36 魂分神官は奇跡に遭遇する
年が明け、巫女の任期はあと一年。穏やかならざる空気のなか、巫女はこれまでの集大成のように、必死に祈りを捧げる。魂分になったことで神域に足を踏み入れることを許されるようになり、祈祷する巫女を後方の木陰から周囲を警戒しつつ、そっと見守る。
このまま祈りの日々が続いてくれれば……と奇跡を祈ったが、あまりにあっさりと、奇襲を受けた。よりによって、神殿最奥の奥祭壇に、サジークの王、アルス本人によって。
サジーク王が明かす真実に、ワナワナと震える。先代の巫女ルビー……様は、この男によって陵辱されていた。我々は最悪な間違いを犯していたのだ。
そのことをさも面白そうに我々に話して聞かせる王。この男は壊れている。
そして、日々ともに巫女に仕える中で、ひっそりと想いが育った、可愛いミトを盾にされた。
屋根がバラバラバラバラっと音をたてだした。おそらく猛烈な風とともの雹が降り出したのだ。巫女ももはやこの早春の嵐を抑える気持ちなどないようだ。
王が、ミトを、その場の神官を盾に、巫女に降伏を迫る。巫女を穢すと宣言しながら。
私は……ミトを諦めた。あの世で、いくらでも責めてくれ!
いや、ミトは責めたりしないか。年など関係なく、ミトは巫女を慕っていた。母親のように。
巫女が、天寿を全うされれば、すぐに君のもとに行くから、天界で、待っていてくれ。
もちろんミトも天界に行ける。ミトはたくさんの人間を殺してきたのだろうが、本意でないこと、そうせねば生きていけなかったことくらい、神はご存知だろう。
私が意識を刈られたミトごと王を斬ろうとしたときに、巫女が静かに聖剣を鞘から抜いた。
「巫女!!!」
私がグダグダと動けずにいたあいだに、巫女が決断してしまった。
神殿という組織にとって必然で、巫女を慕う我々にとっては最悪な決断を。
巫女の首から血しぶきが飛ぶ!
倒れる巫女を抱きとめようと手を伸ばしたその時!
天空から大きな破裂音とともに大量の光が巫女に落ちた!!眩い光に巫女の全身が包まれ……
光がおさまると、巫女が、巫女ならざるものに、変わっていた。
純白の巫女服が紅に染まるほどの出血というのに、表情を全く変えず、何故か、質量のない幻さながらに……1mほど……浮いていた。
銀の髪はふわふわと広がり、銀の瞳は刃のように冷たくヒトを射抜く。
『……どけ、魂分、お前には失望したぞ』
「も、申し訳ございません!」
心臓をぎゅっと掴まれるような、おそろしい声。床にはいつくばるほかなかった。
サジーク王は、目を見開き、首から血を垂れ流しながら自分を見下ろす、先程まで脅していた女を見る。ミトの首に当てた刃物はズレている。
圧倒的な存在感。
『小僧、少しばかりおいたが過ぎたな』
目の前の奇跡に誰も口を開けない。
『この世界が滅びようと、それがヒトの選んだ道なれば、我は干渉せぬわ』
神の手が『依り代』の首に触れる。ベタリと血がつく。
『ただ……銀眼の巫女は我の『依り代』ぞ?我のものを傷つけて、ただで済むとでも思うたか?それも二度も』
周囲の空気が凍りつく。身じろげば、全身切り刻まれるような殺気に、誰も動けない。
『前回は巫女が『依り代』になることを望まなかったゆえに見逃してやっただけ。あれは自分の身を守ることで精一杯だった。だがこの九代目は完璧に一連の『依り代』の条件を発動したわ。全て見届けた。望み通りお前のいうバチを当ててやる。手加減などできんぞ?愚か者よ。覚悟せよ!』
巫女のなりをした『神』が、巫女の血に染まった『聖剣』をサジークの男たちに向かって軽く振った。
飛び散った血が瞬く間に業火に変化し、王たちを襲う。いかん!ミトもいる!慌てて手を伸ばす!
「う、うわあああ!」
「やめろー!」
「へ、陛下ー!」
サジーク勢の体が炎に包まれる。火がついたとたん王の手から離れたミトは、床にゴロリと転がされ……着火しなかった。
『我はこのように、下界では『依り代』を媒介にせねば力を振るえんのだ。難儀なことよ。ああ、この炎は犯した罪が重ければ重いほどよく燃えるのだ。面白かろう?』
男三人が炎に包まれ転がる。サジーク王を包む炎は一際大きい。
「ぎゃあああああ!」
炎の勢いが強すぎて、その中の様子など透けても見えない。
神が不意に頰に手を当て、不快そうに顔を歪める。
『ああ、この頬の傷も許せんな。この体が純潔なうちは髪の毛一本にいたるまで我のものというに。これほど清らかな我の『依り代』を嘲るとは……もちろん国ぐるみの覚悟があってこその暴挙であろう?』
ふと、神が顔を背けて、天窓しかない壁を睨む。その方角は西。西にあるのは……
『……なるほど、サジークの神殿から祈りが届かないと思っていたら……神官を皆殺しにしていたか。自分の思い通りにならんからと、子どもよりも始末が悪い。神殿は我の社。神官は我の僕。ほんに救い難い。ようわかった。サジークよ、無に帰るがよい』
淡々と紡がれる言葉が切れると、西の空も眩い光に包まれた。そして続く轟音……サジークの方向。
それぞれがその地に起こった惨状を想像し、ガタガタと震える。
そして、目の前でごうごうと燃えていた三つの炎は、その者らの身体も罪も燃やしつくし、炎が消えた後には何も……残っていなかった。
塵も煤も残らぬ床に、ミトはポツンと横たわっていた。
『九代目?……安心せよ。天罰を下したのは生きている私利私慾にまみれたサジーク王侯貴族だけじゃ』
神が目を閉じる。
『我の僕らに告ぐ、たった今、我の『依り代』を冒瀆した罪で、サジーク王族を無に返した。これ以上の混沌を我は許さぬ。速やかに回収せよ』
思念が頭に直接入り込む!これは……全世界の神官へのメッセージ?いや、神殿で何度も祈祷を行ったことのある各国の有力者にも届いているレベルか?
神の怒りをビシビシと感じる。それぞれの地で皆、平伏しているだろう。
『そして時代に二人もの巫女を貰い受けながら、二人とも使い潰した罪は重い。当面巫女は現れぬ。せいぜい悔い改めるがいい。お前たちの巫女は、お前たちの罪を背負い、死んだ』
死んだ……のか?マール……さま……
◇◇◇
「シャリーア神!この度の不始末、誠に誠に、申し訳ありませんでした!」
茫然とする私を尻目に、大神官様が、神の足元の……巫女の血溜まりに走り寄り、平伏する。
『我の名を……そなたが長か』
「いかにも!お願いでございます!九代目様を、我らのもとにお返しくださいませ!九代目様を亡くしたとなれば、僕たる我々一同生きていけませぬ。御神の怒りは私が!私の命を持ってどうか!」
『ふふ、長の命を我が欲しがると思うのか?』
「何卒……何卒……九代目様はあらゆる辛苦を味わいながらも、世界中のどの神官よりも真剣に誠実に務めを果たしてまいりました」
『それを我が知らぬとでも?それ故にこうもこの『依り代』は我に馴染むのじゃ。そもそも我に明け渡したのは九代目の意思。九代目をここまで追いつめたのはヌシらであろう』
「いかにも!ですが、曲げてお願いします……九代目様に……マールに……ひとときの穏やかな時間をお与えくださいませ。巫女はシャリーア神の『依り代』でもありますが、愛し子でもあるはずです。シャリーア神への無垢なる献身、ご存知なはず!」
神はふぅ、とため息をついた。
『……残念じゃがもう血が足りぬ。もはや虫の息じゃ。……そうよの、命を差し出すと言うならば、長も魂分となり、己の命を吹き込めばよいのではないか?』
大神官様も『魂分』?一人の巫女に二人の『魂分』などいいのか?いや、神の提案なのだ。
「……許されるのであれば」
『……ふふ、この娘はお前を血の繋がった親以上に慕っておる。拒絶するわけがない』
神は巫女の首元に手をやり、指先で血を拭い、その指を大神官様の口元に運ぶ。大神官様がそっとその指を舌先で舐め、魂分の儀の文言を唱える。
『許す』
目の前の神によって、一瞬で成就した。
『魂分が、二人、力を合わせれば何とかなるかもな。では皆のもの、我を呼んだ罪、巫女に呼ばせた罪、肝に銘じ、ゆめゆめ忘れるな。次は、ない』
シュッと纏っていた光が消えるとともに、巫女が地上に落下した!
「巫女!」
慌てて立ち上がりギリギリで抱き留める。首を手で止血し、
「布を持ってこい!」
駆けつけた神官が首に布を巻きつける間、まぶたを広げ瞳を観察する。血の気のない顔、膨らまぬ胸。耳を鼻に当てるが呼吸を確認できない。
「コリン!神域へ!連れていくのだ!急げ!」
そうおっしゃった大神官様の瞳は、早くも銀になっていた。




