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【書籍化】辰巳センセイの文学教室【ネトコン受賞】  作者: 瀬川雅峰
三章 竹取物語の時間_2019年1月編
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4 寒空に天使は舞い降りた

1月7日(月) 朝8時27分


 職員玄関の前に立ち、財布からIDカードを取り出す。

 カードリーダーに通し、出勤時刻を記録。同時に玄関の電子錠が解除される。ガラス張りのドアを開け、職員用の下駄箱に向かう。


 今年は、1月4日が金曜日だった関係で、そこに部活などで休日出勤した分の代休を入れた先生が多かった。俺もそうした一人だ。

 だから、1月の出勤は今日から、ということになる。

 生徒の始業式は明後日なので、学校は静かだ。先生方も、始業時間――8時30分近くにゆったり出勤してくる人が多い。


 自分の下駄箱から、黒い室内履きを取り出し、足を入れようとすると、職員玄関の外側に人影が見えた。見慣れない女性が、カードリーダーをまじまじと見たり、ボタンを押したり……なにやらドアの取っ手をガシガシと引っ張ったり押したりし始めた……短気を起こしているように見える。


 玄関へ戻って、内側から金具を捻って解錠、ドアを開けた。

「どうしました?」


 寒々と、高く抜けた1月の空。

 温かそうなボアの帽子から、ブロンドの髪が豊かにこぼれていた。

 20代とおぼしき女性がこちらを見る。


 日本女性の平均よりは、ほんの少し高いくらいの背丈。オフホワイトのコートをすっぽりと着込んでいるので、体型はわからないが、真っ白できめ細かい肌と、整った顔立ちは思わず見蕩れてしまうほどに美しく、可愛らしかった。

 なせかうるうると涙目になっている……これを見て、放っておける男はそういないだろう、と思ってしまった。


「あの……あの、カードなしで、どうしたらカギ、ヒラキマスか?」

 新しく来た教員?……と考えて、先月ウェンディ先生が退職したことを思い出した。だとすると、新しい外国語補助教員、ということだろうか。

 初日からいきなりIDカードを忘れてきたのか……大丈夫か。


 チャイムが鳴るまで2分ちょっと。時間に余裕がない。

 ひとまず内側から解錠しているので、そのまま校内に入れる。

 出勤処理については、後で事務方の職員にお願いしてデータを訂正してもらおう。


 と、その場で彼女はバタバタと荷物を開け、上履きを床に投げて、せかせかと足を入れ始めた。

「職員室ですよね。ご案内しますよ」

「あの……あの……そのマエにト」

「……まえにと?」

「トイレ……ドコデスか!」


 なるほど……涙目だった。


 職員室手前にある職員トイレの表示板を手で示すと、彼女はそのまま全力でダッシュしていった。


  ◇


 朝8時30分

 職員室に入ってすぐチャイムがなり、勤務時間が始まったことを知らせる。

 トイレの前で女性を待つのもはばかられたので、彼女はそのまま置いてきた。


 こうした長期休暇の後は、朝に数分程度の簡単な打ち合わせをするのが恒例だ。

 チャイムが鳴って5分ほど経ったタイミングで、職員室の前に校長と教頭、それに……さきほどの金髪の女性が立った。


 教頭が挨拶する。

 「あけまして、おめでとうございます」

 


彼女はよほど慌てたのか、コート姿のまま息が上がっている。

 ……トイレに行ったのだから、そのままコートを脱いでおけばよかっただろうに。動転してまた着込んだのだろうか。


「12月でお辞めになったウェンディ先生に代わり、英語科補助教員としていらっしゃったシャーロット先生です」


 挨拶前から、職員室中の視線が男女問わず、大変な勢いでシャーロット先生のご尊顔に集中している。空中にそのまま線が引けそうだ。これが、美人の引力か。


「先生は飛び級で進学、電子工学を専攻された才媛です。日本文化にも大変傾倒されていたとのことで、この度、日本の教育現場を経験したい、と考えられたそうです。ご挨拶をいただきます」


 校長の紹介など、誰も聞いてなさそうだ。シャーロット先生に注がれている視線は、小揺るぎにしない。


 緊張した面持ちのシャーロット先生が一歩前へ出て、帽子をとった。

 豊かな金髪がこぼれる。



「シャーロット先生、ゲットオフ?コート?」

 教頭が微妙な英語と手振りで、挨拶前にコートを脱ぐよう指示した。しかし、シャーロット先生は固まっている。


「……ごめんなさい。ソーリー。このまま、ダメですか?」

 教頭の方を向いて答えたシャーロット先生は涙目。

 おまけに顔が真っ赤だ。



あ。


なんとなく、事情を察した。


「教頭先生、時間もありませんし、ここはそのままご挨拶でいいんじゃないですか。職員会議で全員いるとき、正式にご挨拶ですよね」

 教頭先生に呼びかけた。

「そうですね……じゃあ、まあ、そのままでも」


 あらためて、仕切り直し。

 

「英語、一緒に教えます、シャーロットE.ウィリアムズです。27歳です。アメリカから来ました。よろしく、オネガイします」

 ……ほっとしたのか、やっと笑顔になった。


 職員室の男性教員たちは、その愛らしい笑顔と声に、完全に息の根を止められた。

 豊かな金髪が白いコートに映えて……まさに天使の現し身、と思ったことだろう。


 天使の白い衣の下は……たぶん、かなりまずいことになっていただろうが。


 シャーロット先生と組むことになるはずの、英語科の飛田先生に、こっそり耳打ちした。彼女は挨拶の終わったシャーロット先生に、にこやかに話しかけ……ジャージを抱えながらトイレの方へ連れて行ってくれた。


 ちょっとふくよかで、ちょっと背が低めの飛田先生である。シャーロット先生には、少し丈の足りないジャージだろうな、と思った。

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