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第五話 ~されど、焦がれる思いがくじけることなし~

 マイセン辺境伯の居城、その最上階にある見張り所。

 メイドさんにすすめられるままに散歩ついでにやってきたド田舎貴族の俺は、なぜか皇女様と並んで立ちながら夕陽を見ていた。


 以前の軍装とは違い、白のブラウスにロングスカートとの普段着姿の皇女様は、口を開く気配がない。

 本当に偶然ではないかと一瞬思うが、そんな訳がない。

 たまたま二人っきりな状況で、しかも場所が、普段は人が来ないらしい場所?

 そのうえ、長居もせずにすぐ帰ろうとした俺が滞在してた短時間に、たまたま皇女様が現れる?

 マイセン辺境伯にバレずにもう一度密談をするために、あのメイドさんもグルで俺を誘い出したって方がまだある。

 本当に偶然なら、運命すぎて笑えるレベルだよ。


 いや、待て。落ち着け。

 諸侯の従軍って、戦時に皇帝陛下の招集を受けた場合に限って一定数以上の領軍を率いて参陣する以上の義務はない。

 皇帝陛下直属である国軍の人事は、国軍に軍籍を持つ者にしか強制力がないんだ。

 裕福な貴族の身内なら、常時地方に駐留させる地方連隊長職を装飾品代わりに売官で買ってるから国軍の軍籍を持ってるけど、三千弱の兵士を養う義務が付いてくるぜいたく品をド田舎貴族のうちが持ってるわけもない。

 お飾りの将軍位か、後ろ盾のない皇女の身分しかない少女に、国軍の軍籍を持たない俺を意思に反して平時に部下にする方法はないはず。

 そんな無茶をすれば、諸侯の独立性を害したって大騒ぎになるはずだ。


 戦時なら、戦時中だけうちの男爵家の領軍ごと抱え込むことも狙えたかもしれないけど、賊討伐は治安維持活動で、戦時とは呼ばないし。


 周りがほとんど全部敵とも言えるハードな人生を送る皇女殿下がどんな手を使ってくるのか。

 あれこれ考えながら黙って頭を抱えていると、気付けば空には月明かりと星明かりがあるだけ。

 いい加減、こっちから何か言うべきかと考え始めたころに、突然言葉を掛けられた。


「ここの城下町を見て、どう思った?」


 まったく考えもしなかった言葉に、少し拍子抜ひょうしぬけしながらも考える。


 来る途中、馬車に乗って少し見ただけだけど、西方最大の都市ってだけのことはあったと思う。

 人通りも喧騒けんそうも、うちの領地と比べるのがバカバカしくなったくらいだし。


「えっと、うちの領地よりも人が多くて、栄えてましたね」


 まあ、前世日本で都会っ子だった俺に言わせれば、道はそこそこすいていたように思えるけど。

 そして、前世で慣れ親しんだ星を掻き消すほどの明かりと比べれば、目の前で広がる明かりがまばらな夜景は、かなり物足りない。


「そうか。そう見えるか。――ならば、そう遠くない昔、この街が『眠らぬ街』と呼ばれ、どんな時間でも人があふれかえっていたほど栄えていたと言って、信じられるか?」


 その光景は、簡単に想像できる。

 ただし、前世での光景だ。

 夜も早いのに明かりも少なく、昼間見た時でさえ『人があふれかえる』には程遠かったこの街もそうだと言われて、すぐには想像が追いつかない。


「まあ、言葉も出ないだろう。一番栄えていたらしい私たちが生まれたころは直接見たことはないが、物心がついた十年ほど前でも、今とは比較にならないほどのにぎわいはあった」


 ピークの時期を聞いて、なんとなく想像はついた。


「マイセン辺境伯の失脚、ですか」

「らしいな。おじいさまが失脚し、代々握ってきた中央での利権まで失ったそうだ。結果、中央からまったく金が回ってこなくなり、経済が上手く回らなくなったらしい。細かい話まではよく分からなかったがな」


 ここで、先日貰った新領地であるズデスレンを思い出した。

 湖上貿易における東回り航路の港の一つだけどさびれていて、栄えているのは国境の向こうの王国まで陸の販路が伸びる西回り航路だけ。

 東回り航路はそのまま帝国西方に繋がってるけど、マイセン辺境伯の失脚をきっかけに、中央での躍進やくしん以前よりもお金が回らなくなって市場としての魅力が減ったのか。

 そのうえ、西方各地に行くためにはマントイフェル城を経由しないといけないけど、ズデスレンとの間の道は拡幅も整備もできていない質の低い山道だけ。

 たぶん、マイセン辺境伯の失脚以前はズデスレンも男爵領だったから、ズデスレンからの税収もあって、管轄問題もないから、ちゃんと整備してたんだろう。でも、荒れた山道を進んだ先に不景気な市場があるだけの現状じゃ、商人たちに見切られもするってもんだ。


「幼いころから年に二回か三回くらいはここに訪れてきたが、やってくるたびにつらかったよ。何せ、訪れるたびに街から人が減り、夜から明かりが消えるのだ。こっちの友人たちを通じて平民の娘たちと話してみて、だんだん悪くなる状況を聞きもした。そうして生まれたのが、この景色だ」


 そう言う皇女殿下の顔は、話す内容に似合わず力強さを感じさせる。

 ああ。きっと、彼女は何かの決意を固めているんだろう。


「おじいさまに、中央での足掛かりはなきに等しい。ただ一つ、私をのぞいてはな。だが、おじいさまには、私を利用する気はない。それどころか、何をする気もないんだ」

「それは、皇女殿下の身の安全を――」

「私は普段帝都で暮らしている。しかし、独りぼっちの私に、友を、安らぎを与えてくれたのはこの場所なんだ。そんな大切な場所がただ衰退していくのを、座して見ているのが正解なのか? たとえ、どれだけ危険で成功の見込みが薄い可能性でも、大切なものを守るために賭けてみようというのは間違っているのか?」


 いや、それは俺の通った道だ。

 たった数百の兵力で一万や三万の敵に戦いを挑んででも領民を守ろうとした俺と、行動の本質はたぶん変わらない。


「無茶は承知だ。お前が父上に認められたからって、私も同じように認められる保証はない。むしろ、とても困難なことだろう。それでも、こんな私の無茶に付き合おうと、親衛隊の百人の少女たちはついてきてくれた。故郷を守りたい一心で、武器を取ったんだ」


 きっと彼女は、ズデスレンを取り返せないままに成人して『真実』だけを聞かされた俺なんだ。

 ズデスレンを取り返したと聞いて初めて俺に涙を見せたギュンターの喜びを、悲しみや無念といった感情で受けることになり、なんとかしたいとの思いだけが先走る。

 失ったものを少しでもおぎなおうと無理して死んでしまった父上の思いを、むくいることのできる何もなく、ただ知った。

 王国軍の使者が来て食料を要求され、領民たちが飢え死ぬことを前提に条件を付けてきたことに、俺は今世で生まれ育った場所への思いが爆発して拳で応え、四百で一万に挑むなんて無茶な戦いを招いた。

 彼女にとっては、爆発した思いが向かう先が、国軍での出世による西方諸侯の中央での影響力の回復って方向に向くしかなかったんだ。戦場で目覚ましい功績をあげることが、一番分かりやすく周囲への訴えかけになるから。


 ここは『国民』国家ではない。

 ただ皇帝陛下を旗印はたじるしに諸侯が集まっているだけで、横のつながりは無条件には存在せず、基本的には対価なくして誰も『敗者』を助けてくれない。

 言ってしまえば、帝国内の他の諸侯領は外国のような感覚である。

 その中で皇帝とは、諸侯を従えるだけの武威を持つ最大の実力者であり、帝国を帝国たらしめる存在だ。


 でも、そんな皇帝陛下ですら、建前はともかく、なんでもはできない。

 ルールにもとづいて領地を与えるか奪うか恩賞おんしょうを与える以上の肩入れなんて不公平をなんの理由もなくして行うならば、諸侯はそんな気まぐれで信用できない皇帝の下に居続ける理由がなくなる。

 代々忠義を尽くしてきた事実を尊重はしても、子や孫や遠い子孫のために、離反する方が所領を維持するために有益と判断するならば、多くの諸侯は迷わず実行するだろう。

 だからこそ、我が家も王国軍に徹底抗戦せず、帝国の奥地に避難するでもなく、当初は戦わずして全面降伏しようとしたのだ。家や所領を守ってくれない指導者に、従う理由なんてないんだから。


 だから、目の前の『西方派閥の』皇女様の悲願を叶えるには、そのやりたいことに応じた何かしらの『実力』を他の諸侯に見せつけて、納得できずとも受け入れさせるしかないのだ。


「なあ、カール。私は、何者だ?」

「はっ、我が帝国の第三皇女様であらせられます」

「そうだ。実に無力なただの皇女だ。――それでも、私と、私の友人たちが愛した西方地域を救いうるのは、そんな小娘しか居ないんだ。少なくとも、私には他に思いつかない」


 そこで、少女は俺の方に向き直り、俺もそれに応えることで、互いに正面から向き合うことになる。


「目の前の英雄一人すらどうにかする力も持たない無力な私には、こうすることしかできない。――こんな私を信じてついてきてくれた親衛隊のみんな、そして何より私のために頼む。無力な私の無茶な戦いに、お前の力を貸してくれ」


 そう言いながら深々と頭を下げる姿に、何も言えない。


 マントイフェル男爵家のことだけ・・を考えるなら、受ける理由なんてあるもんか。

 我が家は失ったものをすでに取り返したんだ。

 周囲が不景気だろうと、過剰なぜいたくさえしなければ、我が家に限っては今までよりも余裕のある生活もできるだろう。


 でも、見捨てるのか?

 彼女の気持ちが、痛いほど分かってしまうのに?


 ……これは、俺個人の感情の問題で終わらないかもしれない。

 万が一、億が一、西方全体の経済を立て直したいとの彼女の理想が叶うならば、マントイフェル男爵家が大きな利益を享受きょうじゅするのは確実。

 だからって、客観的に見てできると言い切れないだろうことでもある。


 実務経験がない子供一人が居なくても、金だけ引っ張ってきた時点でマントイフェル城の復興には全く困らないどころか十分すぎる仕事をしたと言えなくもないだろうが、政治的な面で実家に迷惑がかかるかすら俺には判断しきれないのだ。


「……その、実家が……」

「うん?」

「うちの実家が良いと言うなら、私はあなたの下で、微力を尽くしたいと思います」


 月明かりの下、突然跳ね上がった整った顔がしばらく呆けたかと思うと、一気に紅潮こうちょうする。


「ほ、本当か!?」

「え、ええ……」

「よっしゃー! そうか! 力を貸してくれるか! これで賊如き、何するものぞ! うっしゃー!」

「あの、うちの実家の許可が出なかったら、この話はなかったことになりますからね?」


 ダメだ、これ。

 飛び跳ねて喜んでて、全く話を聞いてない。


 ……おじいさまにダメって言われたら、どうしよう?





「――との事情がありまして、エレーナ第三皇女殿下のところで働こうと思います」

「な、なんですとぉっ!?」


 サプライズゲストで皇女殿下が現れたマイセン辺境伯のところのパーティを無難にこなし、今はマントイフェル城に帰って、おじいさまとギュンターとお茶を飲みながら三者面談中である。


 とにかく、完全に俺を引き入れた気になって喜ぶ皇女殿下か、おじいさま。

 どっちを説得せねばならないのかを確定させないと、次に進めない。

 だから、まずはおじいさまの判断を聞かないと。


 なお、賊の討伐命令が発令されてマイセン辺境伯に知られたときにその本拠地に居たら何をされるか分からないと皇女殿下は帝都に帰り、「じゃあ、帝都で待っているぞ!」とのありがたいお言葉だけを残していかれた。


 で、一応は皇女殿下の期待に応えるための一言目からギュンター大爆発である。


「いや、――」

「カール様は中央を甘く見過ぎです! あそこは――」


「いや、良いではないか。行ってこい」


 突然のおじいさまの言葉に、俺もギュンターも時が止まったかのように動けない。


「あの、おじいさま? 本当によろしいので?」

「おや、反対してほしかったか?」

「いえ、そういうわけではありません!」


 正直、成功する可能性なんて無きに等しい皇女殿下の計画に、参加する理由の薄い俺が参加することに反対されると思っていた。


「しかし、ご当主様。必要もないのに、わざわざ中央などという危険地帯に関わるのは……」

「だからじゃ。ワシらのように中央での実地経験を持つ者たちも、遠からず現役を退しりぞくじゃろう。その後に中央に関わることになれば、カールやその後を継ぐ者たちは、何も分からぬままに進まねばならん。だからこそ、ワシらが助言できる今のうちに、将来のマントイフェル男爵家当主として中央での経験も積んでおいて損はあるまい」

「あ、ありがとうございます!」


 理由はどうあれ認めてもらえたことに、頭を下げて感謝を示す。

 我が家の最高権力者が認めたことで、不満そうなギュンターもこれ以上は何も言わないようだ。


 しかし、おじいさまの表情はけわしい。


「ただし、これから言うことは胸に刻み付け、決して忘れるな」

「はい」

「お前がどんな失敗をしようと、どんな罠に引っかかろうと、当主ではないことから、皇帝陛下に刃でも向けぬ限りはワシらや実家まで連座されることはない。ただし、お前個人で言うなら、どうなるか分からん。仮に処刑台に送られたならば、我が家も、マイセン辺境伯ですらも、西方の誰もがそれに介入する力はない。モニカが生むだろう二人目以降の子を貰い、次期当主として育てて家を守るのが精一杯じゃ」


 その真剣な目は、大袈裟でもなんでもなく、本当に起きうる事態なのだと雄弁に語っている。

 だけど、その程度でひるむものか。


 俺が皇女殿下と挑むのは、もう一度奇跡を起こすなんて無茶なんだから。


「はい、承知いたしました」

「うむ、そうか」


 ここで、おじいさまの表情が緩む。

 ここまでが家のための決断をする男爵家当主の顔なら、これは孫を見る祖父の顔ってところだろうか。


「心配せんでも良い。お前は、誰にもできないことを成し遂げた。数百の兵で万軍と戦い抜き、我らが取り戻せなかったズデスレンを見事に取り戻してみせた。もう一人前の優秀な貴族と言えるじゃろう。慢心せず、気を付けるべきところにさえ気を付ければ、お前ならば無事に生き抜くくらいはやれるじゃろうて。領地経営は後でいくらでも教えてやれるが、たとえ末席でも中央で席を得る機会など二度とないかもしれん。いつまでも、とはいかぬが、その目その肌で外の世界を感じてくるといい。それが、誰にも奪われ得ぬ、何よりの宝となるだろう」

「はい!」


 そう言いながら俺の頭をでる手は、ちょっと硬いけど、とても温かくて大きかった。





『月下の誓い』


 当時マントイフェル男爵の健康回復を受けて当主代行を返上したカールが、後に聖女と呼ばれるエレーナに忠誠を誓った出来事を指す。

 月下の誓いと呼ばれるのは、このエピソードを有名にした千七百十九年の帝国中央劇場での演劇の一幕から。


 そのころのカールは、初陣である第二次マントイフェル合戦によって英雄として一気に名を上げ、帝都滞在中は連日複数の有力者からパーティなどに招待されるほどに引く手あまたであり、親衛隊百名以外には実権も後ろ盾もなかったエレーナにわざわざ従った理由には、諸説ある。


 まず、エレーナの母方の実家であるマイセン辺境伯家からの要請との説がある。

 確かに、中央で失脚したとはいえマイセン辺境伯が西方諸侯のまとめ役ではあったが、諸侯に配分すべき中央の利権やポストを失ったマイセン辺境伯の発言に強制力は、辺境防衛を任された辺境伯としての権限による限られたもの以外ではほとんどなく、学説としては少数説にとどまる。


 次に、現在の有力説である西方復権論がある。

 カールの代までを考えるならば、中央の有力諸侯の派閥に属しておくのがもっとも簡単にマントイフェル男爵家を繁栄させる方法である。ただし、所属派閥で新参者として軽く扱われるのは明らかで、カール個人の才覚がなくなる次世代以降がどこまで面倒を見てもらえるかも不明。

 そこで、中央からの金銭の動きが途絶えたことで十年以上の、先の見えない不況にあった西方地域全体の経済状況によってマントイフェル男爵家も影響を受けているのだから、西方派閥系の皇女であるエレーナを足掛かりに一定の利権を再び引っ張ることで西方全体の経済を底上げして次世代以降につなげようとの考えを持っていたというものである。

 エレーナ自身が以前から同様の主張をしていたとの記録があり、カールが感服して従ったとするのである。

 ただ、実現できればマントイフェル男爵家を含む西方諸侯全体に大きな利益になるものの、当時のエレーナの地位・権限では実現性が皆無に等しく、カールが中央での他の有力者からの誘いを断ってまで協力するのはおかしいとの指摘がある。


 その他、エレーナもしくは西方出身者で固められているエレーナの親衛隊の少女たちの誰かと恋仲であったか好意を抱いていたことによる情があったとの説、エレーナの将軍位と皇女の肩書に実態を勘違いしたとの説などもある。


帝国史用語辞典(帝国歴史保存協会、第九版、大陸歴千九百九十七年)の同項目より抜粋


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