第五話 ~遠方より来たるは……~
平成30年5月30日午前8時ごろ
後書きに『(会議中不安そうだったエレーナ様の心境)』を追加
いざ攻城だと、ナターリエに乗せられた感もあるテンションで思い立った俺の思い付きは、大慌てで飛び込んできたオットーによって遮られることとなった。
そして、オットーの持ってきた知らせは、すべてを台無しにしかねないものなのであった。
「こちらの本隊が敗走。続報はなし、か……」
ヴィッテ子爵の語ったことが、オットーの報告のすべてだ。
情報の重要性もあり、下手をすれば士気の崩壊にも繋がりかねないものなこともあって、最低限の幹部陣で隠れるようにこっそりと会議を開いていた。
一応は最高指揮官でとりあえずは何かヤバいことになってるらしいくらいは察してるのか不安そうなエレーナ様に、エレーナ師団の唯一のベテラン枠で副師団長のヴィッテ子爵。参謀長の俺と、副参謀長のナターリエに、報告者であるオットー。いざという時にエレーナ様を守るため情勢に明るくなくては困る親衛隊長のフィーネに、副親衛隊長のハンナ。諸侯軍の代表であるマイセン辺境伯。
「敗走具合にもよりますが、場合によっては帰った後が面倒ですわね。損害が半端な場合、エレーナ様も巻き込んでの責任の押し付け合いになるのが目に見えますわ。いっそ、手遅れなくらいに壊滅している方が、色々とやりやすそうですわね……」
そして、非戦闘員のはずが、しれっと従軍しているソフィア殿下である。
従軍まではともかく、今回の会議にも気付いたら入り込んでいた。
まあ別に、仮に皇帝陛下の回し者だとかいう俺の予想が当たってようが外れてようが、今回については問題ないから良いんだけどさ。
「では、ソフィア殿下には、様々な状況を想定して、戦後のエレーナ様の政治的立ち回りを考えていただくと同時に、はっきりしたことが分かって方針が決まるまで、エレーナ様の側で『色々と』助力をお願いいたします」
「ええ。『色々と』、ですわね」
恐らく、エレーナ様の不安げな様子を陣内に伝染させるなって俺の要件は伝わったはずだ。
念のために後で確認はするとしても、当のエレーナ様の目の前ではっきりと言い切るのは心情面で面倒になるかもしれんからな。政治面で気の回る皇女殿下なら、その辺も含めて伝わったはずと信じよう。
「申し訳ありません。もう少し詳しい情報を回収できればよろしかったのですが、お時間を頂きたく……」
「いや、日数的に考えて、普通に街道進むよりも早い日数で情報来てるだろ。国のバックアップに比べて予算も人員も厳しい中で、しかも敵地だってのによくやった方だろ。それが証拠に、本隊の方からの伝令よりも情報が早いしな!」
「そもそも、本隊がこっちにしっかりと伝令を送って来るかも怪しいがな」
悔しがるオットーを慰めるための俺の言葉に対するマイセン辺境伯の言葉に対し、背筋に冷たいものが走る。
いやまさか、後で向こうの責任問題になりかねないし……いやでもなぁ……。
「みなさん、反省や分析をしている場合ではないのではなくて? 軍事は素人なのでよく分からないのですが、私が向こうの国王ならば何よりほしいのはエレーナ様の首だと思いますの。これまでの失敗の元凶ですもの、それを討ち取るのが政治的には一番利益が大きいので」
「ああ、確かに多少の無理をしてでもこっちを潰しに来てもおかしくないね」
ソフィア殿下と、続くナターリエの言葉は確かにあるだろう。
だが、それに対する対策は難しかった。
「そりゃそうだけど、だからって動く訳にはいかんからなぁ……。敗走が本当だとして、どの程度の物かも分からないのに先走って全面撤退して、本隊が立て直して逆撃だとか言い出した時にうちだけ逃げ出しましたとは言えんぞ」
この俺の言葉が、状況のややこしさを表していた。
俺たちは最初から囮が仕事であり、占領地を増やすことなんて期待されてないというか、間違っても功績を積み過ぎないようにだろうが、後詰なんてものはまともに用意されていない。
正直、エレーナ師団と西方諸侯軍合わせて約二万五千など、本当に本隊が全面潰走して王国の主力が自由になってしまっていれば、本気で数を使って潰しに来られれば簡単に数的優位を取られるだろう。
だからさっさと逃げてしまいたいが、本隊の命令もなければ十分な情報もない中で動くのは後を考えればリスクが大きすぎる。
「ならば、第二報以降が来るまで撤退の準備だけして待つのが良策だろう。最初から占領地を増やすつもりがなかったから兵を散らしてない分、敵に気付かれやすいような大きな動き無く準備が出来るしな。少しずつ物資をまとめて、後は殿を決めて――」
「あの、ちょっとよろしいでしょうか。撤退なら、少しばかり考えがあります」
マイセン辺境伯の言葉を遮っての俺の発言に、皆は耳を傾けた後、反応はおおむね面白がるようなものだった。
「なるほど、陣や重要性の低い物資をあえて置いておくことで撤退に敵が気付くのを遅らせ、同時に小部隊に分けた兵たちを少しずつ送り出すことでさらに気付かれにくくすると」
「カールが言うならそれで良いんじゃないのか?」
前世での知識を元にした策に対し、ヴィッテ子爵やエレーナ様の言葉のように、全体的に反応は悪くない。
ただ、次の言葉に対してはそうはいかなかった。
「では、撤退となった場合、ここに居る人たちは早めの組で出て下さい。最後までの取りまとめは私がしますので」
みんなの顔が険しくなる。
「参謀長の要職にあるものが殿とは、褒められたことではないのでは? むしろ、殿によって逃がされるべきかと」
「確かに、ナターリエの言う通りかもな。ただ、常に勝利して来た皇女が、撤退しようってんだ。直接負けたわけじゃなくても兵たちに動揺はあるだろう。特に、俺の策で先の戦いでは国境沿いの領地を見捨てたこともあって、みんなさっさと逃げちゃ見捨てられたとかでやけを起こす連中が出ないとも限らない。総大将たるエレーナ様の直接の部下で、しかも外様じゃない私だからこそ、最後まで残ることになるものたちに見捨てられてはないと示すのに適役かと」
暗に、あくまで諸侯側のマイセン辺境伯や、外様のヴィッテ親子では不適格と言うも、その後しばらく水掛け論に近い不毛な言い合いが続いた。
俺の言い分も、そこまで間違ってはいないのではないかと思う。
だが、本音を言えば、俺の頭にあるのは鉄砲のことだった。
誰が残ろうと危機的な状況で、性質的に防衛線向きと思われる鉄砲の試験投入に、これ以上ない舞台ではなかろうか。
この世界で全く存在しなかった新兵器の意義を言葉だけで説明するなんて大博打に出るくらいなら、言わずにどうにか出来るならその方が早いだろう。
陣を残したまま撤退して発覚を遅らせるとの時間稼ぎの策も考えれば、敵が動き出してから殿が踏み留まるべき時間はそう長くはないはず。
城へ入る敵の伝令などは、包囲網と諜報部の網の二重防御で防いでいるし、ある程度は時間を稼げるはずだ。
「それで、マイセン辺境伯の推挙で殿の指揮官は任命し、私は殿より前には撤退する。これでよろしいですか?」
そう言うことで話はまとまり、とりあえずは様子見に戻る。
まあ、鉄砲隊の運用に集中するなら、俺自身は殿を直接指揮しない方がやりやすいか?
潰走ではなく整然と後退できるし、ちゃんと殿の指揮官と打ち合わせした上で効果的に運用出来れば、敵に大きな打撃を与えることも出来なくはないだろう。
そもそも、ここまでずっと消極的だった敵が打って出て来るかも謎だけど。
「カール。生きて帰れよ」
「はっ。了解いたしました、エレーナ様」
不安げな言葉と共に我らが総大将に認可され、話はまとまった。
とは言え今から大きく動けるわけでもなく、とりあえずはおかしく思われない程度に攻城戦の方に戻らねばと考えながら席を立つと、ナターリエに声を掛けられた。
「あるかもしれない撤退戦のことはともかく、カール様の策で眼前の堅城が陥落するところを見られないのは残念ですな」
「ナターリエ。お前が残念なのは、賭け金の行方だろ?」
「ふむ、確かに、それも心配ではありますね。僕としては、そうなれば選択肢にない攻城失敗になるわけで、賭け不成立ということで全額払い戻しということになるのではないかと思うのだけど、どうかなフィーネ?」
「命が掛かってるだけゲン担ぎが好きな軍人が選ぶわけないと最初から外してたけど形だけでも入れておけばよかったですね。胴元として払い戻し頑張ってくださいハンナ」
「え!? 金銭管理のためにフィーネちゃんが無理矢理引き込んだんでしょ!? 全部押し付けるなんてひどい!」
軽い気持ちで軽口を叩けば、思わぬところに話が飛んでいく。
今更とやかくうるさく言う気はないが、一言だけ。
「楽に、しかも確実に儲かる胴元はやりすぎるとトラブルの元だからほどほどにな」
「楽? カール様のせいで本当に何がどうなるか予想が付かないから、レクリエーションとして皆にも楽しんでもらえるように上手く賭けが成立する程度に散るよう、上手く選択肢を作るのも大変なんです。そのように言われるのは不本意です」
静かに、しかし力強さを感じさせる口調で言われ、ついフィーネに対して「すまん」と謝ってしまった。
状況が見えない中でも、こうして軽いやり取りをしてられるのは良い傾向なんだろう。
特に不安になりがちな、何もできない時間にこうして平常心を保ってられるのは、いざという時に全力を出せるだろうという点で、安心材料だと思う。
「胴元の正体は最高機密なので、くれぐれも口外なされないでくださいね?」
そんな言葉を残してフィーネが去り、その二日後の朝。
ついに待ち望んだ連絡が来た。
「諜報部の第二報に、帝国中央軍第一師団長ライツェン男爵の『お手紙』、ね」
内容はどちらも同じく、致命的ではないが手痛い敗北をした本隊は今回の遠征を終わらせて本国へと帰還する方針である、とのこと。
『お手紙』は私的な物との形式で、特に命令だとか助言だとか、そう言ったものは書かれていない。
ここに、ウェセックス城を包囲していたエレーナ軍は、敵地からの撤退戦に入ることとなった。
「ワルター。どうかしたか?」
「! い、いえ。何でもありません、ライツェン将軍」
配下の部隊を率いてカイバル峠に陣を張るライツェン男爵は、落ち着かぬ様子の副官であり甥っ子でもあるワルターという二十歳を過ぎたばかりの青年に声を掛けた。
その返答とは裏腹に、ワルターが何かを気にしているのは明白であり、長らく帝国の英雄であった老将軍はそれを見逃す気はなかった。
「エレーナ殿下のところへ送った『手紙』は、そろそろ着いたころだろうな」
「!?」
「隠すようなことではないし、バレバレだ。思うことがあるならば、言ってみるが良い」
そんな上官の言葉に少し迷うも、ワルターは最後には口を開いた。
「エレーナ殿下への正式な撤退命令は、本日やっと送られたところとお聞きしました。その前に独断でエレーナ殿下をお助けするような情報提供をしたこと、将軍のお立場が悪くなるのではないでしょうか」
「だから何だ? 一応分析するならば、今回は結局、急流を下って大包囲網を作るとの敵の策によって痛撃を受けた本隊の混乱により、他に手が回らなかったことが原因と見えることからも、私の動きが問題にはならんだろうさ。むしろ、エレーナ殿下に対抗するように、こうしてカイバルを守ることで味方の退路を確保し、王国軍がガリエテ平原で受けたような悲劇的損害に発展することを阻止した英雄と持ち上げられるやもしれん。三大派閥長に扱いづらいと思われて本隊から少し距離を置かれていたお蔭と考えれば、何が良いように転がるか分からんな。――で、そうではなく本隊がわざとエレーナ殿下を見捨てていたとして、それがどうした? 軍人として、これからの帝国を担うべき若き才能たちを見捨てる選択があるのか?」
「……いえ、おっしゃる通りです。軍人として、いらぬことを考えておりました。反省いたします」
「いやいや、そこまで落ち込まなくても良い。むしろ、良い傾向だろう」
さっきまで厳しい表情だったライツェン男爵の言葉に、ワルターは意味が分からず困惑している。
「政治のことも分かり、それでもなお軍人としてなすべきことをなすのが正しいあり方であり、例え最後には無視するにしても政治的視点も入れるからこそ軍事的合理性の裏付けも生まれる。その点で、政治のことを分かっていて無視することと政治を分からず語るものの差が生じるのであって、そう言う意味ではお前は見るべきものがあるのだよ。だからこそ副官として近くで学ばせているのだから」
「はあ。分かって無視する、ですか?」
「うむ。少なくない者たちが私の悪いところだけを、しかも表面だけなぞっている。私の息子たちを始め少なくないものたちが、政治など知らんとばかりに振る舞っているのがそれだ。私に憧れるなどという者は、大体そう振る舞っている。それは、部隊指揮官としては十分かも知れないが、軍幹部としては不安な者が多い。逆に政治のことばかり目を向ける者は何もできなくなってしまい、これもまた軍人としては問題。そう言う意味では、政治的見識があり、その上で私のところへ来たいなどと言うところに期待して、他の誰でもないお前を副官として側に置いているのだ」
「そうだったのですか。この若輩の身、閣下のところで学ばせていただいてまだまだ日は浅いですが、これからもご期待に応えられるように頑張ります!」
微笑ましく見守るライツェン男爵に力強く宣誓するワルターだが、ふと思った疑問を投げかけると、老将軍の表情が曇った。
「あの、でしたら、他の方々にもそのように教えられればよろしいのでは? 皆さま、分かって下さる方々も少なくないと思いますが」
ワルターにすれば、それでライツェン男爵の表情が苦虫をかみつぶしたようになるのは想定外であった。
困惑する若き副官に対し、少し時間を置いてから口が開かれた。
「かつて、有望だった若者に同じことを言ったことがあった。それが、思わぬ結果になってしまったのだがな」
「思わぬ結果、ですか?」
「当時すでに、私は『英雄』だった。それが教えを授けられたと、まだ未熟な若者が随分と祭り上げられてしまったのだよ」
その先を察したワルターは頭を抱え、ライツェン男爵はさらに言葉を続ける。
「過剰な期待は、才を潰す毒だ。慌てて距離を取ったが、それ以降、うかつに指導も出来なくなった。――いや、むしろ後進育成にもっと注力すればそこまでの騒ぎにはならなかったかもしれんが、あの頃はとにかく私も前線に出るのが楽しくて仕方なかったのでな」
ワルターとすれば、そうして多くの者たちが名将の教えを受ける機会を失ったことを嘆けばいいのか、身内だからと側に居ても色々と割り引かれる自分が側に居られるのはそうして他の才あるものたちをうかつに側に置けないお蔭だから感謝するべきか、困るところであった。
「なに。お前は気にせず、未来のために学べばよい。それが、若者の特権であり義務なのだから」
「は、はい!」
尊敬する人物に激励され、元気を取り戻したワルターであったが、もしかするとこの先どこかで自分が陥るかもしれない道の先が気になり、問いを投げた。
「将軍。その、かつてあなたに声を掛けられて持ち上げられた若者はどうなったのでしょうか?」
ワルターとしてはどんな悲惨な結末も覚悟しての問いであったが、答える老将軍の表情は、暗さはなく、むしろ困惑が大きいものだった。
「見込んだ通り、それなりには大成したな。ただ、かつての言葉をどこまで理解してるのかは知らんが政治など知らんとばかりに動いた結果、案の定失脚しかけておった。まあ、娘の方が政治面では才能があったのか上手く立ち回り、今では新進気鋭の皇女殿下のところで父娘揃って元気に働いておるようだが」
この話を聞いて、かつて中央軍師団長であった一人の男を思い出し、驚いたワルターはとっさに口を開きかけるが、その先の言葉は、急いで飛び込んできた報告によって永遠に発される機会を失った。
「報告! 王国軍第三派、来ます! 今度の敵将はアルベマール公とのこと! 数は、五万を下らない見込み!」
その言葉に先ほどまでの落ち着いた空気は消え、老将軍とその副官は鋭いまなざしを交差させる。
「どうやら、ついに敵も本腰を入れてここを落としに来たようだな。どうやら、何としてもこちらの本隊の退路を封じたいらしい。こちらは最初の三万から多少損耗し、疲れもたまって物資も怪しくなってきたが、まあ、まだやれるだろう」
「将軍、御命令はどうなさいますか?」
「なに、これまでと同じだ。『カイバルは保つ』。全軍にそう伝えろ」
「了解いたしました!」
(前話後半部直後、ウェセックス城内で)
カレン「あの、敵の方を見て急に司令部へ戻られてますけど、何がどうしたんです?」
アラン「ちょっと、敵の連携が今までに比べて悪すぎるのが気になってね」
カレン「……そうなんですか? 私にはよく分からなかったんですが」
アラン「全体を統制すべき人材たちが指揮をせず、各部隊指揮官がそれぞれ戦ってるんじゃないかと思ってね。これまで一度もなかったのに急にそんなお偉い幹部陣が戦闘中に一斉に戦場から目を離すなんて、何かたくらんでるか、何か大問題があるか。どっちにしろ、状況は動くでしょ。軽率に動くのは論外にしても、何があっても最低限対処できるだけの準備くらいはしとかなきゃね!」
(会議中不安そうだったエレーナ様の心境)
エレーナ「(あれ? え、本隊が敗走? もしかして終わり? 戦いは? まだ私、まともに戦ってなくない? え? 因縁の敵との決着は? あれ?)」




