第十一章第一話 ~エレーナ師団、北へ~
Twitterで告知していた通り、年明け後、身内が倒れたり、仕事が立て込んだりと色々とありましたが、しばらく止まっていた連載を再開します。
快晴の空の下、平原を一人の少女が歩いてゆく。
その少女は、朝食の後片づけに兵士たちが忙しなく動きまわる野営地の中を、目的地に向かって早足で進んでいた。
そんな光景に少女は、ここが帝都近郊での野営訓練かと錯覚しそうになるが、数日前に帝都を進発するときよりもほんの少しだけ冷たい風が、彼女たちが間違いなく北へと進んでいるのだと教えてくれていた。
そんな少女を大半の兵士たちは気にも留めず作業を進めていた。
しかし、そんな兵士たちをまとめる現場指揮官である下士官たちと時たますれ違う際には、少女に気付いた下士官たちは誰もが緊張した様子で少女に対して敬礼し、少女は足を止めずに手慣れた様子で簡易的に答礼を行っていく。
そうして目的の天幕へとたどり着くと、その入り口に立つエレーナ親衛隊の制服に身を包んだ二人の少女たちが槍を交差させ、その行く手を遮った。
「この先に何用か! 姓名、階級、役職並びに要件を述べよ!」
「アンナ・フォン・ビューロー中佐相当官。エレーナ師団揮下エレーナ連隊副連隊長です。ソフィア殿下にお目通り叶いたく参りました」
「これは失礼いたしました。ただいま取り次がせていただきますので、今しばらくのお待ちを――と言わねばならないのですが、すでにソフィア殿下がお待ちです。毎度毎度、堅苦しくて申し訳ありません」
「いえ、そういうお仕事なのは分かってますから」
そう言って行く手を遮っていた槍を引きながら苦笑する少女たちに、こちらも苦笑を返しながらアンナは天幕の中へと進む。
実際のところ、エレーナの親衛隊から今回の出陣中のソフィアの身の回りの世話と警護のために派遣されている少女たちとは、今回の行軍中毎日のように通う中ですっかり顔見知りであり、実際上は身元確認等せずとも問題はなかった。
とはいえ、手続き上、皇女の天幕に特定の人物にだけ手続きを免除して入れるのもマズいと、現在のような流れで落ち着いたのであった。
アンナが天幕に入ると、そこでは満面の笑顔のソフィアが椅子に腰かけてお茶を飲みながら待ち構えていた。
「ごきげんよう、中佐相当官殿。今日も行軍日和みたいで良かったわね、中佐相当官殿。それと、とりあえずお茶はいかがかしら、中佐相当官殿?」
「おはようございます、ソフィア殿下。あと、二人きりで会うと最初に毎回階級を連呼するの、いい加減やめてください」
アンナはため息を吐きながら、そう言いはしても、楽しそうに笑う身分違いの『友人』のことは、好ましく思っていた。
大国の皇女と、田舎貴族の娘という身分の壁があってなお、よい関係を築けているとも思っていた。
ただそれでも、「恥ずかしがる顔がかわいいから」などという理由で、会うたびに階級を連呼してからかってくることだけは、どうしても苦手であった。
とはいえ、口で言っても楽しそうにされるだけで聞いてもらえないとすでに学習したアンナは、いつものようにソフィアの対面に腰かけ、ソフィア手ずから入れてくれるお茶を受け取る。
しかし、そんなアンナの様子がいつもよりも不服そうに見えたのか、いつもと違い、ソフィアの方からさらに話が続けられた。
「あらあら、ごめんなさいね。でも、今の階級を得たのも昨日今日のことではないのだから、いい加減に慣れた方が良いと思うわ。あなた自身の正式な階級なのだし」
「それはそうですけど、この前まで戦史研究部の片隅で書籍や論文を読み漁っていただけの新米少尉だったのに、実質的に4階級も特進したんですよ? 最初は純粋にうれしかったですけど、このことに気づいてからは、いつまでも慣れる気がしないですよ……」
「でも、カール殿は、『少将相当官』殿って呼ばれても、最初から平然としてましたわよ? 4階級どころか、中央軍での階級無しから一気に『将軍』でしたのに」
「いや、そもそもあの人は色々と規格外なんですから、いくら同い年でも比べないでください」
帝国中央軍では、カールが保持する「師団参謀長」や、アンナの「副連隊長」など、各『役職』に叙任されるためには、「少将」や「中佐」など、それぞれの役職に定められた一定の『階級』以上でないとならないとされている。
そして、階級について、昇進等のルールは厳密に定められており、長い年月をかけて経験や実績を積み上げなければ出世できないようになっている。金での役職の売買が認められている地方駐留部隊や、中央軍でも非正規扱いの部隊など一部例外はあるが、一度や二度の『まぐれ』だけで一足飛びに偉くはなれない仕組みなのだ。
だからこそ、そんな厳密なルールを無視して自由に高位の『役職』を与えられる『元帥』の地位にエレーナが任じられることに三大派閥は反発したし、その権限の強さから簡単にバラまくわけにもいかず元帥の地位は百年以上にもわたって生きた人間に与えられなかった。
そして、そんな『役職』に関するルール破りの抜擢に対し、正式な昇進で対応することが出来なかったことから、『相当官』という各階級と同等の地位を与える、ということで書類上は処理されることになっていた。
「と、そんな状況ですから、もちろん周囲からは経験不足など踏まえて実力が本当に足りるかと厳しい目を向けられますし、嫉妬だのといった感情面の問題もあります。そんな状況にさらされ続けるのです。気を抜いて隙を見せるわけにもいかないんですから、慣れることなんてないです。でも、でもですよ!!」
それまで、急に饒舌になった『友人』相手に困惑していたソフィアは、突然の大声に思わず軽くのけぞった。
だが、アンナはそんな様子に気付くこともなく、ひたすらに言葉を並べ立て続ける。
「カール様は、そんな状況でも、周囲の目など気にすることもなく、ただ己のなすべきことだけをやっていくことが出来る方なのです。私が初めてカール様を拝見した時からそうでした。子供のころ、両親に連れられて行ったパーティ。あの時、カール様は私のことを認識すらしていなかったでしょうが、両親からマントイフェルの子とは関わるな、なんて言われて、他の子たちと一緒にカール様とは関わらないように遠ざけられていたことを覚えています。あの頃のマントイフェル家は、水晶宮事件後の没落から立て直すためにカール様の父上が頑張って、あの事件で領地を削られた家の中では唯一、何とか独力で家を維持できる程度には回復していました。でも、その際に色々と貴族社会的には『良からぬ』こともしていたりして、嫌われてもいました。でも、そんな状況でまともに誰にも相手にしてもらえな状況でも、カール様は周りを気にすることなく悠然と振る舞われていました。その普通でない様子は、私たち子どもたちだけでなく、大人たちもつい注目するようなものでした。そんな、よからぬ感情の籠った注目を集めても平然とする強さを持った方だったんです。それにあの初陣! その後の戦いもそうですが、常人ならばおよそ諦めてしまうような危機にあってもことごとく乗り越える胆力! あの初陣の話を初めて聞いた時、私は震えました。当時、士官学校を優秀な成績で卒業して、上位卒業生の証として皇帝陛下から銀時計を下賜されたにも関わらず、結局、花形の出世コースは三大派閥系の私よりも成績が下の子たちがどんどんとコネでもっていく。出世は経験と功績によるものですけど、経験や功績を積むための入り口は結局コネになってしまい、努力ではもうどうにもならない。そうやって、何とか拾ってもらった戦史研究部の片隅で腐っていた私の世界をあっという間に壊してしまったんです、カール様は。そうして辺境の山奥の田舎貴族がいきなり大功績を立てて、それからあれよあれよと百年以上ぶりの生きた元帥を誕生させたり、三大派閥系の中央でのポストを削って非三大派閥系でも出世できるような状況を作ったり。あの人は、私が諦めていたものをどんどん壊していってしまうんです! それはまるで――」
「――英雄のよう?」
アンナの言葉に続くようにソフィアの言葉が重ねられる。
それを聞いたアンナは、ようやく客観的に見て自分の状態がどのようなものであったかを理解し、次の瞬間には慌てて頭を下げていた。
「す、すいませんでした、ソフィア殿下! こんなまくし立てるように……!」
これまでアンナは、ソフィアにカールの話をする際には、必要以上に熱くなったりしないように気を付けていた。
これは、今回のように歯止めがきかなくなってしまうことを心配したから、だけではない。
――エレーナ陣営の幹部陣の中で、カールがソフィアを警戒し、両者が政敵と呼べる関係にあることは公然のことであったからである。
とはいえ、互いに足を引っ張り合うとか、そのような深刻なものではないし、共に問題なく協力して職務も行っている。
それでも、表面上はにこやかではあるが、二人のやり取りを見れば何となく壁があるのは明らかであった。さらに、カールの腹心で諜報を担当するオットーはソフィアへの警戒を『あえて』さりげなく見せて牽制している節があり、そのような露骨な行動を上司であるカールの許しなく行っていると考えるものは居なかった。
それに対してソフィアは、皇族として、本来であれば戦地に出るのであれば自らの親衛隊を作るのが通常であるにもかかわらず、「素人の私より、軍事に明るいエレーナ様から人材をお借りする方が手早いですし」などと理由づけて出陣のたびに人材を借りている。ソフィアはいまいちとらえどころがなく、本心で何を考えているのかはっきりとは分からないものの、これは小さくとも自身の直属の武力集団を持たないことでカールからの警戒をかわすという、政略上の駆け引きであることは明らかなように思えた。
エレーナもソフィアも皇帝の子であって、どちらも次の皇帝になる最低限の資格はあることを考えれば、エレーナの腹心であるカールとソフィアが対立するのは自然なこと。
そんな状況で、『政敵』とも言えるカールについて、感情的な部分も込めて語ったことで、ソフィアの気持ちにどのような影響が出るのか、アンナは測りかねていたのだ。
「いいえ、気になさらないで。つまり、あなたにとってカール殿は、あこがれるに足る英雄だったということなのでしょう?」
しかし、ソフィアの反応は、アンナの予想したものとは違っていた。
真剣な表情はともかく、その雰囲気は、むしろ何か好ましいものを見るようなものであった。
「あの、ソフィア様?」
「ふふ、アンナ。あのね、私も――」
そのとき、二人の耳に、陣内に響き渡る鐘の音が聞こえてきた。
「あら残念、もう出立の準備をしませんと。今日にもカール殿たちと合流予定なのですもの。待たせてしまっては悪いわ」
「……はい。そうですね。それでは私も持ち場に戻りますので、失礼します」
アンナは、ソフィアが何を言おうとしたのか、その続きが少しばかり気にはなったが、自らの職務を行うという当然の責任を果たすため、急いでその場を立ち去った。
その後、同日中にカールたちマントイフェル領からの合流組と落ち合い、今回の任務のための仕事が一気に立て込んだことなどもあり、アンナがこの時の話の続きをソフィアに尋ねることはなく、ソフィアがこの時の話を再度持ち出すこともなかった。
●ある日のカール少年の思い出
「(ヒエッ……なんかパーティに連れてこられたと思ったら、遠巻きになんか見られてるんだけど……めちゃくちゃ怖いから気付いてないふりしとこ……うぅ、早く終わんないかなぁ……)」




