29 お一人様は未来を読む
結局王や王妃たちとは夕食まで挟んで懇談することになり、部屋に戻ったころにはもう1日が終わっていた。
「巫女様おつかれ様でした。明日はケンとマイとのんびりしていいですからね」
「ありがとう、コリン」
「……巫女様、何か私に手伝えることは?」
「大丈夫。今日は取り敢えず寝るから。コリンもゆっくり寝てね。おやすみなさい」
◇◇◇
深夜、冴え冴えと雪の世界に光る月を、ベッドの上で毛布に包まり、三角座りをして眺める。
いよいよ戦争になるのだ。
戦争となれば、敵も味方も多くの血が流れる。
私は巫女として、どのような行動を取ることが正解だったの?
サジークと他国の橋渡し?そんな大層なこと、ただの小娘ができるわけがない。
サジークに土下座して、これ以上の他国への圧政を止めてもらう?
私を扇子で殴るほど、私を屁とも思っていないサジークの王族の心に響くわけがない。踏み潰されるのがオチだ。
前世のジャンヌ・ダルクのように先頭に立って旗を振る?そんな根性あるわけない。
都度都度、真剣に考えて、巫女として最善を選択してきたつもりだけれど。
『にげて、にげて、にげて』
姉の言葉はどういう意味なのだろう。私が面会を許可しないために、わざわざお忍びで、雪の積もった森奥の一般参賀まで来て伝えてくれた言葉。よほど切羽詰まっている……のだろうか?私は?
あの場から逃げろ?神殿から逃げろ?
逃げて一体どこに行けばいいの?
少し前までは、私を他国に連れて行くと言ってくれた人がいたけれど。
姉は逃げたの?逃げ場として王家を選んだのだろうか?
そういえば……姉の仕草を思い出す。人差し指で下をえぐるような動作を繰り返していた。そっと床におり、床板が外れそうな場所を探す。当然そんなところない。あればとっくに有能なコリンが修理してしまうだろう。
えぐって見えた……裏ってこと?私は机に潜り、椅子をひっくり返し、ベッドの下に手を突っ込んだ。ベッドの底を、頭から足元に向かって手を這わせると、カサっと何か、紙に触れる!何かがテープのようなもので貼り付けてある!慎重に引き剥がし、それを掴んで引き抜く。
薄い、紺色のノートだった。
ただならぬ予感がし、埃をハンカチで慎重に拭き取り、自分の手も清める。ベッドに腰掛け、深呼吸を一つして、破かぬように、そっと表紙をめくる。
そのノートは歴代の巫女の記録だった。
そして、最も大きな特徴は、バニスターの言葉で書かれていること。
ポラリア国の民は端から端まで共通言語を話せるが、地方には、その土地に根付いた言葉が今でも残っている。バニスター語は秘密ではないし、もちろん国内なのだからポラリア共通言語と似ている。文字も一緒だ。だから暗号というわけではない。ただバニスターのものでなければ読むのに時間がかかることは確か。
王都の初等教育に入学するまでは、私も一年の大半をバニスター領で過ごした。地元のお年寄りと過ごせばバニスター語はすぐにマスターできる。それは姉も同じ。
1ページ目の初代巫女様の時代は逆にバニスター語しか話せなかったのではないだろうか?だから慣習としてバニスター語で書くようになったのかもしれない。
パラパラとページをめくると、初代から順に、名前、年齢、在位期間、在位中の出来事、還俗後の行き先や享年が書いてある。在位中と、還俗後の字が違うのは還俗後の記載は次代の巫女が書くからなのだろう。
それぞれのご先祖様の性格で、ページ内容も長さもバラバラだ。
そして7代目の途中から、見慣れた流れるような姉の字にかわり、次のページ、8代目巫女、ルビー・バニスターの項目の途中で記載は終わっていた。
姉の前、7代目巫女はお祖父様の姉だったジーン様。私たちが生まれた時にはとっくに亡くなられていた。姉はどうやってかキチンと調べてジーン様の項を書き上げている。私の仕事は比較的簡単だ。姉はすぐそのあたりで生きているのだから。
二周目は丁寧に読み解く。淡々と事実と、史実が書かれているだけ。どこかに心情でも書かれていれば、少しは読み物として面白いのに。巫女には巫女にしかわからない苦労がある。歴代の巫女たちと共感しあえれば楽しいのに。私のところはちょっと長々と感想文を書いちゃおうかしら。
ルビーのページにたどり着く。何故、このただの『巫女の記録』がさも秘密のように隠されていたか、さっぱりわからない。例えコリンに見せても疚しさなど何もない書き物なのだけれど……
パラパラともう一度ノートを眺める。長い記述はさっき念入りに読んだ。三代目なんて半ページで終わってる。本当に箇条書きが数行だけ。5代目は90歳で大往生するまで5ページもかかれているのに……6代目様おつかれ様でした。
え……、ああ、そういうことか……
ページの短い長いは書き手の筆が走ったかどうかじゃない。書くことがあったかどうか。つまり長生きしたか、短命だったか。
背中にゾクッと悪寒が走る。
震える手で、ページ数のない巫女の項目を読み返す。
八名中三名の巫女は、還俗せず、巫女のまま、亡くなっていた。
全て、戦時中の巫女だった。そして、その死を機に戦争は終結している。
旗頭にされたり、精神的支柱として敵に殺されたり、心労がたたったり。死因は書いていないけれどそういうこと?いや、他に何か……。
『にげて、にげて、にげて』
巫女から逃げろ、ということだったのか?
姉は……それが倫理的にどうかは別にして、思ったよりもいろいろと考えていたのかもしれない。これまでバカにしていてゴメンね、と心の中で頭を下げる。
でも、逃げた姉は今、幸せなのだろうか?結局戦争となれば王家もど真ん中で巻き込まれるのだ。
戦争が始まった今、逃げるところなどどこにもない。
だからこそ歴代の巫女様も逃げなかったのだ。
それに、私はもう、神殿にどっぷり浸かってしまった。どこかで一人、ヒヤヒヤしながら生きるよりも、例え身の危険が迫っても、カルーア様やテリー様の教えにしたがって、コリンや子供たちとここで過ごすことを、選ぶ。
逃げることなど……とっくに不可能だ。私は自分から進んで神殿にがんじがらめに縛られていた。
お姉様……私は逃げないよ?皆と一緒に戦う。
ふと、表紙の裏に書かれた言葉が目に付いた。
『巫女は聖女の末裔にて神の依り代。巫女の心が悲痛に満ちた時、神は現れ、無に帰す』
この言葉は巫女の一年目に教わった。すっかり忘れていた。
私が嘆くと嵐になり、稲光が落ちた。
荒天こそが神ということで、大雨で土地のものを流し去ることが無……という解釈で、いいのだろうか?そして戦争どころではなくなり、終戦……。
戦時の巫女はその過程で死んだ?荒天を呼ぶには案外気力体力を使い衰弱死?
神殿から、逃げないと決めた私の未来も、そうなるのだろうか?
「その先にあるものが確定ならば、せめて……より良い死を掴まねばね……」
ノートをじっと見つめて、ヒントを探す……。
心が悲痛に満ちたとき……
デュラン様を失い、ルクスと敵対することになった今よりも、悲痛に満ちることなどあるのだろうか……
とりあえず、今できること。私は机のあかりを灯し、姉のことを感情を交えず淡々と事実だけ、懐かしのバニスター語で書いた。
『18歳にて還俗。ラファエル王太子と結婚し、王太子妃となる』
そして自分のことも。次にいつ机に向かえるかわからないのだから。
『16歳にて入信。25歳、在位10年目にポラリアとサジークとの関係悪化。再び戦争へ……』
続きは次代に託し、私はベッドの裏に再びノートを貼り付けて、机の灯りを消した。
◇◇◇
巫女の眠りが深くなったのを確認し、ミトは床に音も無く降り立ち、ベッドの底を探る。
先ほどまで巫女が書き記していたノートを取り出して、パラパラと中身を確認する。
ギュッと手首を捻られ、ノートを落とす。
「くっ……」
「ミト、君の仕事は巫女を守ることであって暴くことではない」
闇から現れたテリーにそう言われると、ミトは顔を歪め、涙を目に溜めて、一礼して静かに走り去った。
「ミト……残念だ……」
テリーは悲しげにそれを見送り、屈んでノートを拾い上げる。
「このようなものが……」
バニスター語に驚きつつも、ページを次々とめくり、眉間に皺を寄せ、最後のページにたどり着く。
『第9代巫女 マール・バニスター。〇〇年生まれ ヒューゴ・バニスターの次女
16歳にて入信。25歳、在位10年目にポラリアとサジークとの関係悪化。再び戦争へ
特出すべき長所はなく、還俗のその日まで、神殿にて祈り過ごす』
そっと、ノートをベッドの底に戻した。
「……これを読んだ上で、我らと運命をともにする決断をしてくれたのですね……」
テリーはマールの銀の髪を一房持ち上げキスをして、ベッドの傍に跪き、祈る。
「我らのマール様に、せめてひとときの安寧を……」




