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聖女♂はお金で幸せを買えるのか?





 金で幸せは買えると思っていた。


 だから妻のため、娘のため、朝から晩まで働いて、休日も資格の勉強をし、給料を少しでも上げるため、懸命に頑張ってきた。


 たまに、妻から「また仕事なの?」と小言が飛んできたが――それでも、金がなければお前が着ている洋服も、娘の学費も、家のローンだって払えないから、黙って働いてきた。


 そんなある日、娘が車に轢かれそうになっていた。


 たまたま仕事が早く終わり、たまたま今日は娘の誕生日だったことを思い出し、たまには家族団らんもいいか――と、柄にもなくケーキを買って、家に帰ろうとしていた時だ。


 家の近くの大通りで、信号は青にも関わらず、車が猛烈な勢いで突っ込んでくる。それに気付かず、スマホを見ながら歩いている制服を着た後ろ姿に――俺は迷うことなく「美衣(みい)!」と娘の名を呼び、飛び出した。


 衝撃。明滅。眠気。暗転。


 最期に見たのは、少し離れた場所で、ヨロヨロと立ち上がる彼女の姿。


「良かった……」


 俺が死んでも、生命保険はたんまり積んである。だから、俺はそれだけ呟いて――――意識を手放した。





 ――――と、これで死ねれば美談である。

 

 眩い場所で目を覚ました俺の周りには、聖職者のような格好をした大勢が、取り囲むように立ち尽くしていた。


 天国か。地獄か。はたまた――――異世界転生。巷ではそんなものが流行っていたことくらい、俺でも知っている。はじめは、どこぞのネット小説のオタク文化として始まった流行だったらしいが、何もない所に煙は立たないもの。誰かの体験が、尾ひれが付いて、回り巡って、想像し得ない形で人々に伝聞される――世の中なんて、そんなものだ。


 娘もよく言っていた。


『あーあ。こんなショボいオヤジじゃなくて、実は異世界の王様が父親だったらいいのになー』


 娘の発想は一周回って、自分が異世界のお姫様であることが望みだったらしい。そして、いつか元の世界に呼び戻され、勇者と世界を救う英雄譚(ヒロイックサーガ)恋愛譚(ラブストーリー)がご所望だったようだ。


 まぁ、娘がどんなに夢を見た所で、現実は社畜中年オヤジとグータラ主婦の間に生まれた平凡女子中学生なのだが。


 それはさておき、


「死後の世界なんて、本当にあったんだな」


 率直な感想を呟きながら俺が立ち上がった時に、気が付いてしまった。

 全員の顔色が、とても青ざめている。その原因を探して、真っ先に気が付いたのは、俺が一切の衣服を身に着けていないこと。周りには、女性の姿も見える。この世界の貞操観念は定かではないが、俺の雄々し――くもないモノに、異性が軽蔑なり嫌悪を抱いてもおかしくないだろう。


 ――だけど、男も愕然とした顔をしているのは、どういうことだ?


 自身を見下ろしてみると、デップリした腹が消えており、手足も幾分短い気がする。困惑することは他にもたくさんあるのだが、


「どうしよう?」

「どうする?」

「とりあえず、王に報告を……」

「こんなことは異例――」

「神がご乱心に――」

「この国の終わりが――」


 俺をチラチラと見て慌てるだけで、一向に誰も説明しようとしない態度に、何も思わないわけでもなく。俺は手近にいた男の胸倉を掴み、ドスの利いた声を発した。


 この場には妻も娘もいない。会社でもなければ、地域の目もないのだから――もう何も我慢する必要はないのだ。


「おい、ここはどこだ? 王様に報告とやらの前に、目の前の俺に説明をするのが筋じゃねぇーのかよ?」

「はっはっは。お前の言う通りだ!」


 質問に答えたのは、俺が掴んでいる怯えた男ではなかった。

 奥の大扉からゆっくり歩いてくるのは、いかにも装飾華美な格好をした長身痩躯の男。齢二十代半ばに見えるが、藍色の長髪から放たれる貫禄というか、雰囲気が、大企業の社長かというほどの気迫を見せていた。さらに、こちらに向けてくる穏やかで完璧な微笑が、不気味さすら感じさせる。


「いきなりラスボスのご登場か? 勘弁してくれねぇーか。こちとら、裸なんだぜ?」

「その『らすぼす』とやらが何かわからんのだが……俺はこのサンジェス国王、アルス=ムーンレティ=サンジェス。まぁ、この国で王様、と呼ばれる者だ」


 大らかに笑う男が近くにやって来ると、聖職者のような人達が道を開けるように捌ける。その真中を堂々と歩いてきた男は、俺に己が着ていたマントを掛けた。


「あぁ、すまねぇーな」

「なーに。お前のような子供に風邪を引かれては、こちらも困るのでな」


 ――子供?


 俺がそれを聞くよりも早く、王様という男が「一つ簡単な頼みがあるのだが?」と言ってくる。


「~~~~と言ってはくれぬか?」

「とらーんすふぃぐらてぃおー?」


 男がやたら達者な発音で言った言葉を、俺は反射的に真似た。何やら周りの奴らが逃げるように後退りしたような気がしたが――気が付いた時には、急激に床が抜けたように、俺は落下していた。もとより高い天井だったが、さらに遠くなる。落下の衝撃はそれほどだったが、周りの奴らが急に大きくなった。


 ――おい、何なんだ一体……⁉


 俺が喋ろうとしても、俺の声が聞こえない。代わりに聞こえたのは、王様の大きく楽しそうな笑い声だった。


「あっはっは! これは驚いた……まさか、こんな可愛いドラゴンになろうとは」


 ――ドラゴン?


 膝に手を付いて俺を見下す王様が、俺をそっと掬い上げる。「お前も見てみるか?」と連れられて先には、巨大な銀の杯があって。


「これなら見えるか?」


 まるで鏡のように磨かれた側面は、王様の手のひらでピチピチと跳ねる俺を映す。


 それは、娘が幼い時によく行った水族館で見た――タツノオトシゴ、そのものだった。



 ◆ ◆ ◆



『パパの辰年って、ドラゴンじゃなくて、タツノオトシゴの間違いだよね?』 


 小さい頃から、妻に似て口が達者な娘だった。

 そんな娘がよく水族館でタツノオトシゴを指さしては、嬉しそうに言っていたのだ。馬鹿にされているのだろうが、それでも俺は笑顔で「そうかもな」と答えるだけだった。


 だって、娘が土産屋でいつも強請ってくるのが、タツノオトシゴのグッズだったのだから。



 ◆ ◆ ◆



「ったく……何だってーんだ、一体……」

「はっはっは。あの姿は『たつのおとしご』というのか……それは面白いことを覚えた」

「面白くも何ともねーよ……つーと、あれか? 本当の聖女なら、ドラゴンに変身出来ていたのかよ?」


 自然と数分で元の姿に戻った俺が借りた服に着替えている最中、カーテンの向こうの王様は楽しげに笑う。


「まぁ、そういうことだな。異世界から呼び出した聖女がドラゴンとなり、我が国の平和と安寧を守ってくれるのだ。先日、長年聖女を務めてくれた者が亡くなってしまったのでな。代わりの者を召喚したはずなのだが――何の因果か、それがお前だったという話だ」


 それにしても、よく笑う王様だ。

 見目麗しく、相手が女だったら一目で落ちる色男――だけど、ここまで笑ってばかりだと、ただの阿呆なのではと思えてしまう。


 対して鏡の中の俺は、ただただ困惑するばかり。

 これまた何の因果か、年が若返っていた。が、中途半端に戻りすぎて、娘と同い年の中坊くらい。さらに残念なのが、昔から小柄の女顔だったため、小学生にしか見えないという状態だ。


 そんな俺が借りた服装もまた、子供用スーツのような半ズボンタイプのもの。

 着替え終えた俺がカーテンを出ると、いかにも西洋ファンタジーのような城の客間ソファに座った王様は優雅に茶を飲んでいた。


「ほう、よく似合うじゃないか」

「全く嬉しくねぇーな」


 俺は給仕の綺麗な姉ちゃんに勧められるがまま、ソファに座る。ふと目に入ったのが、壁に掛けられたドラゴンの絵画だった。それはゲームなどでよく見る、大きな翼を広げたドラゴン。こいつらが俺に変身して欲しかった姿がこれなのだろうと憶測しつつも、俺はすぐに本題を口にした。


「――で、これから俺をどうするつもりだ? あんな可愛いのが、お前さんたちの目当てじゃないんだろう?」

「それはもちろん――そうだなぁ。大臣たちは直ちにお前を処分して、新しい聖女を召喚しろと騒いでいるが……」


 処分――これまた物騒な単語に、俺は鼻で笑う。

 どこの社会も、役立たずはクビ――ブラックな世の中に呆れていると、王様は言う。


「しかし新しく召喚するにも、納める税が足りんからなぁ……貯まるまではお前でどうにか乗り切るしかない」

「税? 国が税金を納めるのか?」


 普通逆だろう――そう思って尋ねてみると、王様は俺の前で初めて、顔をしかめてみせた。


「幸福税だぞ? 願いを叶えるのだから、等しく神に税を払うに決まっているだろう?」

「こーふく税?」

「あぁ、お前も税さえ払えば、元の世界に戻れるぞ。ただ、そのための金額が膨大でな……前の聖女も、ついに志半ば倒れて――――」


 そのよくわからない税金について聞いている時だった。

 部屋の扉が急に開いたかと思えば、司祭服にも似たドレスを着た少女が入ってきて、


「お覚悟!」


 胸元に抱えたナイフを、俺に向けて一直線に駆けてくる。さして早くない動作に、社畜で鈍った身体でも避けるのは容易そうだが――俺は一切動くことが出来なかった。


美衣(みい)……」


 それは、俺と妻との掛け替えのない娘の名前。俺の命なんて簡単に張れるほどに、大切な娘の名前。


 彼女は、そんな娘の顔に瓜二つだったのだ。

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