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うちの校閲はちょっとおかしい


 四月、新社会人、田中。

 スーツには、真新しく光る『校閲部 田中』のプレート。


 新たな生活に田中は胸を膨らませる。

 何より、希望する校閲部への配属が決まったことが嬉しかった。文章内容の事実確認を行ったり、誤字や脱字を修正してより良い出版物をつくる作業に、田中は魅力を感じていたからだ。

 案内紙に記された部屋の扉の前で一つ息を吸って、「失礼します!」とハツラツとした声と共に扉を開く。


 しかしそこには、彼の想像とかけ離れた光景が広がっていた。


 部署内はおびただしい量の書物や妙な器材類で埋め尽くされており、およそ仕事ができるような場所とは思えなかった。そして困惑する田中の視界に人影が二つ。


 その雑多な部屋に似合わぬ凛々しさで椅子にもたれかかる長髪の女性が一人。

 もう一人は暴れるに任せたボサボサの髪を気にもせず、作業着姿で一心不乱に何かしているようだった。


「あの……」


 もう一度挨拶をしようとした矢先、ボサボサ頭がふいに作業を止めて田中の姿を補足した。

 それは丸く分厚い眼鏡をかけており、「おほぅ」と甲高い声を上げ、一足飛びで床に散乱するあれこれを飛び越えて田中の前へと躍り出る。


「念願の新人さんでござる! 待ちわびておりましたぞ。拙者は根亀(ネガメ)タオ。校閲部の事務、兼、雑用、兼、サポート、兼、開発、兼、補修の一人五役を担当する天才でござる。まずは機器類のメンテナンスから教えますぞ!」

「え、あ、はい」


 田中が相槌を返す間もなく、根亀は言いたいことを言い通す。

 社会人生活一般からかけ離れた人物であることは間違いないが、それにどう対応するべきかのマニュアルを田中は持っていなかった。


 そこへ、部屋の奥から声がかかる。


「彼はDRする側だぞ、メガネ」


 椅子にもたれかかっていた女性はそう言って立ち上がり、床に散乱するあれこれの間を華麗に抜けて田中の前にきた。


「校閲部へよーこそ、新人君」

「た、田中です」


 根亀が女性に向かって抗議する。


「拙者、DR機器のサポート人員が入るとばかり」

「そんなもん、一人五役の天才様がいればなんとかなるだろ」

「ぐぬぬ、天才は否定いたしませぬが、拙者、過労死一直線」


 田中が会話を遮るように声を上げる。何もかも分からなかったからだ。

 新社会人の心得として、分からないことは聞くべきであると田中は信じている。


「あの! DRって何ですか? 校閲部だって聞いてきたんですが……」


 二人が田中を見る。即座に「そうか、新入社員」「一から説明でござるなあ」と同じ調子で頷いた。


「ようし、メガネ。DRの準備」

「根亀でござる。では、機器をここに」


 根亀が大きなゴーグルを持ってきて田中に渡す。


「DR校閲は、やることは普通の校閲と変わりませんぞ。誤字や脱字、用例の確認、文章表現の添削など、良い出版物を作るには、やはり校閲は欠かせませぬ」

「……はぁ」


 田中が気の抜けた返事をしながらゴーグルをつける。未だ、何も分かっていないがとりあえず部署名通りに校閲作業をすることだけは理解できたので多少は安心した。


「ちなみに校閲の現場は本の中でござる」

「ど、どういうことですか?」

「百聞は一見に如かず。そして拙者より至言を一つ。死なないように」

「え?」


 耳鳴りがしたかと思うと、田中の体は先から順に白く光り始める。


「あの、光ってますよ!?」

「そりゃDRだからねー」


 溶けていく角砂糖のように、光る田中は粒子となってその場から消えた。 

 次いで女性も同様に消え、部屋には根亀が一人残る。


「ほい、DR成功。拙者の持ち場は縁の下、縁の下、と」


 ぼさぼさ頭を掻き、根亀は眼鏡の奥の瞳を光らせた。




   ◇◇◇




 額に何かがコツコツと当たる。

 目を覚ました田中はゴーグル越しに赤ペンでつつかれていることを認識した。


「起きたか、新人君。ここがDRの、いや、本の世界だよ」


 先ほどまでの書架と機械だらけの部屋ではなかった。街中、通りの往来で田中は身を起こす。辺りに人の気配はない。ただ、街並みが広がるだけだった。


「ん、赤ペン。校閲にはこれがないとね」


 赤ペンを手渡され、部長に手を引かれて立ち上がる。彼女も田中と同じくゴーグルをつけていた。


「さ、仕事するよ仕事! ほら、さっそく誤字が出た」


 建物の陰からカサカサと黒い塊が転がり出てくる。丸めた紙屑のような見た目で、じりじりと二人の方へと向かってきていた。


「りぴーとあふたみー、新人君。そのゴーグル、コマンドは音声認識だから」

「はい?」


 言うが早いか、彼女は赤ペンを構えて唱えるように言葉を紡ぐ。


「原本参照! 行数指定! ……ほれほれ、君も言う」

「げ、原本参照。行数指定」


 田中のゴーグルに浮かび上がる文章。文章が視界画面の左から右へと流れていく中で、赤く光る箇所が一つあった。


 ――ジョンは完壁に姿を物陰へと隠した。


 この一文が赤く光っていた。


「あ、誤字……」


 完璧、となるであろうはずの部分が、よく見れば字が違う。


「ご名答! そしてその誤字があのカサカサしてるヤツ。それを――」


 部長が地を蹴り、猛スピードで黒い物体に向かって走る。赤ペンを振りかざして、切るように『璧』の文字を書きつければ、それはさらさらと砂のように崩れて消えていった。


「こうやって校正していく。これがDR校閲」

「すみません。知っている校閲と何もかも違います」

「誤字を直したんだから校閲でいいの。ほら、次がくるよ!」


 交差点の角から現れたのは、黒い人型の塊。

 田中は、同じ要領で「原本参照。行数指定」と呟いた。先ほどと同じように文章が流れ、赤く光る部分がゴーグルのディスプレイに表示される。


 ――エイミーは、ジョンを見つけれない。


 ら抜き言葉だ。田中は一つ頷き、修正のために赤ペンを握って黒い人型に近づこうとする。そこにかかる静止の声。


「人型は襲ってくるから危険。ゴーグルが壊れたら、本の世界に呑まれるからね。だから飛び道具を使おう。おうい、メガネぇ」

『ほい、こちら根亀』


 ゴーグルを通しての部長と根亀の通信。会話の内容は田中にも聞こえていた。


「バズーカ寄越せ」

『承知。3秒で転送するでござる』


 部長の手元に光り輝く粒子が集まり、バズーカが現れた。彼女はそれを田中に手渡す。


「さて、新人君の初DR校閲だ。気合い入れていけ。必殺技みたいに、こう、ら抜きバズーカー! って」

「え、ええ……?」


 いい年をした新社会人が叫ぶような言葉ではないと田中は尻込みしたが、これも仕事だと言うのであれば仕方がない。ゴーグルが音声認識だと言っていたので、きっとその関係なのだろうと納得して照準を黒塊へと合わせる。


「ら抜き、バズーカッ!!」


 放たれた巨大な“ら”は見事にそれに命中した。


「うんうん。素直でよろしい。ま、言わなくてもいいんだけど」

『部長、田中殿で遊ぶなでござる』

「え、叫ぶ必要なかったんですか」


 新入社員に対して、意地の悪い仕打ちである。


「ところで、DRって結局何ですか?」

『ぬふう、よくぞ聞いてくださりました。この出版不況の中で次代を担うに足る新技術こそがドリーミング・リアリティ。いわゆる夢想現実。通称・DRでござる。肉体そのものを粒子化して創作物の世界と同期させる、VRやARとは一線を画す夢のテクノロジィ! 端的に言うなれば本の中にお邪魔でき――』


 根亀の台詞は不意の襲撃に遮られた。先ほどの人型の黒塊が消え去りながらもその腕を細く尖らせて田中を狙っていたのだ。


「危ないっ!」


 部長が咄嗟に田中を押す。黒い棘が彼女のゴーグルを掠め、一部を破壊した。そこからさらさらと光の粒がこぼれる。黒塊が消え去る事を確認しながら、鋭く彼女は叫んだ。


「根亀ッ!」

『もうやってます! 強制離脱まで5秒!』


 耳鳴りの後、体が光の粒子へとなって消えていく中、田中は部長がぽつりと「しくじったな……」と呟くのを聞いた。




   ◇◇◇




 現実世界へと戻り、目を覚ました田中の視界には乱雑な部屋と根亀の姿。部長の姿は、無い。


「あの、部長は……」

「とても言い辛いけれど、心して聞いてほしいでござる」


 重苦しく口を開く根亀。


『いやあ、困ったねえ。体、なくなっちゃったよ』

「え!?」


 不意に脳内に響く声。しかし姿はどこにも見えない。辺りを見渡す田中に、申し訳なさそうに根亀が言葉を続けた。


「部長の精神だけは帰還できたのでござるが、その、肉体をロストしたので致し方なく……」

『新人君の体に入らせてもらったよ』


 絶句。もしやずっとこのままなのだろうかと田中は考える。


『体をなんとかするまではそうなるかなあ。ごめん。心も丸見えなんだ』

「それはかなり嫌です」

『私も嫌だし、この状況が上に知られたら非常に面倒なんだよ』

「そこで、当面の目標は二つ。一刻も早く部長の体を元に戻すこと。そして誰にもこの事態を悟られぬこと、でござる」


 田中は異議を唱えようとしたが、心を読んだ部長が先手を打つ。


『不祥事を隠蔽するのが悪だと考えるのは分かる。事情は追って話すから、私たちを助けてくれないかな。ほら、文字通り、一心同体だし。何より君も既に校閲部の人間だもの。運命共同体だよ、うん』

「半ば脅しじゃないですか……せめて、心を読むのだけは勘弁してください」


 嘆息する田中。根亀は一言「諦念よ、あれ。でござる」と言った。これが彼の入社一日目の出来事である。

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