27 お一人様は顔出しする
年が明けた。
私はいつもよりもずっとずっと真剣に、泉で身を清め、大晦日からのオールナイト祈祷に挑み、祈って祈って祈り明かして、馴染みの顔ぶれと一緒に年を越した。
泉の水を祭壇に捧げ、
「私の任期もいよいよ今年一年となりました。つつがなく務め終えることができますよう、皆様ご助力お願い申し上げます」
「「「「「よろしくお願いいたします!」」」」」
25歳になった。
私がよろよろと部屋に戻ろうとすると、
「巫女、明日のことで相談があります。もうちょっとだけ寝ないでね」
大神官様とコリンに両脇から腕を組まれてドナドナされた。
◇◇◇
「明日の一般参賀の件なのだけれど、どうやら昨年の三倍は人が押し寄せそうなのだよ」
大神官室のご自分の椅子に腰掛けて、カルーア様は目の下真っ黒な顔でそうおっしゃった。
今年は殊の外寒くて二十代の私も辛いお務めだったのに、多分70歳オーバーのカルーア様がお疲れじゃないわけがない。
「はあ?なんだそりゃ?今年は膝まで雪が積もってるんですよ?」
「巫女様!言葉乱れ過ぎ!」
すかさず嗜めるコリンも相当眠そうだ。
「既に警備の情報では街道に列が出来つつあるそうです」
テリー様が眼を閉じ眉間をつまんでいる。眠い?いやあなたもお疲れなのね。
「何ででしょ?」
「……昨年の巫女の顔出しのせいです」
「わたしぃ?どうして?」
「昨年同様に、巫女の顔を見ることが出来るのではないか?という期待です」
「えー!いやだあー!」
私は机に突っ伏した。
「巫女が本当に噂どおりの姿なのか?神殿は巫女が頰に怪我をしたと言っているが、本当か?確かめたいのでしょうなあ」
カルーア様が頬杖をついてため息をついた。
「過去例のない盛り上がりの一般参賀になりそうで、対応を間違えると騒動になり、怪我人が出る恐れが……ありがとう。ああ、温かい」
とりあえず冷静になるためにテリー様の大好きなゲンマイ茶を淹れて手渡すと、すぐに口にされた。カルーア様とコリンにもお出しして、自分の分をごくっと飲んで、一呼吸おく。
「みんなそんなにこの傷を見たいってこと?はあ、いっそ見せちゃう?どうせ巫女は今年で最後で、来年からはその辺プラプラ歩く町人になるんだから、もったいぶらなくてもいいですよ?あ、でも、顔見せたら見せたでガッカリさせて暴動……とか、なったらどうしよう?」
「はあ、巫女がそう仰られるならば見せる方向で行きますか。我々に隠し事などないし、衆人環視のほうが、サジークも手を出せないかもしれません。巫女の御身は命に代えてもお守りしますので。で、実は「天使」の登場もかなりの期待があるのです」
「ケンはダメ!ケンとマイを危険な目に合わせる可能性のある場所には出さないわ。式典中はミトに守ってもらいます」
テリー様に即座に反対する。
「「承知致しました」」
四人同時にあくびをする。
「……一旦寝ましょうか?」
「「はーい!」」
◇◇◇
新年2日、私は朝の祈りを終えると、例年どおり女性たちに囲まれて支度させられる。部屋の片隅にはケンマイがミトと一緒にちょこんと座り、私の変身の様子を見守る。双子は二人の要望で、白い神官服もどきを着せている。私たちとお揃いになりたいそうだ。新年だし、子供はこの二人だけになっちゃったし、既に見習いだし、特別あつかいだ。
「……頰から視線が外れるように、目力重視のメイクにしてあげよっか?」
昨年のメイクは子どもたちに不評だったので、今回はナターシャ大先生をお呼びして、私の顔を盛ってもらっている。超重要国家行事ではあるが、大神官様も最後だからとナターシャの来訪を許してくだっさった。
「目力ってなーにー!」
「マイ、知らねーのか?目から光がビューって出て、それを見たら石になるんだ!」
メデューサか⁉︎
「……ナターシャ、ナチュラルメイクでお願いします」
ナターシャは今日は真っ赤なカツラだった。
「また見事な色ねえ」
「うん、スッゴイ綺麗な赤毛の女の子と出会ってね。彼女の二年間の職業訓練校の学費を私が納める条件で譲ってもらったわ。あの年頃の子が大金持つとろくなことないし、親に預けても、この不景気……手をつけられちゃうでしょ?」
「ああ、第二都市の?噂では聞いたことがあるわ。いい学校らしいわね。アパート出来たらそこにケンとマイも入学させようかな?」
「まあ、こんな私でも受け入れてくれたからねえ。自由には違いない。巫女、これでどうだ!」
私は、鏡を見た。ぱっと見どこも変わっていない。
でも、肌の疲れが消え、キメが整い、ボサボサだった眉毛が美しい弓を描き、上品なアイラインとマスカラがいつもよりもちょっぴり黒目がち……銀目がちに見せて、唇はピンクでプルっとなっていた。
「うわあ……」
化けずに化けた!
「ナターシャ……よくわからんが巫女は確かに可愛いくなった?ありがとう」
とコリン。
「ええ、ジワジワ来ますね」
とミト。
「巫女様、ちょっぴり可愛い!」
とマイ。
「うん、去年よりも全然怖くない!いつもの巫女様だ!巫女様いつも可愛いもん!」
「はうっ!」
ケンに殺された。
……大好きよ!ケン!
◇◇◇
例年どおり、大祭壇のステージの幕が上がる。今日は例年よりもギャラリーが多い。巫女のラストステージだからか?
私は現時点では例年通りベールをかぶっている。儀式は神聖なものだ。形式が大事。
国サイドは王を筆頭に、何故か国政に口を挟まない王妃!そして宰相閣下、将軍閣下。その後ろに年配のおっさんたち……豊穣祭にいつも来る農水相の並びだから全員大臣なのだろう。そしてチャールズ含め護衛が複数。
王妃様……10歳の小娘にとっては恐ろしすぎる教師だった。休憩でお茶を飲むときも、トイレに立つ時も、所作をチェックされ気の休まる暇もなかった。
会わない10年で、王妃様は美魔女に変貌を遂げていた。相変わらずお美しく、厳しそうだ。ベージュの品のいいドレスを召していらっしゃる。暗くもなく、華美でもなく、流石としか言いようのない完璧なチョイス。
例年どおり、王の挨拶から始まる。儀式は滞りなく進む。
私は手を膝の上に乗せ、お一人お一人の新年のご挨拶を受ける。
そして儀式も滞りなく終わり、立ち上がり、バルコニーに進む。
一歩外に踏み出した途端、鼓膜が破れそうな大歓声に包まれた。
神殿前の広場は見渡す限り人で埋め尽くされ、街道へ続く小道もぎゅうぎゅうと列ができて、若い男は雪の積もる常緑樹に登っている。
私を真ん中に、両脇に王と大神官様を従えて、手すり前の最前列に歩み、三人で並ぶ。
王と大神官様が群衆に手を振る。
「これは……巫女様への期待は大変なものですな……」
王のつぶやきに何か意味を感じてゾッとする。
「これは……危ない。これ以上の熱狂は怪我人を出すでしょう」
大神官様は目を細めて群衆を見て、私に向き直り、頷いた。
はあ……ショータイムだ。
私は一歩前に出た。
「巫女?」
王が訝しむ。
自分らに一歩近づいた私に気がついた群衆が、何かに期待するように声を落とし、やがて静寂となる。
私はゆっくりと多層なレースで出来たベールの裾を両手で掴み、そっと頭の上に押し上げた。
「「「巫女!!!」」」
私の傷のある、右に立っていた王が息を呑み、
「なんと……」
まさか王まで傷について疑っていたの?
「ひっ……」
王妃様の、声を殺した悲鳴。
「何故、今もってあのように生々しいのだ?」
「なんと……おいたわしい」
バルコニーサイドでヒソヒソ話が広がる。そうだ、みんなこの傷を見に来たのだから、右手の皆様だけに見せておくのは不公平?
私はなるだけゆっくりと右から左に顔を動かして、お披露目した。群衆はジャガイモジャガイモ……。
神殿の広場は、落ち着きを取り戻した。よかった。
「バカローズ!こんな寒い日に何してんだ⁉︎っち、あの男誰だよ!」
すっとチャールズの苛立たしげな声が後方より耳に入っていた。バカローズ?まさかこの中にいるの?
私は慌てて視線を動かすると、右の後方の大樹の根元に、目に痛いような真っ赤な髪の……オネエに立て抱きされ、両手を大きく振っていた。ナターシャとグルか……。
あれから二カ月。お腹はすっかり大きくなって、誰がみても妊婦。
ああ、でも、晴れやかな顔をしている。吹っ切れたのだ。それにしてもこの大勢の人が集まるところにやってくるとは……下賎な想像で陰口を叩くものもきっといるのに。
元気な姿をわざわざ見せに来てくれたのだ。本当にローズは強い。肝が据わっている。
私の視線の先に、女優ベルローズがお腹の大きな姿で不思議な赤毛の男?に抱かれている姿があると、徐々に気がつかれ、広場がざわつく。
いつも、ローズが私を守ってくれていた。今度は私のターンだ。
私は訓練された、ひときわ通る声で語りかける。
「……その子は、いつ産まれるのですか?」
ローズは突然私が喋ったことにキョトンとした。しかしすぐに復活し、女優らしい、堂々としたハリのある声で応答する。
「あと一ヶ月です!巫女様!」
あと一ヶ月でローズの赤ちゃんに会えるのだ。あの優しく柔らかな香り……
ルクス……。
「巫女様」
ボーッとしてしまった。大神官様の声で、我に返り苦笑する。あたりがざわめく。
「子は宝。その子の前途が明るいように、祈りましょう。そして子供たちすべてに、幸せな未来が待っているように、祈りましょう」
私は手を組み、神に祈る。その場のもの全て、勢いに押され、手を組み祈る。
ハイトーンの声が静寂を破った。
「巫女様〜カッコイイ〜ばんざーい!」
はっと目を開けて声のする上方を見上げる。上?振り返ると神殿の屋根にケンとマイが足をブラブラさせて座って手を振っていた。
「巫女様〜祈ってくれて、ありがと〜!」
「巫女〜好きだ〜!あう……」
二人は唐突に消えた。おそらくミトに後ろから引っ張られたのだ。
「天使……」
「天使様だ〜!」
「それもお二人〜!」
ドーン!と群衆が沸いた!
「巫女ー!」
「巫女様〜!」
「ばんざーい!」
口々に叫び出したが、皆ギリギリ秩序の範疇だ。
「巫女様」
コリンが後ろから声をかける。もうこれ以上熱狂する前に戻れってことだ。
私は小さく頭を下げ、大声援を背に舞台裏に戻ろうとした。頭を上げた瞬間に人の波の真ん中で大きな茶色のショールを頭からすっぽり被った女が何故か目に留まった。
相手も私の注目に気づいたのか、少しだけ、顔からショールをずらす。
「うそ……」
生え際から輝く銀の髪が覗く。大きな黒い目が私を射抜く。
……姉だ!
姉は、会わなかった期間を感じさせないほど美しいままだった。地味なショールを被っても滲み出る愛されるもの特有のオーラ。
彼女が、目尻を下げ、私を見つめる。幼い頃、「大好きよ、マール」と言っていたときと同じ。私を愛していた時と、同じ慈愛に満ちた顔で。
「どうして……」
姉の表情からは負の感情は見当たらない。と、思ったら突然顔をクシャリと歪め、人差し指を下に抉るような仕草を繰り返す。そして口を大きく動かす。何度も、何度も。口パクだ。
『に・げ・て、に・げ・て、に・げ・て』




