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第九章第一話 ~帝都の休日~

「ふう、買った買った。カールもソフィアちゃん・・・も、付き合ってくれてありがとうね」

「いえいえ、モニカさん・・・・・。今日はこちらも楽しませていただきましたもの」


 空が茜色になるにはもう少しかかりそうな帝都の大通りを走行するゴーテ子爵家の馬車の中。

 ゴーテ子爵家の当主の嫁である俺の姉のモニカと、皇女と思えないくらいにフレンドリーなソフィア殿下が楽しそうに話しているのを、俺が疲れた体にむち打って見ていた。


 始まりは今朝のこと。


「じゃーん! お姉ちゃんが遊びに来たわよ!」


 久々の休日に昼まで寝る気満々だった俺は、そんな姉の言葉に叩き起こされた。

 我が子である双子の姉弟を連れてやってきた姉上に、気遣いや優しさという言葉はないのか?


 まあ、あるわけないけどな。

 んなもんあったら、とりあえず恋人と既成事実を作ってから結婚に向けて動き出そうとか考えねえよ。

 図太い姉上はともかく、義兄上は両家の間で結婚の話がまとまるまで、随分とやつれるくらいに苦労していたし。


 そうこうして、忙しい社会人の平穏を乱す肉親をどうやって追い返してやろうかと考えていると、更なる混沌がやってきた。


「おーい、カール! 遊びに来たぞぉ!」


「……誰?」

「エレーナ第三皇女殿下」


 それはもう酷いことになった。

 姉上は、まったく欠片もこれっぽっちもそんな感じのしない雲の上の人相手に恐縮して、その後でエレーナ様に聞こえないところで、


「ねえ!? なんでそんな大物が一男爵家の屋敷に当たり前のように遊びに来るの!? あんたの方からお伺いするんじゃないの!? ニセモノ? ニセモノなのね!?」


 という、最近では色々とマヒしていたが実は世間的に皇女殿下がうちに入り浸るのはおかしい状況だと言うことを再認識したり、


「ハハハハハ! チビどもかわいいなぁ! よし。姉君は、帝都を観光できる時間はないのだろう? だったら、私の屋敷でチビどもを預かっておくから、その間にカールと姉弟で楽しんでくると良い!」


 夫であるゴーテ子爵の仕事の都合でこっちに来ただけの姉上は、高級レストランで一度夫婦水入らず以外は、チビどもの面倒見ながら夫を待つか、夫と共にパーティに出る予定しかないらしい。

 メイドたちはそれぞれ仕事があるし、そこまで金持ちじゃないゴーテ子爵家は人手が余ってるわけでもないしと、ようやっと走り回るようになって目の離せないチビどもを必要以上に押し付けることも出来ず、自由に観光なんて出来るはずがなかった。


 そんな事情を知り、加えてなぜかチビどもに大いになつかれて気を良くしたエレーナ様の提案を、姉上は喜んで受け入れた。


「皇女殿下にお守りしてもらったなんて、チビどもの一生の自慢話になるし……」


 と言っていた姉上は、一周回って清々すがすがしさすら感じさせた。

 俺は、あんな脳筋皇女に幼い甥っ子姪っ子を預けたらとんでもないことになるのではないかと思ったが、とてもそんなことを言い出せる空気ではなかった。

 エレーナ様の後ろで、やっぱりうちのチビどもに興味津々だったフィーネとハンナに期待しておこう。フィーネはともかく、シラフ時限定でハンナならまだ信用できるし。


 そうして一度預かってもらうエレーナ様の屋敷に寄った時、どうせ帝都の名所名店なんて仕事人間の俺には分からないだろうとソフィア殿下が案内役につけられたが、もう俺は知らない。

 ただ一日、騒ぎを避けるための配慮だとソフィア殿下に提案された、皇女であるソフィア殿下と有名人な俺は身分を伏せゴーテ子爵家の一族って設定にするってことを守り続けてたのだ。


「にしても、こうしてのんびり帝都で買い物をしてられるのも本当にカールのお蔭よ。ありがとうね」

「姉上、それはチビどもを預かってくれたエレーナ様の――」

「もっと根本的なところの話よ。ゴーテ子爵家の金回りは、あんたのお蔭で随分と良くなったもの。マントイフェル男爵家の領地開発のおこぼれに、あんたが立役者の元帥府への一族の派遣を足掛かりにした帝都での繋がりの再構築。それがあるからこそ、当主たるうちの旦那が帝都に自ら来る必要が出るなんて、少し前には考えられない好況になった。しかも、私個人を言うなら、諸侯会議の席に家を関係なく地力で席を与えられたことでマイセン辺境伯に実力を保障された『怪物』の実の姉よ? それはもう、ウハウハだわ!」


 俺はそれに答えられなかった。

 恥ずかしかったのもあるし、俺の功績は、あくまで前世の人々が長年かけて積み上げた知識なんてチートを使ってようやっと導いたものだ。別に俺自身が凄いわけじゃないと、そのことを自分自身が一番よく分かっていたからってのもあった。


 だから、次の言葉にもとっさに反応できなかった。


「で、あんた、どの子が好みなの?」


 本当に、何を問われているのか分からなかったのだ。


「ほら、女の子率の高い職場だってソフィアちゃんも言ってたし、気になる子の一人や二人は居るでしょう? そろそろ本格的に結婚相手も考えないといけない時期になってきたし、言ってみなさいよ。おじいさまも、本当にどういう相手を用意しても問題になるって困ってたんだからね」

「いやでも、そんな……」


 やっと問いを理解した時、ふと一つの光景が思い浮かんだ。

 ようやく領地開発で結果を出し、私兵団をようやく結成したころ。練兵終わりに夕暮れの井戸で見た、水浴びをしているフィーネの――


「赤くなったわね。さあ、誰のことを考えたのか言ってみなさい!」


 姉上の強い追及を前に、言葉にならない反応しかできない。


 落ち着け、落ち着くんだ。

 書類の山と格闘して死にかけてるところにやってきて練兵場へと連行していくときのエレーナさまの笑顔……ブラック労働の前に泡ふいて気絶したビアンカの顔……


 ……ふう、落ち着いた。


「言っとくけど、今更誤魔化しても、さっき赤くなった事実は消えないのよ?」


 そんな感じで追及が続きそうな空気だったんだけどな……。


 どうしようかと考えだしたところで、流れは大きく変わった。


「あら、『お姉さま』。私の未来の旦那様を、あまり困らせないでくださいな」

「!? ま、まさかの、皇女殿下ですって……!?」

「いやいやいや、ないから! 流石に俺じゃあ家柄が違いすぎるから!」


 割と真剣な雰囲気の言葉に動揺するも、俺の言葉に「そ、そうよね?」とちょっと安心する姉上。

 しかし殿下はさらに突っ込んでくる。


「次期皇帝陛下戴冠の立役者ならば、十分ですわ。むしろ、皇帝の右腕となるべきものにしては家柄が物足りない分、結婚により一門となることは、治世の安定のためになると思いますわ」

「……別に、これだけ功績があるんだし、エレーナ様が新興公爵家を作って、臣籍に降りるって手もあるだろう? 本人が、肉親同士で血を流すことは望んでないんだし」


 いつの間にか俺とソフィア殿下のにらみ合いとなる車中で、姉上も目を細めて様子を伺っており、短い沈黙が支配する。


「エレーナ様に対して甘いのはいつものことですが、そんな自分自身でも出来ると思っていないような方法を持ち出しても仕方ないですわよ?」


 心臓が一瞬跳ねる。


「皇帝陛下に健康不安がある今、それを言い出せば崩御まで引き延ばされ、公爵位や領地を得られず、しかし臣籍に降りるとの表明をしていたとの政治的マイナスだけを背負わされて次世代争いに参加させられるだけでしょう。――何より、あなたたち姉弟と同じく、水晶宮事件をきっかけに肉親を失い、人生を狂わされたものたちが西方にはたくさん居るのでしょう? その恨み、次世代が終わるまで抑えきれると? ただ、恨みを溜めこんで、いずれ来る戦いの規模をいたずらに大きくしているだけではなくて?」

「それでも――うわっ!」


 何かを答えねばと口を開いたところで、馬車が急停車する。

 外からは怒号が聞こえるし、一体何事だ?


「私が見てくるから、ここで待ってて」


 形式上はこの場に居ないはずの俺やソフィア殿下が出る訳にもいかないし、これが唯一の選択肢だった。

 少しすると怒号も治まり、つまらなそうな雰囲気の姉上が馬車内に戻ってきた。


「酔っ払いですって。兵士が、真っ昼間からお酒を飲んでうちの馬車の前に飛び出したそうよ」


 人損も物損もないとのことで、さっさと話はついたらしい。

 さっきまでの雰囲気が霧散したことに感謝しつつ馬車の再出発を待っていると、どこからか甲高い笛の音が聞こえてくる。


「警備隊だ! 事情を聞かせてもらう!」


 そんな声と共に、俺たちの乗る馬車を追い抜いて回り込む六騎の騎兵たち。

 それを見てソフィア殿下は苦々しに口を開く。


「帝都の治安を守る警備隊と軍と言えば、仲の悪さは有名……面倒にならねば良いのですが……」


 その予感は、悲しいほどに当たってしまったのだが。


「痛っ! 抵抗も何もしてないのに、いきなり何しやがる!」

「ふん、ここは横断禁止でな。昼間っから酒飲んで規則違反するバカどもをしょっ引いて治安を守るのも仕事だ!」

「こちとら朝も昼も夜もない仕事なんだ! 仕事終わりに飲んで何が悪い! お前らが安全な城壁内で偉そうにふんぞり返れるのは俺らのお蔭だろうが!」

「クソどもが何を偉そうに! さっさと来い! 話はこちらの屯所でいくらでも聞いてやる!」

「はぁ? 兵士の問題は憲兵が取り締まるんだからお前らは管轄外だろうが!」

「治安維持なんだからこちらの管轄だ!」


 互いに複数人集まっているようで、しかもそれなりに知識のあるやつが居るのか管轄やらの難しい話にまでなって長引きそうだ。

 目の前で揉められると、馬車も出せないし。

 原因を作った兵士も悪いが、警備隊も上から目線でしかもいきなり暴力的に出ており、正直どっちもどっちと言う感じなんだが、ヒートアップした当事者にそんなこと言っても仕方ないよなぁ……。


「もう一度行ってくるわ。待っててちょうだい」

「姉上? でも、あれに混じるのは危ないし、どうしてもと言うなら俺が――」

「私以外は、地位がありすぎるでしょう? 出ていくのはもちろん、いつまでも隠れててこのまま騒動が大きくなってからこの場に居たってなっても面倒でしょう?」


 ソフィア殿下も難しい顔をしながら俺に向かって頷き、結局姉上を見送ることとなった。


 だが、見ている限り、効果があったとは言えない。

 互いに熱くなりすぎて、第三者の言葉が届いていないのだろう。


「その争い、そこまで!!」


 そんな声が響いたのは、そんな時だった。

 男性、それも老人のものと思われるそれは不思議なほど良く通り、争いが一時的に収まる。


「やれやれ、まだ致命的なことにはなっておらんようだ」


 身なりからして、貴族なのは間違いない。

 そして、護衛や秘書らしき人達を引きつれていることから、それなりの地位もあるのではなかろうか。


「どなたか存じ上げないが、黙っていてもらおう。我らは、帝都警備隊としての職務中だ」


 警備隊の方はそうしてあまり意に介してないようだが、兵士たちの方は打って変わって焦っているようだ。互いに慌てて耳打ちしあっている。


「職務は大いに結構。だが、彼らは軍人。非行があったならば、憲兵の職分ではないかね?」

「帝都の治安維持は我らの専権だ。それを執行するだけのこと。軍の都合など知ったことか」

「なるほどなるほど。確かに、そちらの言い分も分からんでもない。だが――」


 ここで、老人の雰囲気が変わる。

 それまで何もなかったのに、馬車の中から様子を見ていただけの俺すら気付くほどに空気が重くなる。


「確かに、管轄について不備はあったろう。だが、帝国滅亡の危機を乗り越えてようやく来た平穏に、くだらないことで陛下のお膝元で警備隊と軍の全面戦争でも起こす気か? 中央軍第一師団長ライナルト・フォン・ライツェンの名に免じて、この場は納めてくれないか」


 その名を聞いて、当事者も野次馬も、そして俺も息を飲む。


 あれが、人生の大半を名将であり続けていた男。

 先の戦いでは、エレーナ様の上を行く勲功第一位に輝いた男。


「……ちっ。引き上げだ!」


 警備隊はそう言い残して去り、兵士たちの方もすぐにやってきた憲兵たちに身柄を押さえられて一段落となった。


「軍と警備隊の不仲があっての衝突で、くだらないことに巻き込んで申し訳ない」

「いえ、助けていただきありがとうございました」


 姉上とライツェン男爵も、その程度のあいさつで分かれ、無事に全部終わる。

 そう思っていた。


「その家紋。もしや、ゴーテ子爵の奥方の、モニカ殿では?」

「え、ええ。将軍ほどの方に知っていただけてるとは、光栄ですわ」

「あなたの弟君の提唱した理論に基づいて戦史研究部のまとめた『ゲリラ戦理論』や、最近戦史研究部から出された先の論文を補う形で書かれた『ゲリラ戦理論の考察』という両論文は興味深く読ませていただいたので。その論文の元となった弟君の才覚があればこそ、この老体もいつでも安心して一線を退くことができるというもの。間違いなく、次世代を担うべき人材だ」

「いえいえ。うちの弟などあなたに比べればまだまだ未熟者ですので」


 そんな社交辞令混じりの褒め言葉や謙遜けんそんが並び、姉上とライツェン男爵もその場を離れる。


「!?」

「カール殿、どうかなさいまして?」

「い、いえ。ハハハ……」


 外を見ていた俺が急に窓枠の下へと身を隠すなんて行動に出たことへの当然の疑問に、適当に誤魔化して返す。


 ライツェン男爵が馬車の中に居る俺に向かって笑いかけた一瞬は、果たして偶然か妄想もうそうか現実か。

 一体、どれだったのだろうか。





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