19 お一人様は号泣する
夏が来た。
暑い。
「ケン、マイ、何で髪の毛濡れてるの?」
「「テヘヘへ〜」」
お前ら絶対神域の泉で泳いでいただろ?まあバレなきゃいいよ。
二人はとりあえずミト監修忍者修行を始めたそうだ。神殿の御庭番になるもよし(テリー様は神殿の裏組織を認めてくれないけれど)、裕福な商人の元で働くもよし。とにかく自分で職場を選べる立場までスキルを磨いてほしい。
美人双子忍者……美味しい……頑張れ……
ケンマイ、ルクス以外の大きな子供たちは、この夏巣立っていった。
最近ニューフェイスは来ない。それだけ国が落ち着いてきたということ。喜ばしい。
私もこの時期だけはお清め泉の滞在期間が長い。
森の中すらこれだけ暑いのだ。市街地はどれほどだろう。
自分のアパートの様子を思い浮かべる。兄の話では、二階の若夫婦に赤ちゃんが生まれて、敷地の隅にタライを出して、水浴びをさせているそうだ。そんな話を聞くと、小さくとも庭があった方がいいのかも、と思う。でも庭は金食い虫だから……。
あの日以来、私は外出していない。あれが最初で最後のお忍びになった。
大好きな神官たちに迷惑をかけたくないし、結局のところ、あと一年半の辛抱だ。普通の女に戻って、自由に見に行った方がいい。
そうは言いつつ、あの外出に後悔は全くない。あの最新鋭アパートを思い出すだけで顔がにやける。あの思い出だけで、ご飯が三杯いける(今世はパンしかないけれど)。
そろそろ、将来自分の住むお一人様アパートを具体的に考えてもいいかもしれない。
ふと、デュラン様の顔が頭に浮かんだ。彼との生活を想像してみる。
私は自分のことしかできない。食事も毎日パンと卵とハムを焼くだけだろう。
デュラン様は……政治手腕は優れていても、日常の作業は私以上に何もできない気がする。なんてったって王族なのだ。となると、同居人としては不適格だわ。
頭の中は誰も覗かない。二人で失敗だらけで落ち込んでいる生活の様子を想像して笑ってみても、いいでしょう?
私が思いつくまま外観やインテリアを箇条書きしていると、表が騒がしくなってきた。
「巫女、見つけた!大変です!」
コリンが血相を変えてやってきた。
「……どうしたの?」
「サジーク王妃が、おこしになりました!巫女様、急ぎ支度を!」
サジーク王妃……ルクスの……母親……
◇◇◇
応接室に、王妃は座っていた。
若く美しいピンク色の瞳の王妃は全くお忍びという雰囲気ではなく、ピンクに金糸で刺繍の施されたたっぷりとしたドレスを着て、何か動物の牙で作られた扇子を広げ、その上から私を上目遣いに見た。ルクスの明るい栗色の髪は母親譲りだったようだ。
そう広くない部屋は、女官や護衛でいっぱいで、その中にはデュラン様もいた。いつものように屈託のない笑顔などなく、王妃の後方に立ち無表情。
王妃に付き添う外交官が、王子が政敵の手下に誘拐され、この度それらを一掃し終えたことを説明した。そして我が神殿に口先だけの感謝を示し、頭を下げた。
王妃一行からは、我々への敬意も信仰もなく、さっさとこの面倒を終わらせたい、という雰囲気がありありと醸し出されていた。
私は大神官様の横に座り、膝に手を置き、静かに会話を見守る。
そこへ、神官に手を引かれ、よちよち歩いてルクスが現れた。
王妃が目を見開いて立ち上がる!
「まあ、見て!見て!殿下が歩いていてよ!なんと愛らしきこと!」
ルクスは見たことのない複数の大人を前に、ビクッと身体を震わせ、神官の足にしがみつく。
なんとなく、嫌な予感がする。
「ルクス、お母様よ!ああ黒くつぶらな瞳が陛下にそっくりだこと!さあ、こちらへおいで!」
ルクスはプルプルと身体を震わせ、やがて大粒の涙をポロポロとこぼした。
「う、うう、ううう、うわーーーーん!」
ちょこちょこと小さい足で駆けて私のもとに来て、足からよじ登り私の体に力いっぱいしがみついた!
こうなっては、私は抱き上げ、あやすしかない。
ルクスの耳元であやしながら、背中をトントンと叩く。ルクスが私の胸に顔をこすりつける。
「たくさんの皆様に驚いてしまったようです。殿下はお可愛らしいですなあ」
大神官様が敢えて朗らかに言うものの、高まった緊張感は無くならない。
「ルクス……お母様のもとにおいでなさい」
王妃の声がみるみる冷たくなる。このままではルクスの身が危ないと察し、無理矢理ルクスを王妃の方へ向けると、
「いや、いや、みこ、こわい、こわい!」
身体をよじらせ私の胸に戻る。耳元で囁く。
「ルクス様、ルクス様、お母様がお迎えにいらしたのよ?」
「う、うう、うええん……」
……当たり前の反応だ。ルクスからすれば、母親とはいえ、見たことのない人間。
王妃の眉間に深いシワがよる。ああ、どうしよう。この王妃様は思慮深い方ではなさそうだ。理解してもらえるの?
「なんと……不敬な!神殿は我がサジークの王子にどのような教育を施した!母に、母国に背くような言い含めるなどもってのほか!」
「めっそうもない!我々は大切に大切にお預かりしておりました!」
「やかましいわ!ルクスをこれへ!」
女官が私の前に来て、強引にルクスを私の腕の中から奪い去る!
「乱暴は止めてください!脱臼してしまいます」
この人たちは、幼子の扱いをわかっていない!
「指図をするな!」
なぜ女官まで高圧的なの?大国ゆえの傲慢さ?
女官は両手を突っ張りルクスの両脇の下を掴んで、王妃に差し出した。
王妃はルクスに触れることもなく検分する。
「みこーみこーいやーみこーうわああああん!」
あんな支えられ方、辛いに決まっている。内頬を噛む。
王妃が真っ直ぐに私を睨みつけた!
「なんと癇癪持ちになって!そなた、どのような育て方をした!」
私は初めて言葉を口にする。
「……恐れながら、私は一年以上もルクス殿下と寝食を共にしてまいりました。私に懐いてくださるのは自然の道理かと」
「なぜこのような見窄らしい格好をさせておる!王族ぞ!」
「敢えて、他の神殿の子らと同じ処遇にしております。仕立ての良いものを着せれば、身元がバレて、殿下の身が危なくなるかと」
そのように命令を受けた。その命令を下したデュラン様を見つめる。デュラン様の表情は何一つ変わらぬまま。
「ああ、もう!泣かないでよ!ちょっと!これは何!顔にアザが出来てるじゃない!それも何箇所も!あれほど美しい肌で産まれてきいたというに!」
「それは、疱瘡の痕で、やがて消え……」
「わらわの王子の顔に痕を残しただと!この無礼者め!」
私は、何一つ恥じることなどしていない!
「神に誓って、愛情を込めて、健やかにお育ていたしました」
私はじっと王妃を見つめ返す。王妃の顔は真っ赤になって、
「よくもこのように反抗的な……許さぬ!」
王妃の扇子がテーブルを挟んで私に振り下ろされた。映画のシーンか何かのようで呆然と見ていると、バシッと音が鳴り、まあまあの痛みが頰から伝わってきた。
信じられない……
私の前にコリンと神官長テリー様が立ち塞がる!テリー様が低く唸る。
「なんと。神の依り代である巫女に手をあげるとは!」
「ふん!巫女巫女と笑わせる!たかだか伯爵令嬢の分際で随分と偉そうに!そもそも姉の代わりに入った出来損ないのくせに!」
さすが……なんでも知っていらっしゃる。打たれた頰に手を当てる。少し切れたみたい。血がついた。
ああ、ルクスが泣いている。私を守る二人の神官の隙間から、真っ赤になって仰け反っているのが見える。
この、まだ大人になりきれていない女がこれからルクスを育てるの?もちろん子供は母親の、両親のそばにいるのが一番いい。でも、この王妃は本当にルクスを愛してくれるの?
なんで泣かせっぱなしにするの?どうして抱きしめてあげないの?
私だったら、ギュッと抱きしめて、キスをして……。
「神をも恐れぬ振る舞い……サジークは品格のある大国だと敬っておりましたが……。よもや聖女の末裔である巫女に、この暴力と対極の清らかなる神殿にて手をあげる存在がいようとは。巫女は世界の神殿における不可侵の存在。すぐさま、この事実、世界中に通させていただきます。当然サジーク国教神殿にも」
カルーア大神官様が厳かに王妃に伝える。
「ふん、この無礼、我とても見過ごすつもりはない。わらわと王子を愚弄した行い、後悔させてくれるわ!皆、戻る!」
王妃が立ち上がり、前後守られて部屋を出る。女官がルクスをギュッと抱きしめて後に続く。
ルクスはその肩ごしに大粒の涙を流し、両手を私に差し向けて、
「みこー!みこー!みこーー!うわあああん!!!」
ああ……泣かないで。
いずれ別れが来ることくらいわかってた。その時が来たら、穏やかに握手して、一回ギュッとハグして、大好きよって言うつもりだった。
こんな、胸が痛む悲痛な叫びを聞きながら別れるなんて聞いてない!
私が育てた。まだふにゃふにゃと軟体生物のようだった出会ったころのルクスは抱くのも怖かった。
オムツを変えて、沐浴させて、重湯を飲ませて……。
泣き続けられると途方にくれた。にっこり笑われると嬉しくてたくさんキスをした。
最近は活発になって、すんっと匂いを嗅ぐと汗臭くって。
初めて「みこ」と呼んでくれた時は、人生で一番幸せで、ここに来てよかったって思った。
私のルクス……あんなに泣いて……
足早に出ていき見えなくなる。泣き声だけがこだまする。ぞろぞろと退出する中の一人のデュラン様と目が合う。すぐに背けられる。
あなたがルクスをここに置いていったの。
あなたが私にルクスを育てるように命令したの。
こんなにルクスを私に愛させて、こんな辛い別れをさせること。だいたいわかっていたのよね?
立場上、デュラン様が何も口を挟めないことくらいわかってる。
でも、恨みますから……デュラン様。
ぎゃーあ……とルクスの悲鳴が聞こえたあと、馬の嘶き、蹄の音、馬車の軋む音が聴こえてきて……行ってしまった。
「あ……あ……」
ルクス、あなたを奪えばよかったかな?弱いみこで……ゴメンね……
涙とともに、床に崩れ落ちる。
「巫女!」
コリンに支えらる。コリンが私の涙をぬぐい、何を思ったのか、一瞬ためらったあと、私の傷にキスし、血を舐め、何か呟いた。
「コリン!」
テリー様がまた何か慌てている。
「……コリン?」
「いつも、傷は舐めときゃ治るって子供たちに巫女が言うでしょう?あれです。おまじない」
コリンはそのまま茫然自失の私を抱き上げて、私室に運び、ベッドに座らせた。滲む血を再び吸い取り、軟膏を塗り、湿布を貼る。私はされるがまま。
「……まさかデュラン様がこれほど動けぬとは……もはや私がお守りするほかない……」
「……なに?こりん……」
「いえ、とりあえず休んでね。何かあったらすぐに声をおかけください」
コリンは私をベッドに横たえ、毛布でギュッとくるんで、退出した。
一人になった。
「う、うう、うわあああああ!!!」
枕を握りしめて泣き崩れた。
「ルクスーー!ルクスーーーー!!」
外は夏特有のゲリラ豪雨となった。
次回は週末更新です。




