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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
三章 竹取物語の時間_2019年1月編
56/118

11 オトナの女とヒドい男

 1月18日(金) 16時50分 勤務時間終了 10分前


 目の前の椅子に、飛田先生が座った。


 先生方の名前が並んだ名簿をもっている。来月の入学試験の採点日に、注文する昼食の希望者確認用アンケートだ。入学試験の日、教員は学校に缶詰になる。万が一の不正などのリスクがあるので、昼休みに外に出ることができない。


 そのため、事前に仕出し弁当を希望者分まとめて発注する。

「辰巳先生、円城さんがいないと、やっぱり、寂しいですか」


 アンケートの「食べます」に○をつけた。

「いえ、まあ、もう2週間もせず帰ってきますし」

「……それは、先生としての、意見、ですよね」

 飛田先生が、声を低めた。

 

「……どういうことです」

「シャーロット先生が、このまえ言ってましたよね。辰巳先生と、円城さんの……その、交際うんぬん、というお話。あれ、結局、お気持ちとしてはどうだったのかなって思いまして」


 不埒な会話……という雰囲気はない。ごく自然に、どうなんですか?と聞かれている。

「やめてくださいよ、飛田先生まで」

 笑顔を作っている……つもりだが、引きつっているだろうか。


「……辰巳先生、今日、この後、お時間ありませんか」

 突然の、飛田先生からの誘いだった。


「一度、先生とご一緒して、ゆっくりお話したかったんです」


 校長室で話した件が、頭に残っていた、というのもあった。

 飛田先生と、じっくり話す機会がもてるのも、もう何度もあることではないのかもしれない。


 ◇


 歓迎会でも使った飲み屋「山頭火」。

 飛田先生と二人で並んで飲むのは初めてだ。比較的静かな、奥の角席が空いていた。


 ビールで乾杯して、一杯空けたあとは、焼酎に切り替えた。

 手慣れた感じで、おかわりを用意してくれる。


「辰巳先生、ずいぶん、女の子に好かれてますよね」

 飛田先生は、にこにこしながらマドラーでグラスをかき混ぜる。

 ふふふっと、柔らかく笑う。

「円城さんだけじゃなくて……みんな、本当に先生のことが好きなんですね」


 椅子の上で、身体の据わりが悪くなったように感じる。

「……相手は生徒ですよ」

「……この話題になると、辰巳先生はいつもそれですね」

「はい?」

「……ヒドい男って言ったんです」

 飛田先生の表情は笑顔だ。しかし、言葉の響きは優しく――痛烈だった。


 居住まいを正して、真っ正面から向き合ってくる。

「そういうごまかし方は、不誠実です。辰巳先生」

「不誠実……」

「だって、先生、ごまかしてるじゃありませんか。「生徒だから、ダメ」……そこで終わらせて、みんな聞きたがってるそこから先を……先生自身の気持ちを言わない」

「……すみません」

 自覚はある。

「それにしても、今日はずいぶん容赦がないですね。シャーロット先生が、あんなことを言ったから、ですか」

「それはまあ……無関係、と言ったら嘘になりますよ。でも、シャーロット先生にああ言われて、気付いたんです。ごまかしてるのは先生だけじゃ……」

 飛田先生はそこで一度黙って間を開けた。


「ねぇ……辰巳先生。生徒だって、いつまでも子どもじゃありません。本気で恋するんです。そしたら、年齢にかかわらず、一人前の恋をしたレディーとして扱ってあげるのが……」

 ……ふぅ、と一息。


「辰巳先生なら、言うまでもない……わかってますよね。本当は」


 言わんとしていることは、わかっている。自分がしていることも。

 ただ、他のやり方がわからないだけだ。


「……買いかぶり、すぎですよ」

「そんなことありません」

「どうして、そう言えるんです」

「そんなの、簡単です」


 優しい目をして、微笑む。

 そのまま飛田先生は、息を吸って、目を閉じて。


 ――意を決したように、開いた。


「私も、辰巳先生が好きだから。ずっと見ていたから、それくらいはわかります」


 飛田先生の気持ちに、気付いてないわけではなかった。

 でも、きっとこんな瞬間は訪れないだろう……そう勝手に決めて、高をくくっていた。


 まっすぐな決意が眩しくて、目を合わせられない。

「辰巳先生がうちの学校に来た3年前から、ずっと見てました。最初はなんだか、弟みたいな、大人しい人って。でも……違いました」


「……大人しくは、なかったですか」


「静かにしているときの先生は、とてもよく生徒を見ていて。でも必要になったら心の奥まで踏み込んでいく。女の私から見ても、繊細で、敏感で……なのに、大胆で。後輩なのに、凄いなって」

 飛田先生が遠くを見るような目で、語り続ける。

 3年間……いろんなことがあった。


「そんな先生が、円城さんや、結城さん……みんなを助けていた」

「……俺、指導部としてその子たち、指導してないですよ」

 飛田先生がちろり、と横目でこちらを見る。


「私の情報網を甘く見ないでください……なーんて、嘘です。みんな、ガールズトークで、私にだけ、って話してくれましたよ。先生がどんな話を……追加講義をしてくれたか」


 彼女たちが、飛田先生にだけ、と打ち明けたのは……。

「可愛いですよね……みんな、自分が一番先生に大切にされた、ってアピールですよ。私への牽制にね。他の先生に秘密で指導なんて、普通の後輩がやったら、叱ってます。でも、先生のやった指導は、そっちが正解、って思わされちゃいました……」

「……さすがに褒めすぎです」

「そりゃ褒めますよ。そういうの見て好きになったんですから」


 沈黙。


「あの……」

「辰巳先生、好きです。私と一緒にいてください。人を助ける役ばかりの先生を、そばで支える人がいても、いいと思いませんか……私に、先生を支えさせてください」


 だめだ……。

「その……どういっていいのか」

「……どうやって断るか、考えてるんですか」

「いや……」

「じゃあ……どうやってごまかすか……ですか?」

 飛田先生がこらえきれずに視線をそらした。

 ぎりぎりなのは、俺だけじゃない。


「やっぱり、さっきの 『生徒だから』 と同じですか……」

 飛田先生の落胆する声。


 一大決心だったはずの飛田先生にさえ、まともに返せないのでは、あんまりだ。

 ……だから、話せるだけ、話そうと思った。


「俺、お付き合いとか、結婚とか……誰とも、しないつもりなんです」


 嘘じゃなかった。

 そう考えるようになって、もうずいぶん経つ。


 飛田先生の目が、大きく見開かれて、こっちをまじまじと見る。


「どうして……ですか?」

「……ちょっと訳があって。そういう……結婚とかはできないって、思ってます。だから、好きとか嫌いって言う手前で……ずっと……ごまかしてきました」


 飛田先生が、何かを問いたげな顔で、口を開こう……としつつも、閉じた。


 数瞬おいて、ここまでの流れを仕切り直すように、笑顔を浮かべた。

「私では、その訳を聞くことは、できませんか」

 

  飛田先生は隣で、柔らかな目で俺を見る。

「……本当に、ありがたいです……甘えてしまいそうに、なります」

 その目に溺れてしまいたくなる。

「ただ……」

 でも、やはり。

「まだ、自分の中でも整理がつかなくて……」


 当時を思い出してしまう。険しい顔をしているはずだ。

 飛田先生の顔が近いのは、心配して覗き込んでいるからか。


 何も言わず、おかわりを2杯作って、一つを俺に渡してくれた。

 笑顔でグラスを合わせ、チン、と音を立てた。

 何かの合図にように。


 ――ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

 この一杯で終わりにして、今日はゆっくり眠る。明日、ちゃんと挨拶を俺からする。


 飛田先生が、ぽつり、と言った。

「辰巳先生。予約、できませんか」


「予約、ですか……?」

「はい。先生が話そうと思ったとき、私に最初に話して欲しい、という予約です。真夜中だって駆けつけます」


 飛田先生は、俺の顔を見つめている。

 俺は、飛田先生の目から視線をそらし――


「ああ、やっぱり……もう、いるんだぁ」

  飛田先生がはあぁ、と息を吐きながら言った。


「辰巳先生、今、私に話すかどうか、じゃなくて、私より先に話したい人のこと、考えたでしょ?」


飛田先生が頬を膨らませて宣告した。


「やっぱり!……本当にヒドい男ですね。いつか大変な目に遭っても知りませんからね」

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