36.兄離れはできません(第三話)
領民たちが解散して、あの少女も「おじょうさま、またねー!」と手を振りながら母親と帰っていって、リデラインはほっと息をついた。
(子供の距離感って恐ろしい……)
ぐいぐい近づいてくる気力にまったく追いつけない。
それでも、別に嫌というわけではなかった。あちらに敵意はなかったし子供なので、馴れの問題なのだろう。自分から声をかけるのは難しそうなので、向こうから来てくれるのはありがたい。
前世では大部屋で年齢の近い子供たちとも過ごしていたけれど、途中から個室に移ったので耐性がすっかりなくなってしまっているのが自覚できた。
「大丈夫か?」
ローレンスにぽんぽんと頭を撫でられているリデラインに、ジャレッドが気遣わしげに訊ねてくる。
「人こわいです」
「そんなにか……?」
疲労感も窺える青い顔のリデラインを見て、ジャレッドはひどく困惑気味だ。基本的に人見知りをしないジャレッドには理解できない感覚だろう。
人見知りが拗れに拗れていると、恥ずかしいやら怖いやら緊張やらで、とにかく初対面の人に囲まれてはどう接していいのかわからないのである。
前世を思い出す前の一年はかなり強気で高慢で横暴だったけれど、あれだって虚勢だった。
「ゆっくり慣れていこうね」
「はい」
ローレンスに返事をして、手を繋ぎ直して街の散策に戻った。
ローレンスに誘導されるがままにまず向かったのは、見た目がおしゃれなお店だった。
「魔道具店だよ」
「魔道具……!」
リデラインが目を輝かせたことにローレンスは嬉しそうに表情を緩め、先にジャレッドが、その後に続いてローレンスとリデラインが店内へと入る。
(おお……!)
店内は広く、色々な魔道具が置かれていた。
定番のランプや護身用のアクセサリー、以前ローレンスにお願いしていたカメラもある。あれはここで買ったものなのかもしれない。
この世界は前世の地球にあった家電や道具が魔法で再現されており、人々の生活を支えている。カメラを始め、冷蔵庫や冷凍庫、室内温度調整具、コンロなども魔道具だ。
物を入れるための空間が必要な冷蔵庫や冷凍庫と異なり、カメラやエアコンの見た目は前世のものとは類似点があまりない。
ただ、魔道具は高級品で、それなりに生活に余裕のある層しか購入できないものが大半でもある。魔道具を作るために必ず必要な魔石は高価で、魔道具を作れる職人も限られているため、高価格になってしまうのは仕方のないことだ。
フロスト公爵家は魔石が採れる鉱山を所有しており、魔道具職人の支援も積極的に行っていることに加え、冷蔵庫やコンロなどの家庭で必要な最低限の魔道具の製作費を軽減させることに力を入れている。よって、この土地では他の場所で購入するよりも魔道具の価格は比較的安い。
価格だけでなく完成度も高いため、フロスト公爵領産の魔道具は大層人気だ。魔道具を購入するために外部から人が訪れ、領地に金銭を落としてくれる。
「護身用の魔道具をいくつか買おう」
「護身用ですか?」
「リデルもジャレッドも外出する時は基本的に護衛がつくけど、一応念のためにそういうものを持っておいたほうがいい。特にリデルはね」
幼く技術が未熟で資格も持っていないリデラインとジャレッドは、身の危険が迫ってきても魔法で対処をすることが難しい。リデラインはたとえ資格を得たとしても魔力が少ないので、自衛の手数が限られてしまう。そういった意味で必要だとローレンスは言っているのだ。
護身用の魔道具も前世と近しいものがある。
防犯ブザー、スタンガン、魔力を込めるだけで使える催涙スプレーなど、種類は様々。子供や女性が使いやすいように軽量化されているものも豊富だ。
「俺はもう持ってるけど」
ジャレッドはよく外に出ることもあり、すでに魔道具を持っている。
「前に買ったものだろう。今はもっといいのがあると思うよ」
「過保護だな」
「兄の特権だからね」
ローレンスが口角を上げると、ジャレッドは不満そうな眼差しを送りながらも大人しく魔道具を選び始めた。
リデラインもローレンスのアドバイスを受けながら、デザイン性も重視して決めていく。
最終的にリデライン用に購入したのは、危険な時に結界が発動する髪飾りとブローチだった。ジャレッド用は同じ効果のブローチとカフスボタンだ。
購入した魔道具はローレンスの合図で姿を現した護衛に渡された。荷物持ちも兼ねた人員だったらしい。
魔道具店を出て三人が次に寄ったのは、露店が集まる市場だった。
ここでも兄二人はたくさん声をかけられ、リデラインにも注目が集まったけれど、みんな気を遣ってすぐに離れてくれた。領民の間で三兄妹が街を回っており、妹はとても恥ずかしがりだという話が広まっているようだ。とてもいたたまれない。
(クレープ……!)
複雑な思いで市場を歩いていてリデラインの目に留まったのは、クレープの露店だった。すぐに周りのことなど忘れてしまう。
うずうずしているリデラインに気づき、兄二人はクレープの露店へと歩みを進めていく。
「リデルは甘いものが好きだよね。何にする?」
「ストロベリーチョコがいいです! アイス入りの!」
「ジャレッドは?」
「あー……、バナナ」
二人の要望を聞いたローレンスが注文と支払いをして、出来上がったクレープを渡されたリデラインは早速一口食べた。
(んー! 美味しい……!)
甘みが強いいちごに生クリーム、チョコレートソース、バニラアイスのクレープは、前世でも好きだった組み合わせだ。
クレープは公爵家のおやつではあまり出ない。今後は定期的に出してもらえるようお願いしようとリデラインは決めた。
「お兄さまは食べないんですか?」
「うん、僕はいいよ」
クレープは二つだけで、ローレンスは何も頼まなかったようだ。ジャレッドは気にせずに自分の分のクレープをパクパク食べている。
「一口だけくれる?」
「はい。どうぞ」
リデラインがぜひぜひとクレープを差し出すと、ローレンスはクレープを受け取るのではなくクレープを持つリデラインの手首を優しく掴み、そのままクレープを食べた。
ローレンスの視線が不意にこちらに向けられ、目が合ってリデラインは息を呑む。リデラインが距離の近さに頬を赤くしたところでローレンスは離れていった。
「甘いね」
「……はい」
唇を舐めたローレンスに返事をして、リデラインは再びクレープを口に含む。咀嚼して、飲み込む。美味しいはずなのに味がわからない。興奮して倒れなかっただけ褒めてほしい。
ちらりと窺うとローレンスは悪戯っぽく目を細めたので、リデラインは更に顔を赤くさせて顔を背けた。
(――なんだこれ)
目の前で繰り広げられた兄妹のイチャイチャに、ジャレッドは半目になるのだった。




