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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
四章 山月記の時間_2019年7月編
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21 エピローグ 舞台の上で

 9月15日(日) 文化祭二日目 午後1時30分すぎ

 

 1年生チームと円城の舞台が終わり、結城と麻衣のステージが始まる。

 これが終われば、あとは撤収だ。顧問としても、パフォーマンスが始まってしまえば一段落である。最後のパートくらいは観客席で鑑賞したいと思い、暗闇の中でこそこそと席についた。


 舞台の真ん中で、結城と麻衣が手を取り合いながら、丁寧にお辞儀をした。


  ◇


 簡単に挨拶を交わして本題に入った。


「麻衣さんの気持ちを尊重して、しばらく見守ってあげて欲しいんです」

 エステティックサロンたちばなの応接室のソファは、小ぶりながら座り心地が良い。センスのいい調度に、オーナーの趣味の良さを感じる。


「お母さんは 『振る舞いだけでも直したほうが』とおっしゃいました……『昔の私に似たのか』とも。それで、もしやと思いまして……お母さんも麻衣さんと同じ『楽じゃない』生き方だったのではありませんか」

 

 昔から近くにいて、母親が麻衣の性的指向に全く気づかないというのは、そうあり得ることに思えなかった。だから、きっと麻衣の心を知った上で、違う道へ導きたいのだろう、と。

 麻衣の男っぽい振る舞いに、厳しすぎる目を向けることも、つい遠ざけてしまうことも……同じ苦労を知る故ならば、理解できる。

 麻衣の母親は少し驚いた顔をしただけで、淡々と話してくれた。


 彼女もマイノリティとしての指向に悩んだこと。心に蓋をして結婚、出産したが、結婚生活は壊れてしまったこと。今の夫はパートナーとして信頼しているが、二人の間に恋愛感情はないこと。入籍はお互いの指向を隠すカモフラージュを兼ねていること……。

 

「……親子って、血は争えませんね。あの子に同じ苦労は……ってずっと思ってきたのですが……」

「社会環境も変わってます。きっと、麻衣さんの世代は、もっと自分の心に素直に生きやすくなります」

「だと、いいのですけど……」

「人生をどう歩むか、最後は麻衣さんの判断を尊重してあげませんか。お母さんのこと、麻衣さんは大切に思っています。同じ悩みをもってたと知れば、きっと彼女の勇気になります」

「……親って、気恥ずかしいものですね」

 母親は優しい目になって、一つ息をついた。


「でも、子どもにとっては、唯一無二の味方です。明日の舞台、麻衣さんも、芽衣さんも出ます。是非見に来てあげてください」


 ◇


 舞台の上、ドレスを纏った結城と、騎士服をスラリと着込んだ麻衣が、恋人同士のように立つ。

 ラ・カンパネラがかかる。こぼれるように、弾むように、優雅で複雑なピアノの旋律が場を包み込む。


 リズミカルに身体を曲に乗せ、結城が巨大なキャンバスに筆を走らせる。

 彼女の引く線は力強く、美しい。


 そして、結城の一つ一つの動きに、吸い付くように、かぶさるように、多彩な色がほとばしっていく。何色もの絵筆を、持ち替えながら高速で、かつなめらかに線に彩りを加える麻衣は、結城をエスコートする騎士そのものだった。


 滑らかに美しく。

 スピーディーに鮮やかに。

 ピタリと合った2人の呼吸に、観客席から微かなどよめきが起きる。


 湖畔の森、浮かぶ宮殿。

 近景には、湖に合わせたようなブルーのドレスの姫君と、白い服を着込んだ騎士。描いている結城と麻衣が、そのまま分身になってキャンバスに入り込んだかのようだ。


 リハーサルの通り、完璧に曲に合わせ、時間通りに描き上げた。

 盛大な拍手の中、手を繋いで、正面に礼をする2人。



 ひときわ力強く拍手をする音に視線を走らせると――麻衣の母親と、夫の姿があった。


 ◇

 

 午後2時40分 

  

 文化祭の二日間、生徒指導部付きの俺は、基本的に忙しかった。ガラの良くない客が来る可能性もあるし、なんやかやとトラブルも起きる。指導部の先生は腕章とトランシーバーを常備しつつ、シフトを組んで校内警備である。 

 創作部ステージの時間だけはシフトを外してもらったが、それ以外の時間は警備と、クラスのやきそば屋の監督で目まぐるしく過ぎた。ここから先、入場客退場までの1時間はまた警備シフト。疲れに負けじと、腕章の位置を直しながら廊下の人の流れを眺める。


 え?


 いるはずのない背中を見た気がした。

 遠ざかっていく小さな背中。肩のライン。髪型に強い既視感を感じた。

 追いかけて顔を確かめようか、とも思ったが、出口に向かって流れる人波に紛れてしまった。


 疲れてるから脳内の記憶と重なって……見たことのあるものと、見ているものが混同されたのか……目の前に視線を戻す。もう売り切れてしまった飲食団体が、鉄板やガスボンベを運び出している。


 気付くとすぐ近く――真横に結城が立っていた。

 辛うじて聞こえる大きさの声で話しかけてくる。

 

「先生」

「うん?」

「さっき、ステージのあと、麻衣が話しにきました」

「……うん」

「……ご存じだったんですね」

「……」


 間が開いた。


「人の思いを拒否するのって……辛いですね……」

「……」


 結城の声は、誰かに話しているというより、ぽつり、ぽつりと空間に置かれた泡つぶのように漂っている。

「咲耶が、今日は3人で帰ろうって言ってくれました……ほんとに、咲耶はお見通しですごいな。頭に来ちゃうな……」


「……麻衣にちゃんと向き合ってくれて、ありがとう」


 一呼吸の沈黙の後、結城が言った。   

「先生……大っキライです」

次回にて山月記の時間、完結です。

補講「姫とみんなとセンセイと」をお送りします。

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