21 エピローグ 舞台の上で
9月15日(日) 文化祭二日目 午後1時30分すぎ
1年生チームと円城の舞台が終わり、結城と麻衣のステージが始まる。
これが終われば、あとは撤収だ。顧問としても、パフォーマンスが始まってしまえば一段落である。最後のパートくらいは観客席で鑑賞したいと思い、暗闇の中でこそこそと席についた。
舞台の真ん中で、結城と麻衣が手を取り合いながら、丁寧にお辞儀をした。
◇
簡単に挨拶を交わして本題に入った。
「麻衣さんの気持ちを尊重して、しばらく見守ってあげて欲しいんです」
エステティックサロンたちばなの応接室のソファは、小ぶりながら座り心地が良い。センスのいい調度に、オーナーの趣味の良さを感じる。
「お母さんは 『振る舞いだけでも直したほうが』とおっしゃいました……『昔の私に似たのか』とも。それで、もしやと思いまして……お母さんも麻衣さんと同じ『楽じゃない』生き方だったのではありませんか」
昔から近くにいて、母親が麻衣の性的指向に全く気づかないというのは、そうあり得ることに思えなかった。だから、きっと麻衣の心を知った上で、違う道へ導きたいのだろう、と。
麻衣の男っぽい振る舞いに、厳しすぎる目を向けることも、つい遠ざけてしまうことも……同じ苦労を知る故ならば、理解できる。
麻衣の母親は少し驚いた顔をしただけで、淡々と話してくれた。
彼女もマイノリティとしての指向に悩んだこと。心に蓋をして結婚、出産したが、結婚生活は壊れてしまったこと。今の夫はパートナーとして信頼しているが、二人の間に恋愛感情はないこと。入籍はお互いの指向を隠すカモフラージュを兼ねていること……。
「……親子って、血は争えませんね。あの子に同じ苦労は……ってずっと思ってきたのですが……」
「社会環境も変わってます。きっと、麻衣さんの世代は、もっと自分の心に素直に生きやすくなります」
「だと、いいのですけど……」
「人生をどう歩むか、最後は麻衣さんの判断を尊重してあげませんか。お母さんのこと、麻衣さんは大切に思っています。同じ悩みをもってたと知れば、きっと彼女の勇気になります」
「……親って、気恥ずかしいものですね」
母親は優しい目になって、一つ息をついた。
「でも、子どもにとっては、唯一無二の味方です。明日の舞台、麻衣さんも、芽衣さんも出ます。是非見に来てあげてください」
◇
舞台の上、ドレスを纏った結城と、騎士服をスラリと着込んだ麻衣が、恋人同士のように立つ。
ラ・カンパネラがかかる。こぼれるように、弾むように、優雅で複雑なピアノの旋律が場を包み込む。
リズミカルに身体を曲に乗せ、結城が巨大なキャンバスに筆を走らせる。
彼女の引く線は力強く、美しい。
そして、結城の一つ一つの動きに、吸い付くように、かぶさるように、多彩な色がほとばしっていく。何色もの絵筆を、持ち替えながら高速で、かつなめらかに線に彩りを加える麻衣は、結城をエスコートする騎士そのものだった。
滑らかに美しく。
スピーディーに鮮やかに。
ピタリと合った2人の呼吸に、観客席から微かなどよめきが起きる。
湖畔の森、浮かぶ宮殿。
近景には、湖に合わせたようなブルーのドレスの姫君と、白い服を着込んだ騎士。描いている結城と麻衣が、そのまま分身になってキャンバスに入り込んだかのようだ。
リハーサルの通り、完璧に曲に合わせ、時間通りに描き上げた。
盛大な拍手の中、手を繋いで、正面に礼をする2人。
ひときわ力強く拍手をする音に視線を走らせると――麻衣の母親と、夫の姿があった。
◇
午後2時40分
文化祭の二日間、生徒指導部付きの俺は、基本的に忙しかった。ガラの良くない客が来る可能性もあるし、なんやかやとトラブルも起きる。指導部の先生は腕章とトランシーバーを常備しつつ、シフトを組んで校内警備である。
創作部ステージの時間だけはシフトを外してもらったが、それ以外の時間は警備と、クラスのやきそば屋の監督で目まぐるしく過ぎた。ここから先、入場客退場までの1時間はまた警備シフト。疲れに負けじと、腕章の位置を直しながら廊下の人の流れを眺める。
え?
いるはずのない背中を見た気がした。
遠ざかっていく小さな背中。肩のライン。髪型に強い既視感を感じた。
追いかけて顔を確かめようか、とも思ったが、出口に向かって流れる人波に紛れてしまった。
疲れてるから脳内の記憶と重なって……見たことのあるものと、見ているものが混同されたのか……目の前に視線を戻す。もう売り切れてしまった飲食団体が、鉄板やガスボンベを運び出している。
気付くとすぐ近く――真横に結城が立っていた。
辛うじて聞こえる大きさの声で話しかけてくる。
「先生」
「うん?」
「さっき、ステージのあと、麻衣が話しにきました」
「……うん」
「……ご存じだったんですね」
「……」
間が開いた。
「人の思いを拒否するのって……辛いですね……」
「……」
結城の声は、誰かに話しているというより、ぽつり、ぽつりと空間に置かれた泡つぶのように漂っている。
「咲耶が、今日は3人で帰ろうって言ってくれました……ほんとに、咲耶はお見通しですごいな。頭に来ちゃうな……」
「……麻衣にちゃんと向き合ってくれて、ありがとう」
一呼吸の沈黙の後、結城が言った。
「先生……大っキライです」
次回にて山月記の時間、完結です。
補講「姫とみんなとセンセイと」をお送りします。




