第八章最終話 ~勝てなかった者たち~
「どうした? 論功行賞はもうすぐだ。その前に方針を確認しておかねばならんと言い出したのはそっちだろうが。さっさとこっちへ来ないのか?」
帝都中央部の豪邸の一室において、その豪邸の主でありソファに腰掛けて客人を迎えている三大派閥のうち北の大派閥を率いるナルデン辺境伯の言葉に、メイドの案内で応接室の扉をくぐった二人の男は思わず言葉を失った。
「驚きもする。天下の三大派閥の長の一人が戦傷を負ったとは聞いていたが、ようやっと帝都に戻ってきたかと顔を見れば、思ったよりも重傷な様子なのでな」
驚きを隠せない様子で言ったのは、同じく三大派閥の南方系の派閥を率いるダルシェン公爵だった。
その言葉に、添え木のあてられた左腕と右足を何でもないように軽く振りながら、ナルデン辺境伯は何でもないように答える。
「政治でも軍事でも、戦うことこそ我ら貴族の本分。そのために戦場に出れば、危険なのは当然だろう。なに、命は残り、後遺症もない見込みで、北の貧乏人どもはすべて叩き出せた。気にするようなことは何もない。――そう、我らが目を向けるべきは『西』、だろう?」
口調こそ何でもないようだが、その目には好戦的な火が灯っていた。
その普通ではない様子に、ソファに腰掛けた客人の一人、三大派閥のうち南の大派閥を率いるダルシェン公爵が口を開いた。
「ヴィッテ子爵の件で北は派閥内を荒らされたことは理解するが、先走り過ぎだ。ガリエテ平原の戦いの結果早々に手仕舞いに入った先の戦いと違って、今回はそれなりに長引いた。足元でやるべきことがたくさんあるだろう」
「足元でやること? それが西にあると言っている。今回の戦い、先の大戦争が一段落ついた段階で、交渉で抑えられるとの外務省や軍務省の意見を採用し、参謀本部の王国への逆侵攻案を採用しなかったことで時間を与えてしまったのが原因だ。結果はどうだ? 政敵であるエレーナ閥の力すら頼る必要のある帝国の危機を、短期間に二度も招いた。何よりだ。確かに今回は、論功行賞の勲功第一位はこちらの派閥の人間である『堅物ライナルト』を持ってこれた。だが、こちらが出した勲功第一位はあくまで男爵で、勲功第二位のエレーナ閥は皇女本人だぞ? ――陛下は、今回こそ一応は回復したが、この先五年も十年も生きられる体ではないのだろう?」
そのナルデン辺境伯の言葉に、残り二人の派閥長はすぐには何も答えない。
帝位の代替わりが遠くない未来にあるとなった今の段階で、現皇帝の子どもたちのうち個人的に持つ功績で言えばエレーナが圧倒的である。
仮にエレーナが帝位を辞退したとしても、次の皇帝にとって、エレーナの功績は常に自らの治世を揺るがしかねないものだ。
そもそも、本当に素直に辞退するのかも怪しい。次代の皇帝は、個人の意思一つでどうこうという次元の問題ではない。周囲からの期待が大きければ、それに応える形で次期皇帝争いに出てくる可能性はある。
しばらく考え込んでいたダルシェン公爵は、話しながら自分の思考をまとめているかのように、悩ましげな様子を見せながらゆっくりと口を開いた。
「確かに、のんびりとしていられる状況ではないだろう。だが、北の連合王国は物資消耗によってしばらくは動けぬだろうし、南洋連合の商人どもが二度負けた投資口に簡単に三度目の投資をするとも思えぬ。今回の敗北で国王の権威が落ちているだろう王国に対し、謀略でもって揺さぶりを行いつつ早急に内側を固めればよい。今回も、逆侵攻をせよと命令してもエレーナ殿下たちは動かなかった。絶対的な兵力不足を根本的にどうにか出来るような規格外ではないのだ。いざとなれば、エレーナ閥は数で押しつぶせる」
「数? 確かに強力で、最後には我らに勝利をもたらしてくれるかもしれない。だが、その強さをどこまでの者が信じる? その数を、ここ一番において跳ね返してきたのがエレーナ閥だ。どちらが勝つかよりも、どうすれば生き残れるかが関心事の中立系の諸派閥がどう判断するかなど分からん。中立に回られたり、エレーナ閥に付かれるようなことになれば、面倒事になる。三大派閥系の皇子皇女たちにも早急に箔を付け、差を詰めておかねば。そのためにも、帝国自身の将来のためにも、早いうちに弱り切った王国へと出兵すべきだ」
「そこまで慌てることではないだろう。むしろ、場合によっては帝位をエレーナ殿下に譲って実利は確保する選択肢もあるのだ。それに――」
「いや、私も早期の王国への出兵はすべきだろうと思う」
これまで沈黙を保ってきた三大派閥系の東方最大派閥を率いるヴァレリア公爵の言葉に、慎重論を唱えていたダルシェン公爵は口を閉じた。
そのまま、ヴァレリア公爵の言葉は続く。
「アルベマール公爵の子どもであるアランのウェセックス伯爵就任は、現状有力派閥がガリエテ平原での大敗の影響で機能不全である王国で、唯一国を傾けうる大派閥アルベマール派の内紛を防ぐのが最大の目的だろう。だが、加えて国境地帯への配置は、こちらからの引き抜きなどの謀略に目を光らせることが出来る位置でもある。引き抜き工作などの効果は、あまり期待できなくなるな。現状では、時間は王国の味方だ。王都を攻め落とすような無謀な計画ならばともかく、もう一戦大きな戦いを仕掛けておくべきだろう」
ヴァレリア公爵の言葉を聞いても、まだ悩むダルシェン公爵。
その決断を促すように、ナルデン辺境伯がさらに言葉を重ねた。
「そもそも、エレーナ閥と我々が共存する道があると思うか? 我々三人とエレーナ殿下の間だけであればありうるかもしれんな。だが、派閥として考えるならば、『水晶宮事件』の遺恨がある。共存など、いずれ崩壊するぞ。――それとも、今になって『真実』を明らかにしてみるか?」
「!? そ、それは……」
「だろう? 責任も原因も我らに多くがあるが、我らも被害者だと。あんな統治システムが丸ごと消し飛びかねないほどの大騒動は望んでなく、『不運なことに』、我々にとって都合の良い結果が多く残っただけだと、そう言ってみるか? 思いもよらぬ結果を前に、これまで必死に責任を取ってきたのだと、そう訴えてみるか?」
「……認められれば、我らの失態が認められることになり政治的に死ぬだけ。何より、我らの派閥内ですら、そんな筋書きを信じるものがどれだけ居るか怪しいな」
そのまままた沈黙に入ったダルシェン公爵だったが、諦めたようなため息一つ、再び口を開いた。
「分かった。ただ、出兵時にはエレーナ師団も動員してほしい」
「いや、これ以上勲功を積む機会を与えてどうするのだ?」
突然の提案の真意が分からず問いかけるヴァレリア公爵に、同じく理解できずに首をひねるナルデン辺境伯。
しかし、次の一言で二人も納得した様子を見せた。
「エレーナ師団には、ウェセックス伯爵領を攻めさせる。何なら、マイセン辺境伯の管轄下の諸侯軍も付けようではないか。金回りの悪い西方諸侯が、こんな短期間にどれだけの兵数を集められるか分からんがな」
「囮と、ついでにラウジッツ城を攻め落としたウェセックス伯を領地に張り付ける、か。領地を与えられて早々、自領が攻められているのを無視して動き回れはせんだろう。仮にウェセックス伯が放棄でもしてエレーナ殿下が攻め落としたとして、後詰もなくそれ以上攻め込むのは物理的に不可能で、我々としても敵の動きを大きく制限する優秀な囮として使えるな」
ヴァレリア公爵はそう納得の言葉を発するが、一方のナルデン辺境伯は確認するように問いを投げかけた。
「監視や妨害のために人員を送ることはしない、ということで良いのだな」
「ああ。元帥府と元帥の直卒師団は、人事権が元帥の専権だ。人員を送り込むことは、当のエレーナ殿下の同意なくば不可能。援軍と言う形ならば送り込むことは可能だが、政治的にも軍事的にも、エレーナ殿下の立場からすれば、誰を送り込もうと上から押さえつけることは不可能。むしろ、こちらの息が掛かっているとなれば、遠慮なく使い潰せる肉盾を提供するだけだ。特に、殿下が負けるのもそれはそれで困る以上は加減の分かる人材でないと困るが、そんな優秀ならば本隊に入れて目的達成のために働いてもらおう」
ダルシェン公爵の答えにそれ以上の意見が出ることはなく、帝国の未来を左右しかねない密談は、その後すぐに解散となった。
王都は貴族街にあるとある豪邸。
断絶していたウェセックス伯爵に就任した若者に、その祝いとして与えられた王都屋敷の一室で、とある父子が遊戯に興じていた。
「父上、序盤から随分と攻め掛かってきますね」
「最近は、お前相手に守りに入ってしまっては何もできなくなるからな」
アルベマール公とその子であるアランが行っているのは、『戦戯盤』と呼ばれるもので、国境を越えて広く貴族の子弟の軍事教育の入門教材となっている。
どこかの世界のものとは駒の動きや数などに違いはあれど「まるでチェスだな」と、どこぞの男爵家の嫡男が評したこともあるようだ。
「それで父上。国内は最近どうですか? 僕を守るために母上と共に動いてくれていたのは感謝していますけど、しばらく色々な情報から隔離されていたせいで、伯爵家の新当主としては心もとない状態でして」
「お世辞にも良いとは言えんな。いっそ、すぐにでも帝国が大規模侵攻でも仕掛けてくる方が国内で纏まる理由が出来るだけマシではないかと思えるくらいにな。今はどこも危機的で、誰も彼もがゆとりをなくし、自らが主導権を握らねばと動こうとしている状況だ」
父の攻勢を息子が耐え忍ぶ中、王国の内情は淡々と語られていった。
「アルベマール派はお前を家から出して多少は安定したが、他の大派閥はどこも大なり小なり問題を抱えている。特に、お前がラウジッツ攻めで事実上引き抜いたシャールモント子爵の属していたリュクプール公爵派は、代々のリュクプール公が多様な背景を持つ諸侯を抑え込んで巨大派閥を形成していたが、十分な準備もないままに派閥に属する多くの家で代替わりしてしまって派閥崩壊の危機。後大きいところならば、ガリエテ以前は一番勢いのあったシュルーズベリー伯爵派は、嫡男が伯爵位は継いだが、派閥内の対立が大きくなっていつ内乱になってもおかしくない状態だな」
「シュルーズベリーを、初陣のお兄さんに殴り飛ばされたドラ息子が継いだとは聞いてたけど、まだ当主だったんですか。正直、もう暗殺されたか追い落とされたものと思っていました」
「同感だ――うぐぅ……」
もう三度目となる攻め手も及ばず父は難しい顔をするが、息子は涼しい顔で言葉を返す。
「マントイフェルの地でやらかしたことは公然の秘密でしたし、新派閥長がそんなドラ息子なんてよく燃え上がりませんね」
「中堅から末端の支持者は離れた者も少なくないが、幹部級ならば、そのドラ息子が当主である方が自分たちは得だからな。それにしても、その支持層も代替わりの混乱でどこまで使い物になるか怪しい家も多い中、周りから文句を付けられないほど的確に内乱の芽を摘み続けているのは以外すぎるが……ぐぬぬ……」
「ドラ息子さんも、昔は優秀だったらしいなんて話もありますし、優秀すぎる父親が居なくなって見えてきたものがあったのかもしれませんね。僕も優秀すぎる父上に押しつぶされぬよう頑張らなくちゃ」
そう言いながらアランの打った一手は、再び攻勢に出ようとした父の手筋を切るものだった。
ため息一つ、父は盤面から一度目を離し、息子の目を見て語り始めた。
「アラン。頑張るのは良いが、無茶はするな。ラウジッツ攻めもそうだし、カンナバルでの斬り込みは後で話を聞いた母さんがそのまま気絶したんだぞ」
「頑張らなくていい場面なら、別に頑張りませんよ?」
父がひねり出した次の手に即座に対応しつつの言葉に、父は表情が固まる。
「軍事的にももちろん、ちゃんと帝国側の謀略にも目は光らせておきますよ。ま、天下のアルベマール公の子が近くに居て、そう簡単に帝国の誘いに乗れるような諸侯がどれだけいるかは知りませんが」
「……苦労をかける」
「別に良いんですよ。僕にとっても望むところです」
盤上では、息子の駒が確実に父の王を追い詰めつつあった。
勝負は、おそらくそう遠くないうちに付くだろう。
「それに僕は、カレンと出会う前、ただ世界を見下して、ただ食べて、ただ寝ていただけのころには戻りたくないんですよ。命を燃やし尽くすまで『生きて』いたいから。幸運なことに、敵としてでも味方としてでも、どちらになろうとも僕と同じ世界を見てくれるかもしれない人にも出会えたし」
その言葉は、気が付けば口から洩れていたものだった。
もしかすると、息子がどこか遠くに行ってしまいそうな、そんな父の思いから出たのかもしれない。
「お前や、お前が『お兄さん』と呼ぶカール・フォン・マントイフェルにとって、世界とはどう見えているのだ?」
「え? うーん……」
突然の問いかけに、息子は初めて悩む素振りを見せた。
父としても、自らの言葉ながら抽象的で説明のしようのないことを聞いてしまったな、と謝ろうとすれば、息子は良いことを思いついたと言わんばかりに「あっ!」と声を上げて笑顔になった。
「例えば、こうなるでしょう?」
そう言いながら息子の打った一手は、父の持つ白の王の逃げ場をすべて潰し、詰みの状態にするものだった。
その状況を見て父が敗北を宣言しようとすれば、息子は盤を半周回転させ、互いの状況を逆転させた。
「で、ここから父上が勝とうとすると、こうしますよね」
息子は、さっきまで父が使っていた白の駒を動かす。
意図は読めないが、父は黒の駒を動かした。
さっきまでの息子による黒の攻勢により、このままでは次の黒の手番で白の王は奪われてしまうだろう。
「で、僕や、多分お兄さんも、ここから勝つためにはこうするんですよ」
そう言うとおもむろに息子は盤を持ち上げ、次の瞬間にはさっきまで盤上にあった駒や、盤そのものまでが宙を舞っている。
「単純化しすぎたかもしれないですけど、たぶんこんな感じで少しは伝わったんじゃないですか?」
「いや……こんな状態のどこが勝利だ? 駒も盤も散らかって、滅茶苦茶じゃないか」
「ですね」
平然と父の疑問を肯定した息子に、父は頭を抱える。
しかし、一体どういうことかと考えながらふと床に目をやって、そこにあった光景に思わず息を飲んだ。
「どうしました、父上?」
「いや、何でもない。何でもないぞ……」
笑顔で尋ねてくる息子に、父は一瞬だけ息子に視線を戻しつつ返事をする。
その視線の吸い寄せられる先では、床に落ちた盤上において、共に盤上に落ちたいくつかの白や黒の駒が転がる中、ただ一つ自らの勝利を誇示するかのように盤上でそびえ立つ白の王があった。




