懐かしくて仕方ないのだ。
……でも犬か、と心の中でつぶやく。
この世界の犬も、さして元の世界の犬と変わりない。元の世界にいたかもと言われても、考えてみればあんまり差はないんじゃないか?
ようやく落ち着いた私は、椅子に座り直して司祭様に尋ねた。
「それで、異世界からいらした聖女様と私が何の関係があるのでしょうか?」
「同郷のよしみで、聖女様の付き人……侍女をあなたにお願いしたいのです」
犬のお世話をしてほしいんですか?
「聖女様は犬の身でいらっしゃいます。なので人よりも寿命は短いはず。その間、侍女として仕えてもらえたなら、今現在のあなたのお給金とはくらべものにならないほどの財ができるでしょう。具体的には、一か月に100万ラピス」
「ら、ラピっ! ひゃくまん!?」
私は叫びながら立ち上がった。礼儀作法なんて頭から吹っ飛んだ。
だってラピスってこの世界の単価だけど、円とほぼ同じ。てことは私、一月に百万円もらえる高給取りになるってこと!
たしか地方に赴任した司祭様の月収が百万ラピスで。おおおお、司祭様と同じレベルの収入とか、大丈夫なんですか? ちなみに目の前の大聖堂にお勤めの司祭様は、月に200万ぐらいもらっているはずです。
私が高収入に驚いていることを察した司祭様が、理由を説明してくれる。
「なにせ聖女様のお付きですから、それなりのお給金が支給されてしかるべきです。また、お付きの人間に、ワイロを渡して聖女様を私物化しようという不心得者もいます。悪しき言葉をはねのけるにも、それなりの収入という基盤が必要でしょう。人の心は揺れやすいものですからね」
なるほど、ワイロ対策……。なんだか恐ろしい話だなと思ってしまう。
「でもそんな大役が私にできるものでしょうか? なにせ私は同郷かもしれませんが、この世界のことはまだまだよくわからないですし、特別な力なんてありません」
正直、お犬様の侍女になっても、守れもしない役立たずになるのでは。
「いいえ。あなたには大事な仕事もあります。同郷かもしれないからこそできることです」
「といいますと?」
「聖女様のお名前を、探り出すのです」
「犬語なんて話せませんが?」
なんて反論は、司祭様に即刻返り討ちにされた。
「それでも、私達よりもあなたの方が、聖女様の真の名に近いものを発想し、聖女様の反応から察することもできるはず。この世界とは言語が違うとあなたも言っていたでしょう? であれば、聖女様のお名前もこちらの者には発想できない音のはず」
「う……」
私は黙るしかない。確かに司祭様に、世間話のついでにそんなことを口走ったかもしれない。
「そのようなわけで、明日から聖女様付きの侍女になっていただきたいのです。お願いできますね?」
理由はわかった。それにこの司祭様には恩がある。
なのでその要請に、私はうなずいたのだった。




