11 オトナの女とヒドい男
1月18日(金) 16時50分 勤務時間終了 10分前
目の前の椅子に、飛田先生が座った。
先生方の名前が並んだ名簿をもっている。来月の入学試験の採点日に、注文する昼食の希望者確認用アンケートだ。入学試験の日、教員は学校に缶詰になる。万が一の不正などのリスクがあるので、昼休みに外に出ることができない。
そのため、事前に仕出し弁当を希望者分まとめて発注する。
「辰巳先生、円城さんがいないと、やっぱり、寂しいですか」
アンケートの「食べます」に○をつけた。
「いえ、まあ、もう2週間もせず帰ってきますし」
「……それは、先生としての、意見、ですよね」
飛田先生が、声を低めた。
「……どういうことです」
「シャーロット先生が、このまえ言ってましたよね。辰巳先生と、円城さんの……その、交際うんぬん、というお話。あれ、結局、お気持ちとしてはどうだったのかなって思いまして」
不埒な会話……という雰囲気はない。ごく自然に、どうなんですか?と聞かれている。
「やめてくださいよ、飛田先生まで」
笑顔を作っている……つもりだが、引きつっているだろうか。
「……辰巳先生、今日、この後、お時間ありませんか」
突然の、飛田先生からの誘いだった。
「一度、先生とご一緒して、ゆっくりお話したかったんです」
校長室で話した件が、頭に残っていた、というのもあった。
飛田先生と、じっくり話す機会がもてるのも、もう何度もあることではないのかもしれない。
◇
歓迎会でも使った飲み屋「山頭火」。
飛田先生と二人で並んで飲むのは初めてだ。比較的静かな、奥の角席が空いていた。
ビールで乾杯して、一杯空けたあとは、焼酎に切り替えた。
手慣れた感じで、おかわりを用意してくれる。
「辰巳先生、ずいぶん、女の子に好かれてますよね」
飛田先生は、にこにこしながらマドラーでグラスをかき混ぜる。
ふふふっと、柔らかく笑う。
「円城さんだけじゃなくて……みんな、本当に先生のことが好きなんですね」
椅子の上で、身体の据わりが悪くなったように感じる。
「……相手は生徒ですよ」
「……この話題になると、辰巳先生はいつもそれですね」
「はい?」
「……ヒドい男って言ったんです」
飛田先生の表情は笑顔だ。しかし、言葉の響きは優しく――痛烈だった。
居住まいを正して、真っ正面から向き合ってくる。
「そういうごまかし方は、不誠実です。辰巳先生」
「不誠実……」
「だって、先生、ごまかしてるじゃありませんか。「生徒だから、ダメ」……そこで終わらせて、みんな聞きたがってるそこから先を……先生自身の気持ちを言わない」
「……すみません」
自覚はある。
「それにしても、今日はずいぶん容赦がないですね。シャーロット先生が、あんなことを言ったから、ですか」
「それはまあ……無関係、と言ったら嘘になりますよ。でも、シャーロット先生にああ言われて、気付いたんです。ごまかしてるのは先生だけじゃ……」
飛田先生はそこで一度黙って間を開けた。
「ねぇ……辰巳先生。生徒だって、いつまでも子どもじゃありません。本気で恋するんです。そしたら、年齢にかかわらず、一人前の恋をしたレディーとして扱ってあげるのが……」
……ふぅ、と一息。
「辰巳先生なら、言うまでもない……わかってますよね。本当は」
言わんとしていることは、わかっている。自分がしていることも。
ただ、他のやり方がわからないだけだ。
「……買いかぶり、すぎですよ」
「そんなことありません」
「どうして、そう言えるんです」
「そんなの、簡単です」
優しい目をして、微笑む。
そのまま飛田先生は、息を吸って、目を閉じて。
――意を決したように、開いた。
「私も、辰巳先生が好きだから。ずっと見ていたから、それくらいはわかります」
飛田先生の気持ちに、気付いてないわけではなかった。
でも、きっとこんな瞬間は訪れないだろう……そう勝手に決めて、高をくくっていた。
まっすぐな決意が眩しくて、目を合わせられない。
「辰巳先生がうちの学校に来た3年前から、ずっと見てました。最初はなんだか、弟みたいな、大人しい人って。でも……違いました」
「……大人しくは、なかったですか」
「静かにしているときの先生は、とてもよく生徒を見ていて。でも必要になったら心の奥まで踏み込んでいく。女の私から見ても、繊細で、敏感で……なのに、大胆で。後輩なのに、凄いなって」
飛田先生が遠くを見るような目で、語り続ける。
3年間……いろんなことがあった。
「そんな先生が、円城さんや、結城さん……みんなを助けていた」
「……俺、指導部としてその子たち、指導してないですよ」
飛田先生がちろり、と横目でこちらを見る。
「私の情報網を甘く見ないでください……なーんて、嘘です。みんな、ガールズトークで、私にだけ、って話してくれましたよ。先生がどんな話を……追加講義をしてくれたか」
彼女たちが、飛田先生にだけ、と打ち明けたのは……。
「可愛いですよね……みんな、自分が一番先生に大切にされた、ってアピールですよ。私への牽制にね。他の先生に秘密で指導なんて、普通の後輩がやったら、叱ってます。でも、先生のやった指導は、そっちが正解、って思わされちゃいました……」
「……さすがに褒めすぎです」
「そりゃ褒めますよ。そういうの見て好きになったんですから」
沈黙。
「あの……」
「辰巳先生、好きです。私と一緒にいてください。人を助ける役ばかりの先生を、そばで支える人がいても、いいと思いませんか……私に、先生を支えさせてください」
だめだ……。
「その……どういっていいのか」
「……どうやって断るか、考えてるんですか」
「いや……」
「じゃあ……どうやってごまかすか……ですか?」
飛田先生がこらえきれずに視線をそらした。
ぎりぎりなのは、俺だけじゃない。
「やっぱり、さっきの 『生徒だから』 と同じですか……」
飛田先生の落胆する声。
一大決心だったはずの飛田先生にさえ、まともに返せないのでは、あんまりだ。
……だから、話せるだけ、話そうと思った。
「俺、お付き合いとか、結婚とか……誰とも、しないつもりなんです」
嘘じゃなかった。
そう考えるようになって、もうずいぶん経つ。
飛田先生の目が、大きく見開かれて、こっちをまじまじと見る。
「どうして……ですか?」
「……ちょっと訳があって。そういう……結婚とかはできないって、思ってます。だから、好きとか嫌いって言う手前で……ずっと……ごまかしてきました」
飛田先生が、何かを問いたげな顔で、口を開こう……としつつも、閉じた。
数瞬おいて、ここまでの流れを仕切り直すように、笑顔を浮かべた。
「私では、その訳を聞くことは、できませんか」
飛田先生は隣で、柔らかな目で俺を見る。
「……本当に、ありがたいです……甘えてしまいそうに、なります」
その目に溺れてしまいたくなる。
「ただ……」
でも、やはり。
「まだ、自分の中でも整理がつかなくて……」
当時を思い出してしまう。険しい顔をしているはずだ。
飛田先生の顔が近いのは、心配して覗き込んでいるからか。
何も言わず、おかわりを2杯作って、一つを俺に渡してくれた。
笑顔でグラスを合わせ、チン、と音を立てた。
何かの合図にように。
――ごめんなさい。そして、ありがとうございます。
この一杯で終わりにして、今日はゆっくり眠る。明日、ちゃんと挨拶を俺からする。
飛田先生が、ぽつり、と言った。
「辰巳先生。予約、できませんか」
「予約、ですか……?」
「はい。先生が話そうと思ったとき、私に最初に話して欲しい、という予約です。真夜中だって駆けつけます」
飛田先生は、俺の顔を見つめている。
俺は、飛田先生の目から視線をそらし――
「ああ、やっぱり……もう、いるんだぁ」
飛田先生がはあぁ、と息を吐きながら言った。
「辰巳先生、今、私に話すかどうか、じゃなくて、私より先に話したい人のこと、考えたでしょ?」
飛田先生が頬を膨らませて宣告した。
「やっぱり!……本当にヒドい男ですね。いつか大変な目に遭っても知りませんからね」




