94.伯爵領に行きます(第五話)
翌朝、リデラインたちは馬車で拠点へと向かっていた。
組み合わせは三兄妹とオスニエルの四人、両親とヒューバートの三人で分かれ、更にベティやヘクターなど、公爵家の使用人や医療従事者たちを乗せた馬車が複数、そして護衛にあたる騎士たちでの大所帯の移動だ。
伯爵邸がある領都からストウ森まで、馬車では数時間を要する。リデラインは眠気に負けてしまい、馬車の中で眠っていた。
「――ル、リデル」
「んん……」
うっすら目を開けるとこちらを見下ろすローレンスと目が合って、リデラインはぼうっとしたまま体を起こす。
「着いたよ」
「はい……」
拠点に到着したらしい。目元をさすって欠伸をしたリデラインは、内心首を傾げた。
(横になってたな……)
少し考えて、リデラインははっとする。一気に頭が覚醒した。
出発して早々、うとうとしていたリデラインは、ほぼ眠っているような状態だった。そんなリデラインの頭をローレンスが己の膝に誘導して、眠るよう促したのだ。つまり、膝枕をしてもらっていたのである。
理解したリデラインはあわあわしながら隣の兄を見上げて、勢いよく謝罪する。
「ごめんなさいお兄さま! 足がしびれてたりとか……っ」
「ん? 大丈夫だよ。リデルは可愛いからね」
それは理由になっていないのでは、とリデラインは困惑した。そんなリデラインの頭をローレンスは優しく撫でる。
「本当はもっと寝かせてあげたいんだけど、そうもいかないからね。ここからは気を引き締めないといけないよ」
「そうそう。呑気にやってたら難癖つけてくるやつがいるんだからさ、ちゃんと自覚持って行動しなよね」
ローレンスに続いてオスニエルからも忠告をもらったので、リデラインは「わかってます」と真剣な顔つきになる。
寝不足の蓄積は、この二日のローレンスの添い寝のおかげでだいぶ改善されている。集中して、情報を見逃さないようにしないといけない。
馬車から兄たちが先に降りて、最後にローレンスから差し出された手に自身の手を置いてリデラインが降りる。両親たちもすでに姿を現しており、拠点の準備にあたっていた騎士たちがずらりと整列して迎えてくれていた。
フロスト騎士団とは違う制服を着用している者もいる。彼らが伯爵領や隣の二つの領地の騎士団の団員で、一番多い制服が伯爵領の騎士団のものだろう。
「準備はどうだ?」
「ほとんど完了しております」
デイヴィッドの問いに答えたのは、フロスト騎士団団長のダグラスだった。鍛え上げられたがっちりとした体躯の男性で、先代公爵の片腕と言われていた実力の持ち主である。
ダグラスは暫くストウ森の調査に力を入れていたため、フロスト公爵領にはほとんどいなかった。だからリデラインもこうして姿を見るのは久しぶりだ。
「では最終確認だな。――その前に、皆に紹介しておこう」
デイヴィッドの視線がリデラインとジャレッドに向けられる。
「今回の討伐から、私の息子ジャレッドと娘リデラインが参加する。リデラインは後方支援員としての参加だ。不慣れなこともあるだろうが、よろしく頼む」
「は!」
綺麗に揃った大きな返事に、リデラインは息を呑んだ。
フロスト騎士団の者たちは顔見知りなのでいいとして、他の騎士団の騎士たちは興味津々といった様子で二人を観察している。体格の良い者たちから注目されるのは、なかなかに圧があった。
紹介が終わり、まずは人数を分けて設営状況の最終確認が始まった。リデラインはヘンリエッタと共に、炊事場などを中心に不備がないか確かめていきながら、どこに何があるのかを頭に入れていく。
リデラインの護衛にはケヴィンがつくことになったので、ヘンリエッタの護衛の騎士も合わせて、二人はリデラインたちの後ろに控えている。
ベティとヘンリエッタの侍女は騎士たちと共に、フロスト公爵一家が利用するテントに荷物を運び入れて準備をしているところだ。ヘクターたちは医療用テントと備品の確認、使用人たちは食材などの確認にあたっている。
討伐に参加する者たちが討伐に集中できるよう、使用人は食事の準備や洗い物などの雑用を担当する。リデラインのようなお手伝い組の役割も、配膳や備品の管理、討伐結果の整理の手伝いといった雑用だ。お手伝い組は討伐に慣れるという目的もあるので、拠点に近づく魔物がいないかなど、騎士と共に見張りをすることもある。
「そろそろ到着し始める頃か」
最終確認を終えて会議用テントに集合し、大きなテーブルを囲ってから数十分。デイヴィッドが時計を確認して呟いた。傍系の貴族たちが来る頃のようだ。
討伐には人数が必要になるので、傍系たちもそれぞれ騎士を連れて討伐にあたる者が多い。騎士をほとんど連れていないのは、領地を持たない貴族ばかりである。
傍系が次々と拠点に到着し、リデラインはフロスト公爵家の者として挨拶を交わした。
顔を合わせた傍系や騎士たちは好意的な者のほうが多かったけれど、リデラインとジャレッドの魔力の変化が耳に入っており気になるのか、話を長引かせようとする者はそれなりにいた。そういう者たちはローレンスに笑顔の圧をかけられて引いていったけれど、隙あらば話しかけようと意気込んでいるのが窺えた。
「エクランド伯爵、元気そうだな」
「は」
到着の挨拶のために会議用テントに現れた五組目は、エクランド伯爵とその娘だった。エクランド家の騎士はテントの外で待機しているようだ。
エクランド伯爵は爵位を継いだばかりで、昨年までは父親である先代と共にこの討伐に参加していたと聞いている。娘は現在十四歳で、今回が初めて後方支援員としての討伐参加らしい。
(綺麗な子、だけど……)
淡い茶色の髪と、フロストの傍系に多い水色の瞳。可愛らしい容姿で――最初の挨拶が終わってからは、頬を染めて熱視線をローレンスに向けている。まるでローレンス以外は視界に入っていないように見えるほど熱心に。
「――今回も期待している」
「ご期待に添えられるよう、全力を尽くします」
デイヴィッドとエクランド伯爵の話が終わり、娘は名残惜しそうにしながらも伯爵に連れられてテントを出て行った。
「相変わらずだったね、彼女」
テーブルに頬杖をついてそう口にしたのはオスニエルだ。それはローレンスに向けられたもののようだったけれど、ローレンスは「そうだね」と興味がなさそうに紅茶を一口飲む。
「あれは明らかに兄上に気があるな」
「前からあんな感じさ。ブリアナ・エクランドはローレンス兄さんに惚れ込んでるって、家門内では相当有名だよ」
ブリアナ。それが彼女の名前である。
「どうせあの令嬢だけじゃないんだろ」
「まあね。ローレンス兄さんはモテるから。でもあの子はちょっと異常っていうか、重いんだよ」
「兄上よりもか?」
「ああ……んー、系統が違うけどどうなんだろ」
オスニエルが悩ましげにローレンスを見ると、ローレンスはキラッキラの笑みを浮かべる。
「僕をあれと一緒にしないでくれるかな」
「いやぁ、愛の重さは負けてないでしょ。対象が違うだけで」
そう言いながら、オスニエルはリデラインを一瞥した。
「心配しなくても、ローレンス兄さんはどんな美人からアプローチされても目移りしたりしないよ」
「なんでそれを私に言うんですか」
「だって拗ねてるじゃん」
「そう見えますか」
「うん、見える。声も低くなってる」
指摘されて、リデラインは自分の中に面白くないという感情があることに気づく。すると、隣に座っているローレンスが手を伸ばし、リデラインの頬に指を滑らせた。ローレンスは嬉しそうに目を細め、リデラインを見つめている。
「拗ねたの? 可愛い」
「えっと」
「僕の一番は常にリデルとジャレッドだから、安心してね」
「ぅ……はい」
リデラインは真っ赤になった顔を俯かせた。
「いつもこんななの?」
「大体な」
「ご愁傷様」
ジャレッドとオスニエルが呆れた様子で何かを話していたけれど、リデラインの耳には届かなかった。




