47.祖父母登場です(第五話)
午前中最後の授業の前の休み時間に、ローレンスは目的の講義が行われる教室に入った。一気に視線が注がれる中を進んでいく。
席は階段状になっている。女子生徒が友人と話しながら階段を降りてきて、最後の一段を踏み外した。咄嗟に腕を伸ばし、転ばないように支える。
「フ、フロスト様っ」
女子生徒はローレンスに助けられたことに気づくと、顔を真っ赤にした。ローレンスは優しく声をかける。
「大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい、大丈夫です、申し訳ございません!」
「謝るようなことじゃないよ。怪我がなくてよかった。気をつけてね」
「はい! あ、ありがとうございます!」
両手を胸の前で組んでお礼を述べた彼女と友人の横を進み、ローレンスは階段を上って後ろの席へと向かう。
「羨ましいわ。フロスト様に抱きとめていただくなんて……!」
「もう一生分の運を使い切ってしまったかも……」
女子生徒の会話は気にせず一番後ろの窓際の席に座ると、肩に重みを感じた。隣に来た男がローレンスの肩に肘をのせている。
「相変わらずだなぁ、お前の人気っぷり」
茶髪に赤い瞳のその男はクラスメイトのネイサンだ。さっきの様子を見ていての感想らしい。
彼は辺境伯家の三男で、かなり自由奔放な人間である。一年生の時に同じクラスになり、隣の席に座ったことがきっかけで話をして仲良くなった。二年生になっても同じクラスだったので、何かと縁があるようだ。
公爵家の後継者と辺境伯家の三男では身分差があるけれど、そういうところに拘らない部分は好ましい。
「また遅刻か」
「いやあ、うっかり寝坊したわ」
朝はネイサンの姿がなかった。彼の遅刻はよくあることだ。どうせまた、彼曰く『仲のいいお友達』の誰かの家で一夜を過ごし、朝帰りをしたのだろう。
「人気で言うなら、君も相変わらずだと思うけど」
「そりゃあ俺は積極的に交流してるんで」
そう言いながら、ネイサンは顔見知りの女子生徒が固まっている集団に手を振る。すると向こうも嬉しそうに頬を染めて振り返し、友人たちではしゃぎ始めた。
「フロスト一族は本家に近い血筋ほど社交界にあんま出てこないから、確実に、それも近くでお目にかかれるのは学園くらいなんで、みんなお前とお近づきになりたくて割と必死みたいよ? 特に女の子たちは」
ネイサンはテーブルに頬杖をついて目を細める。
「あの真っ黒い冷酷な顔を女の子たちが見る機会が今んとこないのが残念だわ〜。かっこいいのにな?」
ニヤニヤと愉快そうに語るネイサンは、むしろローレンスの別の一面を知って離れていく異性がどれほどいるかのほうに興味があるのだろう。
ローレンスは猫をかぶっているわけではない。ただ、本気で怒るようなことがここではあまりないだけだ。
入学して間もない、ちょうどネイサンと話すようになって数日ほどのことだったか。同級生が「出来の悪い弟を持つと大変だな」と、まだ魔法使いの資格を得ていないジャレッドをローレンスの目の前で馬鹿にしたことがあった。その時にきっちり報復した場面をネイサンに見られたのだけれど、それがきっかけで物凄く気に入られてしまったらしい。
「ラリーはあのフロストの次期当主、史上最年少で一級魔法使いの資格を得た天才、成績も首席、加えてこの顔で性格も基本的には優しい。結婚相手としては最高すぎるよなぁ」
「その呼び方やめろって何回言わせるんだ」
「俺とお前の仲なんだからいいじゃん」
知り合ってから、つまり愛称呼びを注意して一年ほどになるけれど、ネイサンは変えるつもりはないようだ。
ローレンスがため息を吐くも気にすることなく、ネイサンは自身の興味に従ったままの質問を投げかけてくる。
「婚約者、そろそろ考えなきゃいけないんじゃねぇの? 誰かと付き合ってみたりすれば?」
「今は興味ないかな、そういうの」
「興味あるないの問題じゃないと思うけどねぇ」
興味がないものはないのだ。それに、まだ猶予はある。婚約者を急いで決める必要はない。
「弟と妹のことで頭いっぱいか? 仲直りしたって話だったし」
ネイサンには弟妹との仲が思うようにいっていなかったことを時々話していて、今回の長期休暇の間に解決したことも伝えている。
彼の言うとおり、ローレンスは今、リデラインとジャレッドのことで頭がいっぱいだ。まだヨランダのことなど色々と問題は残っているけれど、愛しい弟妹との関係は良好である。
「おいおい、その顔はやめておけ。女の子がやられてる」
二人のことを考えていると自然と表情が緩み、ネイサンに呆れたような顔をされた。
「すげぇ興味あるわ、お前にそんな顔させる弟妹」
「二人ともとにかく可愛い」
「あー、はいはい。それは散々聞いた」
うんざり気味に流されても、ローレンスはあまり気にせずにまだ零す。
「領地に帰りたい。一人寝がつらすぎる」
距離があった弟妹との仲が修復され、リデラインとは何日も一緒に眠っていたし、領地を出発する前の晩はジャレッドも一緒に三人で眠った。
それなのに、まったく顔を合わせなくなって早一週間である。つらい。
「だから恋人でも婚約者でも作ればいいじゃん。熱い夜過ごせば気も紛れるどころか、夢中になるんじゃねぇの?」
「この寂しさは弟と妹にしか埋められないんだよ」
「相変わらずのブラコンシスコンっぷりだな」
ネイサンはローレンスの肩に腕を回し、ぐっと顔を近づけた。至近距離で見つめ合う形になり、妙に色気を纏ったネイサンが甘く囁く。
「――女でダメなら、俺が添い寝してやろっか?」
周囲から黄色い声が上がる。
ローレンスは半目になりながら、ネイサンの顎をぐいっと押す。
「いらない」
「いでで。冗談だって」
ローレンスの腕を払いのけ、ネイサンは顎をさすった。
「これはアドバイスなんだけどな。今はいいかもしんないけど、そのうち下の兄弟ってのは上を鬱陶しく思うようになるもんだよ。実際に俺がそうだからなぁ。構いすぎるのもほどほどにしとけよ? おにーちゃん」
その日の授業を終えて帰宅したローレンスは、執務室の椅子に座って息を吐いた。
学園に通っている期間や新年のパーティー以外だと、魔法研究の発表会などでフロスト家の者は王都に滞在する。そのような王都にいる間のために所持している邸は無駄に広い。
使用人がいるので人の気配はあるものの、リデラインとジャレッドはいないのだ。
心が沈んでいくばかりのローレンスは、執務机に置いているリデラインからの手紙を手に取った。目を通し、可愛らしい字にはやはり勝手に表情が緩んでしまう。
ローレンスがいなくて寂しいだったり、ジャレッドの試験対策の勉強に付き合ってこんなことをしただったり、祖父母が来るみたいだからちょっと不安だということだったり。リデラインはたくさんのことを手紙に書いてくれている。
祖父母は昨日のうちに公爵邸に到着しているはずだ。ヨランダと繋がりのあるグウィネスを連れて。
罠に嵌めるためとはいえ、リデラインに害意を持っている者を近づける状況を作り出してしまうとは。それもローレンスがそばにいることができない時に。
(帰りたい)
長いため息を吐き終わったところでノックの音がしたので、入室の許可を出す。入ってきたのは普段この邸の管理をしている執事だった。書類を持っている。
「ローレンス様、監視の者からの報告です」
「ああ。ありがとう」
報告書の内容を確認して、ローレンスは「は」と短く笑い声を零す。それは軽蔑や嫌悪がふんだんに込められたものだった。
「――やっぱり、さっさと潰しておくべきだったな、このクズどもは。それに、こっちの家も絡んでいるのは想定どおりではある」
「いかがなさいますか」
「まだ傍観でいい。確実に言い逃れのできない状況にする」
ローレンスは背もたれに体を預け、肘掛けに頬杖をつく。
「この件は僕に一任されているからな。徹底的にやるよ」
◇◇◇




