32 お一人様は役割を果たす
女性への残酷描写有り。苦手な方は飛ばしてください。
声を出せずにいる私に変わり、コリンが叫ぶ!
「な、何故、そのようなことをーー!」
「お前は馬鹿か?形式上であれ何であれ、国王の上に立つものなどこの世界にいるものか!現にこうして混乱を招いている。なあ、神官?何故ここに私が自ら出向いたかわかるか?未だ神殿に刃を向けることを怖れる愚民が多いことも理由ではあるが……この手で崇め奉られている……お前の主人を堕とすことが……愉快でたまらぬからだ」
下品な……下劣な男。あまりの気持ち悪さに身震いする。
「世界に必要なのは絶対的たった一人による専制だ」
アルスは真っ直ぐに私を見下ろして、自信たっぷりにそう言い切った。
……残念だけれど私は前世の歴史上、専制、独裁政治など長くもたないことをハッキリ知っているから、全く心は揺れない!
私は怒りのままに言い放つ!
「あなたの行いは専制政治ですらない。自分が楽して生きるためのわがままな略奪です」
これまでの人生で初めて、憎しみを込めて睨み付ける!
しかしアルスも動じない。
「かもなあ。しかしそのわがままも、巫女のお墨付きがもらえれば、立派なメッキが付くだろう?」
カルーア様が絶対零度の表情で前に出た。
「許すまじ。皆、この冒瀆者らを引っ立てよ!」
神官がサジークの四人を取り囲む。
「そんな棒きれで私の選りすぐりの護衛に勝てるとでも?」
黒ずくめの護衛が鞘から剣を抜く。
「勝てますよ」
コリンも棍の先を抜く。中からギラリと光る刃が出てきた。薙刀に近い。奥祭壇は狭いが天井は高い。十分振り回せる。コリンは一気に身体を前に進め、長い柄を自分の手の延長のように使い、あっという間に一人の護衛の剣を弾き落とし、そのまま刃の背中で首の根本を強く叩いた。男はずさりと床に落ち、コリンは素早いステップで私の目の前に戻った。この場所を知り尽くしているコリンに分がある。
それにしても、私だけでなくコリンにも刃物の許可が出ていたの?
コリンがアルスに向けて真っ直ぐに構える。
「ふん、巫女の警備が厳重になったことなどわかっていた。まあ兵の代わりなんぞそれこそいくらでもいる。この抜け道の先にも大勢待機させているぞ?もうこの大神殿を取り囲んだ頃か?で、ダメ押しに……これでどうかな?」
黒ずくめの一人がゆっくりとナイフの鞘を抜き、ミトの喉元に刃を突きつけた!
カルーア様がワナワナと震える。
「恐れ多くもこの神殿の祭壇を血で汚すおつもりか。それも罪のない子どもの!バチがあたりますぞ!」
「前回もここであの女、随分血を流したぞ。暴れたし泣き喚くから痛めつけた。しかしバチなんか起こらなかったぞ?」
神殿サイド全員の血の気が、音を立てて引いたのがわかった。
ここで?……
……お姉様……ごめんなさい、ごめんなさい。私はお姉様の愛してくれた妹なのに……前世のただの小説の記憶に凝り固まって、何一つ見えていなかった。ローズがあんな目にあったあともその可能性に気がつかず、あの巫女のノートのお姉様の誠実な字を見ても、お姉様を信じることができなかった。
涙がポロリポロリと溢れ落ちる。
ラファエル殿下とのことは現段階ではわからない。でもお姉様はバカでもなく、欲深な女でもなく、裏切りものでもなかった。
ただの、18歳の非力な普通の少女だった。
お姉様の悲鳴が心に突き刺さる。
お姉様を信じなかった愚かな妹を、どうか憎んで!
それなのに、
『大好きよ、マール……』
頭に浮かぶのは、私のことを好きでたまらないという顔の、優しいお姉様……
「それに、デュランはサジークの神殿でトドメを刺したな。ルクスの成長儀礼とおびき出し、帯剣していないところを。ったく、子どもなどこれからどれだけでも作れるのにルクスの処遇にあれこれ口を挟み、鬱陶しいことこの上なかった。煩わしいケチのついた子どもなど不要。まあ、それでもバチなど起こらなかった。所詮迷信。滑稽なことだ」
デュラン様……ルクスのためだったの?私と約束したから?
デュランさま……ルクス、無事なの?ああ……
心臓が、ギュッと掴まれる……痛み……。
涙が……止まらない……
先ほどまで美しい夕焼けを見せていた空に、重い雪雲が垂れこめる。
「やめろー!これ以上巫女様をいじめるなー!私はお前の犬なんかじゃない!私は『神殿の子』だー!巫女様の子供だーーーー!」
静寂を裂くように、ミトが突然狂ったように暴れ出し、号泣しながら己を拘束する男の手を振り切りサジーク王に突進した。しかしもう一人の男が無情にも剣の背でミトの後頭部を手加減無しで打ちつけた。ミトはそのまま前にバタンと倒れた。
「「ミトーー!!」」
コリンと私、同時に叫ぶ!
「やれやれ、飼い犬に噛まれるとはまさにこのこと」
王は片膝をつき、意識のないミトの髪を掴んでグイと引き上げ、ミトの真っ白な首に自ら刃を立てた。
「巫女よ、随分と懐かれたようだな。躾けた奴隷が主人を裏切るなどよっぽどだ。慈悲深い巫女はこれを見殺しになど出来ぬだろう?」
ミトの首から一筋の血が歴史ある床に流れ落ちる。
「すでにこの奥祭壇は穢れているんだ。ミトの次は巫女が家族のように慕う大神官の血をこの場に流しておくか?」
その通りよ。私はミトを、家族である神官たちを見殺しにすることなどできない。私は巫女。弱きもの、愛を請うものに寄り添うの。
私の定めた道が変わることなどないけれど、一応尋ねる。
「王よ……あなたの来訪の目的……条件は?」
「昨年の神殿の声明の撤廃と、全神殿のサジークへの追従だ。お前らとポラリアを十分にお仕置きしたあと、調子にのっているトリアを焼き尽くさねばなあ?」
「バカな!」
コリンが声を荒げ、ミトを抱くアルスに薙刀の切っ先を向ける!
「コリン!なりません!」
慌ててコリンを止める!ミトをこれ以上辛い目に合わせてはならない。
「それと保険として、巫女、その身ももらおうか?お前はいささか出しゃばり過ぎた。カリスマ的存在など邪魔でしかない。安いものだろう?巫女の鶏ガラのような身体で皆が助かるのだ」
アルスがクックっと笑う。
「前回、手に入れた巫女は私の言いなりになると思っておったのに、あの女は素早く神殿を出ていった。それはそれで巫女が消えたことは歓迎すべきことであったのに、なんと、代わりがいたとは!盲点だったな。しかし、もう銀眼が他にいないことはわかっている」
「貴様!ふざけるな!」
後ろから神官が泣き叫ぶ!子どもたちの世話を率先してしてくれる、まだ新人の神官の声だ。この子もとっても不器用で、優しい。
結局私の弱点を人質にされた。ローズでも、ルクスでもなくミトと、仲間だった。
きっと、ミトもサジーク王に何か弱みを握られていて奴隷に陥ち、苦しんで苦しんで生きてきたのだ。それなのに、王に摑みかかろうとしてくれた。私のために。
ミトは『神殿の子』、私の子だ。
しかし神殿にありもしない非を認めるなど、私の愛する人々を傷つける行為、ありえない。そもそも真実を偽ることは神官の生き方に反する。できない。
そして神殿がサジークに屈したとなれば、再び形勢は逆転し、サジークが再び勢いを増す。二度も負けたら、ポラリアにはこれまで以上の地獄が待っているだろう。この為政者には愛などない。人間らしい感情があるとすれば、報復くらいだろうか?
目の前のさほど大きくもない背中を見る。いつも私の傍らに寄り添い、私の心と身体を守るコリン。コリンは、愛するミトを主たる私のために切り捨てるだろう。そうしてコリンが生き延びたとして、その後の人生は生き地獄。大好きな、もはや私の片割れたるコリンにそんな真似させようか?
詰んでる。
……けれどお姉様、私は逃げないよ。正直に言えば逃げられないんだけどね。ふふふ。
私は……巫女だから。
その時、不意に天窓から一筋光がさした。それを見た瞬間、啓示のように、全て繋がり、理解した。
左腕の袖で涙をぬぐう。そして静かに私だけが使える脇差し……聖剣を右手で抜く。
「ほお、巫女自ら戦うと?」
「いいえ、私は戦わないわ。己の役割を果たすだけ」
私は一瞬カルーア様に視線を送る。後は任せます!カルーア様の目が大きく開く!
姉が……歴代巫女が教えてくれた。今私がすべきことを。皆さま方、私に力を!
「巫女!!!止めてくれーー!!」
カルーア様の悲鳴!!!
「はっ!巫女!」
コリンが真っ青な顔で私に手を伸ばす!
「私は聖女の末裔、銀眼を持つ第九代巫女、マール・バニスター!」
私が剣を振りかざすと王らは一応身構えた。そんな彼らに優雅に微笑む。
コリン、カルーア様、ミト。ここにいないテリー様、神官の皆様方。ケン、マイ、私の子どもたち。
ローズ、会えなかったリッカ。チャールズ、ナターシャ、お兄様、お義姉様、ポール、マック、お父様……お姉様。
そしてルクス、デュラン様……
走馬灯とは有難い。皆にお別れできた。泣き笑いする。
愛しています……今生の別れです。ああ、あっちで会える?デュラン様……
そういえば小説でも絶望の果てに、この神殿で、首を切って死んだんだ。結局一緒か。
小説のタイトル『ただあなたのために、祈る』だったな。ヒロインがヒーローのために、ヒーローがヒロインのために祈っていた。
私も祈ろう。ヒロインに、皆に、安寧を。
「全知全能なる神よ……全てを、『無』に返したまえ!!!」
私は躊躇えぬよう勢いをつけて己の首を切りつけた!鋭い痛みが走る!
私の純潔の血が、奥祭壇に跳ねる!
ドオーーン!!!
眩い光と、落雷の音を最後に聞いて……私の意識は途絶えた。




