第二話 ~『決戦』前夜~
「我が家だと思ってくつろいでくれ、カール!」
「ハハ、どうも……」
エレーナ様のお屋敷の客間で、身内だけってこともあってエレーナ様、フィーネ、俺の三人でテーブルを囲む。
そして、メイドさんが三人分のお茶を置いて退出した直後の、我らが上司のありがたい第一声が冒頭である。
アットホームは良いことなんだけど、ド田舎貴族の嫡男が雲の上の皇女殿下にこんなこと言われて、どう反応せいというのか。
だからこそ、適当に流したわけだけど。
「ところでエレーナ様? 明日の件で皇帝陛下にご相談していただいた件はどうなりました?」
「ん? ああ、明日の論功行賞で、私が呼ばれたときに親衛隊に持たせた王国の将の首二十三個を持ち込みたいって言ったら、良いって言われたぞ!」
明るい様子だったし、結果は予想がついたけどな。
目的のためには許可されなくとも何とかなる公算があるとは言え、数ある首の中から選び出した特に有名なガリエテ平原以降の追撃戦で討ち取った王国の将たちの首は、視覚的にインパクト大きいしな。
そうして目指す目的は、エレーナ様の元帥叙任である。
近隣列強全部が参加する大戦争において、その行方をただの一度の戦いで決定した指揮官であるエレーナ様。
これだけやれば、まだ表には一切出てきていないエレーナさまの降嫁話をうやむやにするには十分だとも思えるが、三大派閥の政治力を考えればほとぼりが冷めたころには同じことの繰り返しの公算が高い。
加えて、エレーナ様が中央軍の一将軍の地位にある限り、人事権などは三大派閥が握る軍上層部の決定に逆らう訳にはいかない。
つまり、何も解決してないに等しく、後に続かないのだ。
エレーナ様の今回の活躍は、西方の中でも再起を願っている諸侯には中央復帰への希望に映るだろう。
だからこそ、これからが正念場という状況で、少なくとも西方ではガリエテ平原の立役者として知られてしまった俺がエレーナ様の下から『逃げ』だせば、俺のせいで西方の再起が上手くいかないなどと理不尽な恨みを我が家に向けられかねない。
かと言って残ったところで、手足を三大派閥に縛られた中で戦い抜くと言う、無茶に付き合わされるだけだ。
だからこその元帥。
前々からやるからには欲しいとは思っていたが、この百年少々は生きて叙任されたものがなく、ほとんど諦めていたのだ。
元帥となれば元帥府の開設が認められ、その傘下の約一万人の部隊の人事権及び、それを支える後方人員の人事権が元帥に与えられる。
歴史的には、政争に巻き込まれずに名将が精強な軍を維持するため皇帝が与えた特権らしいが、三大派閥に侵されない聖域という今のエレーナ様に一番必要なものである。
ここ百年で一番のずば抜けた功績があり、信賞必罰を度を越して無視すれば帝国という枠組みそのものへの非主流派諸派閥の諸侯の信頼が揺らぐ以上、公の場である論功行賞の場で皇帝の専権である元帥叙任を求めれば、すでに将軍位を持っていて形式的な条件も満たすエレーナ様なら十分に押し切れるはず。
そして、元帥の人事特権で西方の人材の中央復帰の足掛かりにすることでエレーナ様の周りを固め、俺自身は徐々にフェードアウトするという計画だ。
これで、西方諸侯には確実な中央における足掛かりを与え、むしろこの元帥府という箱庭内で出世の邪魔となる俺がフェードアウトするのを咎められることはあるまい。
これで、元帥府という最低限の聖域以外で絶対的な力を持つ三大派閥相手に政治的に戦うというクソゲーからは離脱でき、誰に恨まれることもなく地方領主として平穏な生涯を送れるはず!
完璧だ……完璧すぎる……! 自分の才能が恐ろしい!
「ところでカール。お父様に、元帥の件を伝えなくてよかったのか? 言われた通り、黙っていたが」
「え? あー……それはこう、サプライズってやつですよ。ハハ」
まさか、「すでにあなたを一度売り渡した父親から三大派閥に情報が洩れて対策されかねないので」とは言えないしなぁ……。
娘可愛さに国内に不和の種を播くよりはマシだろうが、逆に言えば、前もって皇帝陛下に伝えれば、陛下からの根回しで三大派閥にまで元帥叙任を狙ってることが知られかねない。皇帝専権でも、それを三大派閥がどう思うかは別問題だし、帝国の安寧のためならおかしい判断ではないだろう。
事前に備えられると、変な理論武装をされる可能性も否定できないしな。それこそ、何百年もの帝国の歴史の分だけ、先例はあるのだから、何が飛び出してくるやら分かったものじゃない。マイセン辺境伯の協力も得てこっちも理論は整えたけど、対策はやれるだけやっとかないとな。
そう言う意味では、エレーナ様の功績を視覚で訴える生首持ち込みが認められたのはありがたいし、皇帝陛下の都合とは言え式の前日に許可を得たという、三大派閥が知ったところで対策の時間的余裕がほとんどない時に生首持ち込みのことを敵でも味方でもないだろう皇帝陛下の耳に入れたのは、最高のタイミングと言えるのではなかろうか。
魔法的な防腐処理で痛んでない諸将の首は、だからこそ表情が生々しく、迫力十分だからな。
いずれは王国から返還交渉が持ちかけられるんだろうが、その前に一働きしてもらおうじゃないか。
エレーナ様の報告は以上であり、後は適当に三人で雑談となった。
だがしかし、ここでフィーネが最初にした発言へのエレーナ様の答えは、俺には思いもよらないものだった。
「エレーナ様、教官が用意してくださったカンペをちゃんと読めたんですか?」
「いや、そもそもカンペなど読んでないぞ」
「え……? まさか、あのエレーナ様が、あんな小難しいお話を全部覚えたんですか!?」
「だって、最初に言っただろう? 『明日の論功行賞で、私が呼ばれたときに親衛隊に持たせた王国の将の首二十三個を持ち込みたい』って言ったら、『良い』って言われたって」
「はぁ!? それ文字通りの意味だったのか!?」
俺の思わず出た叫びに、二人が何事かと目を白黒させながらこっちを見る。
いやだって、何も聞かなすぎだろ?
エレーナ様の言葉に、勝手に功績を見せびらかしたいんだろうって当たりを付けた?
「にしたって、そんな娘にプレゼントねだられた父親じゃあるまいし……」
「カールが何を言ってるのかは分からんが、私は父上の子だぞ? 頭でも打ったか?」
なんですけどね。ええ。
ただ、相手決まってないけど、とりあえず頑張って結果だした皇女降嫁で結果台無しにするな、みたいなめちゃくちゃな話を受け入れる程度には家族の情よりも国を考えてるって人物像とは合わないような……。
「何やってるのぉぉぉっっっ!?」
考え込み始めた辺りで突然の叫び声が。
何事かと三人で立ち上がり周囲を見回すが、エレーナ様が何かに気付いたように声を上げた。
「フィーネ! もしかして!」
「あー、確かに、そろそろハンナが帰ってくる頃ですね」
「よし、急ぐぞ! ――カールも来い!」
そうして、またもや手を引っ張られ、訳も分からずに連れ回されることに。
少女二人に先導されながらたどり着いたのは、大広間と呼ぶべきだろう大きな部屋だった。
そこには、部屋中に積み上げられた樽やらビンやらと、つまみになりそうな料理の数々。
そして、親衛隊の少女たち相手に怒っているハンナが居た。
「あー、ハンナ?」
「あ、エレーナ様! 明日は大切な論功行賞の日ですよ! その前日に飲み会って、正気ですか!?」
「だって、今日じゃないと身内で揃って打ち上げできないし。まあ、帰りにたまたま出会ったギュンターを誘ったら忙しいと言われたのは残念だったが、カールの方は自分からうちに来てくれたぞ!」
ギュンタァァァアアアア!
くそっ、あいつ逃げやがった!
気持ちはとてもよく分かるがな!
「エレーナ様! いい加減にしてください!」
「でもほら、お前が前に飲みたいって言ってたポルッカ二十年物もあるぞ」
「ポルッカ二十年物……」
「他にも、普段は飲まないような最高級酒ばっかりだぞ。城の厨房からくすねて来たからな!」
エレーナ様の犯罪宣言を気にする様子もなく、急に迷い出すハンナ。
まあ、酒癖の悪さで自重してるだけで、酒好きだもんなぁ。
「まあまあ、とりあえず飲め!」
「うぐっ!? ……お、おいちぃっ!?」
栓を抜いたビンが、エレーナさまの手でハンナの口にぶち込まれる。
ああ、うん。勝負あったな。
「じゃあ、俺はこれで――」
「飲めないの?」
「え? ――ひぃっ!?」
背を向けて去ろうとしたところに声を掛けられて思わず振り返れば、眼前に迫るハンナの顔。
「あの、近い――」
「エレーナ様の酒が、飲・め・な・い・の?」
「の、飲めまぁす!」
肩に手を掛けられ、背伸びをして鼻先が触れ合うほどの距離にまで笑みを近づけてくる、酔っ払いモードのハンナさんの迫力の前に、他の返事を持ち合わせていなかった。
翌朝である。
「だから止めたんです! もうそろそろ行かないと式典に遅れるのに、みんな二日酔いでダウンしてどうするんですか!?」
そんなハンナの叫びに、あちらこちらからうめき声が上がる。
ほんと、頭に響くんでやめてください……。
正直、飲み会とかよくあるし、なんだかんだでみんな加減できると思ってたんだよ。
もう、大事な予定のある前日に、飲んだことのない酒を飲んだりしないって決めたよ。
てか、一人だけ樽飲みとかやってた人が、なんでたった一人だけ二日酔いを発症してないのか。
……うっぷ。やべ、吐きそう……。
◎第一次ガリエテ平原の戦い
単にガリエテ平原の戦いと言う場合、一般には第二次以降ではなくこの戦いを指す。
最初の戦いがガリエテ回廊との境界部で生じ、追撃戦がガリエテ回廊内部に及んだことから、ガリエテ回廊の戦いと言われることもある。
『獅子王の爪牙』アランの初陣としても知られ、敵陣中央突破による退却劇と、黒竜紅旗を射抜いて見せての雪辱宣言は、その後の演劇や小説等での題材に何度も取り上げられている。
三万の帝国軍は、十二万の王国軍の大半を、皇女であったエレーナをエサに突出させたところで襲い掛かって潰走させ、勝利した。
その後の追撃戦においては、退路の限られている回廊内で逃げることも出来ずに多くの王国兵が混乱の中で討ち取られ、そこから逃げ切った者たちも、補給路を確保するために分散していた王国軍後方部隊と共に帝国西方全域に渡って各個撃破されることとなった。
結果、追撃戦によって王国側は総大将以下帝国西方へと攻めよせた部隊の主要な将のほとんどを失い、王国の歴史書『獅子王戦記』には、生きて王都の門を再びくぐった者は千人にも満たなかったと記されている。
しかし、本隊とはぐれながらも個々人で生還したものや、満足な準備もないまま多大な被害を出しながらも山越えを行って帝国北西や南西を攻めていた王国軍と合流して生還した者たちも、規模は不明ながら存在しており、正確な損害は不明である。
いずれにしろ、この敗北による主力の喪失が、その後の王国の政戦略における方針の大幅な変更に繋がることとなった。
本来であれば西方諸侯軍のみしか居ないことからマイセン辺境伯が指揮官となるべきところ、なぜ中央軍の軍人であるエレーナが指揮官となったかについては、意見が分かれるところである。
当時のマイセン辺境伯の側近が残した手記には、伝聞形式で書かれているが、カールがマイセン辺境伯を怒鳴りつけて意見を捻じ伏せエレーナを指揮官とさせたとある。
しかし、四倍以上の敵を相手にする西方諸侯軍指揮官よりも、シェムール川において勲章及び休暇を与えられるほどの高い評価を得たエレーナは、総力戦の中で中央軍指揮官として戦う方がより確実に功績を挙げられ、ここで戦うことは危険が大きすぎる。さらに、エレーナが行うならばともかく、当時男爵家の嫡男に過ぎないカールが辺境伯相手に怒鳴りつけたことそのものが家を潰しかねないことなどから、エレーナ陣営から言い出すのは不自然であるとの意見も強い。
さらに近年、マイセン辺境伯とカールの面会が、マイセン辺境伯からの呼び出しであったことを示す面会記録が発見され、少なくともマイセン辺境伯は何らかの野心を持っていただろうことは通説となりつつある。
なお、ガリエテ平原における帝国軍の少数による包囲戦術は、その後何度も模倣されているものの、その大半は中央突破を許すか、引きずり込んだ敵の勢いを押し返せぬままに全面敗走したかである。
帝国史用語辞典(帝国歴史保存協会、第九版、大陸歴千九百九十七年)の同項目より抜粋




